第十一話:さりげもなく何気もなく
店の前を通りかかると、丁度十五谺が店から出てくるところだった。
「あ、
「よ」
ぱたぱたと小走りに駆け寄って、十五谺が笑顔になる。どことなく寂しそうな笑顔なのは仕方のないことだろう。
「お店、辞めてきた」
「そっか」
よくよく考えてみればバイトが終わる時間ではない。最後の挨拶にきていたのかもしれない。
「何かいいバイト、ない?」
「選ばなきゃ色々あるとは思うけどなぁ」
雑誌梱包などという言ってしまえば地味なアルバイトをしている晃一郎では、十五谺がやりたがりそうなアルバイトがどういったものなのかは判らない。
「多少は選びたいよー。力仕事なんてできないんだし」
「ま、まぁそうだよな」
努めて明るくしようと心がけていることが判ってしまう。だから晃一郎もそれに乗っかることにして、笑顔を返した。
「あ、なんか音聞こえるね」
「ん?」
言われて見れば確かに中央公園の方から、微かに聞き鳴れた音が聞こえてきた。今日も野外音楽堂でイベントか何かがあったのだろうか。
「行ってみる?」
「俺はいいけど十五谺は時間あんのか?」
「だってバイト辞めちゃったし」
ぺろ、と舌を出して十五谺が言った。
「なるほど。じゃあ行くか」
「うん!」
晃一郎の笑顔に、十五谺も笑顔を返してきた。まだ複雑な思いは色々とあるのだろうけれど、それでも十五谺が笑顔になれるというのは良いことだと思う。笑顔になれるのなら、大丈夫。暗く、沈むこともあるだろうけれど、笑えるのなら大丈夫だ。
「十五谺はどんな音楽聞くんだ?」
「わたしは流行ってるのとか色々。あとは晃ちゃんなんか絶対好きそうじゃないやつ」
いくつかアーティスト名を挙げて十五谺が続ける。
「なるほど……。でも
「わたしはお姉ちゃんから良く借りてたんだけどね。最近はずっと仲悪かったから新しいのはあんまり聞いてないなー」
十五谺の口から二十谺の話題が出たことに少しだけ驚いた。それならば、と晃一郎も言葉を続ける。
「これから借りればいいじゃん。まぁ俺が持ってるの貸してもいいけどさ」
「そうだね。最近はね、わたしがバイト辞めるの決めたこととか、やっぱりわたし無茶やってたな、と思ってからはお姉ちゃんとも少しずつ話すようになってきてるし。今度お姉ちゃんに借りてみる」
「おぉ、それならその方がいいな」
やはり
「初対面でいきなり険悪な口喧嘩だったもんね」
くす、と十五谺が笑う。
「どんだけ仲悪ぃんだよ、って思ったけどな」
「小学生の頃は普通に仲良かったんだけどね。多分、中学生になって、色々あったから……」
少し下を向いて十五谺は言う。そこには晃一郎の及ばない『色々』が本当にあったのだろう。初対面の時の口喧嘩は本当に険悪だった。二人の仲をそこまでにした『色々』が、今少しずつでもお互いに認められて行くのであれば、それは良いことなのだと思う。そうして、その晃一郎の及ばない色々があるからこそ、土足で踏み込むこともできないのだ。
「そっか。ま、そういうのも少しずつ溶けてくといいよな」
「うん……。何か、色々すぐ早とちりしちゃうのがわたしの悪いところなんだよね」
自嘲。
俯いて節目がちになった十五谺の横顔がいくらか大人びて見える。本当に二十谺と良く似ている。性格はまるで違うけれど、やはり姉妹なのだな、と晃一郎は再認識した。
「そんなもん誰にでもあるだろ」
「でもわたしは特にそういうのが強いみたい。中々人の話を聞かない、って晃ちゃんと言い合いしてから、ちょっとだけ思うようになったんだよね」
「俺も人のことは全く言えないけどさ、頭に血ぃ上ってたら誰でもそうなるよな」
