第五話:裏と表と思うことと打ち切ること

「そろそろライブ考えてもいいかなぁ……」

 いつものごとく屋上でとおると昼食を摂りつつ、晃一郎こういちろうは言った。

 二十谺はつかが加入してから二週間が過ぎた。二十谺は恐るべき、とも言えるほどの速さで晃一郎と亨の持ち曲を六曲、覚えてしまった。六曲あればライブは出来る。

「だなー。とりあえずもう全部通してできるし、そろそろやってもいいかもな」

 バンドとしてのまとまりは中々のものだ。亨と二十谺の息は合っているし、元々亨と晃一郎は相性が良い。ドラムとギターが以前から組んでいたとはいえ、中々二週間で出せるまとまりではない。

 二十谺の、ベースという楽器と、晃一郎達の曲への理解度が高いおかげで出てきたまとまりだろう。

「したら柚机ゆずきんとこと対バンしようか。二十谺と柚机って仲いいみたいだしさ」

「あぁ、いいなそれ。集客も苦労しなさそうだしよ」

「まぁハコ的にはそうかもなぁ」

 亨は元々知っていた美人で噂の二十谺に、様々な含みがあるにせよ、やはり可愛いという噂がある柚机莉徒りず。それだけでもいくらかは客が集まりそうだ。それらが全てシャガロックの客になるかといえば、答えはノーだが。ここはやはり、人数こそ少ないが、軽音楽部の面々にも協力していただかなければならないだろう。

「じゃあとりあえず柚机に言ってみるわ」

「でもあいつら相当うめーぜ」

「え、知ってんの?」

 あごに手を当てて、神妙に言う亨に晃一郎は訊いた。ライブがある時は声をかけてくれ、と言っておいたはずなので、ライブがあった訳ではないだろう。あって晃一郎が知らなかっただけだとしても、亨が知っていたならば当然声はかけられていたはずだ。

「こないだ二十谺に音源借りた」

「や、そんなら俺にも聞かせなさいよ」

「おー、忘れてた」

 ぽんと手を打ち合わせ、亨はいかにもとぼけた口調で言う。

「享……」

 音源があるのならば是非とも聞いてみたい。莉徒は以前、晃一郎達の音を聞かせたときに、是非対バンしよう、と言ってくれた。莉徒のバンドとは対バンをしても吊り合えるくらいの演奏だったのだろうことは晃一郎にも判ったが、それならば莉徒のバンドの音源を聞かなければなんと言うか不公平な気がするのだ。

「明日持ってくるよ」

「どんな感じ?」

「ちょいポップ寄りのロック。リズムがすげーしっかりしてっから、フロントの遊び幅が異様に広ぇ気がする。多分柚机じゃねー方のギターがソロになると若干走り気味になる感じすっけど、基本的にうめーよ。柚机ともう一人男なんだけど、両方ギタボやれるし、両方リード張れる」

 リズムというのは所謂ドラム、ベース、フロントというのはギターとボーカルのことを指す。晃一郎達シャガロックは所謂ドラム、ベース、ギター&ボーカルという三人構成のスリーピースと呼ばれるバンドだが、莉徒のバンドKool Lipsクールリップスはそのスリーピースバンドにギターボーカルを一人加えた四人構成らしい。莉徒ともう一人のギタリストのどちらもギターボーカルができるのならば、女性ボーカル、男性ボーカル、デュエットまでできる、非常に幅の広い表現ができるバンドだ。

「なるほどねー。でもリズムじゃうちだって負けねぇだろ?」

「あたりめーじゃん!ま、フロントも負けてねーけどよ」

 いかにも楽しげに亨は笑った。


 二十谺が莉徒と話を進めてくれたおかげで、莉徒達Kool Lipsとの対バンは約束できた。演奏するライブハウスと日程はKool Lipsに合わせることにして、晃一郎はそのライブの為に新曲を書こうと決めた。以前から暖めているリフがあったので、それを生かしたいと思ったのだ。ある程度頭の中で構想はできあがっている。

