第一話:第十七収容所の監獄ロック

 七本槍ななほんやり市 七本槍南商店街 喫茶店 vultureヴォルチャー


「これは強力なライバルができたわねぇ」

 さして困惑もせず、水沢涼子みずさわりょうこは頬に手を当てた。晃一郎こういちろうが持ってきた、やたらときらびやかな色使いのチラシを眺めて。

「お店の趣旨が違うんじゃないです?」

 晃一郎は言って、ブレンドを一口飲む。涼子は南商店街の外れにあるここ、喫茶店vultureのオーナー兼ウェイトレスだ。見た目だけで言えばまだまだハイティーンにもも見えてしまう驚異的な若さを誇るが、既婚者であり、一児の母でもある、三十代の立派な成人女性だ。

「ま、それはもちろんね」

 にこやかに、たおやかに涼子は微笑む。

 午後二時。

 客足が遠のくこの時間帯に、晃一郎は冬休みの間、この喫茶店vultureに通っていた。二、三日前に商店街に昨今流行らしいメイドカフェというものがオープンした。涼子の店はれっきとした喫茶店で、メイド目当ての客が出入りする水商売とは訳が違う。それに晃一郎は所謂『萌え』だとか『アキバ系』だとかいう感覚が理解できない人間だ。近場にできたからといって行く気にはなれなかった。

 ただ、チラシを配っている女の子が妙に可愛かったので、ついチラシを手に取ってしまったのは男の悲しい性だろう、と自分に言い訳もしてみたが、断じて晃一郎自身にメイド属性がある訳ではない。

 それに一応はカフェ、と銘打っているので同業(だとは断じて認めたくはないが)であるこの店にも知らせた方が良いと思ってチラシを持ってきたのだ。

「ちぃーす。うぉーあったけぇ」

 カラカランとカウベルが鳴り、聞きなれた声が飛び込んできた。

「あらとおるくん、いらっしゃい。待ち合わせだったの?」

 親友の相田あいだ享だ。身長が一六五センチしかない晃一郎よりも十センチも高い長身が晃一郎の隣に座る。涼子は享に声をかけて、お冷を出した。

「そっす。これから夕香ゆうかさんとこでベーシスト候補と待ち合わせなんすよ」

 晃一郎と享はバンドをやっている。晃一郎はギターとボーカル、享はドラマーだ。二ヶ月前まで一所にやっていたベーシストは享との確執が原因で喧嘩別れになり、新たにベーシストを見つけなければならくなった。

 インターネットのメンバー募集掲示板に書き込んだり、練習スタジオにチラシを張ったりなどして、やっと一人、ベーシストの候補が挙がってきたところだった。

「じゃあベース、見つかったのね」

「とりあえず、ですね。女の子なんで俺達の音に合うかどうかはやってみないと判らないんですけど」

 涼子の言葉に晃一郎が答える。商店街にある楽器店兼リハーサルスタジオであるEDITIONエディションのホームページに設置されている掲示板で、その女子ベーシストから反応があった。

「なるほどね。晃ちゃん達に合うベーシストだといいわね」

「まぁ女じゃあんま期待できねぇけどなぁー。あ、涼子さん、おれモカね」

 上着を脱ぎながら、悪気もなくそう享は言ってのけた。

「女性差別するような子には塩でも入れちゃおうかしら」

「え、あ、嘘です嘘です!」

 ばかな男だ、と晃一郎は苦笑した。

 享とはそもそも中学からの付き合いではあるのだが、その頃の晃一郎と享はいじめられっこといじめっこの関係だった。亨は筋金入りの不良で、晃一郎は亨に目を付けられたいじめられっこだった。

 ところが高校に上がった途端に、享の態度が激変した。どこから聞いてきたのか、晃一郎がギターをやっていたことを知ったのが理由だったらしいことは聞いたことがあったが、本当のところはどうだか判らない。

 享は高校に上がってからドラムを始めた。中学時代に暴れるだけ暴れた亨とバンドを組もう、と思う人間はいなかったらしく、それなりに反省をして晃一郎に様々な含みをこめて頭を下げてきたのだ。

 それから一年と数ヶ月。

 享の謝罪と音楽に対する熱意を認め、晃一郎と享は常にバンドを組んでいたが、ベーシストの募集はこれで三度目になる。全て享がベーシストと喧嘩をして駄目になった。そんなやり取りをしている間に、いじめっこといじめられっこの上下関係もすっかり消え失せた。いじめられていた当時からしてみればまったく信じがたい話ではあるが、今では晃一郎と享は親友と呼べる仲だ。

