第二話:夕方六時頃にかかるロックンロール

 さ、と胸元にかかる黒髪を背へ流す仕草。

 あまり明確に、はっきりとは感情を表に出さない、ほんの少し温度の低い笑顔。

 背丈は亨よりも少し低いくらい。享は背が高いので二十谺はつかは女性の中でも随分と高い方だろう。

 コートを脱いで淡い青系統のワンピースにシースルーブルーのG&Lジーアンドエルのベースは良く似合っていて、それだけで一枚の画にできそうだった。

 正直なところ晃一郎こういちろうは異性に少々の苦手意識を持っている。それが二十谺のように見目麗しい女性ともなれば尚のことだったが、全く喋れないという訳ではない。ただ、少しだけ距離を置いてしまうような、引け目を感じてしまうような、そんな感じはどうしても否めない。それもまだ会って一時間ほどでは当たり前のことではあるので早く慣れたいところだ。

「どんな感じ?」

 一時間の音合わせを終えて、晃一郎は二十谺に訊ねてみた。

「グレッチ、いいわね。コードギターで音が潰れなくて、パワーコードでも結構ちゃんと歪むのね」

「そうだねぇ。ギターの地力とアンプに頼ってるのは大きいと思うよ。コンパクト単体だとそんなに強烈な歪みかからないからさ」

 しかし本来のエレキギターの鳴り、とはそういうもので充分だと晃一郎は考えている。あくまでも晃一郎の持論だが、エフェクターの使い方とは、足りないものに少しだけ味付けをするだけで良いはずなのだ。特に晃一郎がやりたいロックには、そういう音が必要であり、エフェクト効果だけの音しかしないギターになど何の魅力も感じない。

「神戸牛にやっすいタレこれでもかってくらい塗ったくって食うんなら結局肉の味じゃなくてタレの味が勝っちまうしな」

「面白いこと言うわね」

 とおるはいつもギターの音色の話になると焼肉を引き合いに出す。案外的を射ているので判りやすいのかもしれない。本来そのままで使われていたはずのエレキギターとアンプは肉、つまり素材そのものを表し、エフェクターはタレ、文字通り味付けを表す。

 安いタレの味しかしないほどにタレを絡ませて食べる焼肉なら、肉の品質など良かろうと悪かろうとあまり変わらない。それはエレキギターとエフェクト効果も全く同じだ。

 ドラマーという立場からか、自分の音の上で鳴る音に対して亨は敏感だ。そういった細やかな、僅かなフィーリングが合うからこそ、晃一郎は亨とずっと組み続けている。

「ま、やってる音楽、聴く奴の嗜好、色々あるから一概にそうだとは言えねーけどな。基本的にはそういうことだろ。折角いい機材使ってもその特色を生かせねーんなら意味ねーぜ」

 そういう点では晃一郎と二十谺の音に対する思い入れは似ているようにも感じる。

「ドラムでも時々いるものね。フランジかけたりやたらリバーブ効かせたりって」

「あーいるな。ジャンルで必要なのもあっかもだけど、おれらみてーなロックならいらねーよな。ま、おれはいつでもバリカタだけどよ!」

 昨今では豚骨ラーメンなどで使われる言葉だが、ライブ時にドラマーが一切のエフェクトをかけずに、バリバリに固い音にしたい時にPAに伝える、バンド者の間での俗語でもある。

「確かに。リズムキープがしっかりできてるんだったら後は気持ちで叩いてくれた方がこっちも気持ちいいし」

 リズム隊はリズム隊で気も合っているらしい。

「で、どうする?」

 合わせた時のフィーリング、今の話の流れからして返事は期待しても良さそうだ。晃一郎は二十谺に結論を促した。

「私はお願いしたいけど、そっちはどうなの?」

 特に表情を変えずに二十谺は即答した。期待通りの返答に晃一郎は心の中でだけガッツポーズを取る。

「俺もお願いしたいね。亨は?」

「あぁ、おれも異存はねぇな」

 ロックに女は必要ない、と豪語していた亨はどこへ行ったのか、満足そうな笑顔で頷いた。

「じゃ、これから宜しくね」

 微かに微笑んで二十谺は言う。

「こちらこそ」

 晃一郎も笑顔で返す。二十谺が笑顔を見せると心なしかほっとする。

「じゃー結成祝いにメシでも食いに行くか?宮野木みやのぎはこの後空いてんのか?」

「二十谺でいいわ。私も名前で呼ばせてもらうから」

 そう言って二十谺はこうに亨ね、と確認を取った。

「オッケ。で?」

「夜にもう一つバンドのミーティングがあるんだけれど、それまでなら」

「今現在でいくつか掛け持ちしてんの?」

 晃一郎は気になるところを訊いてみた。ギターや唄よりも所謂リズム隊と呼ばれる、ベース、ドラムの方が人口は少ないのが常で、今までに組んでいたベーシストもいくつかバンドを掛け持っている、ということも少なくなかったのだ。

