第十五話:耐える時間

 変説だとか心変わりだとか。

 理由は何なのだろう、と晃一郎こういちろうは考える。

(理由なんか……)

 判っても判らなくても変わらない。自分の今の気持ちをただ信じるだけで。思う通りに生きるだけで。煩わしいことも鬱陶しいことも、それが過去になってしまえば今の自分が自分の過去の考え方に縛られる必要など何もない。

 今までもそうしてきたと思う。

 中学時代に自分を虐めていた亨と和解したこともそうだ。自分がしてきたことを悔いて、本当に反省して謝罪をしてきた。そういう謝罪を聞き入れないのは酷いことだ。

 人が人を許さない、などということがあっても良いのだろうか。あいつが嫌いだの、死んじまえだの、攻撃的な汚い言葉はいくつもある。けれど、晃一郎にとってはそれよりも何よりも、『あいつを許さない』という言葉の方が余程呪いの力を持った言葉だと感じられる。

 過去に過った人間が、その過ちに気付いたのならば、そこを認めてあげなければ、自分こそが酷い人間になってしまう。人を許せぬ過ちを犯したことに気付かないままの人間になってしまう。

「あ、こうちゃん」

 いや、そんな理屈など本当はもうどうでも良いことだ。

 もうきっと、晃一郎は十五谺を好きだったのだ、と気付かされたのだ。

 自分が傷つこうが、どれだけの人間に迷惑をかけようが、十五谺を守りたいと思ったのは、きっとそういうことだ。理屈などどうでも良い。ただ、この自分の気持ちを自分なりに受け入れておけば。突っ張る必要も、抗う必要も何もない。

「ちょっと帰りの会が長引いた」

 校門で晃一郎を待ってくれていた十五谺に気の利かない冗談を飛ばす。

「小学校じゃないんだから」

 あはは、と小さく笑って十五谺が歩き出す。

「明日、練習だよね」

「うん。明日は四時間だからなぁ、けっこうきつい」

 通院はしてはいるものの、唄うだけでもまだ肩は痛む。ライブ当日までにはいくらかは良くなっているだろうが、それでも完治には届かないような気はしている。

「晃ちゃんはああ言ってくれたけどさ……。やっぱりわたしのせいだもんね」

「違うっつの」

 ただ、守りたかった。そうは言えずに、晃一郎は苦笑を返した。

「俺もやりようはいくらでもあったんだ。ぶるって動けなかったのは俺が弱かったからで……」

 十五谺の前で格好良いところを見せられたらどんなにか良かったかもしれないが、いかんせん元々虐められっ子だった晃一郎は喧嘩に自信などない。だからと言って自分がどうなっても、と考えるのは考え足らずだった。ただ、それでもあの場はそれ以外に何も考えが浮かばなかった。本当にどうしようもなかった。

「結局十五谺に迷惑かけてるの、俺だし」

「迷惑じゃないよ」

 穏やかに十五谺は言う。

「ま、まぁさ、どっちが悪いとか、そういうのもうやめようぜ。こうなっちまったんだし、俺は俺のできることをするし、十五谺にも協力してもらって嬉しいしさ」

 そうでなければ、十五谺にも、二十谺にも享にも、Kool Lipsクールリップスのメンバーにも、合わせる顔がなくなってしまう。

「なんだか、わたし達って出会い方とか変だったけど、結局こういうことになってさ、莉徒りずさんとかシズさんもみんな協力してくれて、何だか、嬉しいね」

 晃一郎の思うところを上手く読み取ってくれたのか、十五谺は頷きながら言った。

 結局はそういうことだ。言い争った過去だとか、過ったことだとか。お互いが認め合えばそれが良い。歴史や国交になど興味はないが、半世紀も前のことで他国の、しかも当事者でもない人達を恨み続けるなど本当にくだらないことだ。同じ国の人種ならば時間もその人個人個人の人格も否定して恨み続けることが正しいという考え方もあるのかもしれない。しかし、それでもくだらない、と晃一郎は思う。

