【第十八話】
どれくらいの時間が経過しただろう。
控えの続き間では嗚咽混じりの懇願の絶叫が絶えず響き続けている。
獅子王ラウルに選ばれた賓客が辿る運命は大抵同じ結果しか生み出さない。今回も例に漏れず同じであった。
部屋に置かれたソファに座るバルシェは愛用の煙草に火を灯し、無感動な顔で煙を燻らせる。
「ま、バカだよな」
一言で切って捨てられてテーブルを挟んだ向かい側に座るアルエがびくりと肩を聳やかす。
その様子を寝室へと続く扉の横で控えの形を保ち崩さないリズは無表情で眺めていた。この場に居ないシュリンには事務室の留守を頼んでいる。
「リズが堪らず陛下とラブラブしている隙を狙ったのは、まぁ、目の付け所としてはいいかもしれんが、そうだな、でもやっぱバカだろ」
あのな、とバルシェは続けた。
「陛下は俺らのことはそれこそ手に取るようにわかるお方だ。洞察力がいいんじゃないんだぜ? 勘だぜ勘。なんつうかバカみたいな話だけどよ、さすが直感だけで王様になっただけあるんだわ」
突出した野生の勘で全てを見通す王なだけある。すわ怖ろしいとわざとらしく身を震わせるバルシェにリズは思わず厳しい視線を送るが本人は意にも介さなかった。
「……三人で随分と悪趣味ですよ」
リズを神出鬼没、ラウルを悪癖と断言しただけあって、アルエの声には呪わんばかりの怨嗟が孕んでいた。
王の意向で足音を忍ばせて息を潜めて気配を消して時を伺っていたリズ達に相当な恨みが募っている。
アルエの裏切りもレンの逃亡も両方を楽しみながら陛下が眺めていたのだから、二人が演じているのは茶番劇だと思われても仕方が無いと言えば仕方がないかもしれない。
遊び部屋ではなく寝室から届く鳴き声は止まる気配が全くと言っていいほど欠片も無く、ただ期待され裏切られて翻弄され行くレンをリズは心の底から憐れんだ。
レンが捕虜としての自分の立場を自覚しているだけに、リズは不憫でならなかった。
別の道も用意されていただろうに。ラウルの思惑に綺麗に嵌まったレンを不憫に思い憐れんでしまう。
「本来なら俺だったんだろう」
呟きにバルシェとアルエがリズに顔を向けた。視線を受けてリズは独り言だと首を横に振る。
本当なら、リズがレンの連れて逃げ出すシナリオだったんだろう。否、だろうではなく、そうだったのだと断言する。元々ラウルが思い描いていたシナリオは嫉妬心を抱えるアルエではなく、疲労と渇望で我を失ったリズが逃亡を図るのが本筋だったのだとリズは今回のアルエを見て確信した。
実際、途中までリズは自我を崩されていた。
連日の激務とアルエの騒動とハルウェットの行動に、月花草と星花草も合わさって疲れ知らずだった理性は崩壊寸前であったのだ。
なのに、しかしラウルは手を差し伸べた。
縋るリズに更に狂えと突き放すのではなく、御心のままにと引き下がろうとしたリズの手を掴み引き留めた。
どうしてラウルがそうしたかというと、その答えはリズにも想像がついた。
答えは単純にして明快だ。リズではなくアルエがレンを唆す内容にシナリオを書き換えたに過ぎない。
まさに手のひらの上で躍らせる、その為だけに優先したに過ぎない。
「愚か、だよな」
いつぞやの台詞と同じ独り言にアルエが反応した。つられてバルシェもリズを見る。
アルエを見返すリズは溜息を吐いた。
今回の処遇の一切を任された狐は考えあぐねている。アルエに与えるべき罰が何一つ思い浮かばないまま別の事柄ばかり考えている自分にリズは途方に暮れていた。
与えることができないのに、求められる意味すら理解できないのに、愚かにも何故自分を選んだのかと、そのことばかり考えてしまう。
自分の本質を知らないアルエにリズは戦慄すら覚えた。
「アルエ」
呼ばれたアルエは鬱屈した視線をリズに向けるが、目が合わない。リズはそれでも構わなかった。
「アルエは誤解をしている。俺は〝陛下〟しか要らないんだ」
視界の隅でバルシェが足を組み替えた。興味も無いですという態度でいるが、ちらりと配られた視線には忠告の意図があった。それには一度の瞬きでリズは応じる。
「だからアルエが本当に俺が欲しいというのなら、アルエは陛下に、次代の獅子の王になるしかない」
奔放な獅子族にも獅子族故のルールが存在している。獅子の玉座は世襲制で継がれていくわけではない。リズが提示した条件を聞いてアルエの顔から色が抜けていった。
七年間玉座を守り通したリズを前にして、リズの告白をどう受け止めていいのかアルエは戸惑っているらしい。戸惑い、目を閉じて、苦渋の表情で眉間に深い皺を刻み、肩を震わせるように笑い出した。片手で両目を覆い、馬鹿みたいに笑い出した。
「それって隊長、あれですか? あんたと殺し合いをしろってことですか?」
体の横に大きく腕を払って、アルエは声を荒げた。
「隊長は俺に兄の様に死ねと言ってるんですか? それとも、ああ、馬鹿にしてるんですね。勝っても負けてもあんたを手に入れることなんてできないじゃないか……」
