第十八話:足元を見てみなよ
翌日、昼休みに
授業が終わったら、以前二人で話した河川敷に来てほしい、とのことだった。昨日のことなど何も知らなければどぎまぎしたかもしれない内容だ。だが、
今の十五谺の気持ちの在り処はともかくとして、状況が穏やかではないことは確かだ。恐らく十五谺の呼び出しは昨日のことに関する可能性が大きい。というよりもそれ以外では何も思いつかない。
そして昨日あの場にはいなかったはずの晃一郎は何も知らない振りでその話を聞かなければならない。
事実を曲げられるのが怖かった。昨日のことに対して、十五谺がどんな判断を下しても良いと思う。
だけれど、昨日あった事実を、晃一郎にそのまま伝えるかどうかは判らない。
十五谺にとっては決して良いできごとではなかったであろう、仄暗い過去を、晃一郎にそのまま話すかどうかは判らない。すべてを話さなかったり、隠したりするのは構わない。それよりも何よりも、事実を曲げられることが一番怖い。それが不安で仕方がなかった。
「……どう、したいんだよ」
誰にも聞き取れないほど小さな声で、晃一郎は呟いた。
二十谺と亨は放課後も残って勉強をするらしかった。晃一郎としては好都合だ。急用があるとだけ言って、部室の二十谺と亨、元々軽音楽部の部員である
河川敷の堤防に上がると、もうスカイラインは消える頃だった。
冬のスカイラインは現れている時間が短い。空気が澄んでいて夏場よりも色鮮やかだ。できることならば十五谺と二人でゆっくりと見たかったが、すぐに暗くなってしまうだろう。
そんな空を見ながら辿り着いた有料橋の下には既に十五谺がいた。
「ごめんね、呼び出したりしちゃって」
晃一郎に気付いた十五谺が自嘲気味に笑った。
「いや。今日は練習もないし。どした?」
何ごともないように晃一郎は言う。
「うん、ちょっと、あんまり人に聞かれたくないから……。ここでいい?」
「あぁ、構わないけど、とりあえず、これ」
コートの襟を寄せて苦笑する十五谺に、途中で買ってきた缶コーヒーを手渡す。
「……ありがと。あったかい」
苦笑から多少苦味は取れたように見えるが、昨日からの十五谺の笑顔は、明らかに晃一郎の望んだ笑顔ではない。
「昨日ね、
缶コーヒーを両手で持ったまま十五谺は話し始めた。
「前にvultureで会った時の男、か?」
違うと知りながら晃一郎は慎重に言った。
「ううん、あのひととは……。違うの」
「……」
わざとらしくでも、え、だとか、そうだったのか、だとか、反応を返すなり、相槌を打てば良かったのかもしれない。だが、十五谺の言葉に晃一郎は無言しか返せなかった。
「vultureで会った人はね、別に付き合ってた訳じゃなかったし」
まずひとつ。十五谺からもたらされた情報は嘘ではなかった。
「それは……。別に男がいたってことか」
「うん。サイテーだね、わたし……」
俯いて十五谺は言う。橋梁の下のコンクリートに設えられているガードパイプに腰掛けると、一つ嘆息して、缶コーヒーを開ける。それを一口飲んでから十五谺は再び口を開いた。
「vultureで会った人……。晃ちゃんを襲った人、いたでしょ」
「あぁ」
「あの人が、昨日わたしのとこに来た元カレに、そそのかされたみたい。わたしを連れてくればお金貰えたみたいで」
邪魔者を排除してからゆっくりと十五谺を連れて行こうとした訳だ。ところが晃一郎が邪魔に入り十五谺は逃げ仰せた。確かに腹は立っただろう。連中からしてみれば晃一郎は十五谺とは何の関係もない存在だ。だが、邪魔者の晃一郎に執心するから目的を見失う。言葉を選ばずに言うのであれば、その程度の馬鹿で助かった、といったところだ。
「それを、俺が邪魔したって訳だ」
「……うん」
晃一郎の気持ちが少しだけ晴れやかになった。そうして十五谺自身が、嘘偽りなく事実を語るのならば、晃一郎もそれにきちんと応えなければならない。
十五谺を想うのならば、尚のこと。
「……信じる信じないは、晃ちゃんには関係ないんだけど、あの喫茶店で会ってた人を好きになったのは、元カレと別れてからなのね」
(え)
そうか、そういうことも有り得たのだ。
