明日は今日の続きがいい

香月 詠凪

今日から明日まで

第1話 厄介な恋


 目覚まし時計より先にキッチンからする料理の音で目を覚ました。

 寝起き姿のままリビングへ行くと、一緒に暮らしているなぎささんと目が合った。


「おはよう」


「おはようございます」


 卵を溶きながら私と話す彼女は、シャツに下着姿というシンプルな装いで少し目のやり場に困る。


「ご飯の前に顔でも洗ってきたら?」


「うん」と頷いてから洗面台の鏡に向かい合う。

 鏡に映る自分は、眠そうに浮腫んだ目と変な寝癖が付いていた。

「うわぁ」思わず声が漏れた。

 これを毎日あの人に見られていると自覚したら恥ずかしくてやっていけそうに無い。

 冷水で顔を洗い、跳ねた髪は水で抑える。

 リビングに戻ると卵焼きを中心にした和食がテーブルに並んでいた。

 一緒に住み始めた頃は食パンとレトルトスープだったことを思い出す。随分と進化したものだ。


「いただきます」


 少し焼き色の付いた卵焼きはいつも通りの激甘だった。

 これを毎日食べていたら何時か病気になりそうな気がする。


「美味しい?」


 凪さんが首を傾げて聞いてくる。可愛い…ずるい。


「美味しいですよ」


 私がそう答えると凪さんは頬に手をついて甘く笑った。

 そのうち遠回しに塩っぱい卵焼きが好みだと伝えよう。


「今日の夜ご飯、何かリクエストあります?」


 ちなみに朝ご飯は凪さん担当、夜ご飯は私が担当している。


「久々によいちゃん特性のカレーが食べたいな」


「凪さん、本当にカレー好きですよね」


「宵ちゃんのカレーは甘くて美味しいから」


「甘ければ何でも良いのか…」


「だって、宵ちゃんが金曜日以外お菓子禁止とか言うから」


「健康のためですよ」


 全くこの人は...と思う。

 凪さんが極度の甘党だと言うことは一緒に暮らし始めた一週間で分かった。

 まず、朝ご飯はいちごジャムたっぷりのパンと甘いコーンスープ、夜はご飯よりもアイスと甘いお菓子優先と言う不健康極まりない食生活を送っていた。

 それを見兼ねた私は夜ご飯担当を買って出たというわけだ。


「あっ、そろそろ行かないと」


 時計を見ると7時を少し過ぎた頃だった。


「お弁当持ちました?」


「うん、いつも有難う」


 お弁当は前日に、夕食の残りを詰めて冷蔵庫に入れてある。

 見送りするために玄関まで凪さんの後を追う。

 1LDKのマンションの廊下は一人分の道幅で二人で歩くには少し狭い。


「行ってきます」


 凪さんが慣れた手つきで私を抱き寄せてキスをする。

 軽いキスは一瞬の接触で、そこに生まれた熱はすぐに消えてしまう。

 熱を求め、伸ばしてしまいそうになるそれらを悟られないように言葉を紡いだ。


「行ってらっしゃい」



 食器を洗い終え時計を確認すると、私も支度をしないと遅刻してしまう時間になっていた。

 着ていたパジャマを脱ぎ制服に着替える。

 少し古いデザインをしたこの制服は県内トップの進学校の証らしい。

 正直、伝統とかそんな物より今時の可愛い制服が着たい…なんて、この制服が大好きな母親には絶対に言えないなと思う。

 家を出ると外は晴天で、電車で十五分程度の高校までは快適に向かえそうだった。

 イヤフォンを付けると、ラブソングが耳から脳に流れてくる。

 中学生の頃だったらこんな曲は聞かなかった。

 車窓に流れる景色が曲と相まって映画の中に迷い込んだ感覚に落ちそうになる。

 そんなことあり得ないけど。



「町田さん」


 改札を出た時、男の人に声をかけられた。

 頭から爪先まで見ても見覚えが無く、知り合いじゃ無いと確信する。

 でも、どうして私の名前を知っているのだろう。