ばつが悪くなって晃一郎は頭を掻いた。十五谺もそうだったのかもしれないが、十五谺を認めようとせずに腹を立てていたのは晃一郎も同じだった。喧嘩の原因などはその殆どが小さな諍いだ。そこを認めつつも、相手の話を聴くよりも、自分の主張を出しすぎてしまうからその諍いが大きくなって行く。何もかも、誰も彼も、全てを簡単に認められるのならば、争いなど生じない。そして争いなど生じなければ、和解も、本当にお互いを理解することなどもないのかもしれない。
晃一郎が常々思っていることだ。世界レベルで戦争だの何だのという話にまでなると晃一郎には丸で訳が判らなくなるが、争いも悲しみも嘘も、何もない平和な世界を人々は本当に望んでいるのだろうか、と疑問に思う。相手の真意も見えないまま、表面上だけの笑顔で動いて行く世界が、本当に素敵な世界なのだろうか。
そして仮に、本当に何一つ争いのない平和な世界が訪れたとしたら、それはもはや、終焉なのではないのだろうか。
「晃ちゃんにさ、前に冷たい、って言ったことあったでしょ」
十五谺の声に晃一郎は思考を止めた。
「あ、あぁ、あれは俺も反省してるけど……」
こうして、諍いが生じて、争いがあって、そしてそれを省みるからこそ、お互いに自分の悪かったところと相手の主張を理解できるようになるからこそ、本当にお互いを信じ合えるようになるのではないのだろうか。
「ううん、そうじゃなくて、ホントは晃ちゃんすごい優しいのにな、と思って」
「それは、いくら何でも良く言い過ぎ、かな……」
急に言われて、晃一郎は赤面した。けなされることやばかにされることは多くあっても、褒められることなど殆どない。意外な十五谺の言葉に思わず動じてしまった。
「あ、照れてる」
「か、からかうなっつーの」
言いながら十五谺は晃一郎の顔を覗き込む。今まではあまり意識しないように心がけていたが、十五谺の顔立ちはやはり可愛い。二十谺の顔を見慣れているから、二十谺の面影を重ねて、あまり十五谺の顔を見ずに話してきたのだが、今日は良く目が合ってしまう。そして目が合うと思い知らされるのだ。そんな笑顔に思わず照れくさくなって、ついまた顔を背けてしまった。
「別にからかってないけど」
そうこうしているうちに中央公園の野外音楽堂に到着した。
「あー」
ステージに上の方にイベント名が書いてある。晃一郎はそれを見て一気に興味をなくした。
しかし晃一郎自身は興味はないが、所謂今現在の日本のスタンダードナンバーになっている音楽だ。十五谺は興味があるかもしれない。
「AVERIXかぁ。晃ちゃんこういうの好きじゃないでしょ」
「まぁ俺はね。十五谺は?」
「わたしはまぁ聴くこともある、くらいかな。元々それほどこういう音楽って聞く方じゃなかったしね」
意外な答えが返ってくる。いや、そう意外なことではないのかもしれない。初めて十五谺と会って、言い合いをしたときに、十五谺が悪く言ったのは恐らくロックという音楽だけに限ったことではないのかもしれない。作り物の恋の歌、作り物の応援歌、作り物の世界の歌、理想の世界、理想の恋、確かに唄われているのはそんなことばかりだ。そういったドライな視点で音楽を捉える人間も確かにいる。歌に限らず、映画や小説、漫画も同じように見る人もいるだろう。それでもそこに救いを見出したり、癒されたり、確かな意味を感じる人もいる。そしてそういったドライな考え方をする人の心を変えられるかもしれないのもまた音楽であったり、物語であったりするのだ。
「見てくか?」
「うーん……。わたしは別にいいや」
「んじゃ帰るか」
晃一郎も十五谺も興味がなければこれ以上ここにいる必要もない。
「晃ちゃん時間、ある?」
「あるけど」
