第十話:君が話す自由

 十五谺いさかを少し理解できるようになってきて、十五谺を理解しようとしなかった自分を省みて、晃一郎こういちろうはふと思い出す。

『おめぇらがバンド?はは!だっせぇ!』

 まだ晃一郎と亨がバンドを組み始めたばかりの頃だ。亨の以前の仲間がそうばかにした。その頃は勿論今よりもずっと下手くそで、人前でライブなど夢のまた夢ほどの技術しか持ち合わせていなかった。悪ぶったり、人のいうことを無視したり、ただ単純に他人と違うことをするだけがカッコイイと思っているような連中に頭からけなされて、必ず巧くなってやる、と心に誓った。

 世の音楽はロックの時代ではなくなってきていることは確かだ。こんなご時勢にロックなどが流行るはずもなく、時代に逆行しているだけなのも、晃一郎には充分判っていた。

 だからこそはじめた。

 元々流行に乗れる性格ではない。流行りモノで好きになれるものはなかった。そもそも晃一郎にとってはロックという音楽が、そういったものに左右されるものではない、絶対的な音楽だ。

 忘れかけていたことを思い出して、晃一郎は学校やアルバイトに行っている時間以外はできるだけギターを触るようになった。

(こういうのも十五谺が思い出させてくれたのかもな……)

 ふと、そんな風に思う。

「なーんか最近巧くなったんじゃね?」

「なんかギターいじってんのが楽しくてさ」

「自分ちで練習できる奴はいいよなー」

 ギタリストやベーシストは楽器さえあれば練習はできるが、ドラマーはそうはいかない。ドラムの練習機もあるにはあるが、一般家庭の部屋に置くにはやはり場所は取るし、音はうるさいし、値段も張る。その上本物とは叩き心地がまるで違う。スティックがドラムに当って発生する反動もドラムを叩くには大切な要素だ。そういった感触が練習機と本物ではまるで異なる。亨の言い分は趣味でやっているドラマーの殆どが同意するであろう言い分だ。

「みかん箱でも叩いてれば違うんじゃない?」

 冗談交じりに二十谺はつかが言う。最近はスタジオでも眼鏡をするようになった。学校では鬱陶しいものを視界に入れたくないためにしているといっていたが、晃一郎や亨も同じように思われているのだろうか。

「みかん箱だって部屋で叩いたら結構うるせんだぜ。前にお袋に怒られたことあってさ」

「あぁ、言ってたな。スリッパ飛んできたやつだろ」

「そーそー」

 うひゃひゃ、といかにも楽しげに亨は笑う。亨がやんちゃをしていたせいもあるのか、亨の母親は中々に肝の据わった大人物だ。物怖じしない性格で、昔いじめてた奴と友達になった、と晃一郎を亨の家に連れて行ったときに「ホンットこいつはばかでねぇ」と手加減無しの拳骨を亨に見舞ったこともある。

「何それ」

「ヘッドフォンで曲聞きながらみかん箱叩いてたから、うるさい、って言われてんの判んなくてよ。いきなりおれの部屋開けたと思ったらお袋のスリッパが飛んできたんだよ」

 あれは痛かったよりびびったな、と亨は笑った。二十谺もあきれた様子で笑顔になる。

「でもやっぱみかん箱は三ヶ日みかんに限るぜ」

(あ)

 二十谺の彼氏がいるかどうか調べるアレだ。KKC。彼氏確認センターをする、今がチャンスなのではないだろうか。何が三ヶ日みかんだ。いや、三ヶ日みかんは確かにみかんの中でもトップクラスに美味しいが、箱のことまではさっぱり判らないうえに今はそれどころでない。晃一郎はいきなりの思いつきに体が強張った。いざやろうとなると中々これは恥ずかしいものだ。

 しかしどう切り出したら良いものか。最初の話だと亨の方から晃一郎に、彼女できないのか、と話す段取りだったはずだが、この流れでは亨がそれを言い出す気配がないのも当たり前だ。晃一郎から亨に問いかけても良いが、今はどう考えても場違いな会話に切り替わってしまう。

