第十四話:気付かぬ証

 ライブまで残すところ一ヶ月を切った。

 シズがシャガロックの練習にも顔を出すようになって二度目だが、初めてシズが練習に参加するようになってから、ちょっとした変化があった。

 通常の練習時、シャガロックは当然、晃一郎こういちろうとおる二十谺はつかの三人で行っている。

 練習スタジオと言うのは、個人練習とバンド練習では利用する時間で金額が異なるが、バンド練習であれば、それが二人組であれ、三人組であれ、四人組であれ、利用金額は変わらない。

 つまり、練習代金を割り勘にするのであれば、人数が多いバンドの方が、一人当たりの出費が少なくなる。

 シズがシャガロックの練習に入るようになっても、当然手伝ってくれているシズに金を出させる訳には行かない。シズが入ろうと、三人のままだろうと、練習代はいつもと同じなのだから、シャガロック的にも問題はなかった。

 しかし、シャガロックの練習にシズが入ったことで、四人割にして、シズの分を支払う、と十五谺いさかが言い出したのだ。

 音楽のことでは何も手伝えない十五谺が、せめて、少しだけでも力になりたい、と言ってくれた。

 十五谺の提案は二十谺からも聴いてあげて欲しいと頼まれてしまったため、晃一郎は渋々その協力を受けざるを得なかった。元はと言えば完全に晃一郎の不注意が原因なのだ。本当の意味での被害者である十五谺に責任を負わせるのは心苦しかった。しかし十五谺の気持ちも、もちろん二十谺や亨の気持ちも無視できない。

 晃一郎は少しの心苦しさと、十五谺、亨、二十谺、Kool Lipsクールリップスのメンバーに感じる暖かな気持ちを、きっと自分の力に変える、と心に誓った。


「しっかし……。なぁ?」

 スタジオのロビーに訪れた十五谺と二十谺、宮野木みやのぎ姉妹をまじまじと見詰めて、シズがぼやくように言う。視線が十五谺と二十谺の間を行ったりきたりしている。

「な、何見てるの?」

 二十谺が少々たじろいだ様子でシズに訊ねる。

「いやぁ、二十谺は出てるとこ出てっけど……。おぁあいたぁっ!」

 シズの言葉の途中でびし、と激しい音が鳴る。

「黙れ下郎!」

 シズの背後から莉徒りずが姿を現した。一回目に続いて莉徒も練習の見学に来ている。

「み、見たか晃、亨……。ほだされてはいかん、コイツは女の皮をかぶったK-1チャンピオンだ」

「ぷっ」

 莉徒の下段回し蹴りがシズの大腿部を激しく打ち、片膝を付きつつ、シズが呻いた。

「悪いわね、二十谺、十五谺。コイツは女とあっちゃ品定めする困ったヤツなのよ」

「お、おめー、オレは、そんな他意はねぇんだよ!」

 大腿部を抑えて立ち上がりながらシズが言う。莉徒とシズはいつもこんな感じなのだろう。良いコンビだ、と晃一郎は思った。

「あぁ、ごめんごめん、他意はないわね。ただのクセ」

 だからモテないのよ、と付け足して莉徒は笑う。

「お姉ちゃんはスタイルだけはいいからねー」

 自分の胸をぺたぺた、と触り、二十谺の胸に視線をやりながら十五谺は笑った。この場を明るくしよう、と努めてくれることは晃一郎にも充分判る。済んでしまったことでくよくよしても仕方がないのだ。向かうべき方向性は見えている。ならばそこへは楽しみながら向かえば良い。

 十五谺の笑顔を見て、晃一郎は心底安堵した。

「だけ、って何よ」

「え?見た目だけは、ってこと。莉徒さんなら知ってると思うけど、怒らせると怖いんだから」

「そうよシズ、回し蹴りだけじゃすまないわ」

 明らかに実感のこもった声で十五谺が言う。二十谺の表情の変わりようは案外見物だった。

「あんたらねぇ……」

 す、と下げた両手を手首の辺りで交差させ、両足は肩幅ほどに開き、腰を落とす。膝を軽く曲げ、鋭くシズを見据える。

「そ、その構えは龍破りゅうは!……ちょ、ちょとまて二十谺!怒らせるったって、オレは莉徒とか十五谺みてーな幼児体系よりも、二十谺みたいなどーん!きゅ!ぼーん!みてーのがいいって、褒めてんじゃん!」

「その言葉で私らの怒りを買ってることが判んないみたいねぇ……」

 にやり、と莉徒が笑う。

「ほあぢゃあっ!」

 ずびし。


 以前二十谺に貰ったKool Lipsの音源を聞いた時にも思ったことだが、シズのギターの腕は相当なものだった。シズのの持つSGエスジーというギターもシャガロックのサウンドに合うのだという発見もできた。

 弾きのスタイルそのものは、やはり晃一郎とは違うものではあったが、シズのギターはきちんと自分なりのルールに従って弾いていることが良く判る。フィル・インとバッキングの使い分けも巧い。フィル・インの部分でのシズのオリジナルアレンジを聞いたときにはその解釈に嫉妬したほどだった。

