【第三話】




 頼れる明かりは蝋燭一本だけ。

 その部屋はリズが入っただけで収容人数が限界なのかかなりの息苦しさを与えてきた。

 雰囲気は決して良いとは言えず、リズは襟元に指を入れて緊張を少し緩めた。入り口付近の壁の窪みに置かれている蝋燭の残量を確かめる。十分な長さがあることを確認して、視線を部屋の奥へと向けた。

 ほんの一歩の距離を空けた先でリズと同じ私設軍の制服を纏う青年が床に横たわっていた。

 獅子族特有の小麦色の短髪。うっすらと開く瞳は薄い茶色。骨格が太くがっしりとした体躯はどの種族の者が望んでも手に入らないだろう。私設軍の者として王の側に置くに相応しい整った相貌は残念ながらだらしなく澱んでいた。

「アルエ」

 名前を呼ぶが蝋燭の火が空気の動きに揺らめくだけだった。壁に映るリズの影が心情を表すように撓む。

「アルエ」

 二回目の呼びかけに僅かに指先を動かすという反応が返ってきた。

 背中を丸め赤子のような格好で横たわる青年にリズは奥歯を軽く噛んだ。

 リズの目の前に横たわっているのは確かに人間なのだが、胸の上下運動が無ければ精巧に作られた人形のようだった。浅くて遅い心許ない呼吸運動だが落ち着いてはいた。

 薬の影響下に置かれて四肢の自由を奪われている青年が呼び声に反応できるくらいは回復している。その事にリズは躊躇いを覚えた。が、すぐさま頭を振ってそんな考えを打ち消す。

 床に片膝をつけて、アルエの右腕を左手で掴み引き寄せて手首を捻り、注射痕が痛々しい腕の内側を上向かせた。

 リズの動きにアルエが「ひ、ぅ」と肺を鳴らす。

 瞳だけをなんとか動かしたアルエをリズは見下ろした。

「アルエ。バルシェが馬鹿にしていたぞ」

 静かに声をかける。右手で薬瓶の蓋を親指で折って外し床に置いた。

「シュリンはお前を庇おうとしているが」

 注射器の針先を瓶の中に突っ込み無色透明な薬液を吸い上げ、リズはアルエの顔を覗き込む。瞳の奥は濁っていた。彼が正気を取り戻してないこの状態での投薬の続行を実行している自分にリズは心底嫌気がさした。

 この薬がどういう物なのか知っているリズは、バルシェが馬鹿にしたい気持ちもシュリンが心配している理由も痛いくらい良くわかる。わかるから、薬の分量を調節する指の震えを抑えられない。

 リズはアルエの腕と、注射器とをそれぞれ持ち直した。

「俺も正直呆れている」

 固定した腕から慣れた手つきで血管を捜し出し、変色に青く黒ずむ皮膚に針を刺しいれた。

 瞬間。アルエの体が跳ねる。喉奥から再び「ひぅ」と息だけの呻き声が上がった。

「何年俺の下で働いている」

 今更こんな事ばかりやって。と、馬鹿にする気も心配する気もおきず、込み上げてくる怒りの勢いのままピストンを押し下げた。

「まったく、愚かなものだな」

 薬が全身に回るのを表すかのように瞳から光を失くしていくアルエの頭を、注射器を投げ捨てたリズは自分の胸に引き寄せて抱えた。

 アルエは震えていた。微か、ではなく、ガタガタと音が聞こえそうな程激しく震え始めた。薬で自由を奪われているはずなのに抗うように震えていた。

「アルエ。お前もそう思うだろ?」

 愚かだよなと呟いて、光の無い目を大きく見開いたアルエに、目を閉じろと彼の瞼に自分の唇を重ねた。




 詰襟に指を入れて形を整えながら扉を開けるとシュリンが音を立てて席から立ち上がった。

 壁に背中を預けていたバルシェも煙草を咥えたまま煙を吐き出す。

「長かったすね」

 城を囲う城壁と同程度の長い地下後宮の巡回を終えた二人に出迎えられて、時計に視線を流したリズは頷いた。

「そうだな」

「隊長。アルエは?」

 自分の机へと戻るリズに気持ちを抑えられないシュリンが駆け寄ってきた。用済みになった薬瓶と注射器を塵箱に捨ててリズはシュリンに向き直る。

「死なせはしないと言った覚えがある。忘れたか?」

「じゃぁ」

 無事だと知って輝くシュリンの目を捕らえたまま、リズは引き出しから腕章を取り出した。

「無事だ。換気もしてある。じきに向こうから勝手に出てくるだろうから、落ち着け」

 あしらわれるシュリンにバルシェは笑い声を立てる。

「シュリンは月花草と相性がいいからな。存外あっちの方の心配してんじゃねぇのか?」

「バルシェッ」

 顔を赤くしてシュリンが抗議の声を上げた。

 そんな二人に腕章を腕にはめて身形を整えたリズは静かにと声を投げかける。

「俺はこれから陛下の警護に付く。アルエが出てくるまで部屋の扉は開けないこと。それと三時間後には再び巡回に行くこと。それまでは十分休息を取ること」

 二人に指示を渡すリズは「ああ」と続けた。

「あと、賓客達のお世話に手は抜くなよ」

 念を押すように眼光鋭くしたリズに二人は長靴の踵を打ち鳴らして応える。

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