第八話:時間の歩みは呼吸をするように
日曜日、朝十時。
「おはよー」
明らかに寝不足な顔で
「すっげぇ顔してるけどどした?」
「
ぼーっとしたままの表情で二十谺は言う。晃一郎は先日の十五谺の件は二十谺には何も言っていない。というよりも、晃一郎が一人の時に十五谺と接触して見知った全てを、誰にも話していない。
二十谺と十五谺の姉妹の仲は、晃一郎と二十谺、十五谺がお互いのスタンスを取るのには何の関係もないし、晃一郎に口を出されるのは絶対に嫌がるだろう。そして十五谺は二十谺と晃一郎がバンドを組んでいることに関してはなにも言わなかったし、二十谺も亨が十五谺の店に行ったことを何とも思っていない。
微妙な関係だとは思うが、晃一郎や
「頭キて眠れなかった、とか?」
冗談めかして晃一郎は言う。良く言葉を選んだかもしれない、と晃一郎は自分でも思った。何だか少しだけゆとりを持って物事を考えることができるようになってきたのかもしれない。今までの晃一郎であれば、「また喧嘩したのか」等と、何も考えずに反射で言ってしまっていたような気がする。亨ほどでないにせよ、晃一郎もどちらかと言えば直情型で、浅慮なタイプだ。いやここ最近の亨はことのほか周りをよく見ていて、落ち着いた性格になってきたように感じる。つまり、成長できていないままなのは晃一郎なのだろう。
「図星」
「へぇ」
先日の十五谺の素直さから鑑みるに、二十谺の言葉に対し、十五谺が下手な反論はしなかったのだろうことは何となく想像がついた。二十谺も十五谺のこととなるとムキになるせいか、素直になった十五谺の、思わぬ図星をついた反論に、ぐうの音も出なかったのか、或いは十五谺があまりにも素直だったせいで、二十谺が悪者然とした立場になってしまったのかもしれない。晃一郎の実体験から来る勝手な予想ではあるけれど、あながち的外れな予想でもないような気はする。
「何?」
「いや、いつもクールな二十谺がねぇ、と思ってさ」
「判ってると思うけど、あの子のことになると異様に頭に血が上って冷静じゃいられなくなるのよ……」
つい、と顔を背けて二十谺は言う。
「まぁそうかもしれないけどさ、二十谺はいなしたりあしらったりすんの、巧いじゃん」
「そうなんだけど、昨日は私の負けね。だから悔しくて眠れなかったのよ」
「へぇー」
十五谺が自分の無理無謀を認めているのかどうか、そこまでは判らないが、この姉妹の間に何か前進とは言わないまでも、何かが起こりつつあるのかもしれない。先日までの晃一郎であれば完全に関係ない、と切り捨てていた部分ではあったが、今は二十谺と十五谺が少しでもうまくやれた方が良いと思えるようになってきていた。
「少しね、認めなくちゃいけない部分とかも見えちゃってさ。で、それ考えたら私もそんなに十五谺に堂々と言えること、してきたのかな、って……。そう思うと随分酷い言い方とか責め方とかしてきちゃったのかな、って。……それで悔しかったのもあるんだけど」
眼鏡の位置を正して二十谺は言う。敗けを認めたくない、という敗け方をしたような感じだろうか。
「ま、本来なら喧嘩なんかしない方がいいもんな」
「そうね。っていうか何?随分十五谺に対して肯定的じゃない」
それは十五谺に言った通り、それと判る敵意持つことを辞めたからなのかもしれない。特に十五谺の肩を持った訳ではないが、今までが今までだっただけに、逆効果が覿面に表れて知ったのかもしれない。
「別にどっちの味方って訳じゃないよ」
今までなら恐らく二十谺の肩を持つような気持ちになっていただろうけれど。二十谺も十五谺も、できることなら負の感情を持ったまま付き合いたくない。僅かでも、ほんの一歩にも満たない歩幅だったかもしれないけれど、踏み込んだところで十五谺と話ができたのは良かったと思っている。お互いに相容れないことはいくらでもあるかもしれないけれど、それだけでいがみ合う関係は疲れる。
