【第四話】




「耐えたのか」

 寝室のよりも大きくて派手な寝台が置かれている遊び部屋に若い女官を連れ込んだ獅子族の王の感嘆の声に、枕元の壁を背にして立つリズは頷き返した。

「はい。耐性がついたことも含めて、無事生きています」

「いつもの倍の量をか?」

「はい。倍の量を与えました。生きています」

 年齢を重ねれば重ねるほど貌の彫りが深くなっていく獅子族の特徴そのままに、三十後半となれば勇ましさに威厳も加わり始めた若き獅子の王ラウルは愉悦を欠片も隠さず、口元を笑みの形に歪ませた。ラウル直々に遊び部屋に連れ込まれた女は丹念に櫛づかれたラウルの髪に指を入れて梳いていく。

「生きているのか。では、リズがいなければ死んでいたな」

「はい」

 女の下衣を捲り、さて中身は何色かと戯れるラウルを眺め褒めの言葉と受け取ったリズは頷いた。

「にしても大変だな。部下がわざと余の客を逃がそうとするとは」

 思案げに唸る仕草の中でも堪え切れない笑みがラウルの唇を更に歪ませる。

「言葉の割には楽しそうですね」

 率直にリズは指摘した。口答えする軍人に国王は気にしないばかりか実に楽しそうに声を上げる。

「当然よ。部下の失敗の責任は上官が取るもの。リズは余が与える罰を受けねばならない。そうだな、アルエと同じものを受けよ」

 何を当たり前な事を言うか、これが笑わずして終わるものか。という態度のラウルは既に半裸に剥いてしまった女を続き間へと行くように耳元で囁き、頷きで応じた女は胸を晒したまま寝台を降りて、リズを横切り続き間へと消える。それを視線だけで見送ってから、リズはラウルへと金色の瞳を向けた。

「陛下と私の間に口実を設けるおつもりですか?」

 罰などとそんな大層な大義名分が必要だっただろうかとリズは首を申し訳程度に傾げる。

「口実? まさかそんなものあるわけがなかろう」

「では……」

 女が戻ってきて、リズは言葉を切るように口を閉じた。

 女は緻密な硝子細工に彩られた小瓶と注射器を乗せた銀盆を両手に持ってラウルの元へと歩み寄る。

 ラウルがリズを手招いた。

 小瓶の中身を知っているリズは袖口の釦をはずし捲り上げて、注射痕も生々しい右腕を曝け出した。腕全体が青黒く変色しているそれを見て、女は思わず悲鳴を飲んだ。

「陛下……」

「それはテーブルに置いて、お前は余の側においで」

 人の肌の色をしてないリズの腕に不気味さを覚えて縋った女にラウルは助け舟を出した。女は少々荒く銀盆をサイドテーブルに置くと、リズから逃げるように寝台に登り、ラウルの横に自分の体を摺り寄せた。

「リズは嫌われたものよ」

 右がこうならば左も同様だろうと安易に想像させる惨状を目の当たりにし、嫌悪感を隠さない女の反応にラウルは上機嫌であった。腕を伸ばし小瓶と注射器を手に取って慣れた手つきで瓶の中身を吸い上げる。派手な装飾で隠された小瓶の中身は無色透明な薬液であった。

「陛下、それは?」

 小瓶の中身に女の興味を覚える。ラウルは答える代わりに、無言のまま潔く差し出してきたリズの腕を掴んだ。

「リズはわかるな?」

「はい」

「では、何かな?」

「月花草です」

 リズは即答した。提示された答えに女は反射とも言える速さでラウルから身を引いた。くっ付いたり離れたり忙しい女に国王は実に楽しげである。

「そうそう、あまり近づくでないよ。たった一滴で死を呼ぶ甘い毒だ」

 死へと至らしめる劇薬として名高き薬の名称。雫一つが致死量との謳い文句が有名な劇薬。女の腰が引けるのも当然な、それはそれは有名な花の名前だった。

「月花草は星花草と並ぶ劇薬。星花草が至上の麻薬なら、月花草は最上の媚薬だ」

 毒も薬も使い方次第なのだ。使用方法さえ間違わなければ至高の薬となる。だから、不必要に怯えることはないと王は女を宥めた。

「神が授けてくれた楽園を夢見る薬だ。ただ、星花草が平等であることに対し、月花草は公平なのだ。だから、相性が合わなければただの一滴で命を落としてしまう。それだけのことだ」

 相性が合うか合わないか、ただそれだけの確率。

 たったそれだけで静かな死を迎えるか、最上の快楽に溺れるか、ふたつにひとつ。人を選ぶという公平さは、平等という無条件を提示して問答無用に精神を崩壊させるような麻薬よりは、幾分か潔い。

