第六話:だからこそ続けるもの

 七本槍ななほんやり市 七本槍南商店街 楽器店兼リハーサルスタジオ EDITIONエディション


 練習を終えて、会計待ちの間、ロビーの椅子に腰掛けて、晃一郎こういちろうは嘆息する。

「何かあった?」

「え?いや……。ん?何が?」

 この間の十五谺いさかのことが頭から離れない。気にしないようにと思っていたのに、ついそのことを考えてしまう。二十谺にも随分と訳の判らない返しをしてしまった。

「何か溜息深かったから」

 小さなバッグから眼鏡を取り出して二十谺はつかは言った。

「いや、なんか気合入れすぎたかなーとか思ってさ」

 とりあえず誤魔化しの言葉を口にする。

「いいことじゃない」

「ま、そうなんだけどさ」

 二十谺はどこまで知っているのだろう。十五谺が、自分の妹が売りと殆ど変わらないことまでしていることを知っているのだろうか。

「はー、スッキリ」

 トイレに行っていたとおるが戻ってきた。

「早かったな」

「早いってゆーなー!」

「うっさいバカ」

 ぼす、と軽く亨の脳天にチョップを入れて晃一郎は笑う。

(ホント、どうでもいいことだよな)

 そう自分に言い聞かせる。知らない人間が何をしようと晃一郎には関係のない話だ。二十谺ですらコンタクトを諦めた妹なのだから、晃一郎にとっては全くの他人でしかない。

「晃ちゃーん、いいよー」

 レジカウンターから声が聞こえてきた。この楽器店兼リハーサルスタジオEDITIONの店主である、谷崎夕香たにざきゆうかが晃一郎達の今回のスタジオ代を算出し終えたらしい。この商店街では有名な女性であり、晃一郎が通っている喫茶店vultureヴォルチャーの店主である水沢涼子みずさわりょうことは腐れ縁なのだそうだ。この界隈のバンド小僧どものライブにも時折足を運んでいるせいか、谷崎夕香にライブを見てもらえて、イッパシになる、などというまことしやかな噂まで広まっている。

「あ、はい!」

 既婚者ではあるが、その風貌は見るからに超ド級美人で、とても人妻には見えない。この界隈のバンド小僧のその殆どが一度は谷崎夕香に恋をする、というホテル・アドリアーナの麗人もかくや、という噂もあながち的外れではないのかもしれない。その例に漏れずなのか、亨も一時期は夕香のことばかり口にしていた。

「そういえば今日、中央公園の野音でなんかイベントライブやるらしいわよ」

「そうなんですか?」

「時間あったら見に行ってみたら?意外ととんでもないのとか隠れてたりするかも知れないわよぉー」

 その超ド級美人は気さくに笑う。

 色の薄い髪が緩やかなウェーブラインと共に胸元まで伸びている。少々きつい感じのする目元はそれでも冷たさを感じさせない。その見た目とは裏腹に、竹を割ったようなさっぱりとした性格で、高飛車な感じは一切ない。

「ですね。今日はバイトもないんで行ってみます。時間判ります?」

「七時からって聞いたけど」

「七時すね。判りました、ありがとうございます」

 ここ最近誰かのライブを見る、ということが少なくなっていたので良い機会だろう。柚机莉徒ゆずきりずのバンド、Kool Lipsクールリップスとの対バンも決まったことだし、モチベーションを上げるのに丁度良い。

