第二三話:誰のために

 ライブは大盛況の内に幕を降ろした。最後の最後で、晃一郎こういちろう自身もギターを弾くことができたし、ライブのできとしてはかなり満足の行くものになった。

 打ち上げはKool Lipsクールリップスと合同で行うことになっていたが、晃一郎は少し遅れて行く、と柚机莉徒ゆずきりずには言っておいた。Kool Lipsとシャガロックだけを見にきてくれていた知り合いはライブハウスの外で各々たむろしていたが、晃一郎はすぐにその中にいた十五谺いさかを見つける。

「あ、晃ちゃん、おつか」

 十五谺の言葉も中途半端に、晃一郎は十五谺の手を取ると、そこから連れ出した。

「な、なに?」

 少し力が強かったかもしれない。完治していない晃一郎の肩も痛んだ。ぱ、と手を放すと十五谺を振り返り、それでも晃一郎は先を歩いた。

「ごめん。でもちょっと、話」

 晃一郎はそう言って十五谺を人気のない場所にまで連れてきた。それほどライブハウスからは離れていないが、喧騒も聞こえてこない小さな公園のベンチの前で晃一郎は十五谺に向き直った。

「あ、あのさ」

「ごめんね」

 晃一郎が何かを言おうとする前に十五谺が口を開いた。

「え」

「晃ちゃんがライブ投げ出してまでわたしのこと探そうとしたって聞いたから……」

 結果的にはそうしなくて済んだものの、もしも谷崎諒たにざきりょう達の協力を得られなければ、ライブを台無しにしても十五谺を探しただろうと思う。十五谺を想っている晃一郎は勿論のこと、姉である二十谺はつかも同じバンドに所属しているのだ。何を考えているかなどまるっきり判らない連中の行動だ。命の保証だってないかもしれない。谷崎諒には叱責されたが、それでも晃一郎はライブよりも十五谺を優先しただろう。

「ん、まぁ、それはそれとして、何でお前は独りで……」

 問題はそこだ。十五谺が独りで捕まった所で何の解決にもなりはしないのだ。十五谺自身も被害を被ることなど充分に判っていた筈だ。

「ライブ、潰すって脅されたから……」

 つまり十五谺が独りで出向けばライブを潰すのは勘弁してやる、とそういった類のことを言われたのだろう。十五谺がライブを守ろうとしてくれた気持ちは心底ありがたかったが、言ってしまえばその十五谺の無防備な行動に、どれだけ心配したかを十五谺に判って欲しかった。

「だからって……。せめて一声かけてくれても……」

「……」

「俺や二十谺がどんだけ心配したか、判ってんのか?」

 判ってはいただろう。自分独りが勝手に行動をしてどれだけ晃一郎や二十谺が心配するかなど、本当は判っていたに違いない。それでも、そうせざるを得なかった。だからきっと十五谺は言葉を返せない。晃一郎にもそれは判っていた。

「ごめんなさい……」

「わり、言い過ぎた……」

 素直に謝る十五谺に対し、晃一郎も謝った。どちらも、お互いを庇いあっての結果だ。結果的に自分を犠牲にしようと行動したのが十五谺であっただけで、晃一郎がライブを投げ打ってでも十五谺を探しに行くことも充分に有り得たのだから。

 だが、そんなことももうなくなるはずだ。谷崎夫妻や水沢みずさわ夫妻、そして恐らくは以前晃一郎と十五谺に直々に挨拶にきた伊庭いばの耳にまで今回のことは入っている。雄太ゆうたや晃一郎を直接襲ったあの男ももう終わりだ。

 終わりだ、と思って、不意に嫌な考えが脳裏を駆け巡った。先日雄太が二人の前に現れたとき、十五谺はそのことを誰にも言うつもりはなかった。それはいくら関係が切れたとはいえ、雄太を心配する気持ちが現れた行動だったように思えた。