「殺す、おつもりですか?」

 一介の女如きが質問してもいい内容なのか吟味する前に、彼女は聞いてしまった。

 一滴ですら死ぬと繰り返す国王の正気を疑ってしまった。

 注射器に満たされている薬液の量はとてもじゃないが、一滴と表現できるようなものではなく、むしろ注射器の許容量のほぼ一杯だ。一滴ではなく、注射器一本分なのだ。これでは死ねと言っているのも同じだ。

「責任を――」

「リズ」

 慌てる女の声をラウルは遮った。名を呼ばれたリズは居ずまいを正す。

「耐えられるか?」

「はい」

 平然と交わされた受け答えに女が驚きに目を瞠った。内容よりも、全く動じない二人のやり取りに驚いていた。

 言葉を失った女に一瞥を流してから、ラウルは見ても触っても血管の有無などわからなさそうなリズの腕に、慣れた手つきで針を刺し入れた。

 注射器丸々一本分。

 月花草を打ち込まれたリズが気がかりになったのか、女が知らず身を乗り出していた。それを横目に、ラウルは下がれとリズに片手を払う。

 それを受けてリズは一度止血に自分の腕を抑えて、捲くり上げた袖を戻すと警護の定位置へと戻った。

 顔色一つ変えないリズに女が目を瞬いている。

 月花草は星花草と違って即効性だ。この時点で、相性が良ければ立っていられないほどの快楽を受けて腰砕けになるし、悪ければ床に膝をつき気を失う。けれど、リズにはそのどちらの症状もなく普通に立ち続け普通に意識を保っている。

 耳にした事柄と目の前の出来事があまりにかけ離れていて女は気づけばリズに手を伸ばしていた。

「触っては駄目だ」

 ラウルは警告を忘れない。

「血液と混ざった月花草の毒は一層濃くなる。自然と毒が薄まり消えるまでは体液も同じ毒と化すから、唇を重ねるだけで死んでしまう。触らぬ方が良い」

 交わるごとに抜かるんで這い上がれない毒の沼。その特性は正しく人を廃人へと導く。

 それは至上の麻薬たる星花草と対を成す最上の媚薬と呼ばれるに相応しい。

「見殺しに、なさるの?」

 青ざめて顔色すら失った女が震える声で重ねて問うた。

 王の言葉通りなら手当てすらままならず、リズは死ぬだけか。

 猛毒と繰り返しながら平然とする男に、何の遊びを始めたのかと怯えを隠し切れず微かに体を震わす女の頭を、ラウルはやさしく、それはもうやさしく撫でた。その頬に口付けをする。

「安心おし。リズは死なん」

 死なない。

「例外というやつだ。あれに月花草の効き目を期待しても意味がない」

 説明を受けて、女は憐れみの眼差しをリズに向けたが、それを受け止めるリズは身動ぎ一つしなかった。

 無言のまま交わされたふたりのやり取りに、獅子王は実に満足げである。

 女は過去に「意味が無い」と断言させるだけの実験が成されていたことを悟り、それ以上のこの話題に触れようとはしなかった。知らない方が幸せという言葉がこの世にはある。好奇心に任せて下手に首を突っ込んでは身を滅ぼすだけだろう。

 すっかりと蔑みの視線を注がれる役割に転じてしまったかと、月花草の作用は受けているが全く影響を受けず正気のままのリズは、感情を表に出さないまま自分が置かれた立場を全うする為にただ背を正す。

「ところでリズ」

 今宵も長いかと、思案していたところに声をかけられた。

「はい」

「あの兎の仔は元気かな?」

 どんな命令が飛んできても受け止められる様に多少身構えはしたものの、ラウルの考えはリズの想像しているのとは違う方向にあるらしかった。

「はい。特に変わりありません」

「そうか」

 静かに頷かれリズは首を傾げた。

「何か?」

 控えの体勢を取るリズにラウルは楽にしろと片手で示した。もちろん、リズはそれに従わず、あくまで護衛としての従者に徹する。それを見てラウルは苦笑いしただけだった。

「いや。元気ならばそれで良い。ただ、そうだな。アルエの動向が気になるな」

「アルエ、ですか」

 私設軍の人選は国王たるラウル自ら行っている。自分の目で選んでいることもあり気になるのだろう。しかも最近のアルエの言動は目に余ることが多い。

「今回のことはどうもきっかけのようなものに思えてならぬ。リズに代わる前のレンの担当はアルエだったしな。交代してから悪化したようにも見えるし」

「そう、ですね」

「うむ。まぁ、そのこともおまえに任せよう」

 渋く唸りながら、しかし、放り投げる気らしい。問題全て丸投げされて、リズはただ頷いただけだった。

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