第5話 死闘①

《西園寺視点》


「ごめんなさい、西園寺さん……僕は、行きます」


 出口へは、一人で向かってください……彼はそう言って、走り去ってしまった。何故か私は、なんとなく『彼ならそうするだろう』という確信がありました。


 一緒に脱出した方が良い、そんな事は彼も分かっているはず……でも彼は命の危険をともなってでも、あの女性を助ける判断をした。


「小嵐さん!小嵐さん……!」


 遠ざかる小嵐さんの背中。あんなに凄惨せいさんな光景を見た後に、それでも助けようと必死に駆けていく彼の後ろ姿はとても危なっかしく、そしてとても眩しく見えました。


 まるで物語の主人公のように、彼ならもしかしたら……なんて思ってしまう。


 でも、ここは現実。あのような光景を作り出せる存在に、かなうはずがありません。


 小嵐さんの姿が完全に見えなくなった瞬間、全身が刺し貫かれたような悪寒が私に走ります。


 あぁ、私はなんて弱い人間なのでしょう……悪寒の正体は、1人残されたことに対しての途轍とてつもない不安感でした。小嵐さんが居なくなったこの広間は急に気温が下がったかのように肌寒く感じ、思わず肌をさすると二の腕には鳥肌が立っています。


「怖い……ッ」


 誰もいないこの状況に、私は思わず本音が漏れでる。情けないですね……小嵐さんの前では気丈きじょうに振る舞えていましたが、むしろそれで助かっていたのは私の方だったとは。


 私はそのことに気付いた瞬間、足に力が抜けたように座り込んでしまった……ふと私の手を見てみると、恐怖でかすかに震えている。


 小嵐さんを鼓舞こぶしたり安心させるように言葉をつむぐことで、無意識に自分に言い聞かせていたんですね……自分の弱さを自覚して、さらに私は落ち込んでしまう。


 『現状が何も分かっていないのに、1人の意見で方針を決めたら経営がたち行かなくなる』という怒りも、『自分を卑下する者に大成たいせいする道無し』という励ましも、全部私のワガママに過ぎなかったと1人になってから思う。


「ふふ……最低ですね、私」


 私を1人にしないで!私も不安なんだから弱音を吐かないで!そんなワガママを小嵐さんにぶつけていたのです。私は勝手に、小嵐さんを物語の主人公のように思い込んでしまっていたのですね……


 ここが何処どことも分からず、暴言を吐かれ孤独になりそうな私と一緒にいてくれた彼の優しさに、私は不甲斐ふがいなくも頼っていたのです。彼も私と同じ。ただの人間で、突然ここに連れてこられた被害者のはずなのに……


 あの時、使い物にならないくせに我が強い女である私とその場に残る選択をした彼は、どれだけ優しいのでしょうか?私はその優しさに付け込んで、『物語の主人公の理想像』を押しつけてしまったのかもしれません。


「小嵐さん……」


 彼が走って行った方向を見る。私はこれからどうすべきなのでしょうか?彼と決めたとおり出口である方向に向かう?それとも彼を追う?分からない……彼という道標みちしるべが無い私は、ろくに行動の指針すら決められない。


 なんて不甲斐ないの私はッ!悔しくて涙が溢れ出てくる。ずっと西園寺グループの令嬢れいじょうとしてぬるま湯にかっていた自分を強く恥じた。


 自分が何かを決めなくても勝手に周りの大人達お父様達が成功のレールを敷いてくれる事に私は慣れてしまって、自分の意思や想いも希薄になっていたのです!


『犯人の目的や、どうやって私たちをここまで運んできたかを考えるのは一旦置いておきます。さて、私達はどう動くのが正解でしょうか?』


『私もネットで得た知識なので確実とは言えませんが、今の状況だと最早しのごの言ってられません。迅速じんそくに脱出しなければ』


 私は……私はッ!一度だって重要な場面で!私達の命がかかっている状況で、最終判断を小嵐さんにたくしてしまっていた!


 自責によって冷えていく自分の心の寒さに耐えきれず、思わず膝を抱え込んでぎゅっと身体を縮こませる。


 ……それで?それで私はどうするの?このまま何も決められず自分の弱さを責めてジッとしておくの……?

 私は誰も居ない洞窟の中で自問じもんする。私は……どうしたいの……?


 こうしている間にも、時間は無情にも過ぎ去っていく。脱出する可能性が、小嵐さんが生き残っている可能性が……消えていく。




「はぁ……はぁ……」


 私は走っていた。息が乱れるのも無視して私は走り続けていました。小嵐さんと一緒に居たときは体力の温存を念頭に置いていたのに……ぐだぐだですね、私。


 でも、仕方ないのです。私が余計な時間を使ってしまっていた為に、走らざるを得なくなってしまっているのですから。


 荒い息づかいをそのままに、私は人ならざるものの叫び声と荒々しく地面をこする足音が聞こえる場所に近付いていく。


――――ゲアアアアアアアアッ!

「負ける……もんか……ッ!」


 奥から小嵐さんの声が聞こえてくる。そう、私は小嵐さんを追いかける判断をしました。


 1人にされた恐怖によるものなのか、それとも他にモンスターがいるかもしれない事を考慮こうりょしてなのかは分かりません。『小嵐さんのもとに行くべきだ』と……私が決めました。


「はぁ……はぁ……」


 息が上がる、足がもつれる。そもそも行って何が出来るのでしょうか?彼にとっては負担にしかならないのではないでしょうか?彼が命がけで稼いだ時間を、私のワガママで潰したあげく……犬死いぬじにしてしまうのではないでしょうか?後から後から後悔と不安が襲ってきます。


 それでも、それでも私は……命を賭けて飛び出していった彼を死なせたくない、と思ってしまいました。自分に何が出来るか分かりません、作戦もありません……自分も死ぬかもしれません。でも……!


「私は……ッ!小嵐さん助けたい!」


 一心不乱に走って小部屋のような場所にたどり着いた私の目の前に飛び込んできた光景は、見たことも無い生物が小嵐さんを襲っているところでした。小嵐さんの後ろでは、服を無残に引き裂かれた女性が泣きながら小嵐さんとその生物との戦いを見ています。


 その女性は恐怖で腰が抜けて立ち上がれないのか、その場から逃げようとしていますが動きは緩慢かんまんで手は空を切るばかり。戦いを見ているというよりも、足が動かないので見ることしか出来ていないように見えました。


――――ゲ、ゲゲゲ……ッ!

「くっ…!早く、逃げて……!もう、保たない……ッ!」


 緑色の肌の生物……鼻が高く、小汚いそれは、身長は人間の子どもと同じぐらいで、刃がボロボロな鋭利な武器を持っている子鬼のよう。ただ力が強いのか、子どものような体格ながら小嵐さんを力押しで刃を押し込もうとしている!


 小嵐さんもフライパンで何とか応戦していますが、つばぜり合いのようになっている状況からズルズルと小嵐さんが壁に押し込まれていく。このままでは……!


「小嵐さん!」

「……ッ!西園寺さん!?」


 思わず声を出してしまった……そう、出してしまったのです。小嵐さんが私の方を見て驚き、彼の視線が外れて力が緩んだその瞬間を見逃さなかったその小鬼は、持っていた武器で大きく彼のフライパンをかちあげ……


――――ゲヒャッ

「ぐっ……あああああああああああ!」

「小嵐さん!いやああああああ!」


 無防備になった小嵐さんの足を――刺したのです。

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