「ま、味方以外は全部敵、ってのもおかしな話だしね……」
「そういうこと」
先日晃一郎が十五谺に言った言葉を、まさか二十谺から聞くとは思わなかった。そう思うと、今回の二十谺の敗北は、大きな意味があったのではないだろうか、とさえ思ってしまう。
晃一郎は少し笑顔になって立ち上がった。
「さぁて時間だ。遅刻の亨にはコーヒーでも奢らせよう」
「おめーらな、マジで金ねぇっつの」
「メイドカフェなんか行くからじゃないの?」
ひー、と叫んだ亨に二十谺が笑顔を向ける。
「そこはおめー、渦巻く男の好奇心、見たい知りたいメイドカフェ、だろーがよー」
「それと遅刻は関係ないだろ。
それでもしぶしぶ缶コーヒーを晃一郎と二十谺に振る舞った亨に、晃一郎は言った。
「まーそうだが、渦巻く男の好奇心と金がなくなるのには密接な関係があるとは思わんかね」
「それ男も女も関係ないでしょ」
缶コーヒーのプルトップを引いて二十谺が言う。
「確かになー。俺もエフェクターとかギターとか欲しいのいっぱいあるし」
「淡白だねぇ」
中年みたいなことを言って亨は笑った。
「え、物欲だろ、これだって」
「性欲はねーのかよ」
「亨はメイドカフェで性欲満たすつもりなのか?」
「あ、や、それは違う。あすこにはもー行かねー。世間一般で言う萌えーってやつを体験したからな。もう腹一杯だわ」
やはり一度行ってはみたものの、お気に召さないのは本当らしかった。最近では晃一郎を誘うこともないし、本当に興味を失ったのだろう。
「そこに至ってくれて何よりだ」
十五谺への考え方は改まったが、メイドカフェという場所や趣向と十五谺個人への考えは別物だ。亨に奢ってもらった缶コーヒーを飲み干して晃一郎は立ち上がった。
「二十谺って彼氏いんのかなー」
帰り際、亨がぼやくように言った。
「訊いたらいいじゃん、別に」
二十谺は別件で用があるとのことで、晃一郎と亨は二人で
「いや、なんか変な風に勘ぐられたら嫌だなーと思ってよー」
「変な風って?」
「ワタシのこと好きなのかしら、とか」
全く似ていはいないが、口真似をして亨は言った。
「変じゃないじゃん」
「変だろ?」
何が変なものか、と晃一郎は思う。亨が二十谺を想っているのは、どことなくはっきりはしなかったけれど、そうなのだろうということくらいは感付いていた。
「好きじゃないの?二十谺のこと」
「ストレートに訊くなよ、そういうことを」
まともに赤面して亨は視線を逸らす。晃一郎も他人のことを言えた義理ではないが、妙なところで必要以上に照れる男だ。やんちゃをしていた頃から女性関係には疎かったらしいが、晃一郎もそれは同じなので、もしも晃一郎に好きな人ができれば亨の言うことも判るのかもしれない。
「でもそういえば二十谺のことってあんまり知らないよなぁ」
「だろー?」
バンドを始めてそれなりに付き合いはしてきたつもりだが、それほど深い関係でもないような気がする。逆に言えばまだそれほど長い月日を過ごした訳でもないので当然といえば当然なのだろうが、態々自ら話さないことを興味本位で訊くのも失礼なような気がしている。
「そもそもさ、享は二十谺のどんなとこ、好きになった訳?」
「どんなとこ?」
改めて問われれば即答は出来ないことかもしれないけれど、興味はある。まずは晃一郎が先に口を開いた。
「うん。二十谺ってさ美人なのは認めるけどちょっとおっかねぇじゃん」
「や、おっかねーのは十五谺にだけじゃね?」
「あ、それもそっか」
確かに晃一郎も享も、二十谺を怒らせたことはないし、怒られたこともない。
「まー確かに十五谺に対しては相当なもんだよな。そらーあの二人の間に相当なことがあったから相当なんだろうけどよ、二十谺は別にそこ、おれらを巻き込んだりしてねーよ」
姉妹の事は姉妹の事、バンドの事はバンドの事として、きちんと切り分けてスタンスを取っているのは判る。
「確かに。でもさ、これから長くバンドやってったら、怒らせることもあるかもじゃん」