「お疲れ様。次の予約はどうするの?」

「とりあえず保留で。また電話になると思います」

「りょーかいっ」

 会計を終えて、ありがとね、と夕香が笑う。

「お疲れっしたー」

 亨と二十谺も少し離れた位置から夕香にいい、二十谺も軽く会釈する。三人は出口へ向かった。


「イベント?」

 スタジオを出て、何か軽く腹に入れようということになり、晃一郎達はvultureに足を運んだ。

「さっき会計ん時夕香さんが教えてくれたんだよ」

「何のイベントなのかしら?」

 二十谺が雑誌から目を離して言った。

「良くは判んないけど、俺最近ライブ見てないし、モチベ上げんのに丁度いいし行こうかなーと思ってさ」

「おまちどぉさまっ」

 そこへ涼子が三人分のコーヒーを運んできてくれた。

「あ、どーもっす」

 亨が言って早速大量の砂糖を入れる。

「今晩のイベントのこと?」

 涼子が晃一郎の話に食いついてきた。

「あ、そうです。さっき夕香さんに教えてもらって」

Sounpsyzerサウンサイザー系よ、それ」

 ぴん、と人差し指を立てて涼子が笑顔になる。これは俗に涼子スマイルと呼ばれ、これを見られると良いことがある、という噂まである。良いことがあるかどうかは別としても、涼子のこんな可愛らしい笑顔を見ることができるだけでも眼福というものだ。

 そして涼子が言ったSounpsyzerというのは音楽レーベルのことで、晃一郎が好きなWarlock Hermitウォーロックハーミットや|The Guardian's Knight《ザ ガーディアンズナイト》というロックバンドも所属しているレーベルだ。『日本ロック界の最後の砦』とも言われているレーベルでもあり、過去にはThe Guardian's Blueザ ガーシアンズブルーPSYCHO MODEサイコモードTHE SPANKIN'スパンキン BACCKUSバッカス BOUURBONバーボンといった、ロックファンの間では一大ムーブメントを起こしたバンドが多く所属していた。

「え、マジすか!」

 亨がそれに反応して声を高くする。

「確かな筋からの情報よ」

 にこ、ととても三〇代には見えない可愛らしい笑顔で涼子は言う。

「おー!おれも行く!二十谺は?」

「行く行く」

 二十谺もG's系は好きだと言っていたし、他にもSounpsyzerのバンドで好きなバンドもあるのかもしれない。

「新規のバンド、多分、デビュー前とかの、そういうバンドのイベントらしいけど、もしかしたらシークレットで凄いのが出てくるかもしれないわよ」

 銀のトレーを抱きかかえて涼子は楽しげに笑う。

「おぉー!それは楽しみになってきたなー」

 Sounpsyzerは多くのロックバンドを世に送り出してきたレーベルだ。中央公園の野外音楽堂ではさほど大袈裟なステージセットは組めないだろうから、何だか訳の判らないアイドル紛いの、最近流行のパフォーマンスや見た目重視のアーティスト達のイベントではないことは想像がつく。

「そういえば前に莉徒達も野音でやったって聞いたことある」

「Kool Lipsが?」

 二十谺の言葉に晃一郎は反応した。野外音楽堂では割と頻繁にイベントが行われているようだが、晃一郎は一度も出演したことがない。

「うん」

「いつ頃?」

「去年の春、かな?」

「え、それ俺行ったけどなぁ……」

 まだ二年生になったばかりで、亨のおかげでバンドもきちんと動いていなかった頃なので、五時間近くやっていたイベントの、その殆どを見た覚えがあった。

「あれ、でもKool Lipsって最初は柚机はいなかったんだろ?」

 亨がどこからか拾ってきた情報を公開する。なんというか、こういったことには案外亨は抜け目がない。

「じゃあその時は三人だったってこと?」

「そういえばそんなこと言ってたわね。なんだ莉徒ちゃん達と知り合いなんだ」

 涼子から柚机莉徒の名前が出てくるとは思わなかったが、この界隈で喫茶店、楽器店、練習スタジオといえば場所は限られてくる。客商売をしている涼子が知っていても何ら不思議ではない。