「いきなり声かけてごめん。俺、田所昌也たどころまさやって言います。町田さんの事ずっと気になってて、良かったら連絡先とか交換できないかな?」


 同じ制服姿の人たちが、私たちを横目で見ながら通り過ぎて行く。

 走り去ってしまいたい気持ちを抑えて答える。


「すみません、無理です」


 軽く一礼して学校の方向へ歩き出す。

 その道中で再び声を掛けられた。


「おぉ、怖い顔」


夏海なつみ


 振り返るとそこにいたのはクラスメイトの岡本夏海おかもとなつみだった。


「おはよう。また告白されたの?」


「違う、連絡先聞かれただけ」


「そんなんほぼ告白じゃん。さっきのサッカー部の田所先輩でしょ」


「見てたなら助けてよ」


「ごめん、ごめん。でも田所先輩すごいモテるんだよ?連絡先くらい交換しても損しないと思うけどな」


 夏海は勿体無いとも言いたげな顔で私を見てくる。


「気持ちに答える気が無いのに、気を持たせるような事したく無いだけ」


「宵は真面目だなー。そんなんじゃ一生彼氏できないぞ」


「いや、別にいらないし」


「私が宵の顔に生まれてたら学校中のイケメンと付き合うのに。神様って不平等…くっそぅ」


 訳の分からない事を言っている友人を置いて教室に入る。


「宵、おはよう」


「おはよう」


 隣の席の白崎燈しろさきあかりと挨拶を交わす。


「燈!聞いてよ、宵ったらあの田所先輩に連絡先訊かれて断ったんだよ?」


「宵らしいね」


 燈は楽しそうにころころと笑っている。


「でも宵が振った男子、今月これで5人目だよ」


「あれ?まだ5人だっけ」


「燈の感覚が狂ってしまった…宵のせいだよ」


「えぇ..」


 確かに私はよく「好き」とか「付き合って欲しい」等の言葉を貰う。

 でもそれは、私が望んだものでは無い。

 それに話した事もない人に特別な感情を向けられても困るだけだ。


「という事だから、宵さん英語の宿題見せて」


「どういう事よ」


 夏海が私の名前にさん付けしてくる時は大体何か頼み事がある時だった。


「いやー、昨日ゲームに夢中になってしまって宿題を忘れちゃった的な、ね?」


 分かるでしょ、みたいな顔で私を見るのやめて欲しい。


「燈に見せてもらいなよ」


「燈の答えは完璧すぎてバレる」


「おい」


 鞄から出したノートで夏海の頭を小突く。


「相澤先生、宿題忘れ厳しいから。頼むよ宵さん」


 相澤先生の授業は1限目から始まるため今終わらせなければ間に合わない。


「次は助けてね」


 ノートを夏海の頭に乗せる。

 一瞬、何のことか理解していなかった夏海の顔が大分アホ面で面白かった。


「まかせろ!!」


 聡い友人の宿題写し作業を眺めていると、教室に相澤先生が入ってきた。

 淡いベージュのブラウスに少しウェエーブした薄茶色の髪が清潔感を更に引き立てている。

 数人の生徒が先生の元へと駆け寄っていく。


「凪ちゃん今日当てないで」


「こーら、先生って付けてね」


「はーい、凪ちゃん先生」


 耳障りな会話に教室の喧騒が混じり気持ち悪くなる。

「宵、宵?」


 夏海が手を私の前で降っていた。


「え、なに?」


「ノート有難う、助かった。ぼーっとしてたけど大丈夫?」


「あ、うん」


 友人の声は遠く、私の意識は一点へ集中していた。

 生徒と話していた凪さんが視線に気がついたのか私を見た。

 目が合い心臓が止まりそうになる。

 そのまま凪さんは視線を逸らさず私に笑いかけた。

 耳まで自分の身体が赤くなっているのが分かる。

 目があって笑いかけただけで、私をこんなにしてしまう凪さんに少し腹が立つ。

 だから、今夜のカレーは少し辛めにしようと決めた。

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