第七話:それ故に何かを解く
ここ数ヶ月の間で最も濃い三〇分間を体験した後、三人はますますライブへのモチベーションが上がった感じをお互いに確認しあった。その後晃一郎達は興奮も冷めやらぬまま各々帰路へ着いた。
(いやぁ、サイコーだったなぁ……)
-P.S.Y-の曲、
頭の上で手を組んで、のんびりと歩きながら鼻歌を口笛に変える。
「ちょ、やぁだ!やだってば!」
(ぶち壊しだ……)
ホテルの前の道に差し掛かったところで、一組の男女が揉めている。その男女の、女の方に、間違いなく見覚えがあるのを確認し、晃一郎は口笛を辞め、以前は身を隠すことに成功した電信柱に身を寄せようと、そろりそろりと近付いた。
「あ!
(やべ)
見つかってしまった。もっと素早く動くべきだった。
「晃ちゃん助けて!」
だだだ、と、コート姿の十五谺が駆け寄ってくる。頭にある小さなリボンが暢気に揺れていたが、どうもそれどころではないらしい雰囲気ではある。男の方はゆっくりと歩いて十五谺を追う。十五谺は電信柱に隠れそこねた晃一郎の背後に隠れ、少々、ただごとではないと思えるほどの表情で男が歩み寄ってくる。
「お宅彼女のナニ?」
晃一郎より随分と背が高い。高校生男子の身長を下回る晃一郎では当たり前のことではあるのだが。
(何と言われても……。他人?)
言ってやっても良かったが、流石にそれは薄情に過ぎるだろうか。
「私の彼氏だよ!」
「はぁ?」
男は頓狂な声を上げて十五谺ではなく、晃一郎にぎょろりと鋭い視線を向けた。
(や、それはおまえ、どちらかと言うと俺が言いたい台詞だ)
十五谺のダイナミックな嘘に頓狂な声を上げた男を見て、晃一郎もそう心の中で頓狂な声を上げた。
「貴方とはお店だけのことでしょ!プライベートまで踏み込まないでよ!」
「そんなん関係ねーだろーが。おめーが一万でヤらせるって話、もうこの辺じゃ有名なんだぜ」
「誰がそんなこと!」
(や、それよりも俺に何の関係が……?)
再び口に出してやりたい気持ちに駆られたが、今の晃一郎は十五谺の彼氏だということになってしまっている。どうやら果てしなく厄介なことに巻き込まれたのは確実だ。晃一郎は無言で男を見やる。この間
(人の話を聞かない、傍若無人、無鉄砲、短慮、腕力自慢の大ばか者)
「さぁな、アチコチで噂だぜ」
男は表情を変え、ニヤニヤしながら晃一郎を見る。どうやら大ばか者だけあって、十五谺の大嘘を信じ、晃一郎を本当に恋人だと思っているらしい。それならば、だ。
「オ、オマエー、ソ、ソンナコトシテルノカー」
大袈裟に焦った風を装って、晃一郎は十五谺に声をかける。名演技だ。ノーベル賞くらい貰えるかもしれない。いや、ノーベル賞と役者は無関係だったような気もするが、この際細かいことは気にしない。棒読みの台詞ならノーベル賞は貰えることだってあるかもしれない。いやいや、ふざけたことを考えている場合ではない。どの道今この場を避けて通ることはできないのだ。
「し、してる訳ないでしょ!」
(こりゃあ……)
この目の前の男が言っていることが、全て嘘だとは思えない。逆に言えば、十五谺の言うことは聊か信じられない。そもそも晃一郎を彼氏だ、などとのっけから大嘘をついている。単にこの男とは寝たくないというためだけの方便ではないようにも感じてしまう。
「えーと、ちょい待ち」
晃一郎はおもむろに携帯電話を取り出して、亨に電話をかけようとした。亨もまだ家には着いていないはずだ。温和になったとはいえ、亨の腕っ節の強さは折り紙つきだ。
「何やってんだよ!」
晃一郎の携帯電話をひったくろうとして、男は手を振り上げた。晃一郎はそれが当たり前であるかのように、男の手から逃れ、十五谺の背後に回った。
「え?」
プップップ、という電子音の次に流れてきたのは、電源が切れているか電波の届かないところにいるかのアナウンスだ。
(クソ)
「おぉ、亨?おー俺。何か今ちょっと襲われてんだけどさ……。そ、うん、ホテルんとこ。あぁ、悪いけど何人かで来てくれると助かるわ。うん、じゃ何とか粘ってみる。あい、あいよー」
一人で演技をして晃一郎は通話を終える振りをすると、携帯電話をポケットにしまった。
(マジでカー・オブ・ザ・イヤーもんの演技だぜ……。これで退いてくれなかったら最悪だぞ)
「とりあえず頼りになるダチを呼んでみたぞ」
と十五谺の肩に手を置いて、晃一郎は言った。
「ちっ……。てめえの女も守れねーヘタレがよ!」
その男は言うと晃一郎に背を向け、大股で歩き去って行く。
(た、助かった……)
十五谺の肩に置いた手に、震えが伝わってくる。十五谺は小さく、かたかたと震えていた。男は交差点を曲がりすぐに見えなくなる。しばらく見ていたが戻ってくる様子は無さそうだった。車道の真ん中につっ立っている訳にもいかず、晃一郎はとりあえず、当初隠れようとした電信柱まで歩く。十五谺もそれに倣いついてはきたが、すぐにその場にしゃがみこんでしまった。
