第十三話:敗者への挽歌

 晃一郎こういちろうを介抱してくれた男は見覚えのない男ではなかった。商店街の楽器店兼リハーサルスタジオ、EDITIONエディションの店主、谷崎夕香たにざきゆうかの夫であり、ロックバンド-P.S.Y-サイのドラマーでもある谷崎諒たにざきりょう、その人であった。

 それだけでも全身に緊張と痛みが走ったというのに。

「おーぅ、諒!」

 先ほど谷崎諒が晃一郎を介抱した時に取り落とした物と同じ物であろう安物ビニール製の覆面レスラーの覆面をかぶった男が、能天気な声とともにEDITIONの事務室に入ってきたのだ。

「お、戻ったか。どうだった?」

「ま、このワタクシの手にかかりゃラクショーってなもんでしょ」

 そう言いながら覆面の下から出てきた素顔はやはり-P.S.Y-のベーシスト、水沢貴之みずさわたかゆきだったのだ。

「あ、あの……」

「皆まで言うな、少年」

 どうして良いか判らないままの晃一郎を制して水沢貴之はにやり、と笑った。そしてポケットからいくばくかの金を出す。

「えーと、一、二ぃ、三、四ぃ、五ぉ、六、七、八……しめて八万五千円!」

「最近のガキは金持ってんなぁ」

 谷崎諒がそう半ば呆れた声を出した。

「これで、おめーのグレッチ、直してやっからな」

「え、でもその金って……」

「おめーをボコッたヤツらをおれがボコッて貰ってきた!」

 きゃー!と嬉しそうに奇声を上げる水沢貴之に、驚愕の眼差しを向ける。

「は、犯罪じゃないすか!」

 声を高くした瞬間、全身に痛みが走り抜ける。あんな乱暴な連中をたった独りで伸してきたことにも驚きだが、完全に暴行、窃盗、強盗罪だ。

「え、おめーそんくらいだろ。それにな、おれだって無理やり奪ってなんかねぇっつの」

「おめー多分慰謝料のイミ間違ってっけどな」

 谷崎諒が笑う。

 あまりに異常なできごとに、またしても晃一郎の思考回路は麻痺しかける。

「だって医者行かなくちゃなんねーだろ?」

「そらそうだ。ま、安心しろ。誠意ある真摯な説得の上、ヤツラの厚意で頂いた金だもんなぁ」

「そのとぅーり!」

 ピースサインを自慢げにする水沢貴之に、どう反応して良いかも判らない。

「そ、それで、もしかして、ふ、覆面……」

 ぱっと頭に浮かんだことだけ晃一郎は口に出した。

「おぅ、コゾー、これ公表したらえれぇことになるぜ」

「脅し入れんなばかたれ。ともかく怪我はオレ達じゃどうしようもねぇが、ギターは責任持って直してやっからよ」

 谷崎諒はそう言って笑う。

「す、すみません……」

 自分の怪我がどれほどのものかは判らないが、ピクリとも動かせず、激痛が走る左肩は一ヶ月やそこらではどうにかなる怪我だとは思えない。

「おれたちサンダーマスクとファイヤーマスクはバンド小僧の味方だぜ!」

 再び水沢貴之は笑ったが、晃一郎の気持ちは沈むばかりだった。


 その後、谷崎諒が車を出してくれて、家まで送ってくれた。暴行を受けた際、どうやら携帯電話も壊れてしまったらしく、十五谺がどうなったのかも判らない。

 ただ今後、十五谺いさかも晃一郎も狙われることはないだろう、と谷崎諒は言ってくれた。谷崎諒は晃一郎の親に様々な(嘘も交えた)説明をした挙句、晃一郎には一度も見せなかった紳士的な態度で親と接していた。

 その甲斐あってか、晃一郎も親には妙な疑いを持たれず、単に喧嘩に巻き込まれただけの被害者ということになり、すぐさま救急病院で診察、治療を受けることになった。漫画や何かで脱臼した肩を自力で元に戻し、再び動かせるようにする、というのを見たことがあるが、あれは漫画ならではなのだろうと晃一郎は思い知った。まだ外れた関節を元に戻したときのショックと激痛の種が肩に残り、満足に動かすこともできない。ただ、肩間接が外れた時に、他の骨や筋を傷めることなく、綺麗に外れていたようで、巧くすれば一ヶ月ほどで治る可能性もある、と言われた。

 結局何だかんだと時間が過ぎ、家に帰ってきたのは二三時を回っていた。自分の部屋に戻ってきた瞬間に、明日からの不安がどっと押し寄せてくる。

 しかし谷崎諒の言った通り、起こってしまったことを悔やむよりも、誠意を見せることが一番大切だ。何を言われても、どういう反応をされても、こうなってしまった原因は自分が作ったのだ。晃一郎がするべきことは一つだ。

