第9話 一人称(2)

ひたいに表示されている固有識別名はβ3(ベータ・スリー)。

 もしやして、代わりの代用品には人格までも乗り移るのか、と疑問を抱きたくなるほどに三体前の個体と同じ様に、下名かめいのもとに近づいてきた。

「よお、α1(アルファ・ワン)。初めましてだな」

 β3はそう躊躇もなく話しかけてきた。

「そうだな。貴殿が新しいβ3か?」

 わたくしは本から視線を上げ、問うた。

「俺のひたいを見ればわかるだろ?聞くまでもなく」

 全くその通りだ。

 でも何となく聞いて見たくなった。

 ほら、自分が見ているものが必ずしも正しいと言うわけでは無いだろ?

 もしかすると、あっしの頭部で唯一残っている有機的器官である脳が、幻影を見せているかもしれないし。

 反応せずにいると、β3は俺を見て、俺の持っている本を見て、また俺を見る。

 表情を操る━人間では表情筋というのだっけな━部分を目一杯使用して彼(?)は笑った。

「それはともかく噂通り、よほどの読書家の様だな。変人・・・いや変個体でもあるようだしな」

「誰があたいのことをそんな風に?」

「生産プラント内でも有名だぜ。あんたが読書好きの変わりモンで、この半年に渡って戦死してない豪運の持ち主だってな」

 運か。確かにその通りだわ。

 彼は嫌味ったらしく言ったが、それは事実。

 反論など無い。

「そうね。確かにおいどんは結構生き延びてる」

 淡々と返すと、β3は動かせる瞼を限界まで広げ、驚いた様な表情をする。

 だが、すぐに元の不敵な表情に戻ると、擦れるような機械音を鳴らしながら口角を上げた。

 先ほどは太陽光の影で見ることができなかったが、どうやらこのβ3は、先ほどの戦闘で口の動きをつかさどる部分を損傷した様だ。

 左頬の部分が軽くへこんでいる。

「結構どころじゃ無いだろ。半年も生きる個体なんて滅多にいない。戦闘のために支配下におかれ始めた個体は、大体3回生き残れば万々歳。あり得ない話だ」

「だが、α2も大分だいぶ長生きしているだろ?」

「確かにな。だが、それでも一ヶ月程度だ。お前とは比べモンにならん」

 うちはそれに苦笑いを浮かべた。

「大体、なんでいつも最前線に出るくせに死なないんだ。俺の操縦者オペレータも同じ様に出ていてこれまで先代のβ3は数多く死んでいる」

 何故だ?

