第十二話:こうして敗者になる男

 本当に些細な、穏やかな時間を過ごし、二人は店を出た。

 夕刻時も過ぎ、外は既に暗い。

「近くまではまた送ってくわ」

 晃一郎こういちろうはそう言って、歩き出した。

「え、いいよ。結構話し込んじゃったし……」

 十五谺は驚いたように晃一郎を見て、慌てて手を振った。

「奢ってもらったしさ。それにこないだのところまでなら大した遠回りにもなんないし。また独りん時につけ狙われたら厄介だろ」

 それに、晃一郎の勝手な思い込みかもしれないが、冷たい、と十五谺には思われたくない。

「……ごめんね」

「いいって」

 その上晃一郎が送らなかったことで何かことが起きてしまったら、後悔してもしきれない。晃一郎は再び中央公園の方へと足を向けた。

「まだ何か厄介ごと、絡んでるのか?」

「喫茶店で会った人とはもう切れちゃったからなんでもないんだけど……」

(けど……)

「晃ちゃんが助けてくれたときの人が怖い……」

「何かあったのか」

 あの時の男の顔を思い浮かべて一瞬嫌な気持ちになる。十五谺があの時に本当に売春に近いことをしていたのかも気にかかることろだが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

「最近携帯に知らない番号とかで無言電話とかかかってくるの」

「警察とかは?」

 所謂、ストーカーのようなものなのではないのか。何かがあってからでは遅い。自衛の手段はできるだけ多く取っておくべきだ。

「事件性がないと取り合ってくれないって言われて、何もしてないけどやっぱり行った方がいいかなぁ」

「そういうことは早く言えよなぁ」

 全く自覚のない十五谺の言い方に腹が立つ。もう十五谺は他人と呼べる関係ではない。晃一郎の力が及ばずに何かが起こってしまったら、悔やんでも悔やみきれない。

 晃一郎の声は自然と高くなっていた。

「で、でもあれから直接は何にもないし、バイトも辞めたからもう大丈夫かな、って」

 その声に少し焦ったのか、十五谺は慌てて言う。

「とりあえず携帯は換えといた方がいいな。今聴いたくらいのことなら番号変われば大丈夫だろうし」

「そうだね、そうする」

 うん、と頷いて十五谺は素直に晃一郎の提案に従った。

「あのさ、今、十五谺なりに色々反省とかしてんだろ?今までしてきたこととか」

「してるよ」

 それでも責めるような口調になってしまった晃一郎の声に、聊か憮然として十五谺も言い返してくる。

「それなら自分がヤバイ位置にいることも少しは自覚しろって」

「う、うん……」

 晃一郎の責める方向が違うことを知ってか知らずか、十五谺は表情を少しだけ和らげた。

「携帯はできるだけ早いうちに換えとけよ」

「判った」

 不安材料は一つずつ、確実に消して行った方が良い。

「イベント、終わったみたいだな」

 十五谺を責めるような口ぶりが自分でも嫌になってしまった。話題を変えようと片づけをはじめている野外音楽堂を見て晃一郎は言う。

「うん」

「どした?」

 言葉少なに返した十五谺を振り返り、晃一郎は訊ねた。

「な、なんか急に怖くなってきちゃった……」

「ま、まぁ自覚なかったんだから仕方ないし、これから気をつければ大丈夫だろ。何かあったらすぐ連絡……。あぁ、俺の携帯教えとくから」

 そう言いながら晃一郎は携帯電話を取り出した。

「メアドの交換ですかぁ?」

 背後から、どう聞き間違えても友好的ではない声がした。

「!」

(クソ……)

 こんなタイミングで狙われるとは思いもしなかった。しかしやはり十五谺を送って正解だった。もしも一人で帰していたら最悪の事態になっていた。

「な、何か用?」

 たじろいだ様子で十五谺は言う。この間涼子の店で見た男と、ホテルの前で見た男だ。そしてその背後に見たことのない男が一人。

「おぉー超カワイーじゃん!これスキにしていいワケ?ヤバくね?」

「こいつが悪ぃんだからいいんだよ!」

 言っている間にどんどんと三人は近付いてくる。晃一郎はギグバッグを肩から降ろした。そして肩にかけるストラップに腕を通して、ネックの部分を強く握る。この間のように嘘の電話ではやり過ごせそうにない。何しろ相手は三人だ。晃一郎は意を決する。

「十五谺逃げろ!」

 ぶん、とギグバッグを振り回す。晃一郎の牽制は男達には当らなかったが、男達の足を一瞬でも止めるのに役立った。

「うぉわっ!こいつ!」

「早く逃げろ!」

「で、でも!」

「誰か呼んでこい!」

 有無を言わさず怒鳴りつけ、再びギグバッグを振り回す。

「そうは行くかよ!」

 晃一郎のギグバッグが届かないところまで距離を取って、男の一人が十五谺を捕まえようとする。

「くっ!」

 晃一郎はギターケースをその場に落とし、脇を抜けようとする男の足を思い切り蹴たぐった。男はもんどり打って倒れた。あまりの勢いにろくに受身もとれずに顔を地面に打ったようだが、そこまで確認ができるほどの余裕は晃一郎にはなかった。