「やるなぁ、シズ」

「いやぁ~、気持ちいいな!今度対バンする時は一曲、曲交換しようぜ。すっげぇおもしれぇ」

 シズはシャガロックの曲を相当気に入ってくれたらしい。シズの言葉から、行動から、それらがにじみ出ているようで嬉しくなる。

「それも中々面白そうね」

「そういや二十谺って唄えんのか?」

 普段から莉徒の、所謂女性ボーカルに慣れ親しんでいることもあってか、シズは二十谺にそう訊ねた。

「まぁそれほど複雑なベースじゃなければね。このバンドじゃコーラスはあたしの声だと混ざらないからやってないだけだし」

「なるほどなぁ。でもオレらの曲なら、二十谺の声も生かせっかもよ」

「たしかにそりゃ面白そうだな、それ次は絶対やろうぜ」

 晃一郎も二十谺の唄声はコーラス以外ではしっかりとは聞いたことがない。コーラスを試してみた時に聴いた声質からして、かなり良い歌声を持っているとは思うのだが、いかんせんシャガロックでは二十谺の声は生かせない。と言うよりも二十谺の言う通り、原因の一つとして性差ももちろんあるのだが、晃一郎の声と、二十谺の声の混ざりが悪いのだ。

「あとあのひと、山雀やまがらさん、つったっけ、前に音源聞いて思ったけど、相当だよなぁ」

「おー、たくさんはマジすげーよ」

 バンド同士の繋がりが強くなると、やはりライブの機会も増える。誘って、誘われて、お互いにステージを数多く経験して巧くなって行く。そういった良い意味での繋がりは本当に大切にしたい。

「シャッフルしても面白いんじゃない?私も二十谺と一緒にやってみたいし」

 莉徒がさも当たり前のように、おもむろに煙草を取り出した。銘柄はやはりというべきなのか、当然と言うべきなのか、KOOLだった。

「おめーは当たり前のように一服入れんじゃねぇよ」

 おっさんか、と言いながらシズが莉徒から煙草を取り上げた。

「煙草は声潰れるぞ……」

 晃一郎は言って苦笑する。

「んー判ってるんだけどねぇ……」

 手持ち無沙汰になったのだろう莉徒はすぐ隣にある自動販売機でコーヒーを買った。

「ま、煙草吸ってても声変わらない人ってのもいるっちゃいるけどな」

「そこ期待してる訳じゃないんだけどねぇ。まぁちょっと控えてみるわ」

「当たり前。ただでさえ胸の発育悪ぃんだからよー」

(こいつ勇気あるよなぁ……。つーか、だたの馬鹿なのか?)

 そう晃一郎が一瞬だけシズに視線を投げた。

「今日、あんたの足を、折る」

 いやシズには最大限に感謝はしているし、頭が下がる思いであることには変わりない。だが、それでも、女性のデリケートな問題を易々と、平然と口にするシズを見ていると、そう思わざるを得ない。

「もしかして晃、今ばかにしたろ」

「は?し、してない、けど……」

「そか」

(鋭いな……)

「でも晃ちゃん、あんまり無理はしない方がいいよ」

「え?」

「声、まだちゃんと出せてないってさっきお姉ちゃん言ってた」

 十五谺の問いに思わず問い返す。二十谺もうんうんと頷いて、十五谺の言葉を肯定する。歌というものはきちんと唄おうとすれば身体全体で歌うことになる。まだ痛みが引かない肩のままでは歌っている最中には更に酷く痛むし、もちろんその痛みは声にも影響される。二十谺はそのことも良く判っているのだろう。

「あぁ、うん。でもま、発声はちゃんとしとかないとさ」

 声だけでも最良の状態に近付けたい。シズやKool Lips、二十谺と亨、十五谺に報いるためにも。二十谺との初ステージをきっちりと、しっかりと、終えるためにも。

「頑張るのと無理するのは違うからね」

「わ、判ってるって」


 判ってる。

 そう答えたものの、晃一郎は家に戻った後、ギターを抱えていた。

「う、ぐ……。いてぇ」

 まだギプスも取れていない現状では椅子に座った状態でネックを掴むのがやっとだ。コードを押さえることすらままならない。手や腕の力は全て肩を通る。それも当前だった。

 以前、グレッチをメインギターにする前に使っていたEpiphoneエピフォンのレスポールをスタンドに立て掛けて、晃一郎はベッドに座り込む。何とかサイドギターだけでも弾ければ、と思ったのだがこの調子ではまだまだギターを弾くことは無理だ。それに晃一郎は歌も歌わなければならない。座っていては出る声も出ない。

 一つ嘆息したところでメールの着信音が聞こえてきた。水沢貴之が言うところのでグレッチの修理と新調した携帯電話代までもを賄えて、晃一郎としては随分と助かったが、本当に大丈夫なのだろうか、という疑問は消えない。誠意ある真摯な説得の上、と言っていたし、晃一郎もそれが真実であると信じたい。だが、どうしても、問答無用でぼっこぼこに叩きのめした挙句、身動きも取れないチンピラ紛いの連中の財布から金を抜く水沢貴之のイメージが拭えないのだ。しめしめ、という声まで聞こえてきてしまいそうだ。

