第2話

 母の言いつけを守らず、僕は度々塾をサボって真蔵さんの家に行くようになった。

 その度に塾から僕の家に連絡が行き、母は怒った。

 僕の不満は更に大きくなり、ますます真蔵さんの家に行く頻度は増えた。


 すると、あまり仲良くないクラスメイトが突然『一緒に塾に行こう』と言い出した。


「悠太は塾に行けよ。不良になっちゃうよ」


 強く僕の腕を引っ張るクラスメイトを僕は突き飛ばした。

 真蔵さんの家の近くの分かれ道でつかみ合いの喧嘩になって、その子とは二度と口を聞かなくなった。


 中学に入ると、周りの僕への視線はいよいよ我慢ができない物になる。

 定期テストの度に、僕が一番じゃないと「勉強をサボってるからだよ」と僕より遥かに順位が下のクラスメイトから説教をされた。

 そう言った日頃のストレスを真蔵さんの家で真っ白なキャンバスにぶつけるとスーッと心が軽くなった。


「悠太くんの絵は、やっぱり人の心を動かすものがあるな」


 そう僕を褒めてくれる反面、真蔵さんの絵に僕は物足りなさ感じ始めていた。


──写真みたいに綺麗に模写しただけ。生き物で言ったら剥製と同じだ──


 初めて会った日に真蔵さんが言っていた言葉の意味がわかった。

 この人には才能がない。

 僕は次第に真蔵さんの絵から興味が薄れ、彼の教え子の作品を漁る様になった。

 

 ただ、そちらも絵画や彫刻には駄作が多い。

 まるで真蔵さんの作品のような、形だけの駄作で魂がこもっていない。


 それに比べて、音楽や詩、小説には傑作が多い。

 僕のイマジネーションをどんどん刺激してくれる。


──やっぱり音楽は良い。どこにでも簡単に完璧な姿で持って行ける──


 あれはどう言う意味だったんだろう?


 真蔵さんと出会って数年経つのに、真蔵さんの元を訪ねてくるお弟子さんが一人もいないのを不思議に思った。

 自分の作品を真蔵さんの家に置いて行き、今頃何をしているんだろうか?


「お、フィボナッチ数列か」


 真蔵さんの家で僕が勉強をしていると、さっきまでキャンバスで集中していた真蔵さんが後ろから覗いてきた。

 中学二年生の僕は、すでに高校生の教科書を買って、一人で自習をしていた。

 フィボナッチ数列は1、1、2、3、5、8、13、21……のように数列の数字がその数字の一つ前と二つ前の数字の和になっている法則で並んでいる数列だ。


「フィボナッチ数列はデッサンの黄金比とかにも使われるから、絵を描く人は知っといた方が良いぞ」


 真蔵さんだけは、勉強中でも僕に勉強を強要して来ない。

 そう言う安心感に気持ちが緩んで、思わず何気なく考えていた言葉がぽろっと出た。


「真蔵さん」

「ん?」

「僕さ、東栄大学じゃなくて芸大に行きたいんだ」


 真蔵さんは無言になった。


「将来、絵を描いて生きていきたいんだよ」

「なら行けば良いじゃないか」

「でも、」


 みんなガッカリするんじゃないか?


「周りの目を気にして生きて行く程、人生は長くないぞ。

 大人になって後悔したって、誰も責任なんてとってくれないんだ。周りの声なんて聞かなくていい」


 誰も責任をとってくれない──確かにその通りだ。


「それにこれは私個人の意見だけど……私の教え子もみんな美大、音大を受験してる。君は今まで私が教えた子の中でも一番優秀だ」

「ほんと?」

「私個人の意見としては、君にはずっと絵を描いていて欲しいね」


 真蔵さんにそう言われ、僕の心にあったつっかえはスッと取れて、涙が流れた。

 いつも、夢中で聴いていたあの音楽や小説、絵画の作者よりも僕の方が上。自分の人生で一番嬉しい言葉だった。


 自分の人生が決まった。

 周りは関係ない、僕は僕の道を行く。


 その日、僕はそう決めた。













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