 男が倒れたのと同時に、十五谺が打たれたように走り出した。あとはこの三人が十五谺に追いつかないようになんとか止めるしかない。

「テメェッ!」

「……」

 ぶるり、と震える。三対一の喧嘩など勝ち目がある訳がない。そもそも晃一郎は亨と違って腕っ節にはまるで自信がない。一対一でも勝てはしないだろう。

「さ、三人で女の子囲って何する気だよ……」

 それだけ、やっとのことで声を絞り出す。三人は十五谺を追うのを諦めたようだ。となると標的は完全に晃一郎になったという訳だ。

「は、関係ねぇだろ!てめぇには!」

「おめーブルッてんじゃねーの?」

 三人のうちの一人が晃一郎に近付き、頬をぺちぺちと叩く。

「……」

 その男の言う通りだ。怖くて体が動かない。できることなら逃げ出したい気分だ。

(そうだ……)

 この際ギターは諦めるしかない。何とか隙を見つけて逃げるしかない。ギターは最悪代わりのものを使えば良いが、ここで怪我でもしたら何人の人間に迷惑をかけることになるだろうか。

「あんな女庇ったってイミねーぞ」

 ということは、やはりあの時の十五谺の咄嗟の方便は見抜かれていたということだ。確かに以前の十五谺のままだったのならば、男の言う事に納得したかもしれない。しかし今は違う。

「あいつを誰がどう思うかなんて、か、勝手じゃないか!」

 自分のしてきたことを反省している。

 後悔している。

 晃一郎もそんな十五谺に自分を見直す機会を与えてもらった。

 だから、そんな十五谺を見捨てる訳には、絶対に行かない。

「はっ、これおめぇのギターかよ」

 がん、とギグバッグごと踏みつけて男は言った。

「止めろ!」

 怒気を孕んだ声で晃一郎は相手を睨み付けた。しかし止めろと言って止めるような輩ではない。こうなったらなるようになれだ。

「生意気なクチきいてんじゃねぇよ!」

 どす、と体に衝撃がきたかと思うと、晃一郎の体がくの字に折れ曲がる。瞬間、呼吸が止まる。続け様に左側頭部に衝撃。ぐらりと揺れて、晃一郎は地面に倒れた。すぐさま全身に衝撃が叩き込まれる。どこをどう守れば良いのかすら判らない。詰まる息を何とか回復させようと大きく息を吸ってもすぐに吐き出される。

 左肩に酷い衝撃が走った。が、声も上げられない。

(痛ぇ時にギャー!とかいうの、あれってウソなんだな……)

 頭の片隅でそんなことを思う。

 息もできない。痛みが何だか鈍くなってくるような感覚に襲われる。

「……」

 男達の罵声も遠のいて行く。

 十五谺が走ってからどれほどの時間が経っただろうか、と思う間もなく、晃一郎の意識は暗転した。


「お……。か?」

 微かに声が聞こえる。

「おい、……か?」

 起き上がりたくない。冷たいアスファルトの感覚が心地良い。

(あれ……)

 何故路上で寝ているのか、一瞬考える。

「おい!大丈夫か?」

 声がはっきりと聞こえた。

「!」

 全身の痛みと共に晃一郎は覚醒した。

「いっ!……て……」

 見たことのない男が晃一郎を介抱してくれていた。

「すんません……」

 瞬時に全てを思い出し、晃一郎はその男に謝った。

「修理代くらいはブン取ってやっからよ、立てるか?」

 その男はそう言って、晃一郎の脇に腕を回す。

「!」

 左肩に酷い激痛が走ったが、男はかまわず強引に晃一郎を立ち上がらせた。

「肩、外れてんな……。酷ぇことしやがる」

「あ、あの……」

「まだいい、とりあえずウチこい。バンドやってんなら知ってる場所だ。歩けるな?」

 有無を言わせない言い方で、男は晃一郎にそう言った。晃一郎は辺りを見回し、自分のギターケースを見つける。

「あれ、俺のギタ……」

 まともに言葉を発することも難しい。しかしそれを聞いた男はギターケースまで晃一郎に肩を貸しつつ歩くと、ギグバッグを晃一郎を抱えていない方の肩に背負った。明らかにボディとネックの位置がずれているのがケースの外から見ても判る。

(くそ……)

 一番恐れていた結果になってしまった。ライブを控えているのに演奏できないほどの怪我をしてしまった。十五谺を守るためだったとはいえ、言い訳のしようもない。

「これはキッチリ直してやるから気にすんな」

 地面に視線を落とすと、奇妙な銀色のビニール袋のようなものが見えた。

「おっと、現場に証拠は残しちゃいけねぇな」

 男は言いながらその袋を拾った。

「俺、ライブ、あんのに……」

 男に言った訳ではない。しかし自責の念でつい、晃一郎はそう口走っていた。

「ライブは次またやりゃあいい。今はとにかく落ち着こうぜ」

「でも……」

「判ってる。えれぇ人数に迷惑かかっちまうのもな。何が原因かは知らねぇが、こうなっちまた以上は詫び入れて、誠意見せるしかねぇだろ」

 男の声に優しさがこもる。

「……」

「起こっちまったことに後悔しても始まらねぇぞ。てめぇが無茶苦茶にしちまったんなら次にどう動くか、だ。それもまぁまだ考えなくていいからよ、ともかく歩くぞ」

 感情が追いついてこない。

 どうしたら良いのかも判らない。

 晃一郎はただ、男に連れられて、痛む体を引きずりながら歩くことしかできなかった。


 第十二話:こうして敗者になる男 終り

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る