第四話:商店街の魔法使い

「激しくつまんねかった……」

 昼休み、学校の屋上でとおるがぼやいた。

 晃一郎こういちろうも亨も昼食は学食か購買で何かを買って済ませることが殆どだ。クラスも違うため、朝、登校が一緒になって、次は昼休みに顔を合わせることになる。

「言わんこっちゃない……」

 十五谺いさかがアルバイトをしている店に行ったのだろうことくらいは言わなくても判る。やはり行かないで正解だった、と晃一郎は安堵の溜息を密かに漏らした。

「ま、でもおめー、行って後悔するより行かないで後悔だぜ」

「逆だよ逆」

「あぁ、そう。行かないでウダウダ言ってるよか、一度行ってちゃんと経験して、つまんねーって言った方がいい」

「何に?」

「おめー、ニホンゴおかしくねーか?」

 そういう亨の日本語の方が充分怪しいと思うのだが。

「いや、何に言った方がいいのかと思ってさ」

「真実味と正当性、でしょ」

「うわぁーぃ、びくったぁっ!」

 金網越しに外を見ていた晃一郎の背後から突然声がかかった。少し吐息交じりの低いけれど通る声は二十谺はつかのものだ。

「百聞は一見にしかず、じゃないの?」

 くす、と笑って二十谺は言う。

「そうそれ」

 亨が同意する。

「あれ?」

 今日の二十谺は眼鏡をしている。

「お、眼鏡美人さんじゃねーか」

「気付くの遅い」

 二十谺は享に言ってまた笑う。最初に会った時は感情を表に出さない女かとも思ったが、あの時はあの時で二十谺も慣れていなかったのかもしれない。

「目ぇ悪かったりする?」

「少しね。でも眼鏡かけるほどじゃないのよホントは」

 それでベースを弾くときにも眼鏡はかけていなかったのだろう。

「あー、あれか、なんか遮蔽物があると周りが気にならないとか何とか」

「そ。良く知ってるわね。ま、おまじないみたいなもの。必要なものだけ視界に入れたい時とかはね。だから学校だと殆ど眼鏡かけてるわ」

 見た目の良い人間、周りから注目される人間には気苦労が多いものなのかもしれない。晃一郎には全く判らない感覚だ。

「似合うからいーじゃん」

「ありがと」

 にんまりと亨が笑顔になって言う。二十谺もまんざらでもないように笑顔を返した。

「眼鏡かけるとちょっときつい感じが抜けるみたい」

 晃一郎は思ったことをついそのまま言ってしまってから、失敗だったかと思った。まだ出会って数日の人間に言うことではなかったかもしれない。

「そうかもね。私目元がきついってよく言われるから」

 セルフレームの眼鏡をつ、と中指で押し上げて二十谺は言う。

「性格もきつそうだけどなぁ」

「お前ねぇ……」

 お気楽に言う亨を横目で見ながら晃一郎は言った。折角入ってくれた良いべーシストの機嫌を損ねでもしたら大変だ。やっとバンドが動き出したのだ。出来ることならメンバー探しなどもうしたくはない。

「いいわよ別に。亨のそういう他意の無いとこ、判ってきたし」

 微笑を崩さずに二十谺は言う。どうしても十五谺とのやり取りが印象に残っているせいか、二十谺が温和な表情をするたびにほっとしてしまう。

「そいつぁありがてー。でも実際、十五谺にはきつかったじゃねーか」

「そりゃあね。中学上がったくらいからずっとあんな感じだから。本当なら私もうまくやりたいとは思うんだけど、あの子見てると腹立っちゃうのよ」

「あぁ、それで百聞は一見にしかず、か」

「そうね。私も十五谺の店には興味ないし理解する気もないから、私自身は行く気もないけど。でも一度行った人の話は貴重でしょ」

「まぁ、確かになぁ」

 少しずつではあるが、二十谺が自分の話をしてくれているということは、それなりに音楽以外でも付き合っていこうという気が二十谺の中で生まれてきているのかもしれない。バンドメンバーとして二十谺と付き合って行く上で、二十谺がどういった生き方をしてきたのかだとか、そういうものに晃一郎は興味はなかった。今現在こうして少しずつ知っていくことができるのであればそれで良い。過去に何があろうが、どんな噂があろうが、自分が誰とどういう付き合い方をするかなど、自分で決める。それが晃一郎の持論だ。