「……」

 雑誌梱包のアルバイトを終え、ギターリフを鼻歌で繰り返し、ハンパなエアギターをしつつ、晃一郎はいつもの喫茶店に足を運んだ。

「涼子さんちわー」

「いらっしゃい晃ちゃん」

 いつもの通りにドアを開け、いつもの通りに涼子に挨拶をして、カウンター席に着こうと思ったところで奥にいたテーブル席についている客に視線が行く。二人組だ。晃一郎と対面している、晃一郎よりも明らかに年上の男には見覚えはなかったが、その男の向かい、つまり晃一郎からは後姿しか確認できない女の髪型と大きなフリルがついたリボンには、なんだか見覚えがある。その見覚えがある髪型をした女が振り向くような素振りを見せた瞬間、晃一郎は視線を無理やり涼子に向けた。

 ギギ、グギギ……。

「モ、モカおくんなせぇ」

 つい江戸っ子口調になってしまったのには、晃一郎すら判らないナニモノかの力が作用したとしか思えないが、神技と言っても良いほどの反射神経に晃一郎はとりあえず満足する。

(今の俺はおそらく世界最速だった……)

 ただ、首はちょっと痛い気がする。

「何その喋り方」

 涼子がくすくすと笑う。晃一郎は苦笑を返すことしかできない。背後から見られている気配が、いやもう既に視線が突き刺さっている気がしてならない。

(に、逃げたい……)

 しかし店に入った瞬間に涼子に挨拶をした時点で、この店を出るという選択肢は消滅している。おまけに注文までしてしまった。となれば気付かれないようにするしかない。

「いつもブレンドなのに今日はモカでいいの?」

 うんうん、とジェスチャーだけ返す。

「何で喋んないのぉ?」

 物凄く近い、耳元で聞き覚えのある声がする。

「うわぁーいっ!」

 本気で驚いて晃一郎は声をあげた。

「い、十五谺いさか!ぐ、偶然だな……」

 予想通りの人物が晃一郎のすぐ後ろに立っていた。

(流石に無理があったか……)

「そうだねぇ。いつお店にきてくれるかって思ってずぅっと待ってるのにぃ」

(つまり……)

「今もって営業中……」

 ぼそり、と小声で晃一郎は言った。それに今度は十五谺がジェスチャーだけで返す。

「みぃんな心待ちにしてるんだから、絶対きてくださいねぇ」

 寒気のする口調で嫌味ったらしく十五谺は言う。

「あ、あぁ……」

「言ったな」

 生返事を返した晃一郎に、十五谺が囁くように言う。素の声で。いや素の声よりも数段声のトーンを落とした声で、凄みさえある。勿論客である男には聞こえないように。

「ちょ、っと待て!」

「ん?」

 頬に人差し指を当てて、小首をかしげながら上目遣い。

(ぶっ飛ばすぞこのガキ)

「あらあら、もしかしてメイドカフェのメイドさん?」

 女神の声が聞こえてきた。これ以上ないタイミングで涼子が助け舟を出してくれる。

「あぁ、はい、そうですけどぉ、今は営業時間外、ですよぉ」

 わざとらしい。涼子の店で堂々と客引きなど。

「てことは、今のも無効な」

 とりあえず取った言質はすぐさま利用する。

「友達同士なんだくらそのくらいいいでしょお」

 もう、といいながら晃一郎の肩を叩く。

(何が友達だ)

「あら、晃ちゃんの友達なの?」

「そうなんですよぉ。わたしのお姉ちゃんが一緒にバンド組んでるみたいで」

「あらあら、面白い偶然ねぇ」

(な、和んでる……)

「友達ってほどでもないだろ。お前の姉貴とはそうだけど、お前とは付き合いもないじゃないか」

「あぁー、ひどぉい!」

 語尾に「ぷんぷん!」と付けて十五谺は言う。これのどこが営業時間外なのかを問い質したい。

「営業時間外で男といるってことは、カレシかなんかなんだろ。放っておいていいのかよ」

 少し声を高くしてわざとそう言い放つ。あの男はどう考えても十五谺の金蔓だ。店の営業時間は確かに過ぎているだろうが、メイド個々の営業は続いているのだろう。所謂固定客をつけるための仕事だ。この行為自体に給料がつくことはないのだろうが、指名される頻度が高ければ給料が良くなるシステムは水商売そのものだ。

