第二二話:不安の先
「とりあえず任せるしかねーだろ」
不安な面持ちの
「そうなんだけどさ……。やっぱり連絡入るまでは、な……」
控え室の中で、メンバーは一様に重い表情をしていた。もうすぐ
「とりあえずシズに余計な心配かけさせる訳にもいかねぇし、シズには黙っとこうぜ」
「そうね……」
「うん、そうだな……。今はあの人達を信じて、俺らは俺らのできることをやろう」
晃一郎は何とか気持ちを入れ替えるようにそう言った。だがそれは言葉だけで、やはり表情は優れなかった。
「そう、ね」
二十谺は二度自分の頬を軽く叩き、気合を入れ直す。
まだあれから十分ほどしか経っていない。それほどすぐには見つからないことは判りきってはいたが、それでも谷崎諒達には期待をかけてしまう。
「少し巻いてんのか……」
予定時間よりも五分ほど早くKool Lipsのライブが終わりそうだった。ライブハウスでは十分や二十分の時間の誤差は当たり前のできごとだ。早まることがあれば遅くなることもある。五分程度であれば、バンドが転換する時間を引き伸ばして、オンタイムにしもらえそうではあるが、それはライブハウスに依ってまちまちだ。
Kool Lipsとシャガロックに続けて出演するシズはそれほどセッティングに時間はかからない。となるとますますシャガロックの出番、演奏時間が早まってしまう可能性もある。
時間の誤差が余りに目に付くようだと、そのライブハウスには出入り禁止になってしまうことも有り得る。
『はい、えーとね……』
ここで
「?」
確かMCは二回だと聞いていた。だがこれで三度目のMCだ。どういう経緯かは判らないが、晃一郎はこの予定外のMCに少し安堵した。やにわにスタッフが動き出す。
『ちょっとシンバルにヒビ入っちゃったみたいなんで、ラスト二曲前にちょおっとだけ休憩してくださいねー』
「ライド!何?ミディアムねーの?」
「あったあった、ちょっと待って」
「急げって!ちょい巻きだからまだいいけど、他のもチェック入れろよ!」
ドラムセットのパーツは消耗品だ。どのシンバルも使い続ければいずれは皹が入り割れてしまうし、スネアドラムやフロアタム、ベースドラムも同様だ。こういったライブハウスではドラマー達は殆どをライブハウスに備えられているものを使用する。多くのドラマーはフットベダルとスネアドラムのみを持参するため、基より備えられている機材の不備はライブハウス側の責任になる。
こういったアクシデントであれば出演バンドが責められることはない。流れが止まってしまうKool Lipsには申し訳ないが、シャガロックとしては有難いアクシデントだった。
スタッフが忙しく動く中、シズが控え室に飛び込んできた。
「やっべぇ!また四弦切った!何でだよチッキショー!」
『トラブルって続くもんですねぇ、えーとウチのバカギター、弦切っちゃったんで、すぐ張り替えまぁす』
「晃!弦!四弦ねぇか?」
慌てて飛び込んできたシズの姿に失笑しつつも、晃一郎はギグバッグから四弦を取り出した。ギターを弾くつもりはなかったが、一応持ってきてはいたのだ。無駄にはならなかったようだ。
「うぉあーエリクサーじゃねーか!おめぇこんなブルジョワジーなもん使ってんのかよ!」
エリクサーというのは弦の商品名だ。高級弦の代表格のようなもので、弾き心地も音も他の弦とは全く異なる。ギターの弦でも一セット、一弦から六弦まで一二〇〇円から一三〇〇円ほどするが、ベース弦は五〇〇〇円近くもする。エリクサーを買う金額で、安い弦ならば何セットも買えるので、練習用にエリクサーを張っている者は大体がライブが終わってそのまま張りっぱなしか、ライブの何日か前、という場合が多い。
「いいから早く張れって」
「お、おう……」
苦笑する晃一郎に応えるようにシズは慌てて弦を張り替える。
「なんだ?シケた顔して……。キンチョーでもしちゃってんのか?」
「ん、まぁそんなとこね」
シズのおかげだろうか。幾分表情を和らげて二十谺は言った。
「シンバルオッケー!ギター待ちです!」
「げっ、やっべ!」
スタッフが控え室に声をかける。シズはやっと弦を巻き終えたところだ。
「チューニング、っと」
ハーモニクスチューニングとオクターブチューニングを軽くして、ぴんぴんと弦を弾く。少しペグを回して音を合わせると、シズはすぐにステージに向かった。
『もうほんっとごめんなさいね!それじゃラスト二曲!』
莉徒のMCが終わり、曲が始まった。
(十五谺……)
晃一郎は祈るように十五谺の名を心の中で呟いた。
『さんきゅーありがとぉ!Kool Lipsでした!バイバイ!』
