第三話:だから現実がどうだというのだ

 晃一郎こういちろうは私立瀬能せのう学園高等部の軽音楽部に所属している。部室は第二音楽室にあり、準備室にはドラムセットも置かれている。しかし軽音楽部とは実は名ばかりで、バンド者のたまり場になっているだけ、という話もある。事実、ここには軽音楽部に所属していない人間が良く出入りしている。

 軽音楽部に所属する人間がバンドを組んでいる際、部員や部室にいる人数が少なければ、そのバンドの練習にも使われることもある。晃一郎は今日、そのつもりで部室に顔を出したが、既に軽音楽部ではない人間が約三名、部室にいて談笑をし、もう一人は会話に加わらずに寝ていた。

 一人は相棒のとおる

 そして昨日メンバーに入ったばかりの二十谺はつか

 そして学内ではいろいろな意味で有名な柚机莉徒ゆずきりず

 そして毎度のことながら、後ろの席の椅子を並べてそこに寝ている樋村英介ひむらえいすけが寝息を立てていた。

 仲良く話している二十谺と柚机莉徒を見ると、どうやら二人は友達らしい。二十谺がこれまでここ、第二音楽室に来なかったこともあってか、晃一郎は殆ど莉徒と話したことがなかった。

「お、バンマスきた!」

 亨が言って、スティックを持つ。

「二十谺」

 晃一郎は挨拶代わりに享に片手を上げると二十谺に近寄り、口を開く。

「何?」

「あんたの妹ってなぁどんな奴なんだよ」

 昨日二十谺の妹である十五谺いさかに言われたことは納得できないままだ。恐らく同じような観点で二十谺と十五谺は喧嘩を繰り返してるのだろう。

「何か言われた?」

「俺、帰り道にあの店の前通るんだけど、たまたま仕事上がりだったみたいで急に話しかけてきてさ」

「何ー!オマエずるいぞ!」

「別におたく共を弁護するのは好き勝手にすりゃいいけど、なんで俺の音楽までけなされなきゃならないのかがどうしても理解できない」

 亨の言葉をまるっきり無視して、晃一郎は言った。言って、二十谺に対しては随分と言葉足らずだったと気付く。

「ムキになって反論するだけ無駄だって良く判ったでしょ」

 微かに苦笑して二十谺は言った。細かな理由までは伝わってはいないのだろうが、二十谺としては十五谺にムカつかされた、という事実で充分なのだろう。

「だけどっ」

「よーぅ、風野かざのだっけ」

 柚机莉徒が口を挟んできた。

「ん」

「言いたい奴には言わしときゃいいのよ。この世界に生きてる全部の人間に認めてもらいたい?」

 柚机莉徒は何かと噂が多い人物だ。その噂はお世辞にも良い噂とは言えないものばかりで、やれウリをやっているだとか、五千円払えばやらせてくれるだとか、組んだバンドは必ず崩壊するだとか、酷いものばかりだった。流石に色々と噂を立てられている人間は言うことが違う。達観したつもりにでもなっているのだろうか。

「そういう問題じゃなくて……」

 言葉を続けようと頭の中を整理する。怒りの感情に引っ掻き回されて巧く言葉にできない。

「初対面の人間にズケズケアレコレ言われたのがムカつくって話でしょ?」

「そうそれ!」

 要約してしまえば確かに莉徒の言う通りなのだが、ただそれだけという訳でもないのがもどかしいところだ。

「だから、言わしときゃいいでしょ、それこそ」

 なるほど。ひとまずは納得する。それが所謂大人の反応なのだろう。しかしそれができないから、腹も立ってしまう。

「ま、まぁそうかもしんないけど。あんたはそれで平気なんだろうけどさ」

「そ。叩き上げだからね。外野が何言ってたっていいじゃない」

 にこっと屈託の欠片もない笑顔になる。柚机莉徒もバンドを組んでいる。確か男女混成のバンドで、そういったバンドはどちらかの性別で統一されているバンドよりも問題が起こりやすい。莉徒が所属しているバンドも外野から様々なことを言われ続けてきたのだろう。そんな悪い噂を持つ柚机莉徒を迎え入れたそのバンドのメンバーは理解度が高いのか、音だけ良ければそれで良いのか、ともかく事情を知らない晃一郎としては何を考えているのか、良く判らない。判らないものを有耶無耶のままに敵視はできないことも、頭では理解しているのだが。