「私、莉徒と仲いいんで」

「そうなんだ」

 ぱ、と笑顔になり涼子は言う。

「私にこんな素敵なお店紹介しないなんて、って今度文句言っときますね」

 冗談ぽく二十谺は言って、笑った。

「ふふっ、よろしくね、二十谺ちゃん」

「はい、こちらこそ」

「てことは去年出た時はスリーピースだったってことか。そういえばなんかスリーピースなら面白いのがいたような気がする」

 二十谺と涼子が話している間に、晃一郎は記憶の糸を手繰り寄せていた。確かに同年代でスリーピースのバンドがいた。とても三人でやっているとは思えないくらいの音の厚さと、まとまりが良かったので覚えている。

「何気に野音レベル高ぇなぁ」

「ろくでもねぇのもやってるけどなー」

「まぁ野音は出るのも安いみたいだし」

 当りはずれがあるのは当然だろう。普通にライブハウスに行っても当たり外れはあるものだ。それにその当たり外れも、個人的趣向に依るものが大きい。極端な話、晃一郎が外れだと思ったバンドでも、亨や二十谺には聞き応えのあるバンドであるかもしれないのだ。

「晃ちゃん達も出たらいいのに」

「あ、今度Letaリータですけど、Kool Lipsと対バンしますよ」

「あら、そうなの?じゃあ見にいかなくちゃ!」

 Letaというのはこの辺りにあるライブハウスの一つで、出演にはオーディションも何もいらない、敷居の低いライブハウスだ。晃一郎達のような高校生バンドでも簡単に出ることができる。そのため、いわゆるはずれバンドも多い訳だが、演奏がしっかりしていてある程度の客の動員数があればライブハウスからの出演依頼もある、と聞いたことがある。

「お、マジすか!じゃあ詳細決まったら教えますね!」

「うん、宜しくね。家族総出で行くわ」

 冗談なのだか本気なのだか判らない調子で涼子は言った。


 恐らく、デビューしたばかり、もしくはこれからデビューするバンドが出演していたのだろうが、どれも晃一郎の中では良いと思えるものはなかった。どうやら亨や二十谺も似たようなものだったらしく、ただ、それでも音の中に身を置いている方が座りが良いのか、つまらない思いはせずにいた。

 ただで見られるライブイベントのおかげか、晃一郎達以外にも結構な人数が集まっていた。

 次で最後のバンドとなるのだが、セッティングに戸惑っているのか中々出てこない。この溜めに何か意味があるのかもしれない。夕香も涼子も、以外ととんでもないのが出るかもしれない、というようなことを言っていた。この場に集まった人数も結構な人数だ。もしかしたらもしかするかもしれない。

「ま、こんだけのイベントだし、トリはいくらか違うだろー」

 亨がぐん、と伸びをしながら言った。

「だよなぁ。どれも悪くないけど、何か似たような感じなのが多かったし」

 まだ高校生である晃一郎にも判るくらいにプロの道は厳しい。今日見たバンドの中で、一体何組のバンドが生き残って行けるのか。

「特に女性ボーカルものはそういう傾向あるわね」

 二十谺が好きだというLeeds Leaseリーズリースやソロボーカリストの早宮響はやみやひびきもSounpsyzerに所属しているはずだったが、さすがにそれほどのビッグネームは出てこなかったし、これまで見た中には二十谺が期待するほどのアーティストはいなかったようだ。

「んー、やっぱG'sジーズ系が一番だよなー」

 G's系という言葉は、少し前に日本のロックシーンを代表するほどのバンドだったThe Guardian's Blueザ ガーディアンズブルーの略称G's Blueを主に指すが、G's Blueが解散した後に|The Guardian's Knight《ザ ガーディアンズナイト》と-P.S.Y-サイという二つのバンドにメンバーが分かれたため、The Guardian's Blue、The Guardian's Knight、-P.S.Y-というこの三つのバンドの総称として使われることが多い。また、現存するバンドである-P.S.Y-はThe Guardian's BlueとPSYCHO MODE、THE SPANKIN' BACCKUS BOUURBONという、いずれもSounpsyzerに所属していたバンドのメンバーが集まってできたバンドでもあるためか、PSYCHO MODE、THE SPANKIN' BACCKUS BOUURBONもG's系に含まれることもある。