唐突に十五谺が言ってくる。そもそも時間があるからここに立ち寄った訳で、十五谺に何か都合があるのならばそれに付き合うのは一向に構わない。
「涼子さんのとこ行かない?」
「今行ってきたばっかりなんだけど……。まぁいいか」
「最後のバイト代も入ったし、奢るよ」
「いいのか?」
にこ、と十五谺は笑顔になる。
「うん」
「んじゃお言葉に甘えるとしますかね」
「あらあら、晃ちゃんまたきてくれたの?」
大きな目をさらに見開いて涼子が笑った。
「十五谺が奢ってくれるって言うんで」
晃一郎も笑顔を返す。やはりこの店には心を和らげてくれる魔法がかかっている、と晃一郎は思う。
「ども」
「あらあら、十五谺ちゃんて二十谺ちゃんの妹さんでしょ?」
晃一郎のすぐ隣にいた十五谺に涼子は言った。
「え、お姉ちゃん知ってるんですか?」
「最近じゃ常連だよ」
「十五谺ちゃんも結構きてくれてるわよね。さ、座って」
言いながら涼子は晃一郎と十五谺をテーブル席に促した。少々座りが悪そうにしている十五谺を見て苦笑する。メイドカフェでアルバイトをしていた時に、いわゆる『営業』をしていたからだろう。
「晃ちゃんは何にするの?」
「俺はモカで」
メニューも見ずに、晃一郎は最近のお気に入りを真っ先に言った。思い返せばモカを飲むようになったのも十五谺がきっかけだった。偶然十五谺とこの店で鉢合わせたときに、訳も判らず妙なことを口走りながらモカを頼んでいたのだが、それが晃一郎のいわゆるツボにはまり、それ以来、晃一郎はモカを頼むことが多くなった。
「じゃわたしもそれにしよっと。あとショートケーキお願いします。晃ちゃんは?」
「あぁ、俺はいいよ」
「じゃあそれでお願いしますー」
「はぁいかしこまり。じゃ、ちょっと待っててね」
カウンターの奥に向かう涼子を目で追ってから、晃一郎は改めて十五谺の方へと向き直る。涼子は特に十五谺を咎めることはしなかった。今の十五谺は晃一郎が連れてきた、ただの客だ。営業行為をしていることを判っていても何も口出しはしなかった涼子だ。態々あの時は、などと言うつもりは微塵もないのだろう。
「で?」
「ん?」
晃一郎の問いに、十五谺はまともに不思議顔を返してきた。態々こうして席を設けたということは何か話があるのだろうと晃一郎は踏んでいたのだが、間違いだったのだろうか。
「いや、何か話あるんじゃないのか?」
「え、別にないよ」
「あ、そうなん?」
それでは何の意図があって態々二人でお茶などと思ったのだろうか。
「迷惑だった?」
「いや、暇だし」
「ギター練習する時間減っちゃうね」
少しだけ悪戯っぽい笑顔で十五谺が言った。本当に音楽バカばか、音楽オタクだと思っているのだろうか。確かに晃一郎は毎日ギターを触らないと気が済まないが、それでもライブ直前だとか、そういった状況にならなければそう長時間練習をしている訳ではない。
「別にそんな何時間も何時間もやってる訳じゃないからね」
「そっか。ただちょっとね。普通にこうしてみたかっただけ」
「こうって?」
今度は晃一郎が不思議顔を返す番だった。
「わたしと晃ちゃんって、なんかいつも変な時にしか会ってないような気がしたから、こういう風に何にもない普通の状態って言ったら変だけど、そういう感じで話してみたかったんだ」
「まぁ、変とは言わないけど、ちょっと通常の状況、って訳じゃなかったよな、確かに」
最初はメイドカフェの呼び込み。その時のやり取りでお互いに嫌悪感を抱いたままの、もはや口喧嘩と言って良いほどの二度目の邂逅。元カレだか何だかは判らないが、男と一緒にいるときにこの喫茶店で会ったこともあれば、男とホテルに入るところも目撃している。先日などは泣いているところだった。
確かに十五谺と会う時は何だか普通の状態ではない時ばかりだ。
