第4話 異変④

 僕と西園寺さんは湿しめった道を進む。壁や床を注視しているせいで僕たちに会話はない。ダ、ダンジョンが危険なのであって僕がコミュ障なわけじゃないよ!?


「足下がぬかるんでくれているお陰で、彼らを追跡することはできそうですね」

「は、はい!そうですね……」


 僕は声をうわずらせながら視線を足下に向ける。ここまで結構な数の分かれ道があったが、地面には複数人の足跡が見えて簡単に行った方向が分かるのが幸いだ。それでも一応罠には気を付けて、足跡を踏みしめるように僕たちは歩いている。


「それにしても…一向に彼らの姿が見えませんね」

「そうですね…かなり遠くまで行ってるのかな…?」


 かれこれ30分は歩いているぞ。スマホでチラチラと時間を見ているので時間は正確のはずだ。となると、あの鴻上という不良少年君はかなりのペースで歩いている事になる……。


「西園寺さん……これって」

「ええ……あまりにも速すぎますね」


 西園寺さんが前の方をにらみつけるようにそう答えた。どう考えても何も考えてないであろう行軍こうぐん、それにこの床のぬかるみ……気を付けて歩かないと滑ってしまいそうで無駄に体力と精神力をもっていかれる。


 あの集団には女の子もいたし、こんなに飛ばしていたらもしモンスターに出会ったら体力的に逃げるのは厳しいような……?


 そのことを西園寺さんに伝えて僕たちも少し歩く速度を上げようか提案してみると、それで僕たちの体力が無くなれば元も子もないと西園寺さんにさとされてしまった。


「小嵐さんは優しいですね。知らない人を助けようとするのは立派な人である証拠です。ですが、それは私達の安全が確保されている場合です。私達も危険な状況にいる以上、まずは自身のことを優先しましょう」

「は、はい!」


 確かにそうだ。僕たちも危険である以上、前に居る人の安全を確かめるより先に僕たちの心配をしなければならない……物語の主人公はこういうときに他人の心配を優先できるほどに強いから『主人公』なんだなぁ、と自分の認識のズレを反省した。


 西園寺さんは優しい人だなんて言ってくれているが、僕はただ危機感が無かっただけなんです……


 ダンジョンのことを西園寺さんに喋っているうちに自分が物語の主人公のように感じちゃって勘違いしちゃってたのかなぁ?


「どうされました?」

「いえ…ちょっと自己嫌悪を……」


 いきなり落ち込む僕を心配する西園寺さん。大丈夫です、僕がちょっと痛いオタク君だったことを再認識しただけなので……っ!


 その時、異様なにおいが前の方からにおってきた。何かが腐った匂いと言うか、錆びた鉄の匂い……と、言う……か……


 落ち込んで下げていた頭を上げた僕の視界に入ってきたのは、血みどろになった、人。


 壁に寄りかかるように座っている様に見えたその人は、腹部をかれ苦悶と絶望の表情を浮かべながら……死んでいた。


 あまりにも凄惨せいさんな光景を目にした僕はその瞬間、呼吸も忘れ頭が真っ白になる。視界が揺らぎ、身体から力が抜けていくのを、どこか人ごとのように感じた。


 あれ……僕、足が……ふわふわ、して…?


「……てください……ッ!……なさいッ!気を強く保ちなさい小嵐さんッ!」

「ッ!カハッ!ハァ……ハァ……!」


 呼吸を忘れ、酸欠で失いそうな僕の意識を、西園寺さんが無理矢理引き戻す。頬がヒリヒリする……僕の意識を現実に引き戻すために、西園寺さんが頬を強くひっぱたいたのか。


「取りあえず逃げます!ついてきてください!」

「は、はい!」


 僕と西園寺さんは元来た道を引き返す。無我夢中で走り続けていた僕たちは、いつの間にか先ほどの広間に戻ってきていた。荒い息を吐きながら、ひとまずの安全にホッとする。


「はぁ……はぁ……ここまで、来れば、取りあえず……?」

「はぁ……はぁ……安全、とは……限りません、が。ふぅ……対処は、しやすいかと」

「はぁ、はぁ……ふうぅ。ありがとうございます西園寺さん、僕あのままだとその場で……」

「いえ、私も酷く動揺どうようしました。が、小嵐さんが前に出てくれていたのがさいわいだったかもしれません……自分より狼狽ろうばいしている小嵐さんが見えたので、逆に冷静になって判断できたのだと思います。あなたの判断は正しかった、ありがとうございます」


