【第二話】




 地下後宮の石畳の廊下は当然ながら暗く、等間隔に置かれた蝋燭の明かりしか頼るものが無い。先が見辛いせいで感覚的に直線と誤解されがちだが、実際は円状の城壁に沿って造られているため緩やかな曲線を描いている。分岐の無い一本道なので距離はあるが迷うことはない。事務室から出て歩くだけで再び事務室に戻れる構造だ。

 国王の警護と抜き打ちの巡回を終わらせたリズは事務室の扉を前にして右手を腰に当てた。重心をゆっくりとずらし姿勢を僅かばかり傾かせた自然体で、王家の紋章を中心に現王の御花を囲う凝った彫刻細工が施された扉を眺めていた。

 この扉は王が替わるたびに挿げ替えられている。

 元々私設軍というのは歴代の王達がそれぞれに作る趣味の一環であり、その働きも規則も成り立ちすら軍とは名ばかりの小規模な組織なのだ。現に私設軍に籍を置くリズはそれ相応の訓練を受けてはいても前王の時はただの物見台の見張り役だったし、現王の今は王の護衛と賓客達のお世話とが主な仕事だった。

 そんな組織の隊長という名誉ある肩書きを持つリズは扉を前にして心中はかなり複雑だった。無言で扉の取っ手を掴み静かに押し下げた。

「おー、隊長おかえんりぃ」

 扉を開くとリズの席に腰掛けたバルシェが煙草を持った手を軽く挙げた。

 バルシェはその手の長さが如実に語る長身の持ち主で婦人受けする精悍な顔つきの好青年だが、そんな彼が浮かべている表情には腰に届くまで伸ばした長い髪をふたつお下げにして背中に流すようなふざけた軽薄さが滲んでいる。リズよりも年上な彼は私設軍で一番の古株で、軍歴はリズよりも長い。

「お疲れ様です、隊長」

 バルシェに遅れて気づいたシュリンは書き物をしていた手を止めてリズを迎える。シュリンは筋骨隆々の獅子族にしては妙に線が細く肉付きの薄い体をしていて、年上と聞いていても背はリズよりも低く、バルシェと比較すると倍ほども違う。色素も薄く全体的に希薄な印象を漂わせたていた。

 シュリンは自分の席から立ち上がるとリズに駆け寄った。

「隊長、どうでしたか?」

 心配そうなシュリンにリズは腰の隠しに指を差し入れてレンから取り上げた砂が塗布された布切れを取り出し、歩み寄った自分の机の上にそれを投げ置いた。

「異常なかった。といいたいところだが駄目だな。もう一本追加だ」

 一連のリズの動作を目で追ったシュリンは砂まみれの証拠を見て顔を曇らせる。机の上の布の正体は国王の意向で軍から支給されているスカーフで、持ち主の名前が隅に刺繍されていた。シュリンは懇願の目でリズを見遣る。

「……隊長」

 半ば掠れた声で呼びかけるシュリンにリズは首を横に振った。

「確かに薬の投与量は増えている。だが、わざと賓客を逃がそうとしているんだ。言葉でわからなければ体に教えないとならない。

 いいか、シュリン。地下後宮の彼等は陛下の大事な〝賓客〟なんだ。彼等は客人だ。対して俺達は軍人だ。どちらが罰を受けるべきかなんて明白だろう? 大丈夫だ。死なせはしない」

「ですが隊長――」

「あの薬が体に合わないつってもリズに相手をしてもらいたいんだろ。死んでも構わないなんて勢いで行動してるんだ。シュリンがどう言おうとリズの考えは変えられないぜ?」

 尚も食い下がろうとしたシュリンを紫煙を燻らせるバルシェがせせら笑う。

「味をしめたってことだろ? 依存性が高い薬は総じて耐性も付きやすい。エスカレートするようなら我等が隊長様も力に訴えざるを得ないってわけさ」

 上官を依存性の高い薬と例えて皮肉り咥え煙草のままバルシェは薬品棚から引っ張り出した薬瓶と注射器を持つと、リズの元へと運び机上にシュリンに見せ付けるようにゆっくりとそれを置いた。

「逃亡手段の証拠をわざわざリズに発見させるような馬鹿な真似は俺にゃぁできないね。もちろん、それを実行したお姫様も然りだ」

 バルシェは男女の性別を区別しない。賓客を総じて姫と呼ぶ。

 薬瓶に不安の眼差しを向けているシュリンに対して落ち着けとリズは言葉を重ねながら、机上に転がる薬瓶と注射器を拾い上げる。

「二人とも」

 気まずい空気を区切るようにリズが声を発すると、二人は瞬時に表情を硬くした。

「巡回に行ってもらいたい」

 一通り全ての作業が終わった後では仕事ができるような時間帯ではないし、かと言って他に何かあるわけでない。

 人払いをしたいとの遠巻きの言葉にそれを命令と受け取った二人は反射とも思える速さで踵を打ち鳴らし一礼すると事務室から出て行った。

 そんな二人を見送ったリズは肺の底から深い溜息を吐き緩やかに両目を閉じた。目を開けると、考えを振り捨てるように空いている左手で乱雑に前髪を掻き上げる。

 無言のまま事務室を横切り奥へと進む。行く先には古びた扉があり、リズは戸板に提げられた札を掴むと『入室禁止』から『使用中入室禁止』へと引っくり返したのだった。

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