 そんな大風呂敷を広げても意味はない。だけれどこうした個人と個人のことで過去を引きずっていがみ合って何になるというのだろう。

「ありがとな、十五谺」

 ぽん、と十五谺の小さな頭に手を乗せた。

 万感の思いを込めて。

 十五谺が自身で変わろうとしてくれたから、きっと晃一郎も変われた。十五谺が自身で素直になろうと考えたから、きっと晃一郎も十五谺に優しく出来るようになった。

「うん……」

 そんなことを考えていると、どう見ても穏やかには見えない黒塗りの高級車がゆっくりと通り過ぎた。そして通り過ぎたかと思うと、すぐ目の前でその車が停まる。晃一郎と十五谺は構わず歩き、喫茶店に向かう。

 運転手が降り、上座のドアを開けると、出てきたのは高級そうなスーツに身を固めた、やはり穏やかではない風貌の強面の中年だった。

宮野木みやのぎ十五谺さんに、風野かざの晃一郎さん、だね?」

 運転手が開けたドアを自分で閉めてその中年は声をかけてきた。

(ま、まさか、ホンモノかよ……)

 咄嗟に晃一郎は十五谺の前に出た。

「はい、そうですが」

「警戒しなくても大丈夫だよ」

 強面が急に破顔した。しかしそれで晃一郎の警戒心が解けた訳ではない。水商売にはヤクザは付き物だ、とどこかで聞いたことがある。十五谺のアルバイトの関係か、それとも晃一郎を襲ったあの男の関係か。そもそも人を襲うなどということは大きなバックが付いているからするか、考え無しに行動するかのどちらかでしかない。

「ウチの若いモンがご迷惑をかけたようで……」

 強面の男は名刺を取り出し、晃一郎に差し出した。晃一郎はそれを見るだけで手に取ろうとはしなかった。

 『的場まとば商会、伊庭真いばまこと』と名刺にはあった。

「信用されないのは仕方ないかな……」

 伊庭は頭を掻いて、ばつが悪そうに笑った。

「用件、何ですか」

「もちろんお詫びだよ。何か協力できることがあればいいんだけどね……」

 伊庭の穏やかな口調や表情を見る限りでは嘘を言っているとは思えない。

谷崎たにざきさんか水沢みずさわさんから何も聞いてないのかい?」

 伊庭の口から意外な名前が出た。

「え……」

「うちのかしらがね、彼らとは昔馴染みで。彼らが物凄い剣幕で事務所に来たもんだから、色々と事情を聞いてみたら、ウチの若いもんが堅気さんに迷惑かけたってんでね、こうして謝罪にきたんだよ」

 実際に有り得そうな話、ではある。それならば。

「と、特には何も……」

「そうかい、じゃあ機会があったら聞いてみてくれるといい。今日はここで下がらせてもらうよ。あぁ、あとこれだけは持っておいてくれるとありがたい。谷崎さんか水沢さんに見せればちゃんと判ってくれると思うからね」

 そう言って、伊庭は晃一郎の制服の胸ポケットに先ほどの名刺を差し込んだ。

 晃一郎は直接的に谷崎りょうと水沢貴之たかゆきとは繋がってはいない。助けてもらった時に、これから向かう喫茶店の店主、水沢涼子の夫だと言うことを聞いて腰を抜かしそうになったが、そうなると色々と合点の行くことも多かった。

「君達には二度と被害が及ばないようになってるから、それじゃ」

 伊庭は再び自分でドアを開け、車に乗り込んだ。ほどなくして黒塗りの車は去って行く。

「……」

 去って行く車が交差点を曲がり、完全に視界から消えると、晃一郎は嘆息した。

「ぐはぁ……。び、びびった……」

「あ、あれってホンモノの人、だよね……」

 膝の力が抜けて、嘆息した晃一郎に十五谺が言う。晃一郎の背についていた手がかたかたと震えていることに初めて気がついた。それっぽいチンピラやワルを気取っている人間は数多くいるものだが、本物というのは持っている威厳が違うのだろう。伊庭が去った途端に晃一郎の体の緊張が解けたことに遅蒔きながらに気付いた。知らずの内に身体に異常な緊張が走っていたのだ。