 晃一郎の、あまりにも身勝手な、独りよがりの不安が、つい、口に出てしまっていた。

「十五谺……。お前さ、もしかしてまだ……」

「!」

 十五谺の肩に手を置こうとした途端、十五谺がほんの少し身を沈めた。そして僅か一秒後、晃一郎の鳩尾に十五谺の拳が突き刺さる。

「はんぐっ!」

 奇妙な声と共に呼吸が止まる。

「何で!そんなこと言うの!」

 十五谺が急に怒鳴って拳を引いた。

「わたしは!」

 不意に言葉が途切れる。晃一郎は何とか呼吸をしようと口をパクパクさせながら十五谺を見た。

「わたしだって、晃ちゃんのライブ、守りたくて……!」

「……ぅ」

 大失態だ。苦しくて謝ることすらできない。つくづく気性の荒い姉妹だ。ビンタならまだ判るし、こんな状況にも陥らなかったというのに、選りにも選ってボディブローとは想像すらできやしない。

「でも!どうにも、できないから……!」

(……判った!俺が悪かった!)

 十五谺はついに泣き出しながらそう言った。泣きたいのは晃一郎も同じだったが、苦しくてそれどころではない。完全に油断していた上に、的確に鳩尾を撃ち抜かれた。何とか大きく口を開け、空気を取り込もうとするが、いくらも肺に入らず吐き出されてしまう。

「……かぁ」

 奇妙な音しか出せない上にまともに呼吸ができない。

「わたしの好きな人はもう雄太でもあの人でもないよ!」

(だから、悪かったって……!)

 判っている。判っていた。

 十五谺が誰のために自分を犠牲にしようとしたのか。

 誰のために協力してくれていたのか。

 誰のためにいつも練習に付き合ってくれたのか。

 誰のために必死になってくれたのか。

 これほどまでに、真剣に。

「わたしは……」

 頬も鼻も耳まで真っ赤にして、涙に詰まって言葉が続かないのは見て取れた。必死になって、晃一郎を殴ってまで伝えようとするその気持ちを、晃一郎は文字通り、痛いほどに判ってしまった。

 だから――

「……!」

 声が出せない代わりに、思い切り十五谺を抱きしめた。

「ごめん、て……」

 微かに、掠れた声で晃一郎はそれだけ言った。

 十五谺は返事をしない代わりに、晃一郎の背に腕を回してきた。

 肩の痛みと呼吸がままならない苦しみと、十五谺の髪の香りが奇妙に心に刻み込まれる。

 抱き締めた十五谺の身体の細さを実感する。こんなに小さな身体で、それでも、身体いっぱいに様々なことを表現して、ライブまで守ろうとしてくれた。

 この痛みと香りを、晃一郎はきっと忘れることはないのだろう。


「ご、ごめんね……」

 ベンチに座り、ようやっと呼吸ができるようになった晃一郎に十五谺は苦笑した。

「い、いや、俺も、ほんと、ごめん……」

 ボディブローはともかくとして、十五谺が怒るのも当たり前の言葉を口にしてしまった。どこかでまさか、と思っていた。いや、晃一郎に都合の良い妄想はするべきではない、と。十五谺の気持ちに対して後ろ向きになってしまっていた。

「でも、今は晃ちゃんが、一番大切な人だよ……」

 危うくその、十五谺の大切な気持ちを蔑ろにしてしまうところだった。

「お、俺も。もう実は結構前から、お前のこと好きだったし……」

「うん、嬉しい」

 一片の曇りもなく、十五谺は笑顔になった。

 ということは、十五谺も晃一郎の気持ちには気付いていたのだろうか。確信はなかったにしても。姉の二十谺が気付いていたのだ。最近では二十谺よりも時間を共有することが多かった。気付いていたとしてもおかしくはない。だとするならば、やはり強かな女だ、と思ってしまう。