 いや、それはともかく、見たことのないメールアドレスだったが、アドレスの中に15という数字が入っていたので相手の想像はつく。開いてみると、十五谺も携帯電話を新しくしたとのことで、新しい連絡先を告げるメールだった。

「こ、これが、イマドキのワカモノのメール……」

 絵文字や顔文字がとてもすごく大変に多い。女の子らしい、可愛らしいメールの分体である、と理解はできるが、まず一番に頭に思い浮かんだのは。

(読みづれぇ……)

 しかし、これで十五谺の方も少しは安心だろう。晃一郎は電話番号とメールアドレスを携帯電話のメモリーに登録すると、メールの返信にかかる。

「えぇ、と……。信用、ならねぇやつに、ほいほいと、教えるな、よ、と……」

 むにむにと文字を打ってすぐに返信する。メールが送信されたことを確認すると、携帯電話を机の上に置く。すると今度は電話がかかってきた。ディスプレイには今登録したばかりの『宮野木みやのぎ十五谺』の名が表示されている。

「おぅ、どした?」

 すぐに電話に出て、晃一郎はできるだけ明るい声を心がけて言う。

涼子りょうこさんのとこ、いつ行こっか』

「おー、別にいつでもいいよ。リハ終わってからとかでもいいし。あそこは俺いつ行こう、とか決めないで普通に行ってるしさ」

『そっかぁ、常連だもんね』

「まぁな」

『うん』

 何だか妙に間が空く。どうにもやりきれなくて、晃一郎はつい、言葉を捜す。

「そういや携帯変えてからは大丈夫か?」

『あ、うん。おかげさまで。前の彼氏関係とかバイト関係とか登録してないから』

「そりゃ良かった」

『今連絡先入ってるのは男の子は晃ちゃんと亨さんだけ』

 少し話を繋ぐことができそうだ。二十谺とは違う、多少子供っぽくはあるが高めで涼しげな声が耳に心地良い。

「あのさ、なんで俺がちゃんで亨がさんな訳?」

『え、だって亨さんとはまだあんまり話したことないし……』

 それでも確か亨は十五谺がメイドカフェのアルバイトをしていた時に店に行ったはずだ。店内がどういうことになっているのか晃一郎には想像もつかないが、十五谺に誘われて店に行ったのだから多少なりとも話はしているだろう。それでも亨を『ちゃん』で呼ぶほどの仲にはならないだろうが、何となく、晃一郎よりもアホでばかでアホで単純でアホな亨がさん付けされているのが気に食わないだけなのかもしれない。

「あんまりまだ話す前から晃ちゃんじゃなかった?」

『晃ちゃんだってわたしのこと呼び捨てだよねぇ』

 台詞に反して十五谺の声はどこか楽しげだ。

「そりゃあだって二十谺がいたら何か、十五谺のことは宮野木妹、とか呼ぶの変だろ」

 姉妹兄弟が同じ場所にいれば、通常いつも会っている方はいつも通りに呼べば良いかも知れないが、十五谺の場合は妹だ。姉や兄ならお姉さん、お兄さんと呼べるかもしれないが、妹や弟はそうは呼べない。

『したら十五谺ちゃんとか十五谺さん、でも良くない?』

「む、ぅ……」

まぁ確かにそれは十五谺の言う通りだ。

『ま、お姉ちゃん呼び捨てにしてるんだから流れっていうのは何となく判るけどね』

 それに今更十五谺を十五谺ちゃん、などとは到底呼べそうもない。

 くすくす、と笑い声が聞こえる。

『わたしが晃ちゃんて呼ぶようになったのはあれだよ、涼子さんがそう呼んでたじゃない。だから』

「あぁ、そっか。あん時か」

 涼子の店で顔を合わせた時だ。それほど前の話ではないが、色々とありすぎて随分時間がたったようにも思える。

『嫌だったら止めるけど?』

 どこか悪戯っぽく十五谺は言う。

「別に、いいけどさ」

『んじゃ今まで通りね!晃ちゃんも十五谺ちゃんとか呼ばないでよね、気色悪いから』

「判ったよぉ十五谺ちゃん」

 言ってみてからぞわ、っと鳥肌が立った。

『うわキモッ!』

「むぅ。言うんじゃなかった……」

『ま、それはいいとして。んじゃ今週末どぉ?』

 涼子の店に行くという約束だろう。

「リハ終わってからか」

『金曜日、学校終わってから行こうよ』

「あいよ」

 怪我をしている時に行くと涼子が驚くかもしれないが、それも仕方のないことだ。十五谺の、お詫びに奢りたいという気持ちも無視はできない。

(無視はできない……)

『じゃあ、またねぇ』

 十五谺の声に返事を返し、そう心の中で繰り返す。努めて明るく振る舞っている十五谺の気持ちは、どうしたって無駄にはできない。

「え……。多分、違うよなこれ……」

 通話を終えて、晃一郎は一人呟いた。


 第十四話:気付かぬ証 終り

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