「何か違うもんなの?」

「気分が違う!」

 何が違うものかばか享、と心の中で享を罵る。

「へ、へぇ……。でもさ、そう考えるとドラマーってやっぱり大変よね」

「まぁマトモに練習するとなるとスタジオ入るしかねーからな」

 ドラマー談義をしている場合ではないだろう、と晃一郎は亨を恨めしく見やった。しかし全く晃一郎の視線に気づく気配はない。

「個人練も安いとはいえ何回も入ってたら結構いっちゃうしね」

「ホント、ばかんなんねーよ」

 どう話を切り出せばい良いのか、晃一郎は頭を捻る。こんなドラムの話ばかりしていても二十谺に彼氏がいるのかどうかなど判るはずもないのだ。大体にして二十谺を好きなのは亨だ。何故晃一郎ばかりがこうも悩まなくてはならないのか。

「でもこれだけ巧いんだから亨にはきっとセンスあるのね」

「いやいや、センスなんつーもんは言い訳だろ。たまたま練習の仕方が良かったんじゃねーのかな」

「亨って全部我流?」

「あぁ。教えてくれる人なんていなかったしな。それなりに本読んだりDVD見たりもしたけど、結局まーどんな楽器もそうかもしれねーけど身体で覚えてったって感じだし」

「そうねぇ」

 ますます音楽の話の深みにはまってゆく。折角のチャンスだというのにどうしてこう亨は鈍感なのだろうか。自分で言い出したことだというのに。

「二十谺は?」

「ん?」

「二十谺は誰かに習ったりしたのか?」

 そもそも二十谺ほどの女だったら亨などという札付きと付き合う訳もない。二十谺みたいな女はきっとばかは嫌いだ。亨はばかだ。典型的なばかだ。やんちゃこそしなくなったものの、頭のねじの緩み具合はあの頃とちっとも変わらない。

「あーうん、ちょっとだけ、ね」

「まぁ基礎だけでも習っとくと違うみたいだしな。おれらみたいに我流だと変に癖がつく、とか良く聞くし」

「でも好きなようにできてるんだからいいんじゃない?晃も我流なの?」

「……」

 今回は無理だ。晃一郎は諦めた。あとでたっぷり亨には文句を言ってやろう、と、晃一郎は堅く誓いを立てた。

「晃」

「え?」

 その亨に唐突に呼ばれた。いや、話を聞いていなかったから亨と二十谺にとっては唐突ではないのかもしれないが。

「晃のギターも殆ど我流だよな」

「え、あ、あぁ、習いに行く金もなかったし。教本頼りだったなー。そういう二十谺は?」

 亨の問いはやはり音楽の話だ。仕方がない。今回は切り替えて、また別の機会を待つしかない。

「おめーは人の話を聞いてなかったのかよ」

「え?あぁ、悪ぃ、考えごとしててさ」

 それもオマエのことだ、と言ってやりたいくらいだったが、話の流れに乗っていなかったのは晃一郎の方だ。これはいた仕方がないということだろう。

「私は少しだけ基礎を教えてもらったのよ。まぁその人もちょこっとだけどこかでレッスン受けただけで後は我流だったけどね」

「その人って?」

 話の流れが判らず、つい晃一郎は訊いてしまった。

「……前に付き合ってた男」

 少しの間をおいて二十谺が苦笑しながら言った。別にどうでも良いことだけれど、と言外に語りながら。

「ほほーじゃあちょっと複雑か」

「別に。別れちゃったし、未練もないし」

 まだボールは生きているよ!と叫ぶ背番号十番の少年の顔を思い出す。思わぬところからこんな展開になった。これは晃一郎の手柄だろう。当の亨はこの間話したことなどすっかり忘れている。

「今は?」

「ん?」

「いや、誰か付き合ってる奴いんのかな、と思ってさ」

 興味は津々、どぎまぎ感もあったが、できるだけさりげなさを装って晃一郎はついにその言葉を口に出した。

「いないわよ」

「へぇー」

 ほ、と胸をなでおろす。亨も同じような心境だろうがここで亨とアイコンタクトを取る訳にもいかない。勘の良い女ならば気付かれてしまうだろう。外見からいっても、亨が知り合う前からその存在を知っていたことに関しても、二十谺はもてるはずだ。そういった勘のようなものは鋭いに違いない。