莉徒の声でKool Lipsのステージが終わりを告げる。当然まだ連絡は入らない。
「うっし!気合入れるぞ!」
亨が立ち上がった。
「そうね……。折角来てくれてる皆に醜態は晒せないわ。私たちのために動いてくれてる谷崎さん達を信じましょ」
「うん。よし!やるぞ!」
晃一郎が拳を突き出し、それに亨と二十谺が軽く拳を合わせる。十五谺のことは心配だが、ここは谷崎諒、水沢貴之に任せるしか手はない。
「ふぃー!あっつい!」
莉徒達がステージから控え室に戻ってきた。
「お疲れ!流石だな!」
亨が莉徒に拳を差し出す。それに莉徒も拳を合わせる。
「おっ疲れ!ウチのギター貸してんだから負けたら承知しないわよ!」
「まぁかせとけって!」
そうだ。力を貸してくれた莉徒達のためにもやり抜かなければならない。そして協力してくれた谷崎諒、水沢貴之の気持ちを無駄にしないためにも醜態を晒す訳にはいかない。
「莉徒、シズの弦の予備、よろしくな」
冗談交じりに晃一郎は言って、控え室からステージに向かった。
「あ……?え?」
ステージから見える客席、しかも晃一郎の真ん前に、十五谺がいた。晃一郎は思わずステージ上から十五谺に駆け寄った。
「おま……!大丈夫か?えと、怪我とか……!」
「平気、ゴメンね」
苦笑して十五谺は頷く。
客席の出入り口近くには谷崎諒と水沢貴之が意地悪そうな笑顔をこちらに向けている。
(野郎……)
十五谺をこんなにも短時間で連れ戻してくれたことには本当に本当に頭が下がる思いだ。だが、待っている間どれほど不安だったかを思うと、無性に腹が立った。
「酷いことされてないか?その……」
「大丈夫。ちゃんと助けてもらったから」
「良かった……」
目頭が熱くなりかけた。
「コラァ!コゾー!泣くのは早ぇんじゃねぇか?」
どでかい声で谷崎諒が笑う。明らかにおちょくっている声だ。
(くそー!あたまきた)
密かに心の中で反撃を誓い、晃一郎は立ち上がった。二十谺も亨もステージに入り、すぐに十五谺と晃一郎に気付いたのだろう。もう何の不安もない笑顔だった。こんなに短時間で、どうやって見つけてくれたのかは本当に見当もつかないが、これで一つの憂いもなく、思い切り歌うことができる。
亨と二十谺は手早くセッティングを終えると、まずオープニングインストロメンタルを弾き始めた。
「一曲目!シャガロックで第十七収容所の監獄ロック!」
ギターを弾けないもどかしさはあるものの、それを補って余りあるシズのギターがどんどんと晃一郎の心を高揚させて行く。振り返ればそれは晃一郎だけではなく、二十谺、亨、そしてシズ自身もどんどんとボルテージを上げているようだった。
激情とも言うべき感情の奔流に身を任せて、晃一郎は歌った。お世辞にも綺麗な歌声とは言えないことを晃一郎自身、充分判っている。しかし、それこそが自分の創った、自分の声を生かすロックなのだ。
小奇麗に、器用に歌うのは他の誰かがやれば良い。今自分が欲しいのはどこかのチャートに入るようなくだらない音楽などではない。例え目の前に憧れのミュージシャンがいようと、臆するところなど一つもない。
亨の煩いほどのリムショットが走る。二十谺のベースがキッチリとビートを刻む。その上を疾走するようにシズのギターが駆け巡る。歌いながら晃一郎はぐるり、と左肩を回してみた。
痛みに一瞬だけ顔が苦痛に歪んだ。だがそれもすぐに忘れてしまう。
(くっそー!弾きてぇ!)
そう思いながらも晃一郎は精一杯声を張り上げる。弾けない分、間奏の部分でもアドリブを入れようかとも考えたが、シズの弾きは邪魔できない。どうしようもないのでエアギターでシズの弾きを真似する。マイクを通さずに声だけは張り上げる。
客のノリも良い。恐らくはKool Lipsの客も残ってくれているのだろうし、
あっという間に一曲目が終わる。バッチリと締めて、拍手と歓声が沸き起こった。
「サンキューアリガト!」
晃一郎はそのままMCを続ける。
「今晩はー。シャガロックプラスアルファです」
Eのコードで揃え、シズ、二十谺、亨が短いフィル・インをを入れる。
「なんでプラスアルファかっつーとね、ちょっと、本来ギターボーカルのこの俺がですね、怪我をしてしまいましてですね、このボクの左にいる、何ですか、Kool Lipsというめちゃくちゃイカすバンドのギタリスト、シズに手伝ってもらってる訳なんですよ。拍手!」
再びEのフィル・イン。そしてシズのアドリブと歓声と拍手。ステージ上の温度はかなり上がっている。晃一郎は既に汗だくになっていた。
「それとですね、これは、ウチのバンドの力ではないんですけど、何と今日は!