 不安は消えない。

 それでも、自身の非を認め、やるべきことをやっていくしかないのだ。

 かつて亨がそうしたように。

 そして、十五谺がそうしたように。


 全身に打ち身や打撲はあったが、それほど酷く顔を殴られていないのは幸いだった。十五谺には通じないが、亨や二十谺には転んだ、という言い訳ができる。

 朝、痛む全身を無理やり動かして、晃一郎は学校へ向かおうと玄関を出る。

「!」

「うぅわ!おめぇ、大丈夫かよ!」

 家の前で、とおる二十谺はつか、そして十五谺が晃一郎を待っていた。

(それもそうか……)

 十五谺がまずあの場から離れて、助けを請うとすれば二十谺しかいない。そして二十谺が亨に連絡する。晃一郎の携帯電話は壊されてしまって連絡もつかない。となればこういう結果にもなるだろう。

 十五谺が責められないように、自分の不注意で転んだ、と言い訳しようとしていたことは無駄だった。

「なんとかな。ただ……」

「ライブは、諦めましょう」

 軽く嘆息して、晃一郎の言葉を続けたのは二十谺だった。その視線の先は恐らく、ギプスで固定され、袖を通せないままの晃一郎の制服の上着だ。

「ごめんなさい……」

「十五谺が謝ることじゃないよ」

 俯いて、今にも泣き出しそうな声の十五谺に、晃一郎はできるだけ優しく伝わるように言った。

「女を守っての怪我なんて男の勲章みてぇなもんだぜ」

 軽く笑って亨もそうフォローしてくれる。

「ほら、当人とメンバーがそう言ってんだから、めそめそしない」

 ぽん、と十五谺の肩に手を乗せて二十谺が言う。初めて見る姉らしい行動だ。これには少々驚いたが、それは二十谺も、十五谺の反省をきちんと認めているということなのだろう。晃一郎は笑顔になって歩き出す。

柚机ゆずきにも謝りに行かねーとな」

 まずそこだ。こうしてメンバーがこの件を許してくれたのならば、今度は一緒にライブをやってくれるはずだったKool Lipsクールリップスのメンバーに謝罪しなければならない。

「私から言っとくからいいわよ」

「そうも行かないよ。筋は通さないとさ」

 問題を起こしたのは晃一郎だ。確かにKool Lipsが出演するイベントのバンドが一つ減るだけのことで、今のうちにライブハウスにも連絡をしておけば、キャンセル料が発生する時期でもないし、代わりのバンドはすぐに見つかる。恐らくKool Lipsにも何のダメージもない。しかし、ライブをしようと持ち掛けたのは晃一郎達だ。そしてライブに出られなくなってしまったのは間違いなく晃一郎個人の責任だ。幸いKool Lipsのメンバーの内、二人は同じ学校通っている。学校に着いたらすぐにでも謝りに行かなければならない。

「じゃあみんなで行きましょ」

「そうだな」

 二十谺の言葉に亨も頷いた。

「学校の連中には、チャリでコケた、ってことにしてくれよな」

「そうね」

 苦笑しながら言う晃一郎に、二十谺も笑顔を返してくれた。

「十五谺、気にすんなよ」

「でも……」

「わぁかった。じゃあまた涼子りょうこさんのとこで何か奢ってくれ。それで手打ちだ」

 十五谺の気持ちは判らない訳ではない。しかし二度とギターが弾けなくなるような怪我でもない。時間が経てば、ギターも直る。怪我も治る。ステージにも立てるようになる。

 この怪我は十五谺の責任でもなんでもない。

「……ごめんなさい」

「ん。判った。それでもう充分だから」

 無事な方の右腕で十五谺の頭に手を乗せて晃一郎は笑った。


 放課後――

 朝一番で柚机莉徒りずに事情を説明したが、それはKool Lipsのメンバー全員の前でしてほしい、と莉徒は言ってきた。今日の夕方に練習があるというので、授業を終えた晃一郎達は昨日世話になったばかりのEDITIONへ向かうことになった。

 ギターボーカルである莉徒と、ベーシストの伊口千晶いぐちちあき、そして恐らくドラマーともう一人のギターボーカルの四人が地にあるロビーに集まっていた。

「あ、きたきた」

 あまりにも緊張感のない口調で莉徒が言う。

 まず晃一郎が前に出て頭を下げる。

「この通り、自分の不注意で怪我しちゃって……。今回のライブまでには治らないから……」

 すみません、と言おうとしたところで言葉を遮られた。

「あんたさ、ギタボだろ?」

 もう一人のギターボーカルの男がずい、と前に出てきた。背は晃一郎より少し高い。男としては低い方だろう。くりくりとした目のせいか、ともすれば年下にも見える。

「あ、こいつは静河政男しずがまさおね。ウチのギターボーカル」

 莉徒がそう口を挟む。

「おうヨロシク。シズって呼んでくれよ。んでさ、あんたギタボなんだろ?」

「そう、だけど……」

 更に半歩詰め寄ってくる自称シズに晃一郎も半歩後ずさる。

「ギターが腕なんかケガすんなよ」

「面目ない……。ライブ代はちゃんと払うから」

 最もな言葉だ。たとえ悪ふざけをしている時にでも、ギタリストは絶対に腕や手を怪我しないように心掛けなければならない。晃一郎はそれを失念していた。いや、正確に言えば、そんなことすら忘れてしまうほどに、必死だった。

