【第十九話】




 帰る場所はいつもこの石造りの個室だ。

 シーツにくるまれたそれを出来るだけ丁寧に寝台に横たえた。

 軽く揺すっても反応せず、シーツの端を掴み捲り上げれば目と言わず顔と言わず白かった肌と言わず全身を薄紅色に染めて泣いているレンが現れる。

「……」

 焦点の合わぬ目を天井に向けて、呼吸も静かに死人みたいに声もなく涙を流すレンはそれでもなお美しかった。

 冴え冴えと美しかった。

 レンという容姿を言葉として評せば、華麗、となる。

 弱の仔の影響力は耳にしたことのあるリズでも、レンを一目見た時、その存在の希少さと、実際に目にした時の迫力に声を失ったものだ。本当に生き物かと自分の目すら疑った程に。

 生き抜く為に手に入れた極端な形。決して崩れることのない術。手段だからこそ欠けない美貌。服を着せることも躊躇われシーツごと持ち抱えてきたが、何度も見た産まれたままの姿を見下ろして、痛ましさに心臓が押し潰れそうな感覚が生まれる。それが軍人相手にレンが引き出した感情だとすれば、やはり弱の仔の影響力は計り知れない。

 いつまで見ていても仕方ないのでシーツを再びかけようとして止めた。見開かれたままの瞳を伏せさせようと手を伸ばせば「ひ、ぅ」と息を呑まれたのでそれも止める。

 涙は流させたままにさせよう。とリズは思った。

 休息は必要だ。これは始まりであって終わりではないから。

 此処は地下後宮と呼ばれる場所。城の地下に造られた王だけが持てる楽園。集められるのは王の趣向に沿った者達だけ。貴族から犯罪者まで横も縦も上も下も右も左も男も女も老人も子供も問われずただ獅子の王に見初められ集められた。彼等は一様に賓客と呼ばれ、辿る末路は定められた未来のように決まっていた。

 リズは賓客に与えられた個室の中でレンと二人だけになって思い浸る。

 酷いことをしたいわけじゃない。手荒な扱いをしたいわけでもない。脳裏に繰り返す抵抗とそれにも増して陛下から受ける寵愛に精も根も尽き果て疲れ切り横たわったまま日々を過ごす賓客達の姿が浮かんでは消えて、レンの今の姿と重なって見えて、その細く白い肢体が母の面影とだぶり、幼い頃の自分を思い出した。

 霞の如く重なる幻影を払うように軽く頭を横に振ってリズは息を吐く。

「愚か、だよな」

 呟きに虚空を凝視していた、


 レンの瞳が動いた。


 リズは強襲を受ける。

 憔悴し切った姿からは到底想像できない速さで飛び掛られ、虚を突かれたリズの回避行動は一拍遅れた。レンの体重が乗った勢いのまま倒れ強かに背中を石床に打ち付けて呼吸が弾け飛ぶ。衝撃でぶれた視界で自分の上で馬乗りになったレンを掴もうと伸ばした手が空を薙いだ。焦れて奥歯を軋ませたリズの上からレンの体重が消える。急いで上体を起こすとレンは既に寝台の上に移動し終わっていた。

 その手に抜き身の短剣を握り締めて。

「レンネード」

 リズは警告を発した。

「冗談で済まされたかったら今すぐにそれを返せ」

 レンが握っているのはリズの愛刀の短剣だ。隠れる場所に提げていたとはいえ一瞬で掠め取られたことにリズは自分の頭を抱えたくなった。兎族だからと無意識に見下していた自分の傲慢さに奥歯を噛み擦る。こういう事態を恐れて隠していたのに奪われてしまえば意味がない。

 涙で潤むレンの紅い瞳は今や憎悪に煮えたぎっていた。瞳を揺らめかす憎しみは全身を伝い短剣を握る手を震わせている。

 否、とリズは自分の考えを否定した。

 憎悪ではなく、また恐怖や興奮でもなく、彼を震わせているのは覚悟だ。レンは覚悟を持って自分を奮い立たせている。

「レンネード」

 故に、警告する声がどうしても強くなった。

「それを返せ」

 刃を持ってどうしようというのか考えが読めず、どうしてこうも元気なのだろうかと、全ての事柄に対処できるように思考を巡らしているリズは奔放なレンを持て余す。

 無鉄砲すぎて行動が読めず対処に困る。

 止まらない涙を流し続けるレンは嗚咽を殺すように奥歯を噛み締めていた。

 弱の仔は死ににくいとわかっていてもこの状況は危険すぎてあまりに怖ろしい。

「レンネード」

 立ち上がったリズにレンは短剣の切っ先で自分の喉を指した。

「リズ」

 動くな、でも、寄るな、でもなく、レンはリズの名前を呼んだ。短剣の刃はレンの喉に押し当てられ、窪みの影が一点、白い柔肌に浮いた。その言動が示す意味をリズは瞬時に読み取る。

「オレは本気だ」

 奥歯を食い縛りぐぐもった声で呟いたレンにリズもまた奥歯を噛み締めた。

 寝台の上で全裸のまま宣言するレンにリズは落胆を覚える。

 こうなることは最初からわかっていた。ただ、無鉄砲なレンだったから淡い期待を抱いていたのも事実であった。何事にもめげずに挑戦していたレンだったからリズは仄かに淡く期待してしまっていた。だから油断して短剣を取られたりもして。

 しかし、結局は同じ形で他の賓客と変わらぬ末路を辿るレンに、勝手ながらもリズは落胆してしまう。心にも無い期待などするものではないなとリズは己を評し心底自分を蔑んだ。

