第2話 厄介な恋2

「宵ちゃん怒ってる?」

 凪さんが涙目になりながら私に尋ねてきた。

「怒ってないですよ」

「いやいや、絶対怒ってる」

「怒ってません」

「怒ってるよ、だってカレー辛いもん」

 私が作った特製カレーを指さして抗議してきた。

 湯気が立つほど出来たてのカレーを私も掬って食べてみる。

 これが辛い?

 確かに今日は少し辛めにしようと思っていたけれど、ルーは甘口だしミルクも足している。

 強いていつもと違う点をあげるなら、蜂蜜を入れてない事くらいだ。

 どれだけ子供舌なんだこの人は。

「そもそも、どうしてカレーが辛いから私が怒ってるってなるんです?」

 凪さんはカレーと牛乳を交互に口に入れる事で、辛さを軽減しようとしている。

 それが成功しているのか、お皿の底が見え始めていた。

「前にカレーが辛かった時、怒ってたから」

「あれは…別に怒ってたわけじゃ」

 言いかけて、言い淀む。

 あの日は、凪さんが体育教師と親しげに話していたから八つ当たりしてしまった。

 醜い感情は出来るだけ表には出したくない。

 それでも溢れ出ててしまう時がある。

 これじゃ駄目だと分かっていても、凪さんが他の誰かと話しているだけで心が不安定になってしまう。

 これは自信不足から来る物なのか、凪さんを信用出来ていないからなのか、その両方なのか私は定めることが出来ていない。


「宵ちゃん、今日一緒にお風呂入ろっか」


「は?」


 突然の提案に思考が停止しかける、というかした。

 一緒に住み始めてから3ヶ月、一度も一緒にお風呂に入ったことは無かった。

 入りたいと思った事はあっても、恥ずかしくて言えなかった。

 それをいとも容易く、こんなに突然に提案してくるこの人って…。


「宵ちゃん驚きすぎ。大丈夫だよ、えっちな事はしないから」


 年下をからかって楽しいのか凪さんが笑う。

 その笑い声にすら色を感じて胸が擽られる。

 さっきまでのもやもやが溶けていくのを感じて、この人には一生敵わない気がした。


 我が家の風呂は狭い。そもそもこの部屋自体、二人暮しを想定して造られていないのだ。

 脱衣所には洗濯機が置かれ、小さな洗面台が備え付けられている。その洗濯機の上には凪さんの着替えが置かれていた。

 浴室からはシャワーの音と甘いシャンプーの香りが漏れ出している。脱衣所の湿度は高く息が苦しい。

 先に風呂に入る時、凪さんは私の耳元で「待ってるからね」と囁いた。

 あれがなければ多分、逃げていた。

 でも、凪さんはそれを許さない。

 私が取るだろう行動を読み、その上で私の手を握り支配してくる。

 私はそれに抗えない。

 シャツを脱ぎ、下着姿になる。

 下腹を少し摘んでみた。

「…」

 摘もうとしたけどつまめ無かった、そういう事にしよう。

 自分の体はあまり好きでは無い。

 と言うか、そもそも人体が好きじゃない。

 鏡に映る肌色の生物は私とは別の生き物に見えた。

「何してるの?早く入りなよ」

 浴室のドアが開き、凪さんが私の手を引いた。

 中は脱衣所より湿度が高く空気が甘い。

 凪さんの布を挟んでいない体から目を逸らす。

「今更なに照れてるの?何度も見てるじゃない」

「いつもは暗いから、明るいのは…」

「なに?恥ずかしい?」

 にやにやしながら聞いて来る。

 分かっているくせに、意地悪をしてくる凪さんは楽しそうだ。

 確かに、お互いの服を脱いだ姿を見るのは初めでは無い。その皮膚の温度も味も知っている。

 それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。

 凪さんが私の体を洗い始める。

 ゆっくりと、丁寧に。

 普段、自分で洗う時はもっと適当で、肌に当たるスポンジが別物に思える。

 体をなぞられ、全身に神経が通っているのだと自覚する。

「あ、そこは自分でやります」

「だーめ」

「…!」

 こらこらと制する手を超え、触れてくる手に抗えない。

 のぼせそう。

「かわいい」

 凪さんにしがみつく私を操る声と指が理性を破壊する。

 初めてこういう事をされた2年前から今に至るまで、私はこの感覚に慣れたことはない。

 ゆっくりと撫でられた場所が熱い。

 我慢していた声が漏れそうになった時、指が離れた。

 私の中に入る前に離れた指を見つめる。

 惚けた私を他所に、凪さんが39度のお湯を私に掛けてくる。

「風邪ひいちゃうから、早く湯船入ろう」

「…はい」

 わざとだ。凪さんはいつも、わざと最後までしない。

 理由は簡単で、私がお願いするのを待っている。

 我慢の限界まで私を煽って放置する、それを見て楽しむ。

 変な趣味だと思う。それに付き合っている私も相当変だけど。

 湯船は狭く、必然的に先に入った凪さんに後ろから抱きしめられる形になった。

 肩に顎を置かれ、背中に当たるものに意識が偏り私は落ち着かない。

「宵ちゃんいい匂いする」

「凪さんと同じ匂いだと思いますけど」

「ううん、違う。宵ちゃんの匂いだよ」

 シャンプーが同じだから、同じ匂いのはずだけど。

「私、宵ちゃんの匂い好き」

 私にはわたしの匂いなんて分からない。

 でも、凪さんが好きと言ってくれるなら悪くないのかもしれない。






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