終章:僕らの敗者に福音を

 よく晴れた空。

 冷たい空気。

 オレンジ色に染まる街並みの中、不意に二十谺はつかが口を開いた。

とおる、ちょっとデートしてあげるから、付き合わない?」

 ぎょるっ、と晃一郎こういちろう十五谺いさかは二十谺に目を向ける。四人で合流をしてからまだ殆ど時間は経っていない。

「え?な、何よ……」

 ただごとではない十五谺の表情を見て、晃一郎は自分もそんな表情をしているのだろうと思ったが、それよりも何よりも、これから夕食を四人で済ませたら十五谺と二人で、二十谺と亨を残して別の場所へ行こうと思っていた矢先に、意外な言葉を聞いてしまったのだから、それはもう仕方のないことだった。

「え、な、なんでもない」

「ちょっとベースね、一本欲しいのがあって……」

 態々亨と二人で見に行くことでもないような理由を、二十谺は仕方なく述べる。

「じゃ、じゃあ俺らは邪魔者ミタイダシィー、ユクカ、イサカ」

「ウンソウダネ」

 殆どセリフを棒読みするような口調で晃一郎と十五谺は頷く。

「……」

 亨がじっと晃一郎を見ている。

「ほら、二十谺があぁ言ってんだから、行ってこい」

「何か、サクリャクを感じるんだが」

 自分達は昨日も行ったvultureヴォルチャーで夕食だ。もはや享が何に気付こうと、何を言おうと、後はもう若い人たち同士で、という感覚にもなる。

「そのつもりだったんでしょ。わざわざハマってやるのも悔しいから私から言ったのよ」

 さすがに察しが良い。こちらの考えなど最初からお見通しだったという訳だ。

「……ま、まぁ、それならそれでいいんだけど」

 ぼりぼりと頭を掻いて晃一郎は言う。となると、二十谺の方は晃一郎と十五谺の策略に乗るだけの気概はあるということなのだろうか。

「そだね。それじゃ行こっか晃ちゃん」

 だ、っと晃一郎の腕を引っ掴み、十五谺は足早に二人に背を向けて歩き出す。

「お、おい十五谺」

「あとは二人の問題でしょ。お節介はここまで」

「ま……、それもそうだな」

 何とはなしに、微妙な空気を作り始めている二人を見て、晃一郎も振り返った。つまり、二十谺がああ言い出したというのはきっと良い方向に腹を決めたのだ、と思いたい。晃一郎の希望でしかないことは判っているが、それでも二人が上手くいけば良い、と思わずにはいられない。

「果報は寝て待て、よ」

 十五谺の首元でほんの極小さなエメラルドのネックレスが弾み、夕日を反射する。

「何か違くね?」

 晃一郎は昨日十五谺にプレゼントしたその煌めきを確認すると、笑顔でそう返した。

「合ってますぅー」

「言い方……」


 シャガロックの二回目のライブが決まった。

 まだ二ヶ月先ではあるが、新曲も用意してある。晃一郎の肩も完治し、あとは練習を重ねるだけだ。

「しっかしまた、新曲は晃らしいっつーかなんつーか……」

 亨が言って、ぱぱん、と自分の膝を叩いた。練習の休憩時間でも手や足を動かしてリズムを刻んでいる。はたから見れば落ち着きのない、貧乏ゆすりのように見えてしまうこともあるが、悲しいかな多くのドラマーのさがでもあったりするのだ。それに場所がスタジオ内ならば至極当たり前ではある。

「照れ臭いけど、亨のために創ったんだけどなぁ」

「え、マジで!」

 もう一度膝を叩き、亨は頓狂な声を上げる。

「あ、なるほど、言われてみればそうかも」

 くす、と二十谺が笑う。

「え、何?何二人で判っちゃってんの?」

「亨さんにぶすぎー」

 十五谺も判ったようで、楽しげに笑っている。

「え、いっつぁんも判ってんの!」

「いっつぁんやめて!」

 ここ最近、享が勝手に十五谺につけたあだ名だが、十五谺は気に入らないようだった。二十谺は一部の友達には『はっちゃん』と呼ばれていることもあるらしく、十五谺はそれを羨ましく思っているらしい。

「うぉーこえぇ」

「大体わたしがいっつぁんなら、お姉ちゃんははっつぁんでしょー」

「まーそーかもだけど、おれらん中じゃ誰もはっちゃんて呼んでねーんだから、いっちゃんも無しだろ」

「いやいや、意味判んないですから!」

「まーいっつぁんにゃ判んなくてもいーだろ」

「イミフ!」

「でー?何なん?歌詞!」

 能天気に享は言う。確かに今の享のことを歌詞にした訳ではない。享には判らなくても仕方がないのかもしれない。

 そもそもこの曲は亨を励まそうと思って創った曲だった。それもこれも気苦労に終わってしまったことだが、歌詞の整合性も良いし、曲自体もアレンジ次第でかなり良い雰囲気になりそうだったので、そのまま生かすことにした。

「歌詞見て判んない?この辺とか……」

 歌詞にコードだけ割り振った紙を見て、二十谺がサビのあたりを指差す。

「負けたことも、間違いも、一度きりで終わりになんてできないだろう、えーと、独りで立っていると思い上がるのも勝手だけど、よく見てみなよ……?」

 それだけ読み上げても判らないらしい。つくづく幸せな男だ、と晃一郎は苦笑した。

「ま、何でもいいけどよー」

「まぁ今となっちゃ亨のことじゃなくなった訳だけども」

 とん、と缶コーヒーを置いて、晃一郎は言った。亨だけではなく、二十谺や過去の十五谺、自分自身にも向けた曲だ。大きな意味で言えば自分達だけではない。きっと、人間が誰しも思い悩み、苦悩するからこそ、人間全てに向けた曲でもある。小さなライブハウスでしか唄うことはできないけれど、一人でも多くの人に聞いてもらいたいし、一回でも多く演奏したくなるような、そんな曲にしたかった。

「でもま、やっぱ晃らしいよ。なぁ二十谺」

「そうね」

 以前とは異なる、温度のこもった視線を亨に向けて、二十谺は笑顔になる。

「わたしはここの、生きることの意味だとか、人を騙す奴だとか、死ぬことの意味だとか、騙される奴だとか、正しく生きている奴だとか、何も知らない、ってところ好きだな」

 そう十五谺も言って、笑顔になる。

 本当は、みんなが笑顔でいられることが一番良い。それでも、楽しいことだけで生きていくことは不可能だし、必ず何かの壁にぶつかるし、重たい荷物を引きずることにもなる。そうして悩んで、苦悩して、誰かに、何かに、勇気付けられてまた前に進めるようになる。また笑顔でいられるようになる。

「タイトル決まってないの?」

 今のところ無題、と書いてあるところを指差して、二十谺が言った。

「昨日の夜決めたよ」

 全ての人達のために。十五谺や二十谺、亨、自分自身のために、きっとこういう曲が必要だ、と思ったからこそ付けた。

「ほぉ、で?なんつーの?」


「僕らの敗者に福音を」


 終章:僕らの敗者に福音を 終り

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僕らの敗者に福音を yui-yui @yuilizz

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