第二四話:勝敗
ライブから二週間が過ぎた。
あれから晃一郎の前にも、十五谺の前にも、雄太や晃一郎を襲った男は現れなかった。雄太の身を案じていた十五谺には気の毒かもしれないが、相当な制裁を加えられたのだろうか。
そんな晃一郎の物騒な考えとは真逆に、世間は年末ムードが漂い始め、まずはクリスマス、といった風情を見せている。
「いいなぁ涼子さんのクリスマスケーキィ……」
喫茶店
視線が痛い。正面から見られているのに何故か首の後がチクチクする。
「一人で食うにはでかすぎんだろ……」
つい、ごまかして晃一郎はぼそり、と呟くように言う。
「えぇ!晃ちゃんクリスマス、わたし一人で過ごせって言うの!」
とん、とテーブルに小さな拳を置いて十五谺は言う。むむむぅ、と眉間に皺を寄せるが、それくらいで解決することならばコトは至って簡単だ。
「だって俺、バイト入ってるし……」
「えぇー!信じらんない!」
そうは言っても、十五谺と付き合うことになる前からアルバイトが入っていたのだから仕方がない。アルバイト先でもクリスマスには休みを取っている者が多く、今更彼女ができたので休みたい、などとは口が裂けても言えない。告白された日にも似たような事態は起こったが、仮に十二月二四日、二五日に仮病や法事などで休むという言い訳をしたとして、信じてもらえるとも到底思えない。
「イヴも二十五日も?」
「あぁ、うん……」
「ひどぉーい!」
いやいや酷くはないだろう、と心の中でだけで呟く。別に十五谺に意地悪をしたくてアルバイトをわざわざ入れた訳ではない。晃一郎もできることなら十五谺と二人きりで過ごしたいと切に思っている。
「ご、ごめん……」
かく、と晃一郎は頭を下げる。大方こういうことになるだろうと覚悟はしていたのだ。今の今まで言い出せなかった晃一郎に非がある。
「あらあら十五谺ちゃん、うちの旦那様も今年のクリスマスは仕事なのよ」
そう言いながら涼子が小さなケーキをテーブルに置いた。
「そりゃあ涼子さんは今までにもラブラブなクリスマス過ごしてきたんだからいいですよー」
「クリスマスは今年だけじゃないしね」
「でも十六歳のクリスマスは一度きりなんです!涼子さんは結婚してるし、家庭のためにお父さんは働かなきゃいけないのも判るけど、わたしは晃ちゃんと付き合ってから初のクリスマスですよぉ!」
「そ、それは確かにそうね」
さしもの涼子も十五谺の剣幕に圧されている。いや確かにそれは晃一郎も同じどころか、晃一郎としては人生で初めてできた彼女と過ごすクリスマスだ。是非とも一緒に過ごしたかったという気持ちは、晃一郎も強い。
「晃ちゃんはどうせバイトしたって音楽に全部お金使っちゃうんだから!」
「ぜ、全部じゃねーし!」
音楽と言っても今は充分なギターも持っているし、エフェクターにも満足している。練習だって流石に小遣いを使い果たすほどには入っていない。十五谺とどこか出かけるにしても、十五谺は晃一郎に全て金を出させるようなことはしないし、実は意外に金は残っているのだ。
「そういうこと言ってんじゃないの!こぉんなカワイー彼女をクリスマスに一人にしとくのが問題だって言ってんの!」
いや、そこは何というか、話がずれただろう、と突っ込みたいところだが、主とする問題は確かに十五谺の言う通りだ。言う通りではあるが、晃一郎ではもはやどうにもできない問題だ。
「じ、自分で言うと可愛げねぇぞ……」
十五谺が可愛いのは事実ではあるものの、何とか、そこだけは反撃してみる。
「ま、まぁまぁ、ここは私に免じて……。これ試作品のケーキだけど、食べてみて」
つ、とテーブルに置いたケーキを押し出して涼子は言う。
「ぃいただきますぅ~」
憮然としつつもそう言いながら十五谺はケーキに手を付け始めた。
「あ、おいし!」
ぱっと花が咲くように笑顔になる。甘い物とは、いつだって女の子を笑顔にする魔法がかかっている、という言葉をどこかで聞いたような気がしたが、流石に涼子の気遣いには頭が下がる思いだ。とにもかくにも十五谺の機嫌が直りそうで、晃一郎は胸をなでおろす。
「そぉ?」
「はい!じゃあ晃ちゃんも、あ~ん!」