「あぁーん、そうだったぁ。きゃーダーリンごめんねぇ」

(蹴っ躓いてテーブルの角に額を激しく打ち付ければいい)

 テーブル席に戻る十五谺を目で追って、心の中で呪いの言葉を吐くと、晃一郎はカウンターに向き直る。

「なんだか凄いわねぇ」

 笑顔を崩さずに涼子は言う。恐らく涼子も十五谺が営業行為をしていることには気付いているだろう。あそこまで行くと殆ど詐欺に近い。

「言っときますけど、おれ、無関係だし興味もないすからね」

「見れば判るってば」

 涼子の笑顔が苦笑に変わる。

 しばらく無言でコーヒーを飲んでいた晃一郎の背後で十五谺と男が動く気配がする。店を出るのだろう。実際問題、居心地が悪くてたまらないのは晃一郎はもちろんのこと、晃一郎という顔見知りがこの場にいる状況では十五谺も同じだろう。

「じゃあ、ご馳走様でしたー」

 勘定を終えて、涼子にそう言う。

(さっさと帰れ)

「じゃあコウチャン、またねぇ!」

(今まさにドアが閉まって鼻っ柱を強烈にぶつければいい)

 またも呪いの言葉を心の中でだけ吐いて、振り向きもせずに晃一郎は手をひらひらと振った。

 ドアが閉まり、十五谺は鼻をぶつけることもなく店から出て行く。

(家の鍵、失くせばいい)

「仲悪い、とか?」

 最後の呪いの言葉を心の中で呟いていた晃一郎に涼子の声がかかる。

「ま、まさか。良いも悪いも、ホント、付き合いないですからね」

 涼子の問いに晃一郎は真実を言う。

「その割には何だか妙な感じだったわね」

「そんなことないですよ」

 先日の晃一郎が悩んでいたことといい、今回のことといい、水沢涼子は恐ろしく勘が良い。

「それならいいんだけど」

 静かに目を伏せて、涼子は微笑んだ。

(見透かされてるなー)


 メイドカフェを避けて帰路に着く途中、昔からあるホテルの前に晃一郎は差し掛かる。繁盛しているのかどうだかは知らないが、昔からあるのでそれなりに客は入っているのだろう。ただのホテルではなく、所謂、ラブホテルなのだが。そしてそのホテルに、今まさに晃一郎の顔見知りが入っていこうとしている。

「……」

(嘘だろ?)

 十五谺と先ほどの男だ。晃一郎は慌てて電柱の陰に隠れた。なんとも古典な隠れ方ではあるが、本当にそこしか隠れどころがないとすると、やはりそこに収まるしかない。古典的な表現というものは人間の基本行動に基づいているのだなぁ、と晃一郎は納得する。

 いや、そんなことよりも。

(ここまでしないと客ってついてこないのか?)

 何やら話し声は聞こえるが、内容までは判らない。とりあえず余計なことを立ち聞きしないで済むものの、晃一郎の心中は揺れていた。

(そこまでやって、自分の給料増やしたいのか?)

 ここまでいっては水商売どころではなく売春だ。ついていけない。理解する気にもなれない。二十谺はこのことを知っているのだろうか。

(あ……。いや、待て)

 本当に彼氏かもしれない。晃一郎は勝手に十五谺の客だと決め付けていたが、彼氏だったら別に不自然でもなんでもない。

(それもないか……)

 あの十五谺の話し方は明らかに営業用だ。本当に恋人がいるのならばあんな口調では話さないだろう。

(まぁでも、いいか。……俺には関係ないし)

 本当に関係ないことだ。

 バンドメンバーの妹が遊んでようが売りをしていようが、晃一郎には何の関係もない。その十五谺の姉ですらそういう態度なのだ。

(……くだらねぇ!)

 二人がホテルの中へ入ったことを確認してから、晃一郎は再び帰路に着いた。


 第五話:裏と表と思うことと打ち切ること 終り

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