「本当はね、理解できたらいいと思うんだけれど」

 その微笑が少しだけ愁いを帯びて見えるのは晃一郎の気のせいなのだろうか。

「案外お互いにそう思ってんじゃねーのか?」

 亨が言って、紙パックのコーヒーを飲み干す。

「どうだか」

 今現在を判ってやることができる人間とできない人間。

 晃一郎は二十谺の気持ちは良く判るが、十五谺の気持ちは判らない。人柄、付き合い方、様々な要因はあるのだろうが、十五谺が判って欲しいという気持ちを提示してこなければ、晃一郎も判ろうとはしないだろう。しかし二十谺はそういった気持ちをはっきりと提示してきた訳ではない。それはバンドという繋がりがあるからなのか、十五谺のバンドや音楽というものに対しての考え方に対する二十谺の気持ちと晃一郎の気持ちが違うからなのか、それは判らない。好きだとか嫌いだとか、そういった気持ちが絡んでいる訳でもない。

「判んねぇなぁ」

 ぼそり、と晃一郎は呟いた。

「何が?」

「え、あ、いや、コッチの話」

 亨にそう答え、晃一郎は考えるのを辞めた。

「何だよキモチワリーな」

「実は晃って十五谺のこと気に入ってるんじゃないの?」

 くすくす、と可笑しそうに笑い、二十谺が言う。分単位で親密度が増して行っているような感じだ。晃一郎としてもメンバーとは早く打ち解けたい。ここは二十谺の流れに乗ることにした。

「どこをどう曲解したらその答えが出てくるんだか二十谺の頭の構造を知りたい」

「だって妙に気にしてるじゃないの」

「二十谺には悪いけど、十五谺には結構ムカついてるんですが」

 あんなことを言われて好意を抱く方がどうかしている。

「別に悪いことはないけど」

「でもまー十五谺も可愛いからな」

 またしても亨のばかな言葉。もう少し色々と考慮してから口を開いた方が良い、と晃一郎はそれはもう随分と前から思っている。

「そういう問題か?」

「まー違うか」

 からからと実に無責任に笑う。自分で言ったことも、周りが言っていることも、大したことではない、と。

 そういう意味では、亨も二十谺も柚机莉徒ゆずきりずも大人なのだな、と素直に思う。

 たった一つ、自分が誇れるものをばかにされて、黙ってはいられない自分は子供なのだろうと晃一郎は自覚した。

(……でも)

 譲れないものは、ある。

 他の何を譲ったとしても。

「ま、まぁ、ムキになっても仕方ないことなんだろうけどさ……」

「そういうこった。楽に行こうぜ」

 晃一郎も好きなロックバンド-P.S.Y-サイのベーシスト、水沢貴之みずさわたかゆきの座右の銘を真似て、亨は紙パックを潰した。


 メイドカフェの前の道を避けて、晃一郎は馴染みの喫茶店に足を運んだ。

 広すぎず狭くもない店内は出窓に薄桃色のカーテンと小さな鉢植えをしつらえた、六人が座れるカウンター席、その向いにある定員四人のテーブル席が二つ、その奥の窓側にもテーブル席が二つある。

 さりげなく落ち着いたアコースティックギターの旋律が流れている。店主である涼子のセンスの良さをそこはかとなく感じる。

「ちわー」

「あらあら晃ちゃん、いらっしゃい。外寒いでしょう」

 店内の時計を見ると十九時三〇分。この界隈では一番遅くまで営業している店だ。学生で、アルバイトをしている晃一郎にとっては、お気に入りの店が遅くまでやっているのは非常にありがたい。

「寒いすねぇ。ブレンドもらえます?」

「はぁい、ありがと」

 涼しげな笑顔で涼子りょうこが言う。店内に客はいない。

「新しいベースの子、どうだったの?」

「あぁ、それ、凄い良かったです。同じ学校のやつで年も一緒で」

「ほうほう、願ったり叶ったりってとこかな?」

 早速コーヒーを入れる準備をしつつ涼子は言った。

「ですね」

「そう言えばこないだ晃ちゃんが持ってきたチラシのお店、なんだか繁盛してるみたいね」

「そうなんすか?俺は興味ないんでまぁ行く気ないですけどね」

 つい十五谺の顔を思い出し、嫌な気分になる。顔は可愛らしいのに思い出すと嫌な気分になるというのも妙な気分だ。

「私は一度行ってみたいけどなぁ。っていうより私もああいうカッコしてみたいな」

 くすくす、と笑いながら涼子は言う。涼子には今年十歳になる娘がいると聞いたことがある。見た目は二〇代と言っても通じそうなほど若いが、実年齢は三十代であること以外不明だ。妙齢の女性に年齢を聞くほどの度胸は晃一郎にはない。