「ううん。この後のバンドが良かったら考えようかとも思ったけど、元々そっちはあまりあてにしてないのよ。できればこのバンド一つに集中したいし」

 ありがたいことを言ってくれる。

 音合わせの結果、宮野木二十谺のベースの腕前は予想以上だった。中にはG&Lのような良い楽器を持っていても全く腕のないプレイヤーもいるにはいるが、二十谺は全くそんなことはなかった。

 経験年数や理解深度などはまだまだ晃一郎たちの年齢では浅いとはいえ、それでも同年代の中では今まで組んだどのベーシストよりも個が確立していた。何でもできるベーシストというのは、何でもできるが故に、ギターやボーカルと同等に自己主張をする者もいる。

 そこはあくまでも晃一郎の個人的な考えではあるが、ベーシストの範疇ではないと思うのだ。ベーシストはベーシストとしての主張をしっかりと持つべきで、ギターやボーカルと同じ土俵には上がるものではない。晃一郎はベーシストにそういう部分を求めていた。

 そして宮野木二十谺のベースはまさしくそれだ。自己を主張しつつ、出過ぎない。リズム隊である仕事をキッチリとこなし、リズムを刻み、メロディも弾き、場合によってはパーカッションさえこなせるエレキベースという楽器に対し、高い理解力を持っている。

 亨のドラムスタイルと同じように細かい技術よりも、気持ちを込めるギターを弾く晃一郎にとってはそういうベースはありがたい。

「じゃあ蹴っちまえ」

 勿論冗談だろうが亨は言って笑った。晃一郎も一瞬だけ同じことを考えたが、それは二十谺が決めることだ。

「そのつもりではいるけどね」

「おー、そっか。んじゃま、メシ食いに行こうぜ」

 亨が言って立ち上がった。二十谺もゆっくりと立ち上がって微笑した。


 亨と待ち合わせる前に通ったメイドカフェは人気を博しているようで、店の前は賑わっていた。

「なーなー、晃、今度行ってみようぜ」

 案の定亨はそう言ってニヤニヤした。以前から話題になっていたメイドカフェに亨は行きたがっていたが、近くにはないため晃一郎もそのうちな、とお茶を濁していたのだが、こう近くにできてしまっては断る理由を探すのも面倒だ。

「高校生のクセに水商売に興味持つなよなー」

「晃はこういうの興味ねぇもんなー。でもさ、何ごとも経験じゃんよ」

「まぁ、気が向いたらな」

 そう言った途端に手を掴まれた。二十谺かと思い、一瞬どきりとして振り返ると、そこに立っていたのは昼間にビラ配りをしていたゴシックロリータ風の服を着た女の子だった。

 軽く色を抜いた髪を所謂ツーテールだとかツインテールだとかツインテだとか呼ばれる髪形にして、大仰と言っても良いほどのフリルのついた大きなリボンをつけている。完全にコスチュームプレイの服装だ。実際にこんな服装をした女の子など、ビジュアル系バンドのライブでしか見たことがない。

「さっきも通りましたよね?興味ないですかぁ?」

 言われて晃一郎は店の入り口に目をやる。どう見ても店はいっぱいだ。この寒い中並んで待っている酔狂な連中すらいるのに、まだ客引きをするのか、と晃一郎は一瞬嫌な顔を作った。

「あ、ご、ごめんなさい……」

 そんな晃一郎に気付いたのか、女の子はしゅんとして下を向いた。どこかに鈴でもつけているのか、しゃりん、と音が鳴る。確かに従業員と客、需要と供給、と考えればそれは顔をしかめることでもないか、と晃一郎は改める。

「オメーばかこの野郎!」

 ばし、と晃一郎は亨に頭を叩かれた。

「いたぁっ!」

「オメーこの子だってこの寒い中仕事で一生懸命なんだからしょーがねーだろーがよー」

「いや俺、何も言ってないけど」

「今度こいつ連れて二人で行くからさ、頑張ってな!」

 ぽんと女の子の肩に手を乗せて、亨はニカーっと助平そうな笑顔を作った。

(一人で行けよばか)

「あ、ありがとうございますっ、わたしバイトだから、もしきていただけるんなら夕方にきてくださいねぇ」

 悪寒が走るような喋り方で女の子は亨に言う。アルバイトは始めるとまずこういう教育をされるのだろうか。

(ごしゅじんさまぁ、とか言うんだ……。さ、サムイ……)