「ドラムだって亨より上手い女の人、沢山いるんだからなー」

 晃一郎は言って笑う。とは言いつつも、実際には女性メンバーを募集することは、極力避けていた。晃一郎と亨が作ってきた曲の音楽性を考慮すると、キャッチーな可愛らしい楽曲などが皆無で女性には向かない、ということがまず一番の理由だが、他にも男女混成のバンドでは恋愛関係が生まれ、恋愛関係の縺れと共にバンドが破綻する、という理由もあった。しかしこうも喧嘩が続くとなると、女性メンバーを入れてみるのも手かもしれない、と晃一郎は思い直した。

 喧嘩と言っても殴り合い等があった訳ではなく、精々が口喧嘩だったが、さすがの享も女の子にまでは乱暴な態度も取らないだろうと目論み、晃一郎は今回初めて女性プレイヤーと会ってみようと考えた。

「ま、まぁそうだな……。反省」

 かっくりと頭を下げて享は言う。

 自分が悪いと思ったことに対して、すぐに理解し、謝罪するのは享の長所でもあるが、頭に血が上りやすく、思ったことをそのまま口に出してしまう短所だけは中々直らない。

「じゃ美味しいの淹れてあげるわね」

 享の態度に満足したのか、涼子は笑顔になって準備にかかった。

「一応弾くつもりでくるって言ってたんだよな」

 水を一口飲んでから享が言った。

「あぁ。音源はもうダウンロードしてもらってるみたいだからね。耳で拾えるだけ拾ってみる、ってメールきた」

「ふーん」

 耳で拾う、というのはそのままの意味で、聞こえた音を耳で覚えて、楽器で弾く、俗に『耳コピ』と呼ばれる作業だ。バンドスコアが手に入らない楽曲や、オリジナル曲で譜面を書いていない曲などを演奏する時は、主にこの耳コピという作業が重要になる。長年楽器を弾いていれば、ある程度の知識や技術は身についてくるため、耳コピもしやすくなる。つまり、それなりの時間を音楽に費やしているのだろうし、晃一郎達の楽曲をそれなりに気に入ってくれたのだろうと踏んで、晃一郎は今回の助成ベーシストに期待を寄せていた。

「ホント期待してねぇんだなぁ」

 反面、享はほとんど期待していないように見える。そんな享を見て晃一郎は再び苦笑する。ロックに女はいらねぇ、と豪語していただけに享の主張も理解しないではないが、それでは世の女性ロッカーが気を悪くする。

 ロックに限らず、音楽は性別やセンス、ましてや見た目でやるものではない。見た目で選ばれるのならば晃一郎は間違いなく音楽をやる資格はないだろう。情けない話だが、晃一郎も亨もお世辞にも格好良いとは言えない、俗っぽく言い表すのならばイケメンとは言えない顔立ちだ。特に晃一郎に関しては特別背が高い訳でもなければ足が速い訳でもない。そういう様々な含みもあって、中学時代はギターをやっていることは伏せていた。見た目でやるものではない、と自分では思っていても、周りはそうは見ないのが現実でもある。同じ曲、同じ声、同じセンスを持っていれば、見た目が良い方が選ばれるのは世の常だ。しかし高校に上がってからは、音楽をやっている友人もでき、そういったことは出来るだけ考えないようにしてきた。

「ま、音次第だな。おれだってマトモな音出す奴だったら男だろうが女だろうが関係ねーと思ってるし」

「今涼子さんに言われてそう思ったくせに……」

「アタリ」

 ぺろ、と舌を出して享は笑った。


 同日 七本槍市 七本槍南商店街 楽器店兼リハーサルスタジオ EDITION


 楽器店兼リハーサルスタジオ、EDITIONにつき、ロビーでベースのケースを持った女の子の姿を探す。亨と同じくらいの背丈でグレーのロングコートに水色のマフラー。女性としては背はかなり高い方だ。

「あ、ハッカさんですか?」

 ネット上の名前、ハンドルネームを呼んでみる。

「えぇ。あぁ、風野かざのさんて君だったのね」

 ハッカと呼ばれた女性は振り返り、そう晃一郎に言った。

「え、俺のこと知ってるんすか」

 晃一郎はそう言って頭を掻く。どこで見知ったのか、と問う前にハッカは再び口を開いた。

「学校同じでしょ。そっちは相田君」

「あぁ!ミヤノギハツカ!」

 享は判ったようだが、晃一郎には判らなかった。見覚えがない。そもそもそれほど同じクラスでもない人間に関心を持たない晃一郎だ。判らなくても仕方がないな、と晃一郎は肩をすくめた。しかし同じ学校ならば好都合ではある。