 靴底が石床を擦る。

「見くびらないでもらいたい」

 寝台の上に押し倒され、両手ごと短剣の柄を握られたレンは驚愕に目を見開き、何が起こったのかわからないと自分に馬乗りになっているリズを見た。驚きに真っ赤に腫らした目から涙が止まった。瞬間の速度でレンを封じたリズは短剣の切っ先が兎の喉を狙ったままだということに気づいた。

「放してッ」

 我を取り戻して自分の不利に気づき暴れたレンを押さえ込もうと彼の両手ごと柄を握りこむ。痛みでレンの顔が歪むも抵抗する姿勢は崩れもしない。

「死なせてッ」

 大呼がリズの耳を打つ。

 それは、嘆願だった。

 動かない短剣。

 でも、それは両者が同じ力量で引っ張りあっているのではなく、リズが単にレンから短剣を取り上げていないだけだ。引き寄せようとするレンの力は悲しいまでに儚くて弱かった。

 比べるまでもないリズとの差を見せ付けられて、揺ぎ無い現実を前にレンの両目から止め処もなく涙が溢れ流れる。

「死なせて」

 弱々しく願い出るレンにリズは目を閉じた。

「……お願い、死なせて」

 レンは短剣を手放さない。リズが握ることで与えている痛みに耐えることが、彼が今できる最後の意思表示だった。

 状況に絶望しながら、意思は曲げない。

 それだけ、死にたいのだ。

 側に居ない片割れを裏切ってまでも現実から逃げたいのだ。

「気づいたか」

 レンが受けたのは、脱走という行動に対しての罰ではなく、今後続いていく終わりの無い王からの愛情なのだと。知ったが故に、レンは死んでこの生き地獄の定めから逃げようとしている。

 獅子族ラウルの直感を侮るなかれ。彼の王に選ばれたということは同じと見なされたからだ。自分と本質を同じくすると見初められたからだ。

「これが陛下の賓客ということだ。捕虜とは違う」

 直感ひとつで王にまで成りあがったラウルに同じ人よと選ばれた賓客達は、共通して等しく勘が良い。常人の域を逸脱しているのも当然といえば当然だ。目の前の兎とて例外ではない。人生経験から培われる知識と違い、先天的な素質に恵まれて幼い頃から自分の直感に自身を持っているレンは、この状況をどう耐えられるだろう。

 それこそ薄々感づいていたのなら尚更だろう。

「陛下は同族嫌悪の対象として最も相応しいだろう?」

 愕然とするレンの指先から力が抜けた。

「同じ意味で陛下もまた賓客に嫌悪を抱いておられるが、まぁ、そこはレンネードとは違う所か。でなければ国一つ滅ぼしてまで手に入れたいと考え至らないだろう」

 大国だからと言って傍若無人を思うままにして良い訳が無い。そんなことを許してしまえば最後、獅子族の暴挙を止めることはできず、大陸は戦国時代を迎えるだろう。それをしないのは、自分たち種族が大陸一と自負する傲慢さが生み出した、力に固執するあまり頂点を極めた途端目標を失ってしまう種族性だからだ。国土を広めたり繁栄を極めたりに興味が無い。

 他国に暇つぶしで頻繁にちょっかいをかけるが戦争をふっかけることはしなかった。ちょっかいだけでも充分周辺国にとっては国が疲弊するほどの脅威ではあったが、今まで獅子族が主体での戦争は起きていなかった。

 しかし、戦争は起きた。

 たった一匹の兎欲しさに。

「馬鹿、だろ?」

 喉を震わせてレンが息を吐き捨てた。

「馬鹿じゃないか。こんな……なんなんだ、これ。なんだよ、それ!」

 これ、とは、今のこの現状の事か。

 それ、とは、故郷を失った理由の事か。

 紅い瞳には嫌悪の文字が浮かび上がるほどにはっきりと感情が表れている。

「なんだも何も、これがレンネードが痺れを切らしながら待っていた未来だし、それは陛下のお考えであって、俺が余すことなく説明することじゃない」

「……」

「そんなに睨まないで欲しい」

「リズ」

「アルエから聞いただろう? 陛下に選ばれたということは、そういうことなんだ」

「……」

「実感、はしないか。アルエにも不可解な顔で返されたしな。レンネードは双仔だから、わからないか」

 双仔で、しかし産まれてすぐに引き離されて、それでも強弱の双仔という絆で結ばれている仲なら実感は薄いだろう。例え本質は同じでも、心が求める飢えの度合いが違い過ぎる。

 無理解が余計に嫌悪に拍車をかけてラウルを満たし喜ばせるだけの絶対的拒絶をするのだろう。

 理解し難く、気色悪く、身の毛もよだつ程おぞましいのに、執拗に求められて囁かれ肌を重ねるたび、本質に触れられるたび、揺れ動き始めた自分を暴かれ幻滅しながらも惹かれて行くという絶望感。自分を根底まで掘り下げられて、自身すら気づかなかった醜悪な本心に怯えながら、眩まんばかりの恍惚感を覚え溺れ故に葛藤し、それすら快感に変わり、同類だからこそ要所要所を的確に押さえ花開かされていくレンは、頑なな蕾を強引とは真逆の繊細で優しい手つきで愛でられ、一枚一枚丹念に花びらの表面を撫でるラウルの下心に、理性を打ち砕かれずにはいられない。粉々に粉砕され砂時計の砂よりも細かく砕かれ崩され成すがままにされるがままだ。

 気絶を許さないラウルと、気絶をも許されないレン。二人の逢瀬はラウルが満たされるまで続けられる。

 レンは正しくラウルの恋愛対象として最も相応しい。

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