 二十谺の存在は昨日初めて知ったが、莉徒はバンド方面から話が入ってきたこともあったので、晃一郎も名前は知っていた。まともに話すのは今日が初めてだ。

「でもよ、我慢できないことだってない訳?」

「まぁあるけどね。でもさ、人間どうせできることなんて限られてんだから、ソレやってくしかないでしょ、外野が何言おうがさ」

 莉徒の言葉に大きく二十谺が頷いて、遅ればせながら亨もんだ、と偉そうに大きく頷く。多分亨は判っていない。

「十五谺はその辺特に歪んでるから、気にするだけ損よ」

 そういった面で莉徒とは仲が良いのだろうか。二十谺も莉徒も見た目は文句なし、と言って良いほど整っている。美人や可愛い女の子には何かと悪い噂は付き物だ。それは女性に限ったことではないのだろうが。事実、後ろで寝ている樋村英介も学内ではかなり有名人で、いつも女を取っ替え引っ替えして優雅に遊んでいるせいか、男にはやっかまれ、女には警戒されているらしい。

 どこをどう見ても平凡かそれ以下の晃一郎には全く無縁な話だ。

「人間できてなくてすみませんね」

 理解はしていても納得はできそうもない。だが、それでも確かにムキになっていても仕方のないことだ。そこまで理解がない訳ではないし、そうして莉徒や二十谺を見てしまえば、晃一郎の行動や感情が二人よりも子供じみていることも判る。

「まぁ好きなことに一生懸命なのはイイことなんだけどさ。ムカつくことお腹に貯めてても体に悪いだけよ」

 からからと柚机莉徒は笑う。

「だから正面切って吐き出すんだと思うんだけど……」

「効かない相手にやっても意味ないってこと」

 莉徒に言った言葉を二十谺が返す。流石に幾度となく姉妹喧嘩を繰り広げてきた姉の言葉だ。だからといってそれで納得できる訳でもないのだが、ここで意地を張っていたところでそれもまた、どうにもならない。

「まぁそうだけどさ……。なんか、通じないものかね」

「そりゃお互いが認め合ってないんだから無理な話よ」

 そういうものだろうか。

 それならば、説得だとか、熱意だとか、そういう言葉は何のためにあるのだろう。

「んー……」

「ま、そんなことで悩んでたって仕方ねぇだろ。今日は人もいねぇし、練習しようぜ」

 ぱん、とスネアを一発叩いて亨が言う。背後でがたた、と樋村英輔が動いたようだった。

「ま、そうだな」

「そそ、私は今日あんたらの音聞きにきたんだから早く聞かせてよ」

 にこり、と可愛らしい笑顔になって、柚机莉徒は無邪気に言った。


 練習が終わり、亨が突拍子もないことを言ってきた。

「さぁ行こうか、こうくん」

「どこに?」

「決まってるじゃないか、ワタークシ達の屋敷にだ」

 なんとなくエライ英国紳士風に亨は言って胸を張った。きっと本物の英国紳士はこんな胡散臭くはないだろうけれど。

「一人で行けってば」

 晃一郎は言って一人で歩き出す。

「おめーよ、色々ワダカマってんだろ」

 慌てて後を追って亨が言う。蟠っているから十五谺がアルバイトをするメイドカフェに行って、一体全体何が解決するというのか。

「亨こそ十五谺と仲良くしてどうしようってんだよ。亨の狙いは二十谺だろ」

「おめーバカ!狙いとかゆーな!」

 大声で亨はそう言って、晃一郎の肩をバンバンと叩いた。薄々は勘づいていたことだが、やはりそうだったか、と晃一郎は納得する。

「ご、ごめんごめん。でもあそこへは行かないぞ」

 そこは冗談ではなく、本気でそう思っている。

「何で」

「何で気分を害しに行っておまけに金まで払わなくちゃならないんだよ。あんなもんに金かけるくらいなら何か他のモン買うよ」

 バンド関係以外の友人はパチンコをしたり、風俗に行ってみたり、と色々と金を使っているようだが、晃一郎はそんなものに金をかける気にはなれない。

「ばっかおめー、行きもしねーでそういうこと言うんじゃねーよ。経験だろ!何ごとも!」

 どこかで聞いたようなことを亨は言う。確かにそうかもしれないが、人には経験などしたくもないほど合わないものもある。晃一郎にとっては、所謂アキバ系と呼ばれるそれらのものがそうであり、別に知らなくても良い世界だ、と思っている。

 故に、昨日理解もなく蔑んでしまったことに対しては反省しているが、だからといってそういう世界を自分で経験してみようなどとは思えない。

「じゃあ亨は足裏マッサージとか行ってみたい?あのちょー痛そうなやつ」

「痛ぇのは嫌だなぁ」

「何ごとも経験なんじゃないのかよ」

 誰にだってそういうことはあるものだ。そらみろ、と晃一郎は心の中で舌を出した。

「まぁそうだな。それは、確かにそうだ。うむ、すまん。しかし、約束は約束だ」

「何が?」

 まともに頭の上にハテナマークを浮かべ、晃一郎は聞き返した。メイドカフェに行く、などというふざけた約束はした覚えがない。

「昨日二十谺の妹に、おめーと二人で行くっつっちまっただろ」

「あんなもん、約束の内に入るか」

 そのことか、と晃一郎はゲンナリした。単純に亨の興味から出た言葉で、巻き添えを食らわされただけだ。あんなものは約束でも何でもなくその場の勢いでしかない。仮に約束だったとしても、その約束を破ってどんな罪悪感を感じれば良いというのか。