「あぁ、そうなんだ。じゃあ近いし打ち合わせも簡単だね」

「そっちが私で決めてくれれば、の話だけどね」

 そう静かに宮野木二十谺みやのぎはつかは言った。どことなく冷めた印象だ。一緒にやりたいのかそうではないのか、判らない。

「ま、ともかく、音出そうぜ。くっちゃべってても始まんねー」

「あぁ、そうだな。じゃあ宮野木さん、宜しく」

「こちらこそ」

 少しだけ笑顔になって二十谺は言った。


「お、G&Lジーアンドエルか。渋いなぁ」

「あら、GLジーエル判るなんて嬉しいわね」

 さして感情も込めない声で、しかし、少しだけ笑顔になり、二十谺は言う。

 G&Lというのは二十谺が持つエレキベースのメーカー名で、それなりのネームバリューがある。楽器界では大手のメーカーであるFENDERフェンダー社の創始者、レオ・フェンダーがFENDER社と袂を分かち、ジョージ・フラートンという人物と共に作り上げたのがG&Lだ。発売しているベースやギターもそれなりの値段のものが多く、あまりバンド初心者が手にするようなものではない。G&Lを持っているということはそれなりにバンド暦があって、自身の音に拘りがあることを示している。

 ここまでは晃一郎の期待通りだ。問題はどういった弾きをするか。横目で二十谺をちらちらと見ながら、晃一郎も自分の楽器のセッティングを進める。二十谺は淡々とシールドケーブルをつないだり、アンプのボリュームを触ったりとしていたが、晃一郎にはその姿が心なしか嬉しそうに見えた。

(なるほど)

 少しだけ判った気がする。外に出る感情の起伏が少ないのだ。宮野木二十谺という人物は。

「ギターは?」

 そう思った途端に二十谺は晃一郎に話しかけてきた。

「あ、あぁ、俺はグレッチだけど」

「へぇ、いいじゃない。ブルースドライバーに、それ何?」

 晃一郎が接続を終えたコンパクトエフェクターを見て二十谺が言った。二十谺は所謂楽器の音色にエフェクトをかける器具、エフェクターを使わない、生音派らしい。基本の音を合わせるための器具、クローマチックチューナーをつないでいるだけだ。

「あぁ、ピッチシフターだよ。飛び道具的な使い方はしてないけどね。ソロの時にちょっと変則っぽい音を出したい時に使ってる」

 ピッチシフターは元のギターの音にピッチを変えた音を上乗せするエフェクターだ。晃一郎は元の音からは外れない程度、ほんの僅かにピッチの違う音を乗せて、二人で弾いているかのような厚みを出すために使っている。

「じゃあ基本の歪みはブルースドライバーとアンプ?」

 ギタリストとしてはかなりシンプルな構成だが、Marshallマーシャルのアンプの歪みは優秀だ。世界中の多くのギタリストが使用しているアンプでもある。このバンドはギタリストも晃一郎一人の為、ブースターとして使用しているコンパクトエフェクター、ブルースドライバーもあまり派手めにはエフェクトをかけてはいない。

「うん、メインはアンプでコンパクトはブースターだね」

 ブースターとは、文字通り音を増幅させるために使用するものだ。Marshallのアンプから出る歪みは通常、唄を歌っている時などにはそのまま使用し、ギターソロやリフレクションなど、ギターの音を目立たせたい時に、ブースターを使用する。曲に依ってピッチシフターは使ったり使わなかったりだ。

「なるほど……」

 チューニングをしながら二十谺は何かを納得したようだった。

「宮野木さんてどんな音楽好きなんだ?」

「私はstay-xステュクスとかROGER AND ALEXロジャーアンドアレックスとかLeedsリーズ Leaseリースとか早宮響はやみやひびきとかね。男ボーカルモノだと-P.S.Y-サイとか」

「お、いいね。中々音楽性は合いそうだ」

 ドラムのセッティングを終えた享がストレッチをしながら言う。早宮響はソロアーティストだが、あとは総てロックバンドだ。晃一郎も亨も好きなバンドの名が出て安心したのか、亨は嬉しそうにかかん、とスネアドラムのリムを叩いた。

「かもね。とりあえずダウンロードした音源の……」

 言いながら、ベースラインを弾き始める。

「これは覚えてきたわ」

 流暢なベースだ。さほど大きくない宮野木二十谺の手が滑らかに動く。享のドラムの上だとどう化けるのか、そう思っただけで晃一郎の背中にぞわぞわとした感覚が走る。

「……何だっけ?」

「ベースラインだけでも判れよ」

 晃一郎は苦笑し、その曲のリフレクションを弾き始める。

「おーおー、十七」

 曲の略称を口にして享は笑顔になる。正式には第十七収容所の監獄ロックという曲名だ。

「そ。んじゃあ始めるか。宮野木さん、いい?」

 マイクを通して晃一郎は言う。

「いつでも」

「んじゃいくぞ」

 享の持つスティックが四つのカウントを刻んだ。


 第一話:第十七収容所の監獄ロック 終り

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