【第十四話】




「そう怒るな」

 苛立ちが見て明らかだったのか、目の前に現れた青年に軽く笑われた。

「来るなら相手をする。そもそも狐を避けるなど自分の部下を少しは躾けろ」

 余裕を見せる正規軍を代表する彼にリズは鼻白む。

「仕方ないだろう。リズは狐族だもの」

「あの、な」

 リズの剣を同じく剣で受け止めて、笑う。一発目を受け止め二撃目も防がれ三撃をいなすあたり流石という所か。

「だから怒るな。新人の良い通過儀礼で感謝しているんだ」

 言うと、リズと距離を置いた。間合い以上の距離感にリズは片眉を跳ね上げる。

「おい」

「立場的に負けられないからな。負ける気は無いけど、万が一ってのがあるかもしれないから避けさせてもらうよ。個人で後でやろう」

 言うと別の角度から飛び込んできた敵対軍の一閃を受け止め、そのまま流れるように敵陣の塊へと突っ込みリズとの一騎打ちを避けていく。リズという敵に一度たりとも背を向けずにいるのだから、狡猾い。

 気づけばリズに向かってくる人間が居なくなっている。

 鋼の打ち合い音も数えるほどしか聞こえなくなっていた。

 フィールドに立っている人間が減るごとに観客達の興奮も最高潮を目指して高まっているようだ。我慢できずに立ち上がり、飛び跳ねている人間まで出てきている。

 リズは剣の切っ先を下ろし、乱れる息を無理やり飲み込んだ。

 経験から数人がサボり始める頃合だと知る。元々血の気があるが目的が無いと集中力が湧かない種族だと心得ている為、案の定バルシェが観客席最前列で婦人を口説いている姿を見つけてもリズは冷静だった。

 フィールドに立っているのは勝者である。

 振り分けられて部隊が違うので敵であったが、バルシェ以外に立っている部下が居ないことに少なからず落胆を覚えるリズであった。

 軍の実力者の何人かが立場の保身に互いに争いを避けあっている状況を知り、目印に彼らが掲げる象徴の数を数えて、リズは国王が座す主賓席側を仰ぎ見遣った。

 競技場に笛の音が一音長く響き渡る。

 王の横で勝利した部隊の象徴旗が大きく振られた。

 客席が一挙にどよめき、喝采が沸き起こった。

「今回もうちの所か」

 隣りで声が聞こえた。

「ハルウェット」

 振り向かずに名前を呼ばれて先程リズとの一騎打ちを避けた元帥ハルウェットは流れる汗も爽やかに頷いた。

「リズがうちん所に来てくれたらもう少し生き残ってたんだけどねぇ。くじ運悪いんじゃないの?」

「そんなことより大将ならもう少し指示を出してやれよ。部下が可哀想とも感じないのか。指揮もままならない状態でごり押しがいつまでも通ると思うなよ」

 バルシェとはまた違った軽薄さに、リズの小言は増えていく。

「ならやっぱりリズが正規軍に……」

「断る」

 にべもなく言い放ったリズにハルウェットは苦笑いを浮かべた。

「やっぱり?」

「まがりなりにも私設軍総責任者に何を言ったのか自覚しろ」

「えー、私は例え狐でもその腕が欲しいっていってるのに」

「自分が北の軍総責任者だということを真っ先に自覚しろ!」

 思わず声が大きくなるリズは、これが獅子族最大である北の軍総大将なのかと嘆いてしまった。獅子族に囲まれていると、風の噂で聞こえてくる犬族が保有する軍の自国を敬う真面目さが羨ましくなってしまうリズであった。

「自覚って言ってもなぁ」

 薄笑いを浮かべてぼやくハルウェット。彼が手にする剣の刃が鋭く磨かれていることに、リズは唐突に気づいた。訓練用のそれではない。

 リズの顔色の変化にハルウェットもまた気づいたようだった。まっすぐと視線を向けられる。

「リズがうらやましいよ」

 本当に心底感心しているんだと穏やかな雰囲気のままハルウェットは愛剣の柄を握り直した。

「獅子族なんて自分の欲望に素直すぎて、おまえみたいに代替品でも愛せるような情熱が持てないんだ。ほんと、羨ましくて恨んでしまいそうだよ」

 動揺を隠せないリズを嘲笑うかのように、ハルウェットは剣の切っ先を主賓席に座す国王へと迷い無く向けた。

 競技場が人々の動揺に共鳴して崩れんばかりに揺れ動く。

 国王へと剣を向けるという行為は、それは、国王への決闘〝王の座〟の宣言であった。

「ハルウェットッ!」

 強く名を呼び捨てられたハルウェットは剣先を下げないままリズへと顔を向けた。

「何を驚いてる? ああ、確かに声が耳に痛いよね」

 陽炎さえ揺らめくのではないかと思えるほど異様な盛り上がりを見せる国民に、ハルウェットが苦笑を滲ませ場を仕切っていた近衛隊が素早く人を動かし決闘会場を作り上げていくのを横目にゆっくりと腕を下ろした。