 晃一郎も亨も二十谺も、G's系で育ってきた人間だ。G's系が一番とはいえ、G's系そのものではない、G’s系のスタイルを取り入れたバンドの音楽には正直うんざりしてきている。本物にしか出し得ないグルーヴ感というのは確かにあって、フレーバーだけを真似てもやはり晃一郎の心臓にまでその音が突き刺さることはないのだ。だからこそ、本物と呼ばれる

「お、始まるみたいだぜ」

 ステージの照明が一度落ち、無音の状態になる。

 舞台袖から四人の男が次々に出てくるが、どうも見覚えのある感じがする。ステージの照明が落ちているので顔までは良く見えない。

「あれ?」

 やたらと背の高いドラマーがドラムセットにつき、弦楽器隊も楽器を抱える。ギターが二人にベースが一人だ。スティックを打ち合わせる音が四つ聞こえてきたかと思った瞬間、一音目と同時にきらびやかな照明が客席をも照らす。

 爆音と共に現れたのはロックバンド-P.S.Y-だった。

 晃一郎達は一様に顔を見合わせ、目を見開いた。このイベントは所謂ルーキー達のためのものだと聞いていたが、トリでまさか-P.S.Y-が出演するとは誰も想像しなかっただろう。そもそも-P.S.Y-のメンバーは全員がかつてSounpsyzerに所属していたが、今は-P.S.Y-としてオリジナルレーベルGRAMグラムを立ち上げ、独立しているはずだ。Sounpsyzer系と言えば言えなくもないのかもしれないが、それはあくまでも系統やルーツだけの話であって、流石にSounpsyzer系のイベントに-P.S.Y-が出演するなど、誰も想像できなかったのは無理からぬことだろう。

 野外音楽堂に集まっていた多くの人々が喚起の声を上げる。

(これか……!)

 涼子が言っていたのはまさしくこのことだったのだ。そして涼子スマイルのご加護が今正に発揮された。

(しかし、確かな筋からの情報って……)

 つくづく涼子も謎の人だ、と晃一郎は苦笑する。そんな晃一郎の袖を亨と二十谺が同時につかんだ。

「もっと前行こうぜ!」

 爆音の中怒鳴り声を上げた亨に晃一郎も頷いた。

 -P.S.Y-のライブを見るのはこれで三度目だ。まさかただで見られるとは思ってもみなかったが、確かにこの好機を楽しまない手はない。

 -P.S.Y-はギターボーカル二人にベース、ドラムの四人構成だ。ギターボーカルは前PSYCHO MODEのボーカル、前THE SPANKIN' BACCKUS BOUURBONのギターボーカル。そしてベースとドラムは前The Guardian's Blueだ。日本でも有数なバンドだったメンバーが集結しているこのバンドは様々な音楽雑誌で日本最後のロックバンドとも言われているほどだ。

 晃一郎達はギターの朝見大輔あさみだいすけの前にまでくると、両腕を振り上げた。享と二十谺はベーシストの水沢貴之みずさわたかゆきの前で晃一郎と同じように腕を振り上げている。

「わー!もう!わぁあ!」

 亨は大騒ぎだ。晃一郎もそれに乗って訳の判らない雄叫びを上げる。-P.S.Y-ほどのバンドのライブならば無条件で体が動く。二十谺も大騒ぎという訳ではないが、片腕を振り上げて大きく振りつつ、音の奔流に身を任せている。

『三〇分時間厳守みてぇだからよ、めちゃくちゃ楽しんでってくれよ!』

 ギターボーカルの川北忠かわきたただしが叫ぶ。晃一郎も亨もそれに呼応して大声を上げた。


 第六話:だからこそ続けるもの 終り

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