「や、その話で言うなら怒らせる方が悪ぃだろ」
「まぁ、そっか……」
流石に幾度となく晃一郎を怒らせてきた人間が言うと説得力がある。
「二十谺に対しておっかねー、ってイメージ、強すぎじゃね? 」
言われて見れば、確かにその通りかもしれない。それと。
「俺が女の人と巧く話せないのとかとちょっと混同してるのはある」
バンドのメンバーであったり、十五谺のように無遠慮に食って掛かってきた場合はまた少し状況は異なるが、バンドやギターの事しか頭にない晃一郎は、いざとなったらどう女性に接して良いものか、戸惑ってしまう。
「そこは治せ、っつって治るもんじゃねーから仕方ねーけどよ。でもあいつが笑顔んなると、なんかおれ、嬉しくなんだよな」
「……なるほど。俺はちょっと安心する」
いつもクールかといえばそういう訳でもないが、基本的に
「一緒にやってみて判ったけどよ、やっぱあいつ、すげー練習してんだよ。多分おれらくれーの学生バンド連中ん中じゃ飛び抜けて巧ぇと思うし」
「だねぇ」
聞けばそれでいて学業も優秀だというのだから、どういう時間の使い方をすれば趣味も勉強も充実するのか、訊いてみたいところではある。
「晃じゃねーけど、ソコばかにされたらやっぱ腹立つだろうし、二十谺からして見たら遊んでるだけの十五谺にあんな風にプロ目指してねーならお遊びだ、なんて言われたら、そらー腹立つこともあっかもだよな」
「まぁ、ね」
晃一郎もそこにむきになってしまった。あの時はそうした悪意を軽くいなせれば、と思った。自身を子供だと思った。だけれど、それができてしまっては、きっと十五谺の話を聞くことは、できなかったように思う。
「でもま、あの二人の喧嘩は関係ねーとして、二十谺のそういう佇まいってーの?好きなこと、真剣にやる姿勢?みたいなのはおれぁカッコいいって思うわ。ま、まぁ見た目がキレーなのも勿論あっけどよ」
てれてれ、と頭を掻きつつ亨は言う。やはり亨は大人なのだ、と思う。晃一郎はまだまだ人を理解しようという気持ちが欠けている。見えている部分だけで恐らくこういう人間だろう、と決めつけて。自分とは違う性別だから、と『苦手意識』というラベルを無条件に張り付けて。
「……なるほどなぁ」
亨のように、良いところを見つける意識が晃一郎には必要だ。そもそも相互理解という物を晃一郎ははき違えていた。
「あぁ~!でもあんな美人だもんなー。彼氏いてもおかしくねーよなー」
掻いた頭を今度は抱えて亨は嘆く。確かにおかしくはないが、もしも彼氏がいたのならば、それなりに勘付くものではないだろうか。二十谺に恋人がいて、その関係を徹底的に隠そうとでもしない限りは。
「うーん、じゃあさ、今度亨が俺に話振ってみ」
「振る?」
「おめーはまだカノジョの一人もいねーのか、とかさ。そしたらうやむやのうちに俺が二十谺は?とか訊いてやるよ」
それが一番安全な方法だろう。晃一郎が直接二十谺に訊いても良いが、亨が言うように、ワタシのこと好きなのかしら、と思われたらそれこそ変な話になってしまう。
「おー!名案!おめー頭いいな!」
「まぁ少なくとも亨よりはね」
笑顔になって晃一郎は言った。
「こんちはー」
喫茶店のドアをくぐり、晃一郎と亨は涼子に挨拶した。
「あらあら、いらっしゃい、二人とも」
日曜の午後ともなると客足が多いのか、
「何にする?」
「あ、後でいいすよ。忙しそうだし」
「お客様を待たせる訳にはいかないでしょ。気遣いだけ頂いとくわ」
ぴ、と人差し指を立てて、女の子のような笑顔で涼子は言った。
「あ、じゃあ俺はモカとミートソースで。享は?」
「おれも同じでいいぜ」
同じ物の方が作るときに手間が省けるだろう、という亨の気遣いだ。この辺は流石だな、と晃一郎は思う。亨は何も考えていないようで人を気遣うことに長けている。人の気持ちをとことんまで無視して暴れていた頃があったからだろう。それを辞めて、自分がどれほどのことを人にしでかしたかに気付ける、というのはとても大切なことなのだろうと思う。晃一郎はそういう亨を見ると、いつも自分が何か大切なものを得たような誇らしい気分になる。