 と、彼は続けた。

 そんなことを問われても、ただ操縦オペレートされている俺にはわからない。

 一つ言えることとすれば、あたしの操縦者オペレータの腕が良いことぐらいしか思いつかないのだが。

「さあ。私にはわからないわ」

 そう答える他無い。

 わての操縦者オペレータの腕が良いと言うのは、彼自身わかっていることだろうし。

 と、言うのも彼が言う「α1が運よく生き残って」というセリフにもうその前提条件が含まれているからだ。

 彼の言葉が、それ以外の要因について聞きたがっていることは察しがつく。

 だが、そんなもの浮かぶはずが無い。

 何故ならあたいや、目の前に突っ立っているβ3含めて個体の性能や形容は全て同じなのだから。

 β3はわっちの答えに表情をゆがませた。

 何故だろう。その時の彼の動きはひどく有機的に、自然と動いた気がした。

「それもそうか」

 と同時に呆れるように息を吐く動作をした。

 ため息というやつだ。

 我々に肺という器官はまだ残されており、口腔に取り付けられたフィルターを通して、汚染された空気を吸い、その中から酸素のみを肺に入れ込む。

 そして二酸化炭素に変換後排出する。

 それは、あたしが実際に見たことのない、人間という生物のそれと何ら変わりない。

 俺様はそれを見る。見つめる。

 普段無意識のうちに見ているものだが、今日に限ってそれが何か特別なもののように見えたからだ。

 自然な生命維持装置にプログラムされた、その動作の派生系を。

 限りなく無生物に近い個体が感情を表す、一つのアクションを。

「それはともかく、お前一人称多すぎやしないか?」

 突然放たれたβ3からの問い。

 これまで何度も投げかけられたその問いと、その眼差し。

 そのどちらにも、あたくしのことを気味悪がるような感情が含まれている。

「気持ち悪いか?」

「ああ。大体、一人称は一つに固定するものさ」

何故なぜそう思うのかしら?」

「何故ってそれは・・・」

 β3は、おいの問いに答えることができない。

 もちろん、わっち自身もその問いの答えを保持していない。

 すなわち、問うてる自身が答えのわからない問題を投げかけている。もしかしたら彼ならば、その答えを知っているかもしれない、と期待して。

 元々、俺や僕という一人称はそれを発する人間という個体が『男』という性別を保持しているからであって。

 私やあたしという一人称はそれを発する人間という個体が『女』という性別を保持しているからであって。

 使用するモノ。

 性別という生物学的性差を表し、自分がどちらの性別であるかを、自身にも他人にも分かりやすくするための区別を行うべく用いられたツール。

 書物によれば、ほとんどがそういう意図をして使われる中、場所や場面、言語の違いによって同じ一人称が使われることはよくある。

 あたいらが使用している日本語においても、〈私〉という一人称などは、男女関係なく使用されることもあるそうだ。

 少し脱線した。そういうことが言いたかった訳ではない。

 今のおら達は、性別の違いを判断するモノが無い。

 全てが同様に製造された同形態の個体。いわば、クローン。量産型。コピー。

 過去に存在した生殖行為という活動をすることなく、その個体数を増やすことができる。

 俺たちを生み出す製造工場プラントというものがあるがゆえに。

 そのために男女という違いは無くなった。

 だが、β3を含め彼らは各々、自身がこれまで触れてきた一人称で呼ぶ。

 そのほとんどが、生産プラントにいた時期に共に過ごした別個体のを真似たものだ。

 その影響かもしれないが、生産プラントの要所要所で、一人称は統一されている。

「俺」と自身を呼ぶプラントでは全員「俺」と。

「私」と自身を呼ぶプラントでは全員「私」と。

 そう呼ぶように。大体その二パターンに分かれて。

 かく言うちんも、以前は自身のことを「俺」と呼んでいた。

 だが、プラントを離れてα1となり、読書をする自由ができたあたりから、俺は俺のことを「俺」と呼ぶことに対して不快感を覚えるようになった。

 ただでさえ機械であるこの俺が、その一人称の統一によってさらに機械と成り下がってしまっていると言う感覚に。

 脳と肺と眼球は古来の人間のまま、有機的で、それがあっしを生物とたらしめている。

 なのに、一人称の固定によってその生物たらしめている部分まで機械に染まっていく、そんな感じがした。

 本の中では自身のことを、その二パターン以外でも呼ぶ人物がたくさんいると言うのに。

 おいどんはそれが嫌だった。

 他の個体と同一に見られるのが嫌だった。

 他の個体と同一であると自身が感じるのが嫌だった。

 いつも突然支配される中、自由に選択できるモノの一つである一人称というモノを、おのが自身で縛り付けるのが嫌だった。

 だから、こうして本から取り込んだ一人称をランダムに使用している訳である。

「ともかく好きでやっていることだ。気にするな」

 わしはそうβ3に言い放った。β3はさらに怪訝そうな、不気味がるような色をその有機的な瞳に灯した。

「了解だ」

 β3はそのまま立ち去るかと思ったが、なんと廃車に座る俺の横に立ち、座り込んだ。

 あっしがこの時、どのような表情をしていたかは言うに及ぶまい。

 β3はそれを見なかったのか、無機質な顔を巧みにって笑顔を作り、おらに近づけた。

「なあ、俺、今日プラントから来たばかりでさ、本を読んだことがないんだ。だからさ・・・ちょっと興味があって、その本の内容教えてくんね?」

 β3は私が持っていた本━例の二人の神について書かれた━を指で示した。

 僕はそれを断ることができず、渋々内容を意訳し、語った。

 β3はそれに対して自身の感想や意見をはさんでくる。わしはまたそれに対して自身の考えや評論を言う。

 気づけば日が暮れていた。

 それが意外と楽しいものだったのは、ここだけの秘密だが。

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