この話は十五谺の中でのできごとだ。それが例え過去にあった、晃一郎が伺い知らぬ事実からは逸脱していようとも、十五谺の口から出る言葉は晃一郎にとっての真実だ。疑う余地も資格もありはしない。
今、十五谺の口から出る言葉を、十五谺自身を、信じるだけだ。
「正確には、きっちり別れられた訳じゃ、ないんだけど……」
それには昨日の雄太という男の言葉からも想像はつく。
「男の方が別れない、ってゴネた訳か」
「うん……。でね、でもわたしはもう好きじゃないし、会わないから、って。自分なりにケジメはつけたつもりでいたの」
それでも別れない、と食い下がったのだろう。十五谺は別れているつもりでも、男側が納得しなければ、男としては別れたことにはならないのだろうから。
「でもダメで……」
「その元カレと喫茶店の男が繋がってたのは?」
「最初は知らなかったよ。それこそ晃ちゃんとばったり会った時だって知らなかった」
そして、ホテルの前で晃一郎を襲った男と揉めた後に、そのことを聞かされたのだろう。
「そか」
「結局、私のことハメようとしてたの。二人して」
そういう予想はつく。だが、予想ではなく事実だった。晃一郎は元恋人が振られた腹いせにそういうことをしたのだと思っていたが、十五谺が想いを寄せていた男もグルだったのだ。それも恐らく、十五谺の好意を判っていながら、それを利用して。
もしもあのまま、晃一郎が介入しないままだったら、今頃十五谺の身はどうなっていたか本当に想像もつかない。
「でも昨日、元カレがね、私とやり直したいって言ってきたの」
十五谺の言っていることは全て真実だ。それを晃一郎だけに聞かせる理由は、今はまだ判らない。けれど、晃一郎だけに嘘を言ったところで、十五谺には何のメリットもないはずだ。
そして十五谺の言葉を受けた晃一郎も、打ち明ける覚悟を決めた。
「……知ってる」
「……え?」
一瞬反応しかねて十五谺は晃一郎に顔を向けた。
「これから俺が言うことも、十五谺が信じるかどうかは自由でいい。……俺、あれから十五谺を追っかけたんだ。やっぱり途中まででも送ってこう、って思って」
「そう、なんだ……」
俯き加減のまま十五谺は言う。
「で、公園に着いたところで、お前と誰かが喋ってたから、慌てて隠れちまった。話が聞こえるところで」
「……じゃあ聞いたんだ、話」
「ごめん」
十五谺の声に怒気はなかったが、それでも立ち聞きしたことは晃一郎にとっては後ろめたい。
「ううん、別にいいよ。それなら話、早いもん」
最悪の言葉が十五谺から出るかもしれない。晃一郎は一瞬だけ息が詰まるのを自覚した。
「やり直す気、わたし、ないの」
顔を上げて、十五谺は言う。
「え?」
「だって、元々気持ちなんかとっくに離れてるし、あんな酷いことされて、晃ちゃんに怪我までさせて、全部反省してるからやり直そうなんて言われたって何にも信じられないよ」
それはそうだろう。晃一郎は胸をなでおろした。やはり十五谺は以前の十五谺とは違う。
「本当はね、二人とも心配はしてた。当然あっちが悪いのは判ってて、あのヤクザの人とかの話聞いたら、何か罰を受けたのかな、って」
「だろうな。昨日のヤツも結構いいツラしてたっぽいし」
ほんの僅かに暗がりで見えただけではあったが。
「うん……。あの程度だったから良かったんだろうけど、わたしもっと酷いことされるんじゃないかって思ってたの。晃ちゃんにあんな酷いことした人達なのに、心配だったの」
また、俯く。
これは十五谺の優しさだ。
怪我を負った晃一郎に、本当に申し訳ないと思う気持ちが十五谺にはある。そしてそれと同時に、罰を受けた男たちに対しても酷いことをされたのではないかと思う気持ち。
そのどちらもあって良いはずだ。それは十五谺の気持ちの問題だ。晃一郎の極個人的な考えとしては甘いとは思うが、晃一郎と十五谺は違う。
違う人間なのだ。
関わり方も何もかも、晃一郎とは違う。
「でもまぁ、態々十五谺に会いにくるくらいだから、良かったんじゃないの?会いにくること自体がどうのとかは置いといてさ」
「そうだね……」
一言、
想像の域は出ないが、心配事は尽きない。
