第16話 暗雲②
洞窟内は涼しいのに、汗が止まらない。瞳孔が開き、視界が定まらない……口元を血で真っ赤に染めたゴブリン達が、僕を見て新たな獲物を見つけたかの様に歓喜の声を上げている。
――――ゲッヒャッヒャッ!
――――ゲヒャア!
一匹は僕たちが戦ったゴブリンと同じようなボロボロな刃物を、もう一匹は人間の足の骨と思われるものを持ってジワジワと近付いてくる。僕を警戒してじゃない、僕が恐怖で顔が歪んでいるのを楽しんでいるんだ……
何が『今の実力でゴブリンと遭遇しても逃げ切ることぐらいは出来るだろう』だ!何が『そうあって欲しいという僕の願望』だ!僕は今、足が止まって逃げることすら出来てないじゃないか!
「く、来るな……!来るなああああ!」
情けなく後ろに下がりつつ、警棒を前に突き出して振り回す。ゴブリン達と距離が離れているのに、僕は半狂乱になって警棒を振り回し続けた。ゴブリン達はそれをニヤニヤと離れた位置から見ている……
「はぁ……はぁ……」
――――ゲ?
――――ゲヒャッ!
警棒を振り回して疲れたが、少しだけ冷静になれた。僕の力が強くなっていたお陰か、警棒を振り回したときの音がヒュンッと風を切るような音を出していたのをゴブリン達は警戒していたのだ。だから、僕が息切れするまで待つことにしたんだと思う。
そして冷静になって改めて思った。まともに戦えない、と。気持ちも、戦力も、何もかもが足りてない……ゴブリン達は僕に危険が無くなったと油断して近付いてくる。レベルが上がる前の、獲物でしかなかった人間だと油断している!
逃げるなら今しかない!僕は、ゴブリン達に背を向けて走り出した。いきなり逃げ出したゴブリン達は虚を突かれ、慌てて僕を追いかけ始める。命がけの鬼ごっこの始まりだ……!
《片岡恭二視点》
片岡恭二、42歳。警察官、階級は警部だ。仕事一筋であった為に今でも独身だが、そこに関しては特に悲観はしていない。
俺はある日、とある事件について調べることになった。3月18日、午後7時30分に西園寺伊鈴を含む10名の行方不明事件が起きた。
『本当にこれだけ何ですか?』
「何度も言わせるな小嵐君。警察も君に懐疑的だし、一般市民に機動隊が着るような高級なものを割く余裕が無い」
『分かってますけど……』
曰く、「目の前で突然消えた」らしい。馬鹿馬鹿しい……人間が突然消えるわけがない、おそらく目を離した隙に車で連れ去られたのだろう。しかし西園寺グループの御令嬢相手となると無視は出来ない、俺は部下に命じて、西園寺の令嬢が消えたとされる地点の近くの監視カメラの解析をした。
だが不審な車は見つからない。それこそ本当に神隠しにあったかのように……彼女の手がかりは何一つ見つからなかった。打つ手が無く困っていた午後11時、今度はダンジョンから彼女を含む6名がいきなり入口に現れたという報告が入る。
もう訳が分からない。現場に行くと、その集団はほとんどが
俺は病院に入院していた彼ら全員に話を聞いていたが……彼らは一様に「ダンジョンでモンスターに襲われた」と言っていた。全員があの洞窟内で何かしらの精神疾患を患ったのは間違いないだろう。全く、ガキの話は長い上に纏まってないから嫌いなんだ……
「とりあえず、君が見たという死体の所まで歩いてくれるか?」
『僕もそうしたいんですけど、なにせ意識を失っていたうえに出口まで転送という形で脱出しましたから……』
「はぁ、君は本当に嫌疑を晴らす気があるのか?ゴブリンだ瞬間転移だ……病院で頭は診て貰わなかったのか小嵐君?」
そうこうしているうちに、死んだ1人の子どもの親と未だ行方不明である子どもの親4人が被害者団体を結成し、西園寺グループへ非難を始めた。しかも「息子が死んだのは西園寺伊鈴が見殺しにしたからだ!」と各方面に騒ぎ立て、警察の方にも被害届を出す始末。
これだけでは警察は動かないが、
実際に被害が出ないと警察は動けない。こうなってくると、逆に警察も彼女たちを守ることが出来ないのだ。
そして、追い詰められた彼女たちは……小嵐緋色をこちらへ寄越してきた。わざわざ西園寺グループ社長、西園寺創の「全面的なバックアップを頼む」という一言も添えて。
