【第十五話】
個室に戻され仮面を外されたレンは、無言のままのリズに閉じていた口をひん曲げた。
「リズって結構強いんだね」
競技場から地下後宮の個室まで黙っていたレンの第一声にリズはしかし反応を返さなかった。
賞賛よりも皮肉の色が濃いレンの言葉を聞き流し、粛々と仮面を箱にしまい外套を締めている紐を緩める。
光もなく個室は暗く静かに澱めいていて、太陽に照らされていた感覚があの熱気を恋しいのかレンは何度も自分の腕をさすっていた。
「強いんだねって褒めてんだけど」
語調に混じる棘が鋭さを増した。外套を丁寧に畳んだリズはレンを寝台に座るよう促す。手を引かれて渋々とレンが寝台に腰を下ろすのを待ち、その彼の頭からフードを外した。
正面にレンの顔が見える。紅い眼差しを見据えて、
「そうか」
興味がないと言い切ったリズに、レンは眉間に皺を寄せた。
「うれしくないの?」
問いかけに貴族特有の傲慢な響きが含まれた。貴族は下人を褒めないのが本来の常識だ。それを手放しで感心すらしというのにリズの態度が余程レンには面白くないのだろう。
不機嫌を隠さないレンにリズは閉じた口の中で軽く舌先を噛んだ。
「嬉しい嬉しくないの前に、俺は負けられないだけだ」
「?」
レンの眉間に皺が増えた。不可解に渋い顔をした兎にリズは軽く肩を落とす。
「でもあれって〝王の座〟でしょ?」
「知っているのか?」
「知ってるもなにも有名な話だからね。次の王様とかそういう話は何もしなくても向こうから入ってくるし。そもそも世界広しといえど公式戦で王様との殺し合いが認められてるのって〝王の座〟くらいでしょ」
でも、とレンは首を傾げた。
「王様の前にリズが相手するってのは知らなかった」
「今の陛下の意向だ。それこそ国民に向けての余興のようなものだ」
「ふぅん。じゃぁ、リズに負けるのって相手は不本意なんじゃない?」
あっけらかんと言い放ったレンにリズの作業の手が止まった。
「だって、王様どころか同じ獅子族でもないんでしょ? 言っちゃ悪いけど獅子族が異種族に負けるなんて可哀想」
獅子族は世界最強種族。それは大陸全土の共通の認識だ。
「リズが強くなかったら死に損だよね」
褒めの台詞にリズはただ作業を再開させた。浮かれることもなく淡々と日常業務をこなすリズにレンの眼差しには底冷えするような鋭さが混じる。
「ねぇ、あれって公式戦なんだよね。王様を決める神聖な儀式なんだよね?」
「ああ」
「どうしてリズがその場所に立てるの?」
素朴な疑問だった。最も単純な誰もが考え得る疑問だろう。しかし、聞かれたのは初めてだった。
そうだよなとリズは思い馳せる。この疑問を口に出せるほど過去の賓客達は既に元気ではなかったし、強さに種族など問わない獅子族では考えも浮かばないだろうから面と向かって質問されたのはレンが初めてだった。
「さっきも言ったが、陛下の命令だからだ」
「命令だけで狐族も参加できるの?」
「獅子族の王は強くなければならない。そこに種族の線引きはされてないから実質誰でも参加は可能だ」
獅子族は勿論、狐族も最弱とされている兎族も強いと豪語できるのなら挑戦も参加もできる。
「ずいぶん寛大なんだね」
結果、異種族が王に君臨しても受け入れるというのだ。レンが感心してしまうほど獅子族は寛大だ。彼らにとって本当に強さが正義なのだからむしろ道理だろう。
ラウルの時代が少々長いだけであって獅子の国は権力者の入れ替わりが激しい不安定な国である。レンの皮肉は実に良く胸に響いた。
善悪を問わず、強者であれば王となれる国。
レンにそうとリズは説明して、他は全て省略していた。普通に持つだろう疑問を別の話題を持ち出して口を挟めない様にずるく立ち回ってもいた。
獅子族の頂点を極め王となった者の現状を知る者は極限られている。
征服欲を持たず名声を欲しがらない種族が最強を手に入れてどうなるか知ることができるのは僅かばかりだ。しかも、その僅かばかりの者も現王の胸中を察し理解できることは決してないだろう。
時計の針が真夜中を過ぎているのを知らせていた。
蝋燭一本の揺らめきが満ちる部屋には獅子の王ラウルとリズのふたりしか居ない。
「ハルウェットは先の戦争で国でただひとりの〝強の仔〟相手に相当手こずったらしい。前線に立てない怪我を負ったと今報告が上がった」
寝室と遊び部屋とを繋ぐ続き間の寝室側の扉で控えているリズにラウルは告げた。だからふたり居た〝弱の仔〟のうち、ラウルはレンひとりしか手に入れることができなかった。
「リズ」
呼びかけるラウルにリズはしかし姿勢を崩さない。人払いをしているというのにリズは控えの姿勢を崩さない。
「ハルウェットが医者達を中心に口止めしてたようだ」
「そうですか」
剣を振るえぬ身のまま、それでも合同演習の日を待っていたということか。秘密を押し隠して待ち望んだのは何だったのだろうか。ハルウェットの変わらぬ爽やかな笑みを思い出してリズは獅子族という人種を考える。
「さすがにきついか?」
強者が権力を有する獅子族で元帥の肩書きとなれば国王に継ぐ地位を約束されている。そんな相手となれば今までの挑戦者とは大きくその後の反響が違った。
基本的に決闘で死んだ者は密やかに墓所へと運び込まれるのが通例なのだが、ハルウェットの場合は最も王に近い立場だった為なのか国葬という形で後日葬儀が執り行われると聞いている。今は安置所で遺族と静かに夜を共にしていることだろう。
元よりハルウェットはバルシェと同様にリズとは古くからの顔なじみだった。親しい者を手にかけて心穏やかでいられる道理が無い。それでも、リズは首を横に振った。
「いえ」
――本望だ。
ハルウェットが遺したその一言にリズは救われている。
決闘後、彼の骸を抱きかかえたリズは自分へと注がれる視線の意味を全て理解していた。
七年間の月日の中で多様を極めた獅子族の反応は、強さという枠を突き抜けた異種族への蔑みと、リズが生きている限り玉座の安泰が約束されているラウルの非難へと集約されつつあった。
「ただ、ハルウェットに王にならなかと問われました」
「で、リズは余に王の座の宣言ができるか?」
「いえ」
リズの野心の無さは獅子族に理解されず、実力を誇示する場を自ら放棄しているラウルの態度に国民の不満は目に見えるように募っている。強者を隠れ蓑にしている偽者として人々の目に映り始めているのだ。
それでも即答で断言するリズに国民の現状を知っているラウルは短く笑った。
「余の国は、余の時代は泥沼よ!」
豪快に笑ってからラウルは目を細めて笑いの余韻を打ち消した。
「リズは破滅を呼ぶ神だな。余の死神か」
謳うように囁かれ、リズは恭しく頭を垂れた。いつでも切り落としても構わないと躊躇いもせず首を差し出すリズにラウルはただただ艶かしく笑むばかりだった。
その死神の秘密を知っているラウルにとって自分は恐怖の対象には到底成り得ないのだろうと、リズは考えている。
「ご冗談を」
だから否定できた。
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