3. 悪夢の溶液

 そこは地上の学校の理科室に似ていなくもなかった。

 あちこちにゾッとするような模型があり、教室の奥の水槽にはドロドロした不思議な生き物がいる。

 壁に沿った棚には、奇妙な液体の入ったフラスコがあって煙や泡を噴き出している。

 クララとレーナは何となくそのフラスコの一つに魅かれて近づいた。

 紫色の液体が入っている大きな丸底フラスコで、液体の中には灰色の靄が渦巻いている。

 スターヴィリック先生がやってきて言った。


「イスト・エルはどうだね、ミス・ブルック、ミス・トンプソン?それは『悪夢の溶液』と呼ばれるものだ。覗いた人が見たいと思っている夢を恐ろしい悪夢に変えてしまうのだ。私は、そのフラスコを長い間覗き込むのは、賢明なこととは思わないがね。」


 しかし、クララは既にその液体から目が離せなくなっていた。スターヴィリック先生の言葉も耳に入らなかった。

 その液体の中の靄はフワフワと動いて、何かの形を作り始めた。

 最初は何ができているのか分からなかったが、次第にそれは映像のようにくっきりとしてきた。


 クララは木々の間から森を馬で進む騎士たちを眺めていた。

騎士たちは立派な鎧をまとい、大きな馬に乗っている。

クララは空を鳥のように飛んで、騎士たちの行く先に向かった。

そこは戦場だった。

 味方の兵士たちの盾の壁は破られ、敵の黒ずくめの兵士たちが味方を追い立てている。

 黒ずくめの兵士たちは跪いて慈悲を乞うものをも無情に殺していく。

味方が逃げる先には村があった。

 村では藁葺き屋根の家々が並び、肥沃な農地が広がっている。

そこは子供たちの笑い声が明るく響く、平和な場所だった。


だが、その村は一瞬で戦場と化した。

 黒ずくめの兵士たちに襲われる哀れな村人たち。

血も涙もなく殺されていく。

家々には火が放たれ、方々で泣き声や、恐怖の悲鳴が上がった。

 逃げ惑う人々の中には、何とクララの両親、スティーブンとジュリアもいた。

クララはいつの間にか飛ぶのをやめて、地面に立っていた。


「パパ!ママ!」


 クララは呼びかけたが、その声は2人に届かなかった。

逃げる最中に、スティーブンとジュリアは言い争いを始めた。

 言い争いがエスカレートして、ついには二人とも逃げるのをやめて立ち止まり、激しく口論した。

 ジュリアが出ていく前、クララが毎日のように見てきた光景だった。

突然、クララは両親の後ろに、黒ずくめの兵士が迫っていることに気が付いた。


「パパ、ママ、危ない!」


 クララはありったけの声で叫んだ。

しかし、周りの喧騒に呑まれて伝わらない。

両親は兵士に気づかずに喧嘩を続ける。

黒ずくめの兵士が両親めがけて、恐ろしいギザギザの剣を振り上げた。


「やめてぇぇぇぇぇ・・・・・・・」



 「クララ、クララ!」


 レーナの声でクララは我に返った。

フラスコから目をそらすと、レーナの心配そうな顔が見えて、クララは急にほっとした。


「恐ろしい夢を見たわ。兵士に両親が殺されそうになるの。」


 クララはレーナに言った。


「えっ?巨大なテディベアに襲われる夢じゃないの?」


「えっ、なんですって?」


 二人ともこれには驚いてしまった。

二人とも同時に同じフラスコを覗いていたはずなのに、見ているものが違うのだ。


「これは見る人によって見えるものが変わる液体なのかもね。きっとクラスのみんなが見たら、それぞれ違ったものが見えるんだわ。」


レーナの言葉に、クララははっとした。


クラスのみんな……


クララは慌てて後ろを振り向いた。


「大変!」


 クララは思わず叫んでしまった。


「どうしたの?」


 そう言いながら振り向いたレーナもまた、後ろを見て、


「どうしよう!」


 と叫んだ。

 何と、教室にいたはずのクラス・ジョーヌの生徒たちがいなくなっていたのだ!


「私たち、おいて行かれちゃったんだわ。みんなはもう、別の教室に移ってるのよ。スターヴィリック先生は私たちがいないことに気づいていないのね。」


レーナが途方に暮れて言った。


「どうしよう。誰かが私たちがいないってことに気づくまで、ここで待っていた方がいいかしら?」


クララの言葉に、レーナは首を振った。


「ダメよ。まだみんな、お互いの顔と名前を把握していないんだもの。全員の名前と顔が分かってるのはザカリーくらい。それより、ちょっと教室を出て、みんなを探してみる?」


今度はクララが首を振った。


「やめておきましょう。迷子になったら困るもの。もうすでに迷子みたいなものだけど。」


「そうかぁ。」


「そうだ!ホールに行ったらどう?みんながまだイスト・エルにいるにせよ、もうアプロンドル・バティモンを出て他の建物にいるにせよ、いつかはホールに行くでしょ?」


少し考えてから、クララは言った。レーナは目を輝かせた。


「それだわ!ホールに行きましょう!」


 ということで、話は決まった。二人は一緒に教室を出た。

これからホールに行って、クラス・ジョーヌの生徒たちが来るのを待っていればいい。ところが……、


「あれっ?」


レーナが急に大きな声を出したのでクララはびっくりした。


「見てよあれ」


 レーナが指さした方を見ると、シャトー・カルーゼルの制服を着た誰かが、隣の教室に入っていくところだった。


クラス・ジョーヌの生徒たちだ!


「なんだ。みんな、思ったより遠くに行ってなかったのね。」


 クララは安心するあまり笑ってしまった。レーナも笑った。


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