アルエの渇望しているリズの寵愛は、獅子の王にだけしか向けられておらず、玉座を求めて決闘を行えば生きても死んでも結果としてリズという存在は永遠に失われる。
卑屈な笑いで喉の奥を鳴らしているアルエにリズは俯いた。
「ハルウェットのことはすまないと……」
「話題を変えないでください。兄は今後戦に立てないと医者から教えてもらえました。あの人はとにかく喧嘩バカでしたから、剣を握れないと聞いて生きる望みを失ったのも理解できます。兄が唯一認めていた隊長に殺されるのならそれこそ本望でしょう」
両手を体の前で組む。
「そうですか。王にならねばならないんですね」
アルエの呟きを最後に室内に沈黙が垂れ込める。
が、そんなのは関係無いとレンの悲鳴が空気を引き裂いて各人の耳に届いた。
そろそろ時間の経過から見て喉が潰れてもおかしくない頃合だ。けれど、目を背けたくなる絶叫に近い悲鳴の質は始めの方とあまり変わっていない。
レンは兎族希少種〝強弱の双仔〟の〝弱の仔〟。
その最たる特徴は保護欲を掻き立てる素晴らしい外見。 ――というちんけなものではない。
それは所詮はそれだけの価値でしかないのだ。皮一枚で保たれる美しさだけなら王の親類と言えど外界と切り離すような囲い方はしないし、頑なに手放しもしないし、戦争勃発の原因から滅亡の理由になど話が発展することもない。
弱小国の兎族が獅子族の脅威に晒されながらも先日まで長い歴史を築き上げられたのはひとえに兎族希少種〝強弱の双仔〟の〝強の仔〟の存在があったからだ。
文字通りの一騎当千の働きを全うする強の仔を倒すには、総力を挙げて力で捻じ伏せるか、弱の仔を殺すかの二択を選ぶことになるだろう。
〝強弱の双仔〟の間には生命の連帯が存在している。片割れが死ねば時間を置かずに残された方も死ぬ。故に弱の仔であるレンは国の護り手である最強種の命を握る鍵なのだ。そして強の仔の強さを支える担い手として不死に近い生命力を所有している。突き抜けるほどの強さとそれを肯定する不死身は互いに作用しあっていて、どちらかの首を落とすか心臓を貫かなければ攻略はできないとされている。
例え片割れといえど強弱の双仔の存在価値はいかほどだろうか。大国が国を潰してまで手に入れようとする価値はあると言える。
ラウルに目をつけられたレンは、国の護り手だからこそ二人一組で兎族に囲われる中で何故か一人で居た。他人の空似すら居ないので国ごと包囲し一人残らず根絶やしにしたが、やはりレンは死ななかった。
幼少の頃生き別れになり、レンの片割れは兎の国には存在しないという情報は確かであった。多胎が常識である世界で、唯一絶対の対とされている強弱の双仔は互いにどれだけの信頼を置いているのか、戦争の最中でありながらレンは毅然としていたと聞いている。片割れが死ぬかもしれない恐怖と、片割れを死なせるかもしれない責任感を内包しながらレンは冷静であったと聞いている。暴れずに捕虜になったのは冷静だったからだ。逃亡には何度も失敗しているが、それでもレンは、いつかの再会を夢見て強かに自分が生き延びる道を模索している。とリズは考えている。運命共同体である片割れを恋しがるはずがないのだから。
病気には罹らないし、よほどの怪我でなければ死なない。一人ではない命の重みを背負うレンには気絶すら許されていない。
気絶をも許さないラウルを相手に、その生命力の強さがあだとなってレンは正に地獄の渦中だった。
つくづくとリズはラウルの勘の良さに肌が粟立っていくのを止められない。と、同時にレンが憐れで仕方がなかった。
レンの手を取るべきは自棄になったアルエではなく、狂った自分が最も相応しい。獅子全て斬り捨てて、解放の血路が開かれた可能性も存在しただろう。
気づけば目を伏せていた。
瞼を持ち上げるとアルエと目が合った。
「よく、わかりました」
感情を押し潰した声で独白のように呟いたアルエにバルシェは紫煙を吹かす。
「何がわかったか言ってみろ」
尊大な態度のバルシェを一瞥と共に睨んでからアルエはリズに視線を戻した。
「わからないことがわかったという事と、隊長が『陛下』しか愛せないということがわかりました」
泣いて逃げた前科があるので多少身構えたものの、アルエはまっすぐとリズを見据えて答えた。リズの告白をアルエはアルエなりに受け止めたようだった。
「てことはお前『王の座』の宣言でもすんのか?」
問いかける年上の同僚にアルエは首を横に振って否定した。
「しません。強者に従うのも獅子の誇りの一つですからね」
リズが前に居る時だけ崩れない丁寧な口調は、誓った忠誠は守り抜くと意思を見せて響きは硬かった。
兄とは違うと自分を主張するアルエの意図を汲み取り、リズは思わず自嘲を零してしまった。やはり自分はアルエに対して甘くなってしまうのだな、と彼の処罰が全く思い浮かばないリズは軽く肩を竦めた。
レンの悲鳴が唐突に途切れた。
どうやら彼の地獄が終わったらしい。
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