「な、何」

「いや二十谺ほどの美人ならいくらでも男なんかできそうだけど」

 確か十五谺にも同じことを言ったな、と晃一郎は内心で苦笑した。別に何をどうしようという気はないが、これでは口の軽い男のようだ。

「今はあんまり興味ないのよね」

「十五谺のこととかもあるし?」

 十五谺と話し、ある程度の実態を知り、その後に判ったことだが、十五谺が男とそういった軽い関係を持っていたことは二十谺も知っているのだろう。だからこそ嫌悪感も生まれてしまうのかもしれない。

「十五谺は別に関係ないけど、まぁあいつみたいに男に媚って、なんてのは冗談じゃないと思うけどね」

 そういうことも喧嘩の原因の一つにはなっているのだろう。だけれど十五谺のこの間の言葉から察するに、これからは少しずつでも変わって行くかもしれない、と晃一郎は少しだけ安心する。

「まーそうだろうなー。二十谺黙ってたら怖えーもん」

「え、そ、そお?」

 ずれた眼鏡を押し上げて、二十谺は苦笑した。

「最初は冷たい女なのかと思ったよなー」

「まぁ良く言えばクールビューティ?」

「ビューティーかどうかはそれぞれだと思うけど、でもそんなに元から喋る方じゃないしね」

 確かに二十谺は無愛想ではないがお喋り好きという訳でもない。お互いの関係に慣れるまではそういう印象を与えがちなのも仕方ないことだろうと思う。こうして慣れてくれば少しずつでも笑顔を見せてくれるようになったし、屈託なく話してくれる。

「まぁそうだよな」

「そういやーさ、最近二十谺ずっと眼鏡かけてんじゃん」

「あー、そうそう。俺も気になってたんだ。鬱陶しい外野を気にしないためとか何とか言ってたじゃん」

「厳密に言うと集中したいとき、ってことなのかな。一つのことに集中してればあんまり周りって気にならなくなるでしょ?最近バンドでもかけてるのは、音楽に集中しやすいからよ」

「なるほど」

 やはり別に晃一郎達が鬱陶しいだとかそういった意味合いではなかった。でなければ最初から組んでくれることもなかったはずだ。しかしそう勘違いしていただけに音楽に、バンドに集中するためだと言って貰えたのは本当に嬉しい。二十谺がこのバンドに力を注いでくれているのは良く判る。先日亨と話したセットリストの件も色々と考えてくれたらしく、晃一郎や亨には思いつかないセットリストを三通りほど考えてきてくれた。恐らくは二十谺の考えたセットリストで本番を迎えることになるだろう。

「あー、早く本番になんねーかなー」

「待ち遠しいわね」

 手に持ったままのスティックをパチパチと膝の上で叩いて亨が言う。

「そういや本番、十五谺見にくるって言ってたけど」

 一応、言ってから二十谺の反応を伺う。

「言ってたわね」

「あぁ、知ってるんだ」

 特に表情が変わった訳でも、声音が変わった訳でもなく、二十谺は言った。それにどことなく安心を覚えてしまう。

「うん、聞いた」

「あれ、喧嘩してんじゃねーの?」

 ということは最近では姉妹同士の会話も増えているのだろうか。どうしても最初の印象のまま、殺伐とした関係が払拭できない。

「顔合わせれば喧嘩って訳じゃないわよ、別に」

「へー、そーなんか」

 感心したように亨は笑った。晃一郎としても意外ではあったが、それは良い意味での意外だった。十五谺が変わり始めたのは、誰か個人に対してではないのだ。本当に十五谺本人が変わろうとしているからこそ、二十谺ともいがみ合わなくなってきたのかもしれない。

「特に最近はね。なんか痛い目見たみたいでバイトも辞めたし、本人なりに自重してるのよ」

「そいつぁ良かった」

 うんうん、と晃一郎は頷く。河川敷できちんと十五谺と話せて良かった。無力であったかもしれないし、晃一郎にしかできなかったことかもしれない。そのどちらかなど晃一郎には判らないけれど、それでも十五谺と二十谺の仲が良くなるのは良いことだと本当に思える。

「何のかんの言っても結局たった一人の妹だからね」

 苦笑して二十谺が言う。二十谺の中でも、何かが少しずつ変わってきているのかもしれない。

「これからどんどん仲良くなってくさ。良かったじゃんよ」

「そうね。……さ、涼子りょうこさんのとこでも行く?」

 亨にそう笑顔で返して、二十谺は席を立った。


 第十話:君が話す自由 終り

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