6. 突然のこと

 帰り道、クララはついにスティーブンにシャトー・カルーゼルのことを話そうと決心した。

 レーナの話を聞いた今、スティーブンにはどんなことも秘密にすまいと思っていた。

 それなのに……


「ただいまー!」


 家に帰ったクララは驚きに目を丸くした。

 玄関がスーツケースでいっぱいになっていたのだ。


「お帰り、スウィートハート。」


 珍しく、スティーブンが家にいる。

 クララは慌てて、首から下げたペンダントを隠した


「何なの、これ!」


 クララは大量のスーツケースを手で示した。


「いいから急いで行こう。時間がないんだ!」

「えっ!?ねえ、ちょっと待ってよ。説明もなしにどこに行けっていうの?」


 何が起こっているのかさっぱり分からない。


「メアリー叔母さんのところだよ。パパの妹の。」

「何で?」

「今は説明している暇はないんだ。悪いけど、今は言うことを聞いてくれないか?」


 スティーブンはせかせかとスーツケースを車のトラックに積みながら言う。


「嫌よ!説明してもらうまで動かないから!」


 クララは言い張った。

 レーナと仲直りしたと思ったら、今度はスティーブンとケンカになりそうだ。


 スティーブンはスーツケースを積む手をとめ、ため息をついた。


「いいかい、パパは急に仕事が入って、しばらくの間となり町に行かなきゃならなくなったんだ。その間、クララはメアリー叔母さんの家で暮らしてくれ。」

「そんな!しばらくってどれくらい?」

「2ヶ月くらいかな。」


―2ヶ月!


 クララはめまいを起こしそうだった。

 メアリーのことは嫌いではないが、そんなに長い間家を離れるなんて嫌だった。


「さあ、もう納得しただろう?早く手伝ってくれ。あと5分でメアリー叔母さんが迎えに来るんだ。」


「だめ!」


クララは大声を出した。


「まだ何かあるのかい?」


 スティーブンは明らかに苛立っている。

 だが、構うものか。シャトー・カルーゼルのことを2ヶ月も黙っているわけにはいかない。


「ええ。とっても大事な話があるの。パパの仕事よりこっちのほうがずっと大切 

 よ。」

「いや、今はパパの仕事が最優先事項なんだ。」


スティーブンは強情だ。


「私の人生より、パパの仕事が大事だって言うの?」

「そうだよ。」


スティーブンはろくにクララの言っていることを聞きもせずに言う。

 スティーブンはもう、玄関にあるほとんどのスーツケースを車に積み終えていた。 

 このままではシャトー・カルーゼルのことを話せないままでメアリー叔母さんの家にいかなければいけなくなる。

 そして、スティーブンが帰ってくる頃には「お試し期間」が終わっている。契約書にサインをもらうには、今しかない。


「さあ、スウィートハート、部屋から必要なものを全部持って来てくれ。できるだけ 

 急ぐんだぞ。」


仕方がなく、クララはのろのろと自分の部屋に行き、カタツムリのようにゆっくりと自分のスーツケースに荷物を入れ始めた。


 数分後、待ちかねたスティーブンが自らクララの部屋に来て、勝手に物を詰め始めた。


「違うの!それはそっちに入れちゃダメ!」


クララはスティーブンが困ることを知っていてわざとわがままを言った。

 今はスティーブンをうんと困らせてやりたかった。仕事中心でクララのことを何も考えてくれないスティーブンにはもう我慢も限界だ。

 そもそも、自分の娘が見慣れない制服を着ていても気づかないなんて、よっぽどクララのことがどうでもいいのだろう。


プップー!