そう頷いて、十五谺はケーキを乗せたフォークを晃一郎の目の前に差し出してきた。
(こ、これが伝説の、あ~ん……)
急に恥ずかしくなってしまったが、笑顔でケーキ差し出してくれている十五谺を再び不機嫌にする訳にも行かず、折角ケーキを作ってくれて、提供してくれた涼子の目の前で食べない訳にもいかず、それでも、晃一郎からは「あ~ん」とは絶対に言わずに、ぱくり、とそれをくわえてケーキを食べる。
「あ、ほんとだ、うまい」
「あらあら、できはまずまずみたいね」
満足そうな笑みを浮かべて涼子は言った。余計なツッコミもなく、晃一郎は再び安堵する。
「晃ちゃんも夜までバイトって訳じゃないんでしょ?」
「ですね。夕方には終わります」
「そしたら一日は一緒にいられないけど、夕方からでもいいじゃない。ね、十五谺ちゃん」
涼子の助け舟に乗り、晃一郎は何度も頷く。
「じゃあ、涼子さんのクリスマスケーキ」
一旦は笑顔になったものの、またしても憮然とした表情に戻り、十五谺は言う。
「……涼子さん、二人用の小さいの一個予約お願いします」
「はぁいかしこまりー。ありがと」
一つ一つが手作りなので、お世辞にも安いとは言えない。安いとは言えないが、手作りにしてはそれほど高価でもない親切価格ではあるのだ。その値段以上に味の価値があるのは晃一郎自身、この喫茶店に足しげく通っているから判るが、それとは別に十五谺にはプレゼントを用意しようとも考えている。
しかしそれも高校生である晃一郎には少々値段が張るものだ。
「しょーがないなぁ、じゃ涼子さんに免じて許してあげよう!」
「ありがとーございましー……」
釈然としないまま晃一郎はとりあえず頭を下げた。
帰り道、十五谺を送っていく途中で、晃一郎はふと思い出したことを十五谺に訊ねてみた。
「なぁ、
「え?」
「いや、どうなのかなぁと思ってさ」
「何?そんな面白いことになってるの?」
他人(と言っても実の姉だが)の恋愛話には異常なほどに興味を示すのが女の子の常らしい、と最近晃一郎は知ったが、十五谺もその例に漏れずだったようだ。
「いや判んねぇけど……」
亨が二十谺に想いを寄せているのは間違いないが、それを十五谺に言うのも亨に気の毒な気がして、晃一郎はそのことは言わないでおいた。
「なぁんだ。んーでもお姉ちゃんは良く判んないからねぇ」
「元カレにベース教えてもらったとか何とかは聞いたことあるけど」
以前二十谺本人に聞いた話だ。
「あぁー
「すんごい、かっこいい?」
「うん。優しいしちょーイケメンだったし」
「へ、へぇ」
見た目には全く自信のない晃一郎までもが焦りを感じてしまう。十五谺と付き合っている自分でもそう思ってしまうことだが、二十谺のような美人とはやはりそういったいわゆるイイオトコが似合うのだろう。理屈ではそう判る。判ってしまう。非常に口惜しいことだが。
「なんで別れちゃった訳?」
「うーん、良くは知らないけど、多分バンドが原因だったと思うよ」
「え」
バンド者としてはそういう言い方をされてしまうと気にかかる。しかし二十谺が音楽好きなのは当然判るし、その二十谺がベースを教えてもらっていたと言うのならば、その元彼氏も音楽は好きだったのだろうとはすぐに考え付く。
「浩昭兄ちゃんとお姉ちゃんって、結局ベース同士で同じバンドは組めないからさ、お互いのバンドで色々ゴタゴタあったんじゃないかな、確か。わたしはその時はお姉ちゃんとはもう喧嘩してたし、詳しくは知らないけど、よく電話の話し声でそんな感じのやり取りはしてたよ」
「なるほどねぇ。でも結局女ってイケメン好きなんだなぁ……」
十五谺のような誰が見ても可愛いと思える彼女がいながら、自分の事は簡単に棚に上げて晃一郎は言う。しかし二十谺ほどの美人ともなると、理想も相当に高いのだろう。理想は理想、という割り切り方が難しいとなれば亨は殆ど絶望だ。
「そうとも限らないかもよー?」
十五谺が意地の悪い笑い方をする。その意味に晃一郎は遅まきながら気付いた。
「あーあー、どうせ俺はイケメンじゃないけれども!」
「別にわたし何も言ってないけどー」
「まぁ十五谺は変り者だからなー」
