第17話 暗雲③

 走れ!走れ!とにかく走れ!僕は後ろから聞こえる二匹分の足音から離れるように、右へ左へダンジョンを駆け巡る。もう帰路なんて気にしてられない、まずはゴブリンと離れるんだ!左足がズキズキと痛む。抜糸の予定は明日だったっけ……


「はぁ……はぁ……!」

――――ゲ……ッ!

――――……ヒャ!


 遠くからゴブリン達の声が聞こえる。このまま走っていても鼻の良いゴブリンは僕の居場所を辿れる……どうする?どうする小嵐緋色!?

 西園寺さんのようなひらめきが僕にもあれば……ん?西園寺さん?


 何か引っかかる。何か、この状況を打開できそうなヒントを僕は既に持っているんじゃないか?思い出せ、何でもいい!僕は逃げながら、西園寺さんとの会話の記憶を引っ張り出す……そうか!


「『血のにおい』だ!」


 ありがとう西園寺さん!本当にあなたの言葉は僕に生き残る可能性を紡いでくれる!僕は上着を脱いで一瞬だけ止まる。風だ……風の流れを感じろ……!


 血のにおいはゴブリン達が死体をめちゃくちゃに荒らしたために使えないし、そもそも2週間も経っているんだ。流れ出た血は乾いてしまっているだろう……事実、僕が最初に見た死体の場所に残されていた赤いシミから血のにおいはしなかった。


 だが、ダンジョンの入口は開いている!それは僕が確認したはずだ、つまりこの洞窟内には風の流れが必ずある!


『基本的に冬や夏であれば洞窟内は風が吹いている事が多いんです。横穴よこあなの場合、夏は吹き出し、冬は吸い込み。竪穴たてあなであれば夏は吸い込み、冬は吹き出し。したがって、風の吹く方向、あるいは吹いてくる方向に進む事で最奥、 あるいは地表へ通じる通路に辿り着く事ができます。今は3月、冬から春にかけての風なので…』


 僕は上着を脱いでから人差し指を舐めて湿らせ、宙に掲げる。風を読む方法は、僕は残念ながらこれしか思いつかない。4月だからそもそも風が流れているのかも怪しいけど、僕にはこれにすがるしか無い!


 近付いてくるゴブリンの声、僕は焦る思考をむりやり押さえつけて、風を感じようとジッとして人差し指に全集中力を注ぐ。


 ……右から、左か!


 僕はカッと目を見開くとクシャッと上着を丸めて左の通路に投げ込み、僕は逆の右の通路に逃げ込む。これは賭けだ……でも、命がかかっているなら少しでもやるほかない!


 僕の狙いはゴブリン達の分断、そしてあわよくば脱出。右から左に流れる風なら、上着を投げ込んだ左の通路にも僕の匂いは奥の方へ流れるはず……だが僕が風上に行く以上、否が応でも僕の匂いは右の通路にも流れる!分かれ道に流れる二つの僕の匂いがあり……人間を獲物だと油断しているあのゴブリン達なら。


――――グギャア……

「はぁ……はぁ……二手に別れる、よね」


 第一段階はこれでいい。これはただの時間稼ぎだ……僕は脱出までの経路を考える。一匹なら倒せる?そんな思考が僕の脳内をよぎるが、すぐに頭を振って否定する。戦闘に時間をかけると、もう一匹が来るかもしれない……さすがにそのリスクは負えないよ。


 ならどうする?さっきの分かれ道はこっち方面に風が流れていたけど、今は走っているから風なんて分からない。考えろ、思考を止めるな小嵐緋色!

 無我夢中で走っていると、開けた小部屋にたどり着く。そこは奇しくも、僕と美咲さんが出会った場所だった。


「はぁ……はぁ……あの時の」


 僕は思わず足を止める。何か、何か重要な事を忘れている気がする。何だ……僕はここで何をひらめこうとしている?


――――グギャア!

「……っ!」


 もう追いつかれた!風を読むために立ち止まったり、ここで足を止めたりしていたからゴブリンが僕を視認できる距離まで追いついていたんだ……!

 記憶が確かなら、ゴブリンが立っている方が僕たちが最初に目を覚ましたあの空間に繋がっていたはず。くそっ!道を間違えたか!


 ゴブリンが僕の後ろに居ると言うことは、僕はあの空間に繋がる道を逆走したという事。全く、つくづくついてない。

 だが、良い事も分かった。ゴブリンが立ち塞がっているあの小部屋の出口さえ通れば、僕は地上に戻れる……!


「リスクをとるか、安全をとるか……」

――――ゲヒャアアアアアア!!


 僕は警棒を握りしめる。馬鹿野郎!安全なんてどこにもないだろ!ダンジョンにも、地上にも!胸にはスマホが固定されている、これを地上に届けてみんなが安全に暮らすためには、今リスクを負わないでどうする小嵐緋色!?