「そういうこと言ってんじゃないと思うよ」

 ドラマーらしき男が穏やかに言う。落ち着いた口調や顔立ちからも何となく読み取れるが、恐らく皆よりも年上だろう。

「こっちはドラムの山雀拓やまがらたくさんね。私らの二歳年上」

 あくまでも莉徒の能天気な姿勢は崩れない。シズの言葉から、責められるものとばかり思っていたし、当然その覚悟もしていた。

「ギター弾けないんなら、カバーすることはできないかな、って。そういう話」

 同じ学校の伊口千晶がそう言う。しかしシズの言葉だけでは、そこまで読み取ることは不可能に近い。

「そうそれ」

「え?」

 一瞬意味を掴み損ねて晃一郎は問い返してしまった。

「一ヶ月でギターは弾けないかもしれないけど、歌だけなら唄えるんじゃないの?」

「それはつまり……」

「オレがギター弾いてやるよ」

 どん、と自分の胸を拳で叩いてシズは自慢げに笑う。

「え、でも流石にそこまでは……」

 口を開いたのは二十谺だった。晃一郎も同じ思いだ。そこまでKool Lipsのメンバーに迷惑はかけられない。

「こいつさ、シャガロックの音源聞いて気に入ったんだって」

 なるほど、莉徒の呑気な態度に合点が行く。

「そういうこと。一緒にやろうぜ。曲ならオレが覚えっからよ!」

 く、と親指を立ててシズはいかにも楽しげな笑顔で言った。

「こいつ言い出したら聞かないから」

「ま、それでもそっちさえ良ければの話だけどさ」

 伊口が、シズが、莉徒が、山雀が口々に言う。

「どーすんだ、晃」

 亨がまんざらでもない笑顔だ。つまりKool Lipsの提案に乗る気がある、ということだろう。

「困ったときはお互い様でしょ。一〇〇パーセントのシャガロックにはならないけどさ、一緒にステージ立つことはできるし」

「そうね。晃に任せるわ」

 莉徒の言葉に頷いて二十谺も笑顔になる。そうだ、折角二十谺がシャガロックに加入してくれて、初めて決まったライブだ。莉徒の言う通り、一〇〇パーセントのシャガロックにはならないが、ライブの機会を不意にすることはない。

「じゃあ、よろしく頼みます」

 晃一郎は頭を下げた。

 亨も二十谺も、晃一郎がそう答えるのを判っていたのだ。そして、亨と二十谺が揃ったシャガロックの初ステージをできることならやり遂げたい、という晃一郎の思いをも汲み取って。

「よ、よせ、そんなアタマ下げるほどのモンじゃねぇ!」

 あと敬語やめろぉ!とシズが慌てて晃一郎を制した。

「そ、こいつが好きでやるんだしさ」

「ジツは何気に第十七なんちゃらの耳コピしてんだよ、オレ」

 へへん、と自慢げにシズは胸を張った。

「おぉ、すっげぇな!あれ確か結構色々コード使ってんだぜ」

 亨が言う、確かに亨の言う通り、あの曲は他のシャガロックの曲よりも使っているコードが多い。それを耳で聞いただけでコピーできるということはシズの音を聞き分ける耳の良さは尋常ではない。

6thシックススとかあったよな。あんま使わないコードだから逆にああいうの面白くてよ」

 確かに6thのコードも使っている。シズの耳の良さは本物だ。

「でもこれでKool Lipsの面汚ししないで済むな……」

 安堵に駆られてか、つい晃一郎は嘆息しながら言った。

「ま、そこは考えなくてもいいわよ。私らはあんたらと一緒に楽しくやれたらそれで良いんだしさ」

 莉徒は笑う。とても悪い噂があるような人間には見えない。そもそも、何の打算もなく人の為に動くというのはこういうことなのかもしれない。いや、人の為、ということ自体考えていない。ただ、自らが今、やるべきことだ、と信じて動いている。

 それならば、晃一郎ができることはただ一つだ。

「ありがとね、莉徒」

「なんもなんも」

 二十谺の言葉にひらひらと莉徒も手を振る。

「よろしく頼むぜ、えーと……」

「晃、でいいよ」

「おっけ、晃」

 ただ一つ、今の晃一郎にできることは――

 シズの気持ち、そしてKool Lipsのメンバーに恥じないだけの歌を唄うだけだ。


 第十三話:敗者のへ挽歌 終り

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る