第5話 unlucky day


 幼い頃から、何故か雨の日は気分が上がらない。

 服が濡れるからとか、傘を持ち歩かなければならない面倒臭さとか、思い返せば要因はいくつもあった。

 雨なんて無くなればいいのにと思うが、きっとそれが現実になれば、旱魃が起きて私達は絶滅するだろう。

 自分たちの都合だけで世界を作り替えることは出来ないのだ。

 でもいつか、私達が自然の支配から逃れた時、この雨を恋しく思う日が来るのかもしれない。

 窓外の空模様を見ながらそんな事を思った。


 雨足が強くなった放課後、傘立てに置いたはずの傘が無くなっていた。

 何の特徴も無いビニール傘だったので、誰かが間違えて持ち帰ってしまったのだろう。

 予備の傘なんて持っていないため、どうしようと考える。

 濡れるの覚悟で走って帰る?

 ないなと思う。

 この雨の中、傘も差さずに帰ったら好奇な目を向けられそうだ。電車で変に注目を浴びるのは避けたい。

 困ったなと思いながら、段々と腹が立ってくる。

 そもそも私は傘を持ってきたし、どうして私が困らなければならないのだろう。傘を間違えるにしても、どうして私のなんだ。

 あー、ついてない。

 苛つく感情を抑えて、解決策を思考する。

 夏海と燈は私と家が反対方向だから頼れない。

 となると、職員室で備品の傘があるか聞いてみるしか無さそうだ。

 気分が乗らないが、仕方なく職員室へ向かう事にした。


「あなた、町田さんだよね?」

 職員室に向かう途中、人の流れを逆らいながら歩いていると、女子生徒に声を掛けられた。

 思い返せば今朝からついていなかったと思う。

 そして、ついていない日というのはとことん運が無いらしい。

 女子生徒は私と同じ色のリボンをしていた。

 という事は、この相手は同級生だ。

 こんな知り合い居たかな?と思いながら相手の質問に「はい」と頷いて肯定した。

 肯定してから、私は肯定した事を後悔した。

 これ、絶対に面倒臭やつだ。

 相手の表情を見てそう確信する。

 ふるふると震える唇と、怒りに満ちた瞳が全てを物語っていた。

 うわぁ、凄く面倒臭そう。

 用件はなんだろう。目の前の女子生徒とは知り合いでもないし、恨まれる様な事をした覚えもない。

 相手がこれ以上何か言う前に立ち去ろうと思い、右脚を踏み出す。

 それと同時に腕を掴まれた。

 絶対に逃がさないという意志を感じる。

 いやいや、何これと思いながら状況を理解出来ないでいる私を、女子生徒は掴んだ腕ごと引っ張ってくる。

「付いてきて」

「えー…」

 そのまま私は、ずんずんと進んでいく女子生徒に、空き教室まで連れて行かれた。

 薄暗いその教室は、他と比べると少し狭いため、今は準備室として利用されている。

 女子生徒は扉に鍵を掛けると、やっと掴んでいた私の腕を離した。

 その様子を見て、ちょっとやばいかもしれないと思い始める。

「あの、何ですか?」

「返してよ」

「は?」

「私の先輩返してよ!」

 肩を掴まれ後ろに押される。身体が机にぶつかり鈍い音がした。

 ここまでされるって事は、私がこの人を怒らせる何かをしたのだろう。

 駄目だ…全く思い当たる節が無い。

「ごめん、何言ってるの?」

「はぁ?しらばっくれんなよ。色目使って、田所先輩騙しやがって。このクソびっちが!」

 田所?…あぁ、今朝のあの人か。

 田所先輩なんて興味無いし、何なら迷惑してますなんて言ったらこの子は余計怒るだろうな。

 穏便に済ませよう、早く帰りたいし。

「それ誤解なんで、手離して貰えます?」

「誤解?ふざけんなよ。私達、付き合ってたのに…お前のせいで…!」

 ヒステリックに叫ぶ女子生徒は、この薄暗い部屋でも分かるくらい顔が赤くなっている。

 今、この子の血圧測ったらやばそうだな。

 そう思ったらちょっと笑ってしまった。

「っ…!!何笑ってんだよ!」

 女子生徒の顔が更に赤く染まる。

 あ、やばと思った時には遅かった。

 パンッ

 頬を打たれた事に気がついたのは、打った手が力を無くしてからだった。

 打たれた頬が熱を伴って痛みを感知させる。

 悪意を伴った暴力を受けるのは、16年間生きてきて初めてだ。

 けっこう痛い。

 頬に手を添えて痛みを抑える。

「…」

 何も言わない私を見て、女子生徒は少したじろいだ様子で後ずさった。

 理不尽な暴力を振るわれたまま、この場を終わらせるのは正解だろうか。

 そんな思考をしていると、鍵が掛けられていたはずの教室の扉が開いた。

「あら、鳥井さんと町田さん。ここで何してるの?」

 鍵を片手に、用意していた様な台詞を吐きながら凪さんが教室に入ってくる。

 同時に、廊下から漏れる光が薄暗い教室に射し込む。

 その光に向かって私の頬を打った女子生徒が走り去って行った。

 教室には私と凪さんが残された。

 なんだったんだあれは。

 嵐のような出来事に脳が処理不可と印を押す。

 呆けた私を横に、凪さんはガラガラと開けた扉を閉め、鍵を掛けた。

「修羅場だったね、大丈夫?」

「いつから聞いてたんですか?」

「あ、気付いてた?ここに二人が入っていくの見えたから追いかけて来ちゃった」

 凪さんは赤くなってるね、痛そうと言い私の頬を撫でる。

 そのまま私を誘導して机の上に座らせた。

「浮気かと思いました?」

「宵ちゃんの事は信用してるよ。でも、誰が手を出してくるかは分からないから」

「手は…確かに出されましたね」

 頬の痛みが増してくる。早く冷やした方が良さそうだ。

「ごめんね、もう少し早く止めに入るつもりだったんだけど」

「分かってますよ」

 分かってる。

 凪さんは学校では基本、私に干渉してこない。

 学校での問題は自分で解決してね、と言うスタンスなのだ。

「腫れてきてる。早く冷やした方がいいね」

 凪さんの手が頬から離れていく。

「相澤先生」

「なに、急に。どうしたの?」

 凪さんの声色が変わる。

 本人が気付いているのかは知らないけれど、凪さんは『相澤先生』と呼ばれるのが好きだ。

 こうやって呼びかけると高確率で私に手を出してくる。

 分かりやすくて可愛い。

 凪さんの手が私のスカートに入り、触れられた肌が熱を帯びる。

「あっ…傘を無くしてしまったんです。っ今日一緒に帰れません?」

「しょうがないなぁ。仕事終わるまで待ってられる?」

「んっ…はい」

「良い子。でもその頬、結構酷いから保健室行きなさいね」

「んっ」

 その会話が終わる頃には、頬の痛みなど気にならなくなっていた。

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明日は今日の続きがいい 香月 詠凪 @SORA111

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