「涼子さんなら普通に似合うかもしれないすねー」

 話を合わせて晃一郎も少し笑顔になる。

(こういう風に興味を持つ人もいるってことか……)

 だけれど晃一郎は決して涼子を軽視している訳ではない。むしろいつもこうして遅くまで店を開いて、暖かな空気を感じさせてくれる涼子を尊敬すらしている。十五谺が晃一郎に突っかかってきた部分というのは、こういうことに端を発しているのかもしれない。

 ただ、十五谺の言うことが正しいと思う訳ではない。そもそも自分を音楽オタクだとか何だとか言い出したのは十五谺が先だ。売り言葉に買い言葉で晃一郎が言い過ぎてしまった部分があることは認めるが、そこはしっかりと謝罪したはずだ。

 それでも突っかかってきたのは十五谺の方で、十五谺はこちら側の言うことに聊かも理解を示そうとはしていなかった。

(結局そういうことじゃないか)

 晃一郎はともかくとして、姉の二十谺にも理解されないのは、享や二十谺の言う通り、お互いの歩み寄りを拒んでいるせいだ。二十谺がいくら何を言い募ろうとも、十五谺が聞く耳を持たなければ会話というものは成立しない。

 そして熱意だとか説得だとか、そういった感覚も会話と同じように、一方通行では成り立たないものなのだ。

 だからこそ。

(結局関わらない方がいい、ってことだろ)

「はい、お待たせ」

 コーヒーと、注文していないはずの小さなケーキが一つ、カウンター席のテーブルに置かれた。

「何悩んでるか知らないけど、ま、あんまり考えすぎないようにね」

 ニッコリと涼子が笑う。

「え、あ、そんな顔してました?」

「このりょーこさんの目を誤魔化そうったってそうはいかないわよ。ケーキは試作品だからサービスね」

「あ、どうもっす」

 ブレンドを一口含み、ゆっくりと喉を通す。ほど良い苦味が広がって、少しだけ気分もすっきりとする。涼子が持つ魔法の効果だ。コーヒー一杯でこれほどに人を落ち着かせてくれる。店の雰囲気もコーヒーの味も、涼子の人柄も、全ては水沢涼子という優しい魔法使いが使う、優しい魔法なのだ。

 そして。

(俺にもそんな魔法が、使えるはずだと思い込んでた……)

 ロックには、音楽にはそれほどの魔法の力があると思っていた。だがそれも、判る人間にしか判らないのだろう。こんなに素敵な店よりも、メイドカフェに行く連中がいる、という事実がそれを物語っている。世の中には音楽を聞かない人間も、本を読まない人間もいる。それを責めることはできないし、ばかにすることだってできはしない。そもそもそんなことで人に線引きをしてはいけない。

「なんだか、悩んでるのもばからしくなってきました。ちっちゃいことで悩んでたなぁ、とか……」

 恐らくは試供品の小さなケーキを口に運び、晃一郎は苦笑した。つまりは、そういうことだ。

 そもそもが万人に判ってもらいたい、などとは思っていなかったことだ。だから、判ってくれる人に、伝わる人に伝えればいい。それが他人に作り物だとか、偽者だとか言われても、言いたい人間には言わせておけば良い。

「そ。その割りにあんまりシャキっとしてない感じだけど?」

「いや、自嘲って言うんですかね。自分が色々つまんないことにこだわりすぎちゃてた部分もあったみたいで」

「なるほどね。まぁ、そういうのって、一度自分が思った通りのことやってみないとすっきりするものでもないし、晃ちゃんが思った通りにやったらいいんじゃない?」

(柚机の言った通りか。……やれることなんか限られてるんだからそれをやる。それだけのことだな)

 涼子の言葉と莉徒の言った言葉が晃一郎の胸の中で重なる。

「そうすね。なんとなくそっちの方向性だけは見えたんで」

 自分が納得するまで自分の信じたものをやる。今までと何一つ変わってはいない。それをやり続けるだけだ。何故十五谺に言われたことに対してあれほど腹を立てたのかも、判らなくしてしまおう。

 自分は自分の信じるものだけを、頑なにやっていこう。

 晃一郎はそう思った。

「動く動機はいいとしても、向かう方向は間違えないようにね」

 まるで晃一郎の胸の中を見透かしたように涼子は言い、ぺろ、っと舌を出した。


 第四話:商店街の魔法使い 終り

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