「取り合えず、もうちょっとしたら家の近くまでは送ってやるよ」
面白くも無さそうに晃一郎は言う。
メイドカフェのメイド。言い逃れのために晃一郎を恋人だなどと嘘をつき、では、普通の宮野木十五谺とは何者なのか。晃一郎には判らない。
「あ、あの、ありがとう……」
「へぇ、礼なんて言われるとはね」
皮肉たっぷりに晃一郎は言った。今までの自分の普段の行いが悪くてこうなったのだ。震えていようが何だろうが晃一郎には何の関係もない。自業自得だ。いっそのこと先日は別の男とこのホテルに入っていた、と今の男に言ってやっても良かったくらいだ。
「また出くわすと厄介だから少し遠回りするか。公園通ってくか?」
しゃがみこんで、視線を下に向けたままの十五谺に晃一郎は再び声をかける。
「……いい。一人で帰れる」
晃一郎の皮肉が気に入らなかったのか、十五谺は声を低くした。
「一人のところまた見つかったらどうすんだよ」
嘆息しながら晃一郎は言う。
「いいよ別に」
投げ遣りに言十五谺は、しかし歩き出そうとはしない。
「別にあんたの家まで送るなんて言ってないだろ。適当なところまでだよ。こっちまでストーカーとか妙な疑いかけられんの御免だし。ちょっと手前くらいまでは送るっつってんの。これを好機にあんたの家を知りたいとかそういうんじゃないから安心しろ」
(めんどくさい……)
頭を掻きながら晃一郎は言う。
「一人でいい」
「あ、そう。じゃあ勝手にしな。あーぁ、ばっかくせぇ」
そう言って十五谺に背を向けた瞬間に袖を掴まれた。
「……」
晃一郎は無言でその手を払い、払いはしたもののすぐに十五谺の手を取って立ち上がらせた。
「素直じゃねぇなぁ。ほれ、キリキリ歩け」
晃一郎は立ち上がった十五谺の手を離した。
「何で助けてくれたの?」
ライブの後片付けをしている野外音楽堂を脇目に、晃一郎と十五谺は中央公園を歩いていた。奇妙に空いた二人の間が、やはり奇妙な関係を表している。
「あの状況でシカトできるかっつの」
背後にべったりとくっついて彼氏だなどと、あんなダイナミックな大嘘を良く言えたものだ。
「でもしたって良かったじゃん」
「ま、色々な。こないだは違う男といた、とかその男とそこのホテル入ってたとか、言ってやろうかとも考えたけど。言ったところで意味無いだろ」
他人とはいえバンドメンバーの妹だ。丸っきりの無視はどうしたってできない。
「何でそれ……」
「グーゼンですよグーゼン。たまたま帰り道で見かけただけの話ですよ。言っとくけどあんたの後つけたとかそんなんじゃないからな。メイドカフェを避けて帰るとなると、どうしてもここ通らなきゃなんないから、そんだけ」
「……」
晃一郎は十五谺の前を歩く。先ほどから十五谺の顔を一度も見ていない。晃一郎は返答をしない十五谺を放って先を歩く。足音で後ろをついてきているのは判る。
「さっさと歩けよ」
いがみ合っている人間となんて一秒でも一緒にいたくないと思うのが普通だろう。実際に晃一郎は十五谺など置いてさっさと帰りたい気持ちでいっぱいだ。
「……なんでそんなに冷たいの」
「冷たくないだろ。別にあんたが恩に着る必要もないし、俺だって恩着せがましいことなんか言いやしないけど、そっちこそ随分な言い方だな」
まったく心外だ。晃一郎は十五谺のトラブルに巻き込まれただけだというのに。
十五谺が立ち止まった。晃一郎も一応足を止める。
「あのな、俺は店の客でもあんたの彼氏でもないんだ。それ以上の優しさはあんたの好きな男かゴシュジンサマに期待しろ」
腰に手を当てて晃一郎は今日何度目かの嘆息をする。
「なんで、何も訊かないの?」
「キョーミないから」
それに興味本位で訊くことでもない。十五谺には十五谺の考えがあって、これはその結果だ。十五谺自身が自分を信じてやっていることなのだから、他人がとやかく言うことではない。
「やっぱりお姉ちゃんの味方だから?」
「その味方以外は敵、みたいな考えはやめとけよ。そうしたいんなら俺はあんたを助けるべきじゃなかったけど。二十谺とバンド組んでるってだけで良く知りもしないあんたの敵になるんだったらこっから先は一人で帰れよ」
それでも晃一郎は立ち止まった十五谺に背を向けようとはしなかった。誤解はしていたかもしれない。ただ何も確証はない。そして十五谺の行動に正当性があろうとなかろうと、晃一郎には何の関係もない。
「……メイドカフェに行かないヤツはみんな敵か?」
黙っている十五谺に、更に晃一郎は言葉を投げた。
「敵視してるのは晃ちゃんの方じゃない」
ややあって、少しだけ十五谺が語気を強めた。