「多分そうだろうな……」

「な、なんでこんな大事になってるのかな……」

「十五谺がバイトしてたあの店、ヤクザ絡んでんじゃないの?」

 十五谺に向き直り、晃一郎は言った。想像の範囲であればいくらでも繋がりは見出せるが、まさか本物の極道が自分達に関わってくるなどとは思ってもいなかった。

「どうなんだろ……。でも秋葉原にあるお店とかみたいに芸能界?とかに絡んでる訳じゃなかったし」

 聞くところによれば、その店でナンバーワンになると、CDデビューやイメージDVDなどを製作してくれる店もあるのだそうだ。メジャーデビューとは訳が違うのだろうがあの街で名を馳せれば相当な知名度にはなるはずだ。あくまでもその道の趣味を持っている人間達の中で、ということになるのだろうが。

「まぁバイトしてた十五谺に言うのもあれだけど、はっきり言って水商売みてぇなもんじゃん。絡んでそうだけどなぁ」

「そうかもしれないね」

 以前の十五谺がいかに何も考えないでただ自らの興味を引いたものだけをやっていたかが伺える。しかし今晃一郎の前に立っている十五谺は後からそれに気付いてそれを省みることができる。後悔は先には立たないが、自分の礎にはなってくれるものだ。

「信じちゃって大丈夫かな……」

 恐らくはあのメイドカフェではなく、晃一郎を襲った連中の繋がりだ。あの中には十五谺が自分で好きだった、と言っていた男もいた。

「まぁでも携帯も変えたし大丈夫じゃないかな……」

 きっと十五谺もそれには気付いているのだろう。それに伊庭は、谷崎諒、水沢貴之の名前も出していた。後で確認してみればそれも判ることだ。それにしても暴力団と関係が深いとは、谷崎諒と水沢貴之もあれほどの無茶をする訳だ。謝罪までさせるとなるとかなりの力を持っているのだろう。つくづく謎な人物達だ。

「あぁ、怖かった……」

「まぁ今気にしても仕方ないことだし、行こう」

 二人は再び喫茶店に向けて歩き出した。

 早速涼子にそのことを確認してみよう、と晃一郎は胸ポケットに入った名刺を取り出した。


 今回の練習にはKool Lipsのメンバーはシズだけがきた。毎回大勢でスタジオに来られても困りものではあるのだが。十五谺はシズのスタジオ代を払うために二十谺はつかと一緒に来ていたが、スタジオのブースの中までは入らなかった。何でも全部を練習で聞いてしまうと本番での楽しみがなくなるからだ、ということらしい。

 それ以前にスタジオ慣れしていない人間がブース内に長時間いると、あまりの大音量に耳がおかしくなってしまう。慣れていても練習が終われば耳がきんきんと鳴る、ロック難聴(正確には突発性難聴というらしい)になってしまうのだから無理もない。

 トイレに行くときにブースを出て、晃一郎は十五谺に缶コーヒーを買って手渡した。

「退屈だろ」

「でも結構色んな音聞こえてきて面白いよ」

 ぐん、と伸びをして十五谺は笑った。

「なんかね、こうやって暇な時間を暇だなぁって過ごしたこと、ここ暫くなかったから結構新鮮」

「やっぱ暇なんじゃん」

「暇を楽しんでるの!それよりまだ休憩時間じゃないんでしょ?早く行かないと怒られちゃうよ」

 くすくすと笑いながら十五谺は言う。

「お、いかんいかん、んじゃ後でな」

 十五谺は気丈に振舞っているが、まだあのショックから立ち直れた訳ではないだろう。好きだった男に裏切られて、襲われかけた。それは何とか晃一郎が阻止したが、晃一郎の不注意で晃一郎自身が怪我をしてしまった。その怪我も十五谺は自分のせいだと思っている。様々な方向から飛んでくる不安は消えないだろうし、きっと心の傷も癒えた訳ではないだろう。まだ辛いはずなのに、十五谺は良く笑う。

 晃一郎は十五谺が笑顔でいるのなら、それに、その流れに乗るだけだ。それしかできることがない。いくら十五谺を想う気持ちがあったとしても。

 今はまだその時ではない。

(クソ……。何が困ってる時は助けるだ)

 今の晃一郎では何も力になってやることができない。

 やるせない、どこにも持って行きようのない晃一郎の気持ちは、恐らく今の十五谺と同じなのではないだろうか。そしてそれを共有することができないことまで同じで。

 だから、こうしてじっと耐えるしかないのだろう。


 第十五話:耐える時間 終り

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