第十六話:二つの時間
「で、どうなんだよ」
喫茶店で
珍しく亨と二人で喫茶店にきていたのだが、亨が
「まーライブ終わったらだけどさ、どっか遊びに誘ってみようかな、とかは考えてっけど……」
「いいじゃん、それで」
亨の不安は判る。
「でもさー、もしおれがコクってフられたらどうしようかなーとか。色々考えちゃう訳よ」
バンドの存続。
「そこはお互いのスタンスだよな」
お互いにバンドを壊したくない、と思うのであれば、お互いに辛いかもしれないけれど続けて行くことは可能だろう。ただ、一度そういうことが起こってしまえば、バンド内の関係はギクシャクしてしまうことは目に見えている。
「壊したくねぇなぁ……」
そこが亨の行動を制限しているのだろう。
「でもさ、亨の思う通りに動いたほうがいいよ」
「でもおめー、このバンドなくなったりしたらどうすんだよ」
「そしたらまたメンバー集めりゃいいさ」
とは言うものの、二十谺ほどのベーシストは中々見つからないだろう。だからといって亨が亨の思う通りに行動できないのはおかしい。棚に上げる訳ではないが、晃一郎は後も先も考えずに
今思えば、あの時点でバンドが、いや、亨や二十谺が晃一郎を見限っても仕方がないことをしでかしている。
「バンドのこと考えすぎないで、亨が今好きな人にできることってのをさ、一番に考えた方がいいって。同じバンドにいるからって安心してて二十谺に彼氏ができました、なんてことになったら目も当てらんねぇぞ。ただでさえ男の目を引くくらいの美人なんだから」
気軽に人を近寄せない空気を纏ってはいるが、二十谺も年頃の女の子だ。十五谺が自由に恋愛をしてきたことに対しても羨望感はあったということだって充分に考えられる。だからこそ当時の十五谺への怒りは尋常ではなかったのかもしれない。
(って、考えることもできなくもない……)
「だよな……。おれの方が他の連中より近い位置にいるなんて自惚れだよな」
「今のシャガロックがもしもなくなったとしても、俺は亨がいればバンドは続けられるし」
「ま、そうだな。考え込むとおれ熱出しちゃうぜ」
にぱ、っと表情を変えて、亨はおちゃらけた。
「で、そーゆーおめーはどーなんだよ」
とん、とテーブルに拳を置いて亨は言う。
「は?」
「まさかおめー、周りが気付いてねーとでも思ってんのか?」
「だから何がだよ」
晃一郎にしてみれば十五谺のことしか思い浮かばなかったが、そんなに周囲にそれと判る態度は取っていないはずだ。
「十五谺のことだよ。なんかおめーらここんとこみょーに仲いいじゃん」
(うわ、やっぱり……)
できれば触れたくない問題ではあったが、これだけのことを亨に話してしまった手前、考えない訳にもいかないのだろう。
「どうったって、なぁ」
「なんかフツーにイイ感じじゃん」
確かにいがみ合ってた時期とは比べるべくもない。時折電話をしたり、メールをしたりしているが、それ以上の進展はないし、時々ふと見せる横顔は晃一郎にはどうにもできない悲しみを帯びている。
「まぁそう見えるかもしれないけど……」
「なんか事情あんのかよ」
「まぁ事情なんて複雑なもんじゃないけど、あいつ振られたばっかでさ」
「じゃあ余計にチャンスじゃん」
男と別れたからこそ、そこで優しさを見せ付けるチャンスなのかもしれない。亨の言うことは重々判っている。実際に十五谺が泣いていれば優しい言葉もかけるし、慰めたいと思う。だけれど、そんな間隙を縫うようなことをして、そこだけに十五谺の気持ちが傾くのも違う気がする。
「あいつが吹っ切れればね」
「吹っ切れてねぇの?」
気持ちはない、と思いたい。やり直すことも考えてはいないと思う。だけれどそれは晃一郎の勝手な想像に過ぎない。人の気持ちなどそれこそ他人が量れるものではないのだから。
「俺が襲われたのって、あいつのその、元カレ関係らしいからな……」
少し言い淀みつつ、晃一郎は言う。
「え、マジかよ」
(好きだったのになぁ……)
十五谺の涙交じりの声は今でも忘れることはできない。
「ホントに好きだったらしいからな……。そういう男に裏切られてみ。かなりヘビーだと思うけど」
「そっかー。だとすっとなんか付け入るのも嫌だしなー」
亨は晃一郎の気持ちを汲み取ってくれたようだった。勿論晃一郎は十五谺の沈んだ気持に付け込む気など更々ない。ただ好きな女が泣いていれば放っておくことなどできない。優しくしたいけれど、本心を隠しながら、それでも気遣うことは本当に難しい。
「そゆこと」
「なるほどなー」
「ちゃんと色々吹っ切ってくれればな、と思って色々動いてはいるけど、結局付け込んでんじゃねぇかなぁって」
十五谺が晃一郎に連絡を取るようになったのも、以前とは違い、晃一郎が優しくできたからこその結果ではあるのだろう。勿論そこだけを見れば晃一郎としては喜ばしいことだが、自分が落ち込んでいたときに優しくしてくれたから、という理由だけで人を好きになることなどはない。それはきっと一時的な錯覚でしかない。
一時の感情に流されて欲しくない。
何故、と問われればそれは、晃一郎自身も傷付きたくないからだ。
だから、告白する勇気も今の晃一郎にはない。
例えば、晃一郎が見せた一時の優しさで十五谺が晃一郎と付き合っても、いずれ気付くはずだ。この人ではない、と。そんな惨めな思いなど絶対にしたくない。