にひ、と笑い、やり返す。最初にお互いの嫌な部分を知ってしまっていたからなのか、遠慮無しの言葉のやり取りをしたせいなのか、何故だかこういった会話は安心してしまう。
「ま、わたしだって後数年したらお姉ちゃんみたいなむにゅむにゅぼよ~んのイイオンナになるんだから!」
「十五谺と二十谺って年子だろ。たったの一年でそれは……」
十五谺の胸をまじまじと見つめて晃一郎は笑った。
「すけべ!発育の度合いは個人差があるのよ!」
ば、っと胸元を隠すようにして十五谺も笑った。十五谺とはこれからもうまくやっていける、と晃一郎は思う。亨にも頑張って欲しいものだが、中々それは難しそうだ、と晃一郎は小さく嘆息した。
「はー」
学校の屋上で亨が深く溜息をついた。
「な、なんだよ」
「おめーはいーよなー、クリスマス前に彼女できてよー」
じろり、と晃一郎は睨まれる。
(お、俺にそんな目向けたって仕方ないだろ……)
晃一郎が何か悪さをしでかしてこうなった、というのならばその視線も甘んじて受け入れるところだが、誰も何も悪いことはしていないし、亨だって何も被害は受けていないはずだ。
「二十谺、誘えばいいじゃん」
「そう簡単に誘えるか、っての」
「え、何で」
確かライブが終わったら遊びに誘ってみる、と言っていたはずだが、弱気になってしまう亨の気持ちは痛いほどに良く判る。
だが、そうして、これといった行動を起こせずに、判っていた気持ちにも気付かない振りをして、勝手に諦めて、誤解した挙句、最後には女に腹パンを食らうという醜態まで晒すことになったのだ、晃一郎は。
「おめー知らねーのかよー。二十谺を狙ってる奴なんてごまんといるんだぜ」
それはそうだろうとは思うが、普段から二十谺は誰かほかの男と馴れ合っているようには見えない。亨に唯一有利な点があるとすればそこだ。同じバンドで一緒にいる時間も長い。今日はいないが、昼食も今では十五谺を含めて四人で、ここや部室で摂ることも多いのだ。逆に言えば、他の二十谺を狙っている男たちの方から、亨はやっかまれているかもしれないような気もする。
「まぁ美人だしなぁ……」
亨が二十谺を好きな理由は外見だけではないと思うが、それでも外見に惹かれるのは男も女も同じだろう。十五谺と付き合う前に罵り合っていた時でも、性格は最悪だけれど可愛い、という認識は晃一郎にもあった。
ただ、付き合うだとか、好きになるという点では外見だけでは計り知れないものが大きすぎるのも事実だ。亨は、本当に一番最初の頃は二十谺にそれほど興味を示していなかったように思う。それこそ十五谺がアルバイトをしていたメイドカフェに一人で行く、などと言う行動から見ても、二十谺に特別な想いを持っていた節はなかった。
それがシャガロックで練習を重ねて、二十谺と共にする時間が多くなってきてから変わったのだろう。
「はー」
「俺もバイト休みだったらなぁ。十五谺とお前と二十谺で四人で出かけたりとかできたんだろうけど……」
「え、お前バイト入れたの?彼女できたのに?」
「付き合う前から入ってたんだよ。彼女できるなんて夢にも思ってなかったし……」
人生どうなるか判ったものではない、と晃一郎は心底思った。当然、できることならば彼女は欲しかったし、彼女と二人で過ごすクリスマスというのも経験してみたいとは思っていたが、まさか十五谺と付き合えるとは思っていなかったのだからこればかりは仕方がない。
「そうかー。色々上手くいかねーなー」
「まぁ仕方ないけどさぁ、ともかくお前は二十谺を誘うように何とかしろって」
「勝ち組はいいよなぁ」
「ばぁーか!勝ち負けなんて関係ないじゃん!亨らしくないぜ!」
どんなことでも自分の信念を曲げてこなかったのが亨だ。二十谺と上手く行くにしろ行かないにしろ、それで腐るような男ではないことは晃一郎が一番良く知っている。
そして、もしも本当に生きて行くことに勝ち負けがあるのならば、負けた者にしてあげられることが晃一郎にはあるのだ。
第二四話:勝敗 終り
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