「マジデーッ!」
頓狂な声を上げたのはすぐ隣にいるシズだった。おそらくはお忍びのつもりでコッソリと見にきてくれたのだろうが、先ほどの十五谺が見つかったことを黙っていた件と、十五谺を見たときの晃一郎の反応をおちょくってくれた仕返しだ。客席の奥、出入り口近くにいる谷崎諒と水沢貴之はとぼけてきょろきょろとしているが、どうみても笑顔が苦笑で引きつっている。
(ざまをみなさい)
少々満足した晃一郎は更に続ける。
「それじゃあ大御所もきてくれてるってことで、続けて二曲目!行きますよ!」
瞬間、亨のカウントが入った。
続けて三曲、無事に終えて、晃一郎はミネラルウォーター口に含む。二回目、最後のMCだ。
「残すところあと二曲なんですがね、普段はやないんだけど、折角だからここいらでちょっとメンバー紹介をしたいと思います」
えぇー、という声はお約束だが、やはり嬉しくなる。
「えーとまずはですね、先ほども紹介したヘルプで入ってもらってる、Kool Lipsのスーパーギタリスト、シズ!」
高速フレーズとライトハンドを見せて手を上げる。
「まーまーまー、何故オレがこのバンド手伝ったのかっつーのは言うまでもない。おめーらも感じて判ってると思うけどよ、楽しいだろこのバンド!」
ありがたいことに、おぉー!と同意の歓声と拍手が巻き起こる。シズはまぁまぁまぁ、と手振りで示して、再びマイクに近付いた。
「そんな訳で、オレは今回限りだけどさ、Kool Lipsともどもシャガロックもよろしくな!」
もう何がなんだか判らないがとにかくうぉー!だのいぇー!だのという歓声が聞こえてくることだけは判る。晃一郎はシズのパフォーマンスが終わるのを確認してから口を開く。
「続いてうちのリズム隊、ドラム!亨!」
ショートフィル・インを入れてくるくるとスティックを回す。男の声で亨を呼ぶ声がした。晃一郎も聞き覚えのあるクラスメートの声だが、それだけではない。目の前にいる十五谺も亨さーん、と声を上げてくれていた。
「続いてベース、綺麗どころだから野郎どもは良く覚えとけ!二十谺!」
どぅん、とグリッサンドをしてぺこり、と一例。厭味ったらしくひけらかさないところがまた二十谺らしくクールだ。
「そんで、ボーカル、晃一郎です!」
拍手と歓声。その直後。
「はいはいはいはい!こういっちろ!こういっちろ!」
(は?)
自分の名乗りを終えた途端にマイクを通した音声が急に聞こえてきた。谷崎諒と水沢貴之の声だ。見回すとPAブースのすぐ脇で、PAからマイクを借りた二人が手を上げている。
たちまち客席は晃一郎コールで溢れ返ってしまっていた。晃一郎を知らない人間の方が多いはずだが、晃一郎が何処の誰であろうと、ただ単にノリだけで見ず知らずの人たちもノッてくれる。ライブハウスとはそういう場所だ。
(な……)
莉徒が小さなエフェクターボードとギターを持って晃一郎の目の前にまできた。莉徒が持っているのは楽屋に置いてある予備のレスポールではなく、今もって修理中のはずの、晃一郎のグレッチだった。
「こういっちろ!こういっちろ!」
シズと享、二十谺まで合わせて晃一郎コールをしつつ、客を煽る。もしや晃一郎の知らないところで仕組まれていたのかとも思ったが、恐らく仕組んだのは谷崎諒だろう。莉徒からうやむやのうちにグレッチを受け取ってしまったが、ストラップを肩にかけたところで左肩に痛みが走った。
「さっきから左肩の具合確かめてたもんなぁ、少々痛ぇくらいでどってことねんだろ?」
谷崎諒が客席ともども煽る調子で言う。
「……」
「弾きたかったら弾けよ!ロックンローラーだろ!」
(うあああああああ!きたぁっ!)
そんなことまで言われては引き下がる訳には行かない。晃一郎は空いているジャズ・コーラスにシールドケーブルを差し込む。スタッフが慌ただしくステージに上がり、ジャズ・コーラスにマイクを設置した。それを確認したPAが音を調整してくれいるのが判る。エフェクターボードは恐らく莉徒のものだ。先ほど莉徒の足元を見ていたので、使い方は判る。ただ、ジャズ・コーラスはマーシャルのアンプとの勝手が違うので、アンプとエフェクター、両方のゲインを調整して、とりあえず色々とコードを鳴らす。確かに谷崎諒の言う通り、先ほどから肩の具合を確かめていたが、肩はかなり痛む。
「うぉー、きたきた!」
それでも無理矢理テンションを引っ張り上げて、晃一郎は叫ぶ。殆どヤケクソに近いかもしれない。一旦マイクを外してシズの耳に声を投げかける。
「俺はコード弾きだけやるから、シズは練習通りにたのむ!」
「おっけぇい!」
「おいじゃラスト二曲なんだろ!気合入れろよてめーらぁっ!」
谷崎諒が叫ぶ。まさか仕返しの仕返しを食らうとは思っても見なかった。
「なんだかとんでもねーことになりましたが……!ラスト二曲!最後までよろしく!」
第二二話:不安の先 終り
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