「気持ちばっかりはどうしようもねーよなー……」
(自分の気持ちすらままなんねぇよ、俺は)
十五谺を想っていても保身まで考えてしまう。
「どいつもこいつも、だよな……。自分含めてさ」
「んだーな……」
喫茶店からの帰り道、亨と分かれた後に二十谺と偶然出会った。
「あら、晃」
「お、二十谺」
商店街の本屋のビニール袋を片手に持って、二十谺は歩いていた。制服姿で眼鏡をかけて一人で歩いている姿は、どこぞの深窓の令嬢のようだった。とてもロックバンドでベースを弾いているようには見えない。
「本屋?」
「うん。好きな作家の新刊出てたから」
「本も読むのかー」
知的美人のイメージそのままだ。
「元々は十五谺の影響なんだけどね」
「へぇ、あいつの方が本読まないイメージだけどな」
「そうかもねぇ。ばかだし、あいつ」
相変わらず容赦のない言い方ではあるが、以前のように突き放した感覚はない。学校の成績などは知らないが、見た目通りのイメージなら二十谺は優等生、十五谺は劣等性、というイメージがある。
「ははは、容赦ねぇなぁ」
「ま、でもそこそこ勉強はできるわよ。私といがみ合ってたときもね、成績悪いと喧嘩にもならないからかもだけど。勉強はしっかりやるのよ、あの子」
それだけじゃないと思うけどね、と付け足しで二十谺は笑う。全く持って意外だった。晃一郎はお世辞にも成績が良いなどとは言えない。大学に行く気もないし、さほど気にはしていないのだが、テストがあるたびに何かしら赤点を取るのは頂けない、と思いつつも勉強はしないままだ。すぐ近くに亨という赤点の神様のような人間がいるから、そこで安心してしまっている節もある。
「へぇ、すげぇなぁ。勉強なんて俺も亨もからっきしだよ」
「じゃあ今度テスト勉強でもする?文系は得意よ」
「文系も理数系も全滅だ。できることならお願いしたいね」
冗談交じりに晃一郎は言ったが、亨と二十谺を近付ける良い機会かもしれない。できれば実現させたい企画だが、内容が勉強だというだけで迷いが生じるのも情けない話だ。
「じゃあ今度の期末前にやろっか。晃より亨の方が教えるのに苦労しそうだけど」
「よくお判りで」
「あいつのばかは十五谺に通じるものがあるわね」
「ほぼ全教科赤点だからな」
その点晃一郎は多くても三教科だ。数学、リーダー、化学の三教科がいつも芳しくない。現国や歴史等はそこそこの点は取れるのだが、理数系にはてんで弱い。
「赤点ナシだったら御褒美でも用意しとかないとやる気でないかしら」
「はは、そうかもな」
うまく話が進んでいる。これで赤点がなくなればデートの一回でもするように仕向けられるかもしれない。しかし二十谺のことだ。この台詞から察するに、もしかしたら亨の気持ちには既に気付いているかもしれない。
「ま、何にしても気が重いのは確かだなぁ」
「でもそれが終わっても就職やら大学受験やらで結局忙しいのよね……」
「二十谺は大学行くのか?」
「まぁね。志望校ももう決めてあるし、よっぽどのことがなければ受かる自信もあるし」
ということは、このまま瀬能学園の大学部には進まず、別の大学を受験するということなのだろう。どれほど自信があるのだ、と突っ込みたいところではあるが、二十谺のことだ。やるべきことはきっちりとやっているのだろう。晃一郎としてみれば溜息しか出ない。
「はぁ、すげぇなぁ」
「晃は?」
「俺は就職。亨も多分そうだろうな。聞いてないけど」
特にこれから何かを学びたいという気持ちもない。逆に言えばしてみたい仕事もない。就職するのは体裁を気にしてのことだけだ。それにこれからもバンドを続けて行くのは働きながらでもできるし、働かなければ趣味に使う金も工面できない。世の中はそれほど甘いものではないのだ。
「なるほどね。先のこと考えても気が重くなることばっかりだからね。とりあえずライブに集中したいわ」
「確かになぁ」
そのライブも完全な形のシャガロックとしてはできないが、それでも楽しみであることは変わらない。いつ、どんな状況でもステージに立てるというのは胸躍るものだ。
「三年になったらライブも回数減るだろうし」
「確かに」
「はぁ、嫌だ嫌だ」
就職難は相変わらずのようだし、二十谺も自信があるとはいえ受験勉強もしなければならなくなってくる。自分の歩む先に一筋の光明も見えないというのは本当に不安なのだ、と晃一郎はここ最近で特に実感している。
「やれること一個一個やってくしかないんだけどね」
「それでも社会人は学生は楽でいいなんて言うんだよなぁ」
社会人という立場になったことはないので何とも言えないが、受験も就職もない社会人の方が余程苦労はないように思える。それこそが学生の甘えであることも何とはなしに想像はつくのだが。その立場に立ってみなければ苦労など一つも判りはしないだろう。
「ま、でも責任ないしね。大学も就職もできなきゃアルバイトでも何でもすればいいだけだもの」
「そう考えりゃ楽なのかもしれないけど、当事者は大変だろ」
はぁ、と一つ嘆息して晃一郎は言った。
「ま、そうね」
くすり、と笑顔になって二十谺は空を仰いだ。
第十六話:二つの時間 終り
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