 あまりに趣味には合わなに想像をして、晃一郎はぶるると身震いした。その途端。

十五谺いさか

「え?お、お姉ちゃん?」

 背の低い晃一郎よりも更に低い、その女の子の名を二十谺が呼ぶ。親しみの欠片もない嘆息交じりの声で。

「はー?なん?イサカ?え、何、姉妹?」

 亨が慌てた様子で言う。晃一郎は十五谺と呼ばれたメイドの女の子と二十谺の顔を交互に見た。

「こんなことやめろって言ったでしょ」

「お姉ちゃんには関係ないでしょ!」

 亨の慌てっぷりを完全に無視して二十谺と十五谺は口々に言い合う。

「イサカ……、にハツカ?」

 なおも呻くように亨は言い、晃一郎と同じく二人の顔を見比べているかのように交互に見る。

「やっぱり普通に喋れるんだ……」

 思わず声に出してしまっていた。所謂『萌え口調』ではない、普通の声と話し方で十五谺は姉である二十谺と話している。十五谺はキッときつい視線を晃一郎に向けたが、すぐに二十谺に視線を戻した。

「まぁ小銭稼いで遊び呆けるのはアンタの勝手だけど」

「自分だって遊んでるじゃない!」

 遊び、の温度差がある。だが流石に口は出せない。

「アンタのばかな遊びと一緒にしないでくれる?自分が好きで真剣にやってることなの。アンタみたいなばかじゃ判らないでしょうけどね」

「お、おいおい二十谺……」

 情けも、容赦の欠片もない言葉を二十谺は妹であるはずの十五谺に浴びせかける。

「プロになる気ないんだったら同じじゃない!」

「プロになることだけが真剣にやることだと思うこと自体、アンタのオツムが弱いって証拠よ」

 冷笑。

 感情の起伏が少ない女だとは思ってはいたが、感情の温度を下げるのは得意らしい。晃一郎は二十谺の認識を改めた。

 宮野木二十谺とは、おっかない女だ。

「もぉいいよ!」

 つい、と背を向けて、十五谺は晃一郎達から離れて行ってしまう。

「い、いーのか?」

 おどおどした亨が二十谺の顔色を伺う。

「いいのよ。あんなのが妹だなんていい恥さらしだけれど」

 姉妹仲はとことん悪いらしい。今の調子では顔を合わせる度に喧嘩をしているのだろう。そういえば、二十谺と十五谺は良く似ている、と今更ながらに晃一郎は思った。同じ顔立ちで育ってきて、大人っぽく成長したのが二十谺で、可愛らしいままなのが十五谺だ。

「まぁ俺らが絡んだってどうしようもないだろ。本人同士の問題だしさ」

「そういうことね」

「色々あんだなー」

 亨は言ってジーンズのポケットに手を入れた。

「別に亨が十五谺の店に行きたいなら止めもしないし。好きにすればいいわ」

「あー、まーその辺はな。好きにするけどよ」

 悪びれもせずに亨は言う。晃一郎はメイドカフェには興味もないし亨に付き合う気もない。

「ともかくメシ行こう」

「んだな」


 バンド名は結局亨と一番最初に組んだときのバンド名、シャガロックのままで行くことになった。

 シャガというのは花の名前で、反抗、抵抗、決意の花言葉を持つ花だ。しかもシャガの花の漢名、射干やかんは中国の花のヒオウギと間違えられて呼ばれた名なのだと言う。俳句の世界では著莪しゃがという字を使うらしいが、花言葉や名前の由来が間違えられていることなどから、自分達のやるロックは正しくこれだと思い、晃一郎が決めた名前だ。

 二十谺はあまり自分のことを話したがらなかったが、好きな音楽や今までどういったバンドに所属してきたかなどという話はしてくれた。亨は二十谺のことを気に入ったらしく、べらべらと良く喋った。二十谺は聞き上手なのか、嫌な顔一つせず(かといって終始笑顔だった訳でもないが)に亨の話を聞き続けていた。

 晃一郎としては今まで幾度となく聞かされてきた話だったので退屈以外のなにものでもなかった。


 ミーティングを兼ねた食事を終え、各々が帰路につく。晃一郎は再びメイドカフェの前を通ることになる。時間帯としてはどの店ももうシャッターを降ろしている時間帯だ。晃一郎が昼間に利用していた喫茶店はまだやっているだろうが、メイドカフェももう閉店していた。