「まぁ多少ムカついてることもあるしね」
「まだ根に持ってるんだ」
初めて十五谺に会った時のことだ。根に持っているといえば随分と女々しい言い方ではあるが、良い気分はしない。十五谺には良い印象は持っていないのだ。それも当たり前だと晃一郎は思っている。
「そういう訳じゃないけど、そういう考え方をする人間とこうやってこんな話でもすりゃ、いい気分のままって訳には行かないんじゃないの」
折角の高揚した気分もぶち壊しにされて。上がってきたモチベーションまで下げられて、その晃一郎が真剣に取り組んでいる音楽を軽視する相手に、どうして好意や好感が持てようか。
「……ごめんなさい」
十五谺は視線を落としたまま、低く言った。
「え」
「ごめんなさい」
もう一度、少しだけ声を高くして。
「あ、い、いや、判った。ともかく、行くぞ。うろうろしててまたヤツに見つかったら面倒だし」
まさかこんなにも素直に謝罪するとは思ってもみなかった。晃一郎は十五谺の肩に手を置いて、慌てて言った。
「うん……」
やっと十五谺は歩き出した。晃一郎はそこで十五谺に背を向けて、やはり微妙な距離を保ったまま前を歩いた。
「ありがと……。今度お礼、するね」
ここまでで良い、と言って、十五谺は続けて晃一郎に礼を述べた。先ほどからいやに素直な態度が気にかかったが、今は気にしないことにする。晃一郎としても態々十五谺に喧嘩を売る意味はない。
(敵視してるのは晃ちゃんの方じゃない)
先ほどの十五谺の言葉が頭から離れない。確かに、良く喧嘩をしているのであろう二十谺寄りの考え方で、十五谺を異質な人間だと、思い込み過ぎていたことは、認めざるを得なかった。
「身体で払うだとか、店でサービスとかそういうくだらない方向じゃなきゃ……」
「そんなことしないって」
少しだけ調子を取り戻したように十五谺は笑う。どことなく、脱力した感じで。
「わり。言い過ぎた。別に十五谺がそういうことするヤツだとか思って言った訳じゃ」
「判ってる。ライブ、行くね」
「は?」
意外な言葉を聴いて、つい頓狂な声を上げてしまった。
「あるんでしょ?お姉ちゃんが誰かと電話してるの、聞こえてたから」
恐らくは
「その、姉ちゃんの出るライブにくるのか?」
「お礼とお詫び、かな」
少しばつが悪そうに十五谺は言った。
「ほぉ……」
「な、なに?」
少々たじろいだ十五谺が晃一郎に聞き返す。
少しだけ心が軽くなる。こういう些細なことで歩み寄り、というのもできるのかもしれない、と晃一郎は思った。だからといってどうこうしようと言う訳でもないが、全く話が通じない相手ではないのだろうことが判っただけでも良かった、と思える。
「や、見直したって言うと上からの言い方になっちゃうから、改まった、って言っとく」
「何それ」
笑顔になった晃一郎に十五谺も笑顔を返してきた。
「少なくとも、十五谺がそう感じるような『敵視』ってやつは、もうしないってこと」
「ほぉー」
今度は十五谺がやり返してくる。
「何だよ」
「じゃあわたしも改まった、って言っとくよ」
悪戯っぽい笑顔に変えて十五谺は言う。
「あーあー、そうですか」
しおらしかったのはほんの一瞬で、やはり憎たらしい女だ、と晃一郎は更に十五谺の印象を改める。
「……でも、ホントに今日はありがとう」
「いいって。……その、悪かったな、色々冷たく言って」
頭を下げてきた十五谺を見てばつが悪くなる。こうまで素直に出られては今まで晃一郎が取ってきた態度が明らかに冷たい男のそれでしかなくなってしまう。そもそもの諍いはあったものの、恨みつらみがある訳ではない。そのことは晃一郎にも判っていた。それでも、自分から十五谺と接触しようとは思わなかった上に、たまに接触があってもメイドである十五谺としか接触していなかった。
色々と理由を並べてみても、十五谺が素直にならなければ晃一郎も態度を変える必要はないと思っていた。それ故に素直になった十五谺に対して晃一郎も態度を改めざるを得なかった。
「でもちょっと、色々気付かされた」
「でも店には行かないからな」
そこにだけは釘を刺しておかなければならない。十五谺に敵意はなくなったとしても、それとこれとは話が別なのだ。
「判ってるって」
苦笑して十五谺は言う。今日の晃一郎とのやり取りで十五谺が何に気付いたのかは判らない。けれど、悪い方向には向かないような、そんな気はした。メイドの営業スマイルではない、宮野木十五谺の笑顔だ、と思えた。
「んじゃな、近いんだろうけど気をつけろよ」
「うん。ありがと」
晃一郎と十五谺は同時に振り返り、帰路に着いた。
第七話:それ故に何かを解く 終り
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