 下で、車のクラクションが鳴った。

 メアリーが迎えにきたのだ。


「さあ、もう行くぞ。叔母さんを待たせるな。パパの依頼人は冤罪で留置所に入れられているんだ。取り調べの時間までに向こうに行かなくちゃならないんだよ。」


「ねえ、パパ、聞いてよ!私、雲の上に行ったのよ。」


 もう話すなら今しかないと思ってクララは言った。

 スティーブンは驚いて手をとめ、「何だって?!」と叫ぶはずだった。

 しかし、実際にはスティーブンは


「そうか。」


と言っただけだった。クララは耳を疑った。


「ねえ、ちゃんと聞いてた?」

「いや。」


スティーブンは短く言うと、ぐちゃぐちゃ物を詰めたスーツケースを持って部屋を出た。


 クララは失望した。せっかく話そうとしたら、今度は聞く耳を持ってもらえない。 

 そもそも、ずっと黙っていた自分が悪いことは分かっている。だが、それにしてもスティーブンの態度は娘に関してあまりにも無責任過ぎるのではないだろうか。

 スティーブンはクララをせかしながら外に出て、メアリーに挨拶をした。


 メアリーはスティーブンの8歳年下の妹で、まだ24歳と若く、クララとは10歳ほどしか違わない。

 カールという好青年と結婚していて、クララのことをとても可愛がってくれる。

 叔母というよりは、年の離れた姉と言った方が似合っているかもしれない。


「じゃあ、元気でいるんだぞ、クララ。何かあったらすぐに電話してくれ。メアリー、クララを頼んだぞ。」


 ああ、ついに出発の時がきてしまった。

 スティーブンは自分の車で隣町に行くから、もうお別れなのだ。

悲しみと憤りが入り混じって、何と言ったらいいのか分からなくなった。


「クララー!久しぶりじゃない!これから2ヶ月も一緒なのよ。2人で楽しいこといっぱいしようね。」


メアリーが言った。


「おいおい、そんなにクララを甘やかすなよ。」


 スティーブンが言う。

自分はクララを甘やかすどころか、話してもくれないくせに、よくそんなことが言えるものだ。


 クララは、いつものようにメアリーと会ったことを喜べない自分に気が付いた。

 実は、ジュリアが出て行ってからスティーブンは途方に暮れて、しばらくメアリーを家に連れて来たのだ。

 メアリーはテキパキと家の仕事をこなし、悲しみにくれるクララとスティーブンを何とか慰めようとしてくれた。

 そんなメアリーにはとても感謝しているのだが、彼女を見ると、クララはどうしてもジュリアが出ていったばかりのあの暗い日々を思い出してしまうのだ。


 スティーブンは軽くクララとメアリーにハグをすると、あっという間に自分の車で隣町へと走り去っていった。

 「大好きだよ、スウィートハート」の一言も言わずに。


「カーレースで優勝できそうな勢いね。」


 どんどん小さくなっていくスティーブンの車を眺めながら、メアリーが呆れて言った。


「さあ、私たちもお家に行きましょうか。期待しててね。私とカールから、ちょっと 

 したサプライズがあるの!」


 メアリーはサプライズ好きだ。

 会う度に必ず何かしらのサプライズを用意するものだから、メアリーをよく知っている人たちは彼女のサプライズに驚いた振りをするのに苦労する。


「本当に?うわぁ、嬉しい!」


 実はクララも、メアリーの家で暮らすことになると知ったときから、サプライズがあるだろうと期待していた。



「そういえば、クララはスマホを失くしたの?」


 夕食を食べながら、メアリーが聞いてきた。

 メアリーと夫のカールの家はこじんまりした温かみのある家で、夕食はメアリー特製のミートソーススパゲティだった。

 クララは、家で自分以外の人が作った手料理を食べるのも、3人以上で食卓を囲むのも久しぶりだった。


「失くしてないけど、何で?」

「だって、何100回もメールしたのに返信が来ないんだもん。嫌われたのかと思っ 

 て心配だったんだよ。」


「スマホ」や、「メール」なんてずいぶん懐かしい響きに感じられた。

 雲の上の世界では、電子機器は圏外になるから使えない。そのため、クララのスマホは長いこと、本やノートの下に埋もれていた。

 

「ごめん。最近は全然使ってなかったの。叔母さんのことを嫌うわけないから安心し 

 て。」


 クララはふいに、メアリーにならシャトー・カルーゼルのことを話せるような気がしてきた。

 スティーブンには話せなくても、地上の誰かに話せたらかなり気が楽になるに違いない。だが、カールがいるから今はだめだ。それに、こんな突拍子もない話をメアリーが信じてくれるかは分からない。


 夕食が終わると、メアリーとカールが嬉しそうにチョコレートケーキを運んできた。

 そう、メアリーのサプライズとはこのことだったのだ!


「やったー、チョコレートケーキ!!私の大好物だわ!メアリー叔母さんってホント最 

 高!カール叔父さんもありがとう!」


ケーキはそれほど大きくなかったが、三人で食べるには不足はなかった。

 チョコレートケーキはクララに、想像以上の良い効果をもたらした。

 ケーキを食べると、6時間目にみんなに笑われたことや、サラに目の敵にされたこと、スティーブンが話を聞いてくれなかったことなんかは、大したことではないように思えた。

 そして、もうすぐ秋のフェスティバルがあることや、レーナと仲直りできたこと、これからはメアリーとの楽しい生活が続くことなどに目を向けることができた。

 もうメアリーを見て、ジュリアが出ていったことを思い出してしまうこともなかった。

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