「ここもヲタが集まるようになるのかねぇ」

「いいことじゃない」

「わぁ!」

 いきなり背後から声をかけられて、晃一郎は思わず声を上げてしまった。

「あぁー二十谺の妹さんの……」

「い、さ、か、ね」

 言いながらピンクの手袋がVサインを作る。ビラ配りの時に着ていたゴシックロリータ服ではなく私服姿だ。それでも髪型はそのままで、リボンを取っただけの可愛らしい姿には変わりなかった。

「お姉ちゃんとバンド、やるんだね」

「あぁ、まぁ」

 ずぃ、と晃一郎に詰め寄って十五谺は言った。ぐ、と可愛らしい顔が晃一郎に近付く。パーソナルスペースが狭いのだろうか。思わず一歩後ずさる。

「な、何」

「おたくおたく、ってばかにしてるみたいだけど、あなたも音楽おたくなんでしょ?」

「……一緒にすんな」

 十五谺の言葉に気分を害して晃一郎は言った。

「一緒よ。彼らはあなたが音楽が好きなようにアニメやゲームのキャラクターが好きなの。真剣にね。そういう風に人が真剣に好きになってるものをばかにするのは良くないことなんじゃないの?そういう人達が、画面の中の作り物の女の子じゃなくて、本物の女の子に興味を示し始めてるの。それのどこがいけないの?」

 十五谺は一気にまくし立てて、上目遣いで小首をかしげた。

「……人間は本物だろうけど、こんなの作り物と同じじゃないか」

 本物の人間がメイドを演じているだけだ。本人の意思ではないしメイドをやっている女の子だって仕事でやっているだけだ。そもそもの話を言えば、メイドという仕事にしたって喫茶店でゴシュジンサマに割高なくせに大した味もしないコーヒーやデザートなどを運んで一緒に過ごすなどという仕事ではないはずだ。

「そうよ。音楽だってそうでしょ。作り物の恋の歌、作り物の応援歌、作り物の世界の歌、キレイゴトの世界、キレイゴトの恋。何も変わらないじゃない」

「ちがう!」

 晃一郎はつい大声を出してしまった。その声に十五谺は一瞬だけ体を振るわせた。

「俺は、俺達はそういうことやってんじゃない」

 十五谺の姿を見て、声のトーンを落とし、晃一郎は言う。

「いくらあなたが違うって言ったところで、そういう風に見る人達も沢山いるってこと。あなたがわたし達やお客さんをそういう風に見てるようにね」

(何だ)

 何なのだ。

 こんなことを言われる覚えはない。今日初めて知り合ったベーシストの妹だ。今まで晃一郎とは面識すらなかった。それなのに何故こんなことを言われなければならない。確かに良く知りもしないでおたくと呼ばれる人間を斜から見ていたことは悪かったと思ったし、それに関しては反省している。だが、十五谺にここまで自分の音楽を貶される謂れはない。

「そういう風に、悪し様に言ったのは悪かったと思うよ」

 そもそもおたくが集まるのか、と考えただけでそういう人間を悪く言った覚えはない。

(いや)

 一緒にするな、とは確かに言ってはいけない言葉だった。とはいうものの、十五谺が本当に、本心からそうした人間のことを憂いているとは到底思えない。

「じゃあ今度、興味と勇気があったらお店、きてみてね」

 晃一郎が憮然としつつ、詫びたのを見て十五谺は気が済んだのだろうか。急に笑顔を浮かべてそう言うと、きびすを返した。

(わざわざそんな話がしたくて俺に話しかけたのかよ)

 やっていられない。

 付き合っていられない。

 そうは思っても、釈然としない。

 その思いが消えない。

「くそ」

 一言口に出してから激しく後悔する。

 言わなければ良かった。軽く流せるくらい自分が大人だったら良かった。

(陽が沈んだ頃に始まる、世紀末のドラムを聴け)

 晃一郎は最も好きなバンドWarlock Hermitウォーロックハーミットの一番気に入っている唄を心の中で口ずさむ。

(世界最期のドラムと共に刻み始めるロック・ベースは不浄を唄い)

 嫌なことやむしゃくしゃすることがあると、晃一郎は必ずこの歌を思い出す。幾度も晃一郎を勇気付け、助けてくれた曲だ。

(不浄のベースに乗ったギターは、悲しみを砕け、と叫び続ける)

 全てが悲しみに暮れても、全てが闇に染まっても、きっと歌声はなくならない。

 例えそれが十五谺の言った作り物の、キレイゴトの理想論だったとしても。

(今ここで唄う力は、誰でもなく僕の心)


 第二話:夕方六時頃にかかるロックンロール 終り

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る