 空は限りなく晴天。

 空気すら熱する地上に、北の将は尚さわやかにリズと相対する。

 太陽の光の元、リズとハルウェットのふたりだけを残し、国民は勿論、兵士達も観客席側へ集められて競技場は闘技場へと雰囲気を変えていた。

「話を逸らすな。民が沸き立つのも当たり前だろう。おまえは自分の立場を捨てるつもりか」

「そりゃ、彼らにしては生死を賭けた決闘も単なる見世物だしね。王様を決定するのに決闘制にしたのは確か三代前の王様だったっけ。

 それより、私を前にして強気な発言をしてくれる。これでも元帥なんだけど?」

 力こそ正義であり全てだと豪語する実力社会で間違いなくトップクラスのハルウェットは靴底で地面を擦るように僅かばかり重心をずらし、リズを睨む様に見据えた。

「ラウル陛下が王になってかれこれ七年。そろそろ新王が立ってもいいと思わない?」

 当人達を残し、他人が中央から散開した時点で決闘が開始される。

 互いに間合いの外に居るふたりはまだ剣を構えない。

「つか、いつまで連勝してるつもりだよ。この国じゃ、狐が一番強いのか」

「妙な言い回しだ。何が言いたい」

「だって、兎の王様に傅いていた狐は君と比べると紙みたいだったもの。こうやって対峙してても何か釈然としない」

 もちろん、君の実力は良く知っているつもりだ。と、言い添え置いたハルウェットが剣を構えた。

「私達は血に塗れながら、肉を裂き、骨の髄まで喰わねば気がすまない。さぁ、剣を持ってもらおうか」

 短い付き合いではない。手の内は熟知していると誘ってくる相手に、訓練用の剣を捨てたリズは軍服に隠れる位置に提げている短剣を抜いた。

「辞退できるぞ」

「リズにしては馬鹿な事を言う。宣言してるんだ、もう引き返せない」

 それに。

「それに、負けるつもりは無いよ。私は王を殺して新王になるんだから」

 元々が王を倒して次代の王に成る神聖とも取れる王位継承の儀式は、奇襲暗殺乱戦混戦等の時代を経て、国民の娯楽に姿を変えて、現王が指名する人間を負かしてから王との決闘という二段編成の形式で現代に受け継がれた。

 ――七年。

「顔をあげてよ、リズ」

 その歳月の長さは、

「さぁ、始めようか」

 まさしく、リズの揺るがない実力だった。




「前に言ったと思うけどさ」

 決闘開始の掛け声を自ら発し、一歩を踏み出したハルウェットは既に懐に潜り込んでいたリズを認め、持つ剣を捨てるように手放した。

「やっぱさ、リズが王になればいいんじゃないかな? 獅子は強ければ、王は狐でも構わないのに」

 一撃目を見定める為に取った充分な間合いも何も無視して、互いの軍服が擦り合う程肉薄するリズは上背のあるハルウェットを見仰いだ。

「それは、無理だ」

「どうして?」

 想像を絶して一瞬でついてしまった決着に会場は音を無くしていた。

 故に、二人の耳に届く音は互いの声と心音のみだった。

 ハルウェットの胸に深々と短剣を埋め込んだリズは返答を躊躇った。下唇を濡らし、僅かにハルウェットの胸に縋るように頭を寄せた。

「答えないといけないか?」

「せめて冥土の土産に。私はリズの強さが好きだったからね、ずっと知りたかった」

 未だに空気は凍り付いている。それだけ、ハルウェットに期待が大きかったということだろうか。演習中、数度の剣戟を打ち鳴らしていた場面もあったせいなのか、現実と想像の落差に誰もが動けないでいる。

 動けないまま、次の展開を待っている。

 十万の音無き言葉にリズは耳が痛くなる思いだった。持つ短剣の柄に、引き抜く力が入らない。

「俺は」

 相対している人間しか声を聞く耳を持っていないからと、リズが意を決した。

「俺は自分を愛せない」

 静かに声すら潜めて答えたリズに、ハルウェットはきょとんと目を瞬き、自嘲した。

「なんだ、結構くだらない理由だったんだね。リズを恨みかけたけど、どうやらお門違いだったようだ。そうだよね、代替で満足できるなんて所詮綺麗事だ。七年か……いや、君が生きてきた年数そのものか。 ――結構長いね」

 ハルウェットは苦笑にただただ肩を震わせた。

「最後に言葉はあるか?」

 いつまでもこのままにしておけず、リズは重々しい語調で促したが、軽いノリでハルウェットは頷き返す。

「無いよ。強者に負けるのは獅子の誇りだ。それがリズだった。本望だよ」

「本当に無いのか?」

 強い口調でリズに繰り返され、ハルウェットはハッと目を軽く見開いた。爽やかに笑う。

「そうだね、忘れるところだった。弟をよろしく」

「ああ」

 リズはハルウェットの胴に空いている腕を回す。

「安らかにあれ」

 たった一点、血管に楔のように打ち込んだ短剣を、目を開けたままリズは引き抜いた。

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