「と、とりあえず戻ろうぜ。あんま時間空くと怪しまれるしさ」

 ただでさえ、とおるも二十谺も、晃一郎の気持ちは知っている。あんな連れ出し方をしてしまえば疑われるのは明白だ。

「えぇー、いいじゃん!彼女になったんだもん!」

「う、あ、ま、まぁ、そう、なんだけど」

 確かに、怪しまれるも何も、こういうことになってしまったのだ。何もやましいことはないし、隠す必要だってない。晃一郎にしてみれば実に喜ばしいことだ。そして仮に今日誤魔化したとしても、結局は付き合うことになったのは明白にしなければならない。だとするならば、こうして十五谺と付き合うことになったという事実は、早いうちに知ってもらった方が良いような気もする。

「ま、確かに今日は晃ちゃんも主役の一人だもんね。戻ろっか」

「あぁ」

 ともかく、真っ先に亨と二十谺には報告しなければならない。通過儀礼という訳でもないのだろうが、こればかりは仕方がないことだ。

「その代わり!」

「お、おぅ?」

 ベンチから立ち上がった十五谺が頓狂な声を上げる。

「明日は一日イチャラブすること!」

「や、夕方までバイトだし……」

 予想はしていたが、今日の明日でアルバイトを休む訳にはいかない。具合が悪いだとか色々と言い訳もあるにはあるが、肩の怪我をしてからほぼ休んでしまっていた上に、日曜ともなれば人手不足は必至だ。十五谺とはまだまだこれから時間を作ることはできるが、アルバイトを首になってしまっては十五谺にもバンドにもかけられる金がなくなってしまう。

「えぇー!」

「ゆ、夕方から!夕方からで勘弁!」

 休日の日のアルバイトは朝八時から夕方の五時までだ。デートらしいデートとはいかないが、それからならば夕食も一緒に摂ることはできるし、中央公園を散歩もできる。きちんとしたデートはまた別の機会に、晃一郎なりのプランを組んで臨みたいところだ。

「……しょうがないなぁ。ま、今日の所はそれで手を打ってあげるとしよう!」

 そう言って、十五谺は晃一郎に抱き着いてきた。十五谺の柔らかさと良い香りで荒ぶる魂が鎌首をもたげそうになり、晃一郎は慌てて立ち上がった。

「きゃっ!もう何よ急に立たないでよね!」

 勃ちそうになったから立った、などとは、断じて、口が裂けても言えない。

「と、ともかくだな、ありがとう、と言えばいいのか……」

「そうね、感謝しなさいよね!」

 晃一郎が一番好きな、極上の笑顔で十五谺は言った。


 晃一郎と十五谺がライブハウス前まで戻ると、まだみんなは打ち上げには行っていないようだった。まさか晃一郎達を待っていたのかとも思ったが、雑談が尾を引いていただけだろう、と晃一郎と十五谺は人だかりに近づいた。

「お、戻ってきた。ご両人」

 亨がそう言ってイヤらしい笑みを見せる。いくら十五谺に言いたいことがあったとはいえ、あんな連れ出し方をしてしまえば誤解もされるだろう。どう言い訳をしようか、いやいっそこの場で全て言ってしまおうか、と晃一郎は考えを巡らせた。