『そもそも、ダンジョンが出てきたってだけで既にファンタジーなような……』
「我々は世界の反応や洞窟に行った人の
現在、小嵐緋色は彼の持っているスマホを通じてこちら側と通信を行っている。そう、俺が今言ったようにダンジョンの入口が小嵐緋色が近付くと開いたので、これ幸いにと我々も突入しようとしたが……弾かれたのだ。
全く、警察官になって以来初めてのことばかりだ。小嵐緋色のスマホから送られてくるリアルタイムの映像を見ていると、自分がゲームの画面を見ているのではないかと錯覚してしまうぐらいに、本当にダンジョンの様な景色が広がっていた。
『じゃあ何かファンタジー的な事象が起こってると考えれば全部片づくじゃないですか……』
「君は高校生にもなって物理を習わないのか?力場や磁力といったものが関係しているんだろう。そういう事はお偉いさんに任せて、君は今やるべき事をするんだ」
……ッチ、くどい。さっきからファンタジーだなんだと繰り返し語りかけてくるこの少年と話していると頭がおかしくなる。さっさと通信を切って、映像に注視することにしよう。
と、つい数時間前までは思っていた。代わり映えの無い画面、遅々として進まない少年の歩み。俺はアクビをして座っていた椅子の背もたれに背を預けて両手を頭の後ろで組む。端的に言うと……飽きた。
「もっと早く歩けないのかね小嵐君」
『これ以上は無理です片岡さん』
「我々も暇じゃ無いんだが。西園寺グループの社長が直々にお願いしてきたからこうしてダンジョンの入口でモニタリングしているんだ。もう地上では日が暮れそうだ」
周りに居る警察も完全に気が緩んでいるのか、悪意ある少年のマネをして暇を潰している。全く……
そうこうしていると、少年が何かを見つけたかのように走り寄る。そこには赤いシミのようなものが広がっていた。なるほど、ここが彼が初めて見たと思われた死体の場所か……しかし、そこに死体は無く何者かに運ばれた後のようだった。
それはそれとして、どこに死体があるのかわからないにしては、真っ直ぐここに辿り着いたとは幸運だな小嵐君……かなり不自然じゃないか?彼の言い分としてはゴブリンとやらに襲われ、何とか撃退したあと何者かに転送された。なのに死体の場所まで一直線。
彼が実は二重人格で無意識に意識を共有してると考えた方が筋が通る。解離性同一障害によって洞窟内で殺人、それをゴブリンだファンタジーだと小嵐緋色が思い違いをしている……あり得る話だ。
彼への殺人の容疑が深まったその後、赤いシミを辿り少年が歩いて行くと大きな空間に出る。その中心にうず高く積まれていたのは……人間の、骨だった。
思わず吐く少年。仕方ないだろう、様々な事件現場を見てきた俺も吐きそうになった……その時、
――――プルルルルルルル……
「こんな時に電話か!」
小嵐の映像と音声通信を俺のスマホで行っていたが、画面が切り替わり着信音が流れる。電話の主は……西園寺創。俺はすぐに電話に出た。
「もしもし、こちら片岡警部」
『やあ、片岡君。ちゃんと小嵐君のバックアップはしているかい?』
「ええ、ちゃんとやっておりますとも。小嵐君と連携を密に取り合って、映像もリアルタイムで外に送っております」
『そうか……少しでも小嵐君に危険が及ぶようならダンジョン内にいる警察と連絡を取って撤退させてくれ』
「わかりました。ところで……」
嘘は言っていない。ただ向こうが勘違いしやすいように俺は言葉を選んだだけだ。ここまで実績を積んで、42歳で警視への階級が見えてきているというのに訳の分からない事件で失態を犯しただなんて知られてはいけない。
俺はこのまま会話を続け、西園寺創のご機嫌取りを続ける。そう……これは警視庁本部からの命令でもあるからと、小嵐緋色という人命よりも先に、ご機嫌取りを優先してしまったのだ。
俺は、この時小嵐緋色がイヤホンを外してしまったことに気がつかなかった。小嵐緋色ががむしゃらに逃げている時のスマホ画面を見れていなかった。
俺は、一人の子どもを……大人の事情で、見殺しにしたのだ。
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