「いかんな、男がそんなことでは」

 まだ英国紳士気分を引きずっているのか、亨は奇妙な口調のままで言う。

「じゃあ俺の分もお金、出してくれよ」

 付き合わせるのならばそれなりのメリットがなければ、と晃一郎は思う。最低限自分の腹が一切痛まないのならば、亨に付き合っても良いと思ったが、自腹を切ってまで付き合う義理もない。

「そんな金はない」

「じゃあ交渉決裂。じゃあな!」

 ぽんと亨の肩を叩き、一つ頷いて晃一郎は言った。

「逃げる気か?」

「逃げる?」

 むっ、として晃一郎は亨のどこか小ばかにした目線を見返した。

「結局はあの子にメタメタに言われるのが嫌なんだろ」

「亨はそれ、気分いい?」

 自分が好きで真剣にやってきていることをばかにされて良い気分になどなる訳がないのだ。そう思うと二十谺や莉徒の考えは確かに正しい。結局、言っても聞く耳を持たない人間には何を言ったところで無駄なのだから。

「よろしくはねぇな」

「なら辞めとけって」

「でもま、おれは知りもしないでけなす気にはなれないからな」

 亨のこういった一種まっすぐな潔さ、というものを晃一郎は認めている。過去に晃一郎をいじめていたことを詫びにきたときもそうだった。確かに、亨は興味本位だけでメイドカフェに行きたい、と思っている訳でもないのだろう。しかし、それでも晃一郎が亨に付き合う必要性は感じられない。

 いや、興味本位で行きたいだけなのかもしれない。

「お人好しだねぇ」

「オマエほどじゃねぇけどなぁ」

「え?どういうこと」

「オマエさ、さっきなんだか十五谺を説得したいみてーな感じだったし」

 確かに亨の言う通りだったが、今はそんな気もすっかり失せてしまった。十五谺が晃一郎を、ロックを判ろうとしないままばかにするのならすれば良いのだ。言いたい奴には言わせておけば良い。姉である二十谺がそういう態度を取っているのも、今まで幾度となくそうしたやり取りが繰り返された結果だ。

「最初はそう思ったけどさ。でもなんかばかばかしくなった。ほんと、行きたいなら一人でたのむ」

「相手のこと判ろうとしなきゃ伝わるもんも伝わんねーよ。ま、オマエがそれでいいならこれ以上は誘わねーけどな」

 肩をすくめて亨は言う。

「……」

「二十谺だってあの性格だろ。早々に諦めたのかもしんねーけど、でもむかつくことはむかつくから、って文句たれてるようにしかおれには見えねんだよな。まー別に二十谺から聞いた訳でもねーし、あいつと付き合い深い訳じゃねーからおれの勝手な妄想だけど」

 そう言って亨は急に真面目な顔になる。

 周りから色々と言われてきたのは二十谺や莉徒だけではない。この亨もそうなのだ。中学時代は荒れ放題に荒れて、高校に上がった途端に付き合っていた友達と縁を切り、あちこちに頭を下げに行った。今更なんだ、だとか、もう遅い、だとか散々な言われようだったらしい。

「柚机だってそうだろ。一々相手にしてたらきりがねーから、ってああいう風に考えるようになったんだ。だけどおれ達は、まー少なくともおれは、一々相手にしてられないと思うほど二十谺とも十五谺とも長く付き合っちゃねーよ」

 享の言うことは尤もだ。だけれど。

「かも知れないけど……」

「ゲンジツを見ろとかそういう話だろ?じゃあゲンジツはどうなんだよ。おれは確かに散々ばかやってアチコチに迷惑かけて、謝り倒して、許してもらえなかったこともあったし、許してもらったことだってあったべ。事実他の奴は相手にしなかったけど、オマエはこうしておれと付き合ってくれてる訳じゃん」

「お前と俺の関係をバンドマンとメイドカフェに置き換えても整合性なさすぎ」

 晃一郎が亨を認めたのは、そうした働きかけが亨からあったからだ。亨自身が誠意を見せてくれなければ、晃一郎と亨の関係は変わらなかった。そもそも晃一郎の心も動かなかったのではないだろうか。

「何ごとも一方向からじゃモノの全容は見えねーってことだよ。んじゃなー」

 享が二十谺を想い始めているのは、晃一郎の思い違いではないだろう。そして享は二十谺を理解しようとするために、そうして動き出しているのかもしれない。まだ出会ったばかりだとか、良く知らない、だとかそういうことではないのかもしれない。

 人が人に惹かれる、ということは。

 昇降口へと歩く享の背を見送りながら晃一郎は、ぼんやりとそんなことを考えた。


 第三話:だから現実がどうだというのだ 終り

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