「ちょっとやだ亨さん!」

 十五谺はそう言うが、どう聞き間違えても嫌な訳ではないだろう。

「しっかし女に腹パン食らってくっつくってのは中々聞かないわよね……」

「……はぃ?」

 二十谺が口元を手で押さえて言う。目が完全にニヤけている。

 晃一郎はそこにたむろっていた 皆の顔を見回した。二十谺、亨をはじめ、莉徒、シズ、樋村英介、水野すみれ、倉橋瑞葉、由比美朝までもが揃いも揃ってニヤニヤしている。

「み、み、見てやがったのか!うああああああああ!」

 両手で顔を覆って、晃一郎はその場で崩れ落ちた。恥ずかしくて死にたくなる。

「えへへ、まぁそういうことなんで、皆さん宜しくね!」

 十五谺は妙に堂々としているが、晃一郎は天地がひっくり返ったとしてもそんな態度は取れない。

「スゲーなぁ。暴力で愛を勝ち取る女」

 シズがそう言って心底感心したように言う。

「ち、ちが!」

 あまりの誤解に晃一郎は顔を上げてシズに言い募ろうとする。

「え?ちがうの?」

 莉徒までもがそういってけらけらと笑っている。

「状況だけ見てたらそう見えるわよねぇ」

「あのねー、お姉ちゃんと違うんだから、その辺は!」

 さすがにこの誤解は十五谺も嫌なのだろう。他人事のように言う二十谺に、いや、事実他人事なのは間違いないのだが、その二十谺に十五谺も食い下がった。

「バイオレンスシスターズ」

 莉徒は更に言って笑う。

「バイオレンスチャンピオンに言われたくないけど……」

 じと、と二十谺が莉徒を見る。二十谺は怒ると怖いが、暴力を振るっているところは見たことがない。だが、付き合いも長いのであろう莉徒が言うのであれば、全くの事実無根ということではないのだろうか。

(絶対に、十五谺を泣かせたりしないようにしよう……)

「あたしはシズにしかしないもの」

 晃一郎の密かな決意も他所に、莉徒が腕を組む。

「う、うそだっ!」

 声を上げたのは意外にも山雀拓やまがらたく伊口千晶いぐちちあきだった。さすがにKool Lipsのリズム隊だ。ぴったりと息が合っている。

「まぁまぁまぁ、そんなことはともかく、さっさと打ち上げ行こうぜー」

 亨が言って、手を叩いた。

(いや俺、ホンキで行きたくねぇ……)


「晃ちゃんさ、いつからわたしのこと好きだった訳?」

「知らん」

 ライブから三日後、晃一郎と十五谺は涼子りょうこの店、vultureヴォルチャーに向かっていた。嬉しそうに問う十五谺に、晃一郎はぶっきらぼうな答え方をした。打ち上げでは散々からかわれ、やっかまれ、大いに笑われた。確かに晃一郎にとっては、十五谺と交際することになったのは喜ばしいことではあるが、どうにも素直に喜べない。

「えー、教えてよ!」

「お前はどうなんだよ」

「……知らんっ」

 晃一郎の真似をしたのか、十五谺は声を低くして腕組みをした。

「メイドやってた頃はキライだったけどな!」

「そんなのわたしだって同じですぅ!」

 間違えて、相手を理解できなくて、それでも何とか関わりを切らないでいた、ということは結果的にそういうことなのかもしれないな、と晃一郎は思う。どこかで認め合う部分が、いがみ合っていても、どこかでお互いが惹かれ合っていたところがあったのかもしれない。今となってはそれが何だったのかは判らないし、十五谺と付き合うようになってまだ日も浅い。嬉しさがあまりにも大きいせいでそういった考え方をしてしまっているのかもしれないが、出会ったばかりの頃は本気で腹も立てたし、悲しくもなった。

「でもそう考えると不思議だねー」

「まぁ、なぁ……」

 間違いなど誰にでもあることだし、それを許せないと思うのも誰にでもあることだ。けれど、執着するべきはそこではないと晃一郎は思う。間違った行為で人を傷付ければ、誰でも嫌な思いをする。間違ったことに対し、意見もする。時にはぶつかることもあるだろう。だけれど、自分の間違いを認め、素直に謝罪できる人間をいつまでも間違った人間だと思うことは、とても寂しいことなのだ、と思う。

 雄太のこともそうだ。十五谺の前に現れたときも、本当に腹が立った。あの手の人間は反省する、ということを知らない、と決め付けた。

 それでも、もしも雄太が何度も間違えて、そのことを悔いたのならば、それはそれで良いと思えた。それは十五谺が見せてくれたことでもあるし、晃一郎自身が体験したことでもあった。

 どんなに間違えても、どれほど嫌いでも、気の持ちようひとつでそれが変わるのだ、と。

「でも、ま、いっか!」

 晃一郎の頬を両手で挟んで、実に楽しそうに十五谺は笑った。


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