 そう言って西園寺さんは僕に頭を下げる。そんな、感謝すべきなのは僕の方なのに……


 しかし、さっきの光景を目の当たりにして分かったことがある。それは、と言うことだ。


 それがモンスターなのか、それとも人なのかは分からない。でも僕は頭のどこかで、あれがモンスターの仕業である、と確信めいたものを感じていた。


 思い出したくなくても強烈きょうれつに脳裏に残っている光景…それをよくよく思い返してみると、あの死体の腹部は鋭利な刃物のようなもので裂かれていた。


「うっ……ッ」

「大丈夫ですか小嵐さん…?」

「すみません、あの光景を思い出してしまって…」


 彼らの中に、武器らしい武器を持っていたのは不良少年君の金属バットだけだ。あまりの生々しい場面を思い出して吐きそうになった僕を心配してくれてる西園寺さんに謝罪しつつ、僕はあるモンスターの姿を思い浮かべていた。


 それは緑色の肌で、鼻が高く、小汚い。身長は人間の子どもと同じぐらいで、質素な武器を持っている子鬼のよう。


 男は殺して肉を食らい、女は犯して苗床なえどこにする……そのモンスターの名は――――ゴブリン。


 いや、まさかね……僕は嫌な妄想を脳内の片隅に追いやるように頭を振って、西園寺さんにこれからの行動を訪ねた。


「これから……どうしましょうか?」

「彼らはおそらく、あそこで何者かに襲われ散り散りになったものと思われます。その証拠にあそこから四方八方に足跡が伸びていました。一人がパニックになれば、その混乱が波及はきゅうするのにそう時間はかからない……」

「出口も分からず、僕たちが無策に歩き回れば彼らの二の舞になる、と」


 結局振り出しだ……僕ががっくりと肩を落としていると西園寺さんが大丈夫ですよ、と僕に微笑んだ。


「希望は見えました。おそらくですが、出口の方向は少なくともあの奥にあります」


 西園寺さんがそう確信めいた声色こわいろで言う。彼女には何か出口を見つけるようなヒントを得たのだろうか?


 僕が首を捻っていると、西園寺さんは自分の鼻を指さした。


「血の匂いです」

「……?」

「基本的に冬や夏であれば洞窟内は風が吹いている事が多いんです。横穴よこあなの場合、夏は吹き出し、冬は吸い込み。竪穴たてあなであれば夏は吸い込み、冬は吹き出し。したがって、風の吹く方向、あるいは吹いてくる方向に進む事で最奥、 あるいは地表へ通じる通路に辿り着く事ができます。今は3月、冬から春にかけての風なので……」

「風は僕たちの方に吹いていたから、血の匂いが前の方から僕たちに流れてきた……つまり『吸い込み』と言うことですか?」

「はい、それで私達が出口よりも洞窟内にいるのでおそらく……」

「あの奥に出口がある、という事なんですね?」

「私もネットで得た知識なので確実とは言えませんが、今の状況だと最早しのごの言ってられません。迅速じんそくに脱出しなければ」


 西園寺さんの言っていることはわかる。敵対生物……モンスターがここにいると分かった以上、何の戦闘経験も無い僕たちがここにとどまっていること自体が危険だ。


 しかも僕たちが居なくなってから瑠璃るりや西園寺さん達の親が気付いて警察に通報、ここに来るまでに僕たちが生き残っている保証も無い。


 でもそれは散り散りになった彼らも同じだ。不良少年君はまだしも、他の人達はモンスターに襲われればさっきの死体と同じ運命を辿たどるだろう。そうなれば…


 いや、さっき僕は反省したじゃないか!『僕たちも危険である以上、他人の安全を確かめるより先に僕たちの心配をしなければならない』、西園寺さんが言ったとおり僕たちの命が優先。

 散り散りになった人達を僕たちが見つける余力も無い今、彼らを助けるなんて……


「キャアアアアアアアアアアッ!」

『ッ!?』


 西園寺さんの意見にうなずこうとしたとき、甲高い女の子の悲鳴が後ろの道から聞こえた。すぐ近くだ!


「西園寺さん!」

「いけません小嵐さん!」

「!?……なんで!?」


 思わずそちらに向かおうとした僕を手を引っ張って止める西園寺さん。なんで止めるんですか!?


「これはチャンスなんです小嵐さん!彼女には悪いですが、彼女が敵を引きつけてる今なら出口に向かえるんです!言いましたよね小嵐さん。『私達も危険な状況にいる以上、まずは自身のことを優先しましょう』と!」

「……っでも!」

「恨み言ならここから脱出してからいくらでも聞きます!だから!」

「くっ……!」


 分かってる、分かってるんだ……ッ!けど……!

 僕は西園寺さんの手を振りほどき、言った。


「ごめんなさい、西園寺さん……僕は、行きます」

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