「でしょ。ちょっとね、音楽の話とか、お姉ちゃんとどういうこと話してるのか聞いてみたいなーって」
「なるほど。まぁ俺は別に二十谺とはなんてことないことしか話してないけど」
十五谺の話も時折持ち上がるが、それは今は伏せておいたほうが良いかもしれない、と晃一郎は判断した。
「音楽の話とかは?」
「そういう話ばっかりだなー。だから実際二十谺がどんな奴か、って実はあんま判ってなかったりもするけどさ」
最近ではそれも少しずつ薄れてきたが、やはり不明瞭な部分はまだまだある。亨や晃一郎ほど単純明快にはできていないのだろうことくらいしか晃一郎にはまだ判らない。
「そっかー。わたしは?」
「良くも悪くも素直」
今となってはもしかしたら二十谺よりも十五谺の方が判っていることが多いのかもしれない。いがみ合って、喧嘩に近い状態になって、お互いに生々しい感情のぶつけ合いをした結果がこの状況なのであれば、あの不毛とも思えた言い合いも、晃一郎の中に蜷局を巻いていた重たい感情も、無意味ではなかったようにも思える。
晃一郎も十五谺も二十谺も、きっとどこかしら、ほんの少しだけ似ている部分があるのだろう。自分が一度こうだと持ったことに関しては中々その考えを曲げることが出来ない。正しい、と思っていることなのだから尚のことだ。だからこそ、十五谺が晃一郎に突っかかってきた理由も、二十谺が必要以上に十五谺をけなした理由も、今ではほんの少しだけ、判るのかもしれない。
「それ褒めてる?貶してる?」
紙ナフキンをもてあそんで、十五谺は笑う。
「両方」
「なにそれ」
素直と言うことが必ずしも良い結果を生み出さないことは判った。だからと言って、その場に併せた嘘や方便などを使うのはまだ先で良いはずだ。素直で直情的だからこそ、人とぶつかることも多い。十五谺と晃一郎がぶつかったのはその典型だったのろう。
「誤解招きやすいだろ。まぁ俺もそうなんだけどさ」
「晃ちゃんほど突っ走り型じゃないもん」
十五谺はくるくると紙ナフキンの先を尖らせて、その先を晃一郎に向けた。
「十五谺ほど強情じゃないぜ」
その先をくなり、と指で潰して、晃一郎もやり返す。
「えー、わたし強情じゃないよー」
「普通そういう奴って自覚ないよな」
「やっぱり晃ちゃん性格悪い」
「何とでも言え」
そんな他愛もないやり取りを十五谺は望んでいたのだろうか。
多分そうなのだろう。
珈琲の香りと、こぽこぽという小気味良い音が二人のテーブル席に届く。
「でも晃ちゃんと知り合えて良かった、かな」
「それはまた殊勝な台詞ですな。十五谺さんから聞けるとは思わなかったデスヨ」
「最初は嫌なやつーって思ってたけど。何だかんだ言って優しいしね」
特別に優しくしたつもりは晃一郎にはなかったが、十五谺にとっては優しさ、と感じることもあったのかもしれない。
(つまりはさ……)
そういった、晃一郎が特に意識もしていなかったことでも優しいと感じてしまうくらい、今までの十五谺は荒んでいたのかもしれない。
「ま、この程度で良けりゃいつでも付き合いますけどね。こういうのは優しさとは言わんよな」
「だってわたしのおごりだもんね」
「おめーも充分ヤな奴だっつの」
晃一郎は苦笑した。
(この程度なら付き合う、か……)
それも一興だ、と晃一郎は無理やりにでも思うことにした。
(それはつまるところ……)
「お待ちどう様!先にモカ二つね」
とん、とん、とテーブルに珈琲カップが置かれた。晃一郎は考えるのを止めてカップを手に取った。
第十一話:さりげもなく何気もなく 終り
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