「かしこまりー。じゃちょっとだけ待っててね」
以前晃一郎は涼子を魔法使いだ、と称したことがあるが、その仕事ぶりは本当に魔法でも使っているかのごとく早く、的確で、それでいて作業をやっつけている感じが一切しない。こういったものも気遣いの一つなのだろう。
決して笑顔を絶やさず、仕事がたまっていっても的確に対応して行く。
(ホントにこの仕事が好きなんだな……)
晃一郎はテーブル席について、涼子を見ながらそう思った。そうしていると待つ時間も退屈ではなくなる。心を暖かくしてくれる店の雰囲気やそれに併せた抜群にセンスの良い音楽。特に何かをべらべらと喋らなくても心地良い沈黙を感じることができる。だから晃一郎は一人でもこの店に良く来るのだ。
「もうそろそろセトリ通しで練習した方がいいな」
セトリというのはセットリストの略語だ。ライブで演奏するために選曲をし、組んだ曲の順番のことを言う。
「そうだなぁ。まぁ考えてくるけど、亨も考えといて」
ライブも近くなってくると、本番を想定して本番通りの順番で練習を繰り返す。これは恐らくどのバンドでも同じようなものだろう。大体の時間を計って、持ち時間の中で全てをやり通す練習だ。ライブハウスでは多少の時間の押し巻きは目を瞑ってもらえるが、対バンするバンドに迷惑はかけられない。それ故に、何度も何度も繰り返して、必要とあらば、長い曲を外して短い曲に入れ替えたり、MCをカットしたり、と様々な試行錯誤をしなければならない。
「あいよ。二十谺にも言っとくか」
「んだね。今までの流れと気にしない斬新なセトリ出してくるかもしれないし」
今まで晃一郎と亨の中では曲と順番というものはある程度のイメージ付けがあるせいか、この曲は最初の方、この曲は最後の方、と決めてかかっている部分がある。今までのそういった経緯を知らない二十谺の方が斬新で効果的なセットリストを組むかもしれない。
「うおー、楽しみになってきた!」
「柚机たち相当巧いからな。勝ち負けじゃないけどさ、折角一緒にやってくれるんだから恥じないくらいの演奏はしないとな」
「そりゃもうバッチリだろーがよ」
「詰めといて損はないさ」
確かにそのくらいの自負はある。それだけ練習も集中してできている。
「まーな」
それから些細な話をしているうちに注文をした物が揃った。涼子は汗一つかかず、笑顔のままだ。
「いただきまーす!」
そんな涼子の笑顔に晃一郎は少しだけ声を高くして言った。
「はぁい」
「そいじゃまたなー」
「おーぅ」
軽い食事を終えて晃一郎と亨は店を出る。夕刻時だ。夕日と夜空の丁度中間のスカイラインが綺麗だった。七本槍市は都心と比べれば遥かに空が広い。
河川敷にでも出れば朝焼けや夕焼けがとても綺麗に見える。亨と分かれた後、特に用事もない晃一郎は少し遠回りをして帰ることにした。
河川敷に出ると、もうスカイラインの時間は終わる頃だ。ギリギリで残っている夕日の光が夜空に融けて行く。冬のスカイラインは現れている時間が短い。
冷たい空気を深く吸い込んで、ゆっくりと歩く。
一級河川の向こう岸、隣の真取市へ続く有料橋の下まで歩くと、最近では見慣れつつある髪型があった。
(十五谺……?)
まだこちらには気付いていない。
十五谺は有料橋の下のコンクリートブロックの部分に座り込んでいる。声をかけるべきか。何となく十五谺の背中はいつもよりも小さく見える。以前のように十五谺を見かけた途端に嫌な気分になっていないことに晃一郎は気付いた。
(ま、いっか)
どうせ明日はアルバイトもなく暇なのだ。晃一郎は歩みを早めた。
「十五谺」
第八話:時間の歩みは呼吸をするように 終り
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