5. レーナの秘密
教室から逃げ出したクララはNGTに向かった。ロッカーに忘れ物をしたことを思い出したのだ。
薔薇の絵が描かれたロッカーのところに来ると、そこには思いがけない人物がいた。
アリソンだった。
「ああ、良かった。もう帰っちゃったのかと思ったよ。クララ、レーナから伝言があ
るの。『屋上で会いましょう』ですって。」
―えっ、どういうこと?
レーナは自分からクララに話す機会をくれた。
レーナはそれほど怒っていないのかもしれない。
それとも、それはクララの希望に過ぎなくて、レーナはクララと絶交するつもりなのだろうか。
「っていうか、アリソンはずっとここで待っててくれたの?私に伝言するためだけ
に?」
アリソンはうなずいた。
クララは恐らく、5分以上サラに捕まっていただろう。アリソンは早く、大好きな楽器クラブや演劇クラブに行きたかっただろうに。
「だって、昨日からクララとレーナはいつもみたいに仲良しじゃないんだもの。私、
2人にケンカしたままでいて欲しくなかったの。」
クララはアリソンを思い切り抱きしめた。アリソンは何て優しくて友達想いなのだろう。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう!」
「もういいから、早く行ってよ。レーナが帰っちゃうかも。」
クララはNGTを泳ぐようにしてホールに戻り、屋上に向かった。
学校探検のとき、屋上に上がったクララとレーナは、その眺めに感動した。そして、いつかそこで2人でおしゃべりをしようと言った。今がその、「いつか」なのだ。
屋上へと続く階段を駆け上りながら、クララの心臓は早鐘のように脈打っていた。
―レーナはまだ待っていてくれるだろうか?
―仲直りしてくれるだろうか?
クララは屋上に出ると、祈るようにレーナの姿を探した。
「レーナ!」
レーナは一人で屋上に立っていた。
風に吹かれてポニーテールにした髪と制服のスカートが揺れている。
その姿はとても寂しそうに見えた。
「クララ!」
クララの青い瞳と、レーナのハシバミ色の瞳がお互いを見つめ合った。
二人は駆け寄って、抱き合った。
目が合った瞬間、言葉がなくてもお互いの言いたいことが分かった。
「レーナ、ごめんね。いきなり怒鳴ったりして。あなたを傷つけてしまって、本当に後悔しているわ。」
「ううん、悪いのは私の方よ。あんな言い方するべきじゃなかったわ。あなたは同情して欲しかったのよね。
それから、『両親』って言っちゃったこともごめんなさい。クララの両親が離婚していたなんて私知らなくて。実はそれがすごく気掛かりだったの。クララを傷つけたんじゃないかと思って。それで昨日から、あなたと顔を合わせられなかったの。」
クララは急に笑い出したい気分になった。
レーナがクララを避けていたのは、怒っていたからではなかったのだ。
クララは改めて屋上から下を眺めた。
シャトー・カルーゼルの中庭が見える。その向こうには橋がかかり、さらにその向こうには雲の大地が広がっていた。
シャトー・カルーゼルの中で、ここは間違いなく一番見晴らしのいい場所だろう。
「私があんなに強い言い方をしたからクララは戸惑ったわよね?実はね、それにはわ
けがあるの。」
レーナは目を伏せ、しばらくの間泣き叫ぶような風の音に耳を澄ませていた。まるで、何かをかみしめているようだった。
「私には、3歳年下のレオっていう弟がいるの。」
やがて、レーナは唐突に言った。クララは戸惑いつつも相槌を打った。
「私がまだ7歳だったとき、私とレオは家で留守番をしていたの。パパは仕事で、ママは買い物に行っていたわ。
それで私たち、おもちゃを取り合ってケンカになった。それは掴み合いにまで発展して、私、レオを思い切り押し倒してしまったの。
7歳と4歳では力の差があるってちゃんと分かっていたのよ。でも、私はそのとき怒りを抑えられなかったの。
レオはそのせいで脚に大きなあざを作って、鼻血も出たわ。そこへママが買い物から帰ってきて、何があったのか知りたがった。それで……」
レーナは大きなため息をついた。深い、深い後悔のため息だった。
「……私は、ウソをついた。
レオは何かにつまずいて勝手に転んだって言ったの。だって、正直に話したら私が責められるのは分かっていたんだもの。
ママは何の疑いも持たずに私の言ったことを信じたわ。私はいつも優しいお姉ちゃんで、レオはいつもいたずらっ子の弟だったんだもの。
パパが帰ってきてからも同じようなやり取りがあったけど、パパも私を信じた。いつもいい子の私がウソをつくなんて夢にも思わなかったでしょうね。
次の日学校に行ってから、私は良心が咎めて仕方なかったわ。帰ったら、絶対に両親に本当のことを話そうと思ったの。だけど……」
レーナは長い間、その続きを言えずにいた。
不思議に思ってクララがレーナの顔を覗き込むと、レーナの顔は涙に濡れていた。
「レーナ、辛い話なら無理にしないで。」
クララは優しく言った。しかし、レーナは首を振った。
「親友のあなたには知っていてもらいたいの。」
レーナは深く深呼吸をしてから再び話し始めた。
「学校から帰ったら両親に本当のことを話そうと思ったんだけど、だけど
……私が帰っても、両親は帰って来なかった。」
レーナは号泣した。
クララは声をかけることもできずにレーナを抱きしめた。
「事故だったの。両親とレオが乗っていた車に、別の車がぶつかったの。私は二度と両親に会えないの。もう本当のことを言えないの。
レオは奇跡的に無事だったわ。でも、残ったのはレオだけ。私たちは今、祖父母のところで暮らしているわ。」
クララはしばらくの間、何も言えなかった。レーナにこんな悲しい過去があったとは知らなかった。
ハシバミ色の瞳の奥に秘められた悲劇は、11歳の少女が背負うにはあまりにも苦く、あまりにも辛いものだった。
「そういうことだったのね。レーナがあんなに強く両親に秘密を作っちゃダメだって
言ったのは。」
レーナはうなずいた。
「ええ。私が両親に秘密にしていたことは、実際は大したことじゃないのかもしれないわ。だけど、ウソの大きさは問題じゃない。私の中ではそのことがいつでも心残りなの。
パパとママは、私が噓つきの卑怯者だってことを知らずに死んでしまった。私が正直で素直ないい子だって信じて死んでいったのよ。本当はこんななのに。」
レーナは自分を強く責めていた。
「レーナは噓つきでも卑怯者でもないわ。辛かったでしょうに、私に自分の経験を話してくれて、私が同じ間違いを侵すことを防いでくれた。
それに、レーナのご両親は案外、あなたの言ったことがウソだって気づいていたかもしれないのよ。それで、まったく困った子なんだからって、笑っていたかもしれないわ。」
正直、自分でも気休めにしかならないとは思っていたが、クララはレーナを慰めた。レーナもそれを知っていただろう。しかし、レーナは微笑んだ。
「そうよね、そうかもしれないわ。クララは優しいのね。」
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