「まぁ、また何か困ったことがあったら俺に言ってくれよ」
(その場しのぎでも構わないから)
と付け加えたかったが、ギリギリで晃一郎はその言葉を飲み込んだ。今不安に駆られているのは十五谺だ。その十五谺に態々そんな言葉をぶつける必要性は、まったくない。どんな気持ちであっても、今は晃一郎の勝手な思いをぶつける時ではない。
それにしても、と思う。
「何で、俺だけにそんな話……」
「うん、何でだろ。わたしが晃ちゃん巻き込んじゃった、っていうのもあるかも……」
そう十五谺は言った。
「巻き込まれたとは思わないけどさ」
「でも聞いたんだから、判ってた訳でしょ」
「何が?」
「付き合ってた人がいたのに、別の人を好きになって、バイト使って近付こうとしてたりとか……。ほんとはね、晃ちゃんにちゃんと、聞いて欲しかったんだ」
懺悔、なのかもしれない。前者は誤解だったが、後者に関しては本当のことだ。最初に会ったばかりの頃に諍いを生じさせていた頃の十五谺は、本当に晃一郎の常識の範疇を逸脱した存在だった。晃一郎も十五谺も、お互いを理解しようとはしなかったことで、余計に溝を深くさせてしまった。しかし、幾度となく、十五谺と晃一郎は理由はどうあれ、お互いを理解して行くことができた。だから今こうして十五谺と話せているのだろうし、十五谺を想う気持ちも生まれた。
そうして十五谺が、自らを省みて、反省し、別の方向へと進もうとしている。だけれど、晃一郎の十五谺を想う気持ちと、自分の行動が、相まっていない。
必死に前を向こうとして、自分の失敗を省みて、恥ずかしくてもみっともなくても、前を向こうとしている十五谺と、被害者とはいえ暴力沙汰を起こし、多くの友人に迷惑をかけ、好きな女に自分の気持ちも伝えられない晃一郎が、以前とは別の場所で隔たりを作っているような、そんな気がしてしまう。
だからせめて、十五谺の言葉を真摯に受け止めるくらいは、したい。
「そっか。うん、聞いた。……俺はさ、十五谺が前を向こうとして色々動いてるところ、見てたし。やっぱまた誤解したくないし。……聞けて良かったよ」
(私もそんなに十五谺に堂々と言えること、してきたのかな)
そもそもの和解になったであろう十五谺と二十谺の喧嘩の時に、二十谺が言って自分を省みた言葉だ。今の晃一郎はまさにそれだ。
あの時の二十谺の気持ちが痛いほど良く判った。
「やっぱり優しいんだね、晃ちゃんは」
少し笑って十五谺は言う。
「そうじゃないよ、きっと……」
「そうかな。最近はみんなが優しく感じる。お姉ちゃんも、亨さんも、莉徒さんもみんな」
それはきっと十五谺の変化をみんなが認めているということだ。このままではいけないと思った十五谺が、行動した結果だ。
「十五谺がみんなを認めたから、みんなも十五谺に優しいんじゃないかな」
十五谺の笑顔に吊られて晃一郎も少し笑顔になる。
「それ、晃ちゃんも?」
「そうかもよ?」
卑怯かもしれなかったが、冗談を飛ばす。
「えぇー、なによその煮え切らない言い方は!」
「え、まぁいいじゃん」
心の奥底を見透かされそうで、晃一郎は笑って誤魔化すことしかできなかった。
「ちゃんとさ、十五谺はそういうヤツだって、判ってっから」
それが今晃一郎に言える精一杯の言葉だった。
「涼子さんのとこ行かない?あ、時間ある?」
手に持った缶コーヒーを一気に飲み干してから十五谺は言った。
「態々十五谺の呼び出しのためにテスト勉強も放っぽって時間割いてきたんだからあるに決まってんじゃん」
「いちいち一言多いのよ晃ちゃんは!」
やっといつもの調子に戻って、十五谺は軽く拳を振り上げた。
「性格なもんでね、あ、もちろん十五谺の奢りだろ?」
「えぇー!もうお小遣いちょびっとしかないのに……」
「嘘だよ、今日は俺が奢る」
「ほんと?やったぁ!」
晃一郎の腕にじゃれつきながら十五谺ははしゃぐ。一瞬だけ腕に感じた柔らかさに身体が硬直しかけ、荒ぶる魂が下半身に集中しそうになったが、何とか平静を装って晃一郎は歩き出した。
第十八話:足元を見てみなよ 終り
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