 このまま走り続けてもいずれ体力が尽きるし、ここで逃げたら次に道が分かる場所に戻ってこれるかも分からない。状況はあの時と同じ絶体絶命で、今度は二人の助けもない……不幸中の幸いなのは、追いかけてきたゴブリンが刃物を持つ方じゃ無く人間の足の骨を武器にしている方って事。


「すぅー……おおおおおおおおおおおおおおおッ!」

――――ッ!?


 る、殺る、殺ってやる!僕が生きて地上に帰るために!心に巣くう恐怖を吐き出すように僕は吠える。片手で持っていた警棒を、両手で握り直し中段に構えた。


 獲物だと思っていた人間が、自分と正面から戦おうとしているのに驚くゴブリン。僕はその一瞬を逃さずゴブリンの方に突進し、その顔面に思いっきり警棒を叩き込む――


《西園寺創視点》


 おかしい……あまりにも不自然すぎる。私は片岡警部から聞かされる「あまりにも都合の良い言葉」の数々に疑問を浮かべる。


 会社を経営している関係上、新しいことや未知なものに挑戦すれば、不都合な部分や上手くいかない部分は必ず出るというのは経験則として持っているのだが、片岡警部から聞かされるのは『万事順調』の報告のみ。


『どうやら、小嵐君は死体を見つけたようです。死体の損傷が酷く混乱していますが、アレは流石に私のような警察の歴が長くてもキツいですね』

「そうか、小嵐君には本当に悪いことをした……」


 小嵐君がダンジョンに行ってから既に3時間半は経っている。日は既に暮れ、窓からは月が東に昇っているのが見えた。娘の伊鈴も小嵐君が心配なのか、不安そうな顔で私と片岡さんの会話を聞いている。


 しかし、本当に順調なのか?小嵐君がダンジョンに向かっている間、少しでもダンジョンというものを知るために海外の情報を片っ端から漁ってみたが罠、モンスター、人間同士の戦闘といった感じで死傷者が絶えず中々ダンジョン内部の探索は上手くいっていないらしい。


 ネットで拾った情報と、片岡警部から得られる情報の乖離かいりに不自然さを覚える。こういうときは……


「すまない片岡警部、少し席を外す」


 片岡警部に断りを入れて通話をミュートにする。そして、伊鈴を近くに来るように言った。


「さて伊鈴、どう思う?」

「どう思う……とは?」

「わざわざスピーカーにして会話を聞かせていたんだ、大体の事情は把握しているだろう?」


 そう、親として娘の伊鈴を少しでも安心させるために……というのもあるが、自分の目でダンジョンというものを見てきた当事者として、伊鈴には片岡警部との会話を聞かせていたのだ。私の感じたこの不自然さを、伊鈴は私以上に感じているのではないだろうか?


「どう思った?」

「…………」


 伊鈴が顎に手を添えて考え込む。伊鈴が深く考え込むときの癖だ、私にも同じ癖があるものだから私に似たのかと思うと、親として少し嬉しい。しばらく考えている伊鈴を待っていると、伊鈴が何かに気がついたかのようにハッと顔を上げた。


「不自然です」

「それは私も思っている。どう不自然か、なぜ不自然かを言語化出来るか?」

「不自然なのは、『順調に進みすぎていること』。なぜ不自然なのかは、『ダンジョンに入ってから3時間半も経っているのにモンスターと出会ってないこと』です」

「っ!……詳しく教えてくれ」

「モンスター……小嵐君が言うには『ゴブリン』と呼ばれる個体ですが、鼻が良く好戦的な生物です。警察官含め集団で行動しているなら、既に場所が割れて戦闘になっていてもおかしくない」


 それだ!違和感の正体は、敵対生物との戦闘。3時間半というのは、伊鈴がダンジョンに誘拐されてから帰還するまでの時間と同じ……何故それを気がつかなかった私は!?


「伊鈴、教えてくれ!ゴブリンという存在は武器を持っている人に対して怯えたり逃げるような仕草はしたか!?」

「い、いえ……フライパンを持った小嵐君に対して突進するような程に好戦的です。金属バットを持っていた鴻上と名乗る彼が引き連れた集団にも現れて、一人殺めてしまうぐらいには」

「あのダンジョン内にはゴブリンは何匹残ってる!?」

「たしか二匹、と……まさか!」


 伊鈴が私と同じ結論に行き着く。くそっ!くそっ!私の脳内に最悪な想像が流れる……もし、警察が小嵐君と一緒に動いてなかったら?もし、片岡警部が私に何か不都合な部分を隠そうとしているとしたら?私は椅子に掛けていた上着をひっつかみ車を出すように部下に命じた!


「お父様!?」

「伊鈴もついてこい!まさかとは思うが……」


 杞憂なら良い、だがこの最悪な想像が本当だとしたら小嵐君はもう……!都合の良い展開など、現実にあるわけないだろう西園寺創!?

 私は通話のミュートを外し、片岡警部に一言だけ伝える。


「私も小嵐君が心配だ、念のためそちらに行くことにする」


 無事で居てくれ小嵐君……!

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