第27話 イサネとヨシミツ

「なんだ、これ? 一体どういう状況だ?」


 サロアが腕を組んで首を傾げる。

 明らかに冷静ではない御将様とその傍らの女性に、奥には斬り合いを終えたらしいラグナとゲゾウ。

 サロアと同様に状況を掴めていないイサネも、動くことができずにいた。


 ごとりと、両膝をついていたゲゾウの上体が倒れて、『陽の間』は再び時を刻み始める。

 血に塗れた剣を持って走ってくるラグナに、大きな扇帽を被り、胸に赤ん坊を抱える女性が口を開いた。


「お待ちください! 話を、話をさせてもらえませんか?」


 ラグナに懇願する女性と、彼女を守ろうと前に出るテルハを見て、サロアとイサネもようやく全てを察する。

 ラグナはもう、二人を斬るつもりだ。いや、正確には……。


 大体の真相は推理できていたが、テルハと相対した時にそれは確信へと変わった。

 同族の匂いは、すぐにわかるから。

 だから女性がその扇帽をとった時、動揺の声を上げたのは、この場でイサネだけだった。


「え?……忌人?」


 女性の美しく長い黒髪から、二本の角が生えていた。立派な、神々しささえ感じさせる、壮麗な純白の角。


「テルハ様、もはや全てを隠し通すことはできませぬ。口を開くことを、お許しください」


 上目がちに見るツユ。そして彼女を見返すテルハの目。この上なく、慈愛に満ちた二人の目が交わされる。

 言葉は必要ないようだった。


「鬼を顕現させていたのは……私です。テルハ様はただ、私を守ろうとしてくれただけなのです」


 ツユの瞳に、悪意はこれっぽっちもないが……。

 サロアの答えに、当然ラグナも辿り着いているだろう。そしてそれは、おそらく間違っていない。


「たしかに……あなたが忌人であることは間違いないようだ。だが、鬼を顕現させているのが御将様であろうとあなたであろうと、その制御をできないわけがない」


 ラグナの言う通りだった。

 忌人であればどんな能力であろうと、齢十も過ぎれば扱い方を覚えるものだ。

それは人が立って歩くことを、鳥が飛ぶことを覚えるのと、変わりはしない。


「鬼を顕現させているのはあなたではなく、そのご子息でしょう? 先ほど城内に響いた泣き声と鬼の出現。関係していないと思うほうが難しい」

「なに? 御将様の子どもが鬼を出現させてるって……? その赤ちゃんが?」


 まだ整理が追いついていないのだろうイサネが、ラグナの言葉を繰り返した。


「この事態は、いわば忌人の能力の暴走だ。しかも広範囲に影響を及ぼし、全てを破壊し尽くす。とても看過できるものではない」

「制御できるのであれば、問題はないのだろう?」


 ラグナの言葉尻を遮るように、また一人、階段を上ってくる者があった。肩から胸にかけて傷を負い、左腕はその垂れた血で赤くなっている。


「ミツ兄……! ミツ兄⁉」


 その重傷を負った身体でなおも金棒を離さない兄に、イサネが駆け寄った。


「……まだ動けたか。制御できていない現状が問題だという話だ」


「幼少の時だけだ! それにこの国の問題は、我々武士が解決すると言っている!」


 ヨシミツの闘志は、いまだ煌々と燃え盛っている。自身が死ぬまで、その火が消えることはないのだろう。

 ラグナもまた、剣を構えた。


 俺はどうすべきだ。今ここで赫雷と相対するのは、ルカビエル様の意志に反する行為だ。しかし同族として、このツユという女と赤子をむざむざ死なせていいのか。いたずらに人を傷つけるような悪人なら別だが、この二人は違う。赫雷が言っていた通り、鬼の出現はただの能力の暴走に過ぎねぇんだ。それに、ヨシミツからは助けてほしいと頼まれている。


 くそ、なんで悩む。ルカビエル様の指示が最優先のはずなのに……もう選べねぇ。


 サロアが迷っているうちにも火蓋は切られる。

 ヨシミツが地面を蹴った。あとに続く血の跡は、そのまま彼の命の灯だ。

 ラグナは確実にきめるだろう。一振りだ。一振りで終わる。


 サロアだけではない。テルハもツユも、最期だとわかっていたから、この部屋を離れようと動いた。それがヨシミツの意志に応えることだとわかっていたから。

 しかし――

「イサネ‼」


 華々しく散ろうとする兄を、抱きついて止めに入った妹は、すでに泣いている。


「なぜ止める‼ 武士の信念を踏みにじるか‼」

「信念信念って、自分のことばっかりなだけじゃん。私は――」


 ヨシミツがイサネを振り払う。彼女は受け身をとって、すぐに体勢を立て直した。


「貴様も武士の端くれだろう‼ これは背信行為だぞ‼」

「背信行為でもなんでも、私はミツ兄を止めるためにここに来た‼ モレットやリョウさんを見捨てても、あなたを助けたくて‼ こんな所で死んでほしくないから……なんでそれがわからないの‼ いつものミツ兄なら、私の気持ちにすぐ気づくのに‼」


 イサネの金棒が、ヨシミツの金棒を打ち飛ばした。もはや握っているだけで精一杯だったのだろう。

 いや、本当は、妹を前にしてこの男も、力を緩めてしまったのかもしれない。


「……あくまで邪魔をするか。どのみち、今の俺では『赫雷』も止められんか。どうやらもう、やるしかないようだ」


 フラフラとする身体で、ヨシミツはテルハのほうを振り向いた。


「テルハ様、ツユ様。すみませぬ。ミツキ様の血を使わせて頂くことを、お許しください。私の死を以て償い致します」

「ミツキの血だと? お主なにを……?」


 ヨシミツが懐から取り出したのは、赤い液体の入った小瓶だ。

 木栓を取り、自分の口へと持っていった時、サロアはようやく察する。

 テルハとラグナも察したようだ。悲しいが、イサネは彼が苦しみだしても、気づきはしなかった。


「ミツ兄⁉ どうしたの⁉」


 急にうずくまるヨシミツに、まだ彼を助けようとするイサネ。


「大丈夫? 早くお医者さんに――」

「バカ! 離れろ!」


 しかしもう、二人を一緒にはさせておけない。サロアはイサネの脇に腕を入れて、引きはがした。


「やめてサロア! 私はミツ兄を助けるんだから!」

「忌人の血を……取り込みやがったんだ‼」

「……え?」


 イサネの表情が固まる。けれど認めたくないのか、再びサロアの腕を振りほどこうと抗いだした。


「放して!」

「忌人の血を取り込んだら、もう助からねぇ!」


 血の暴走が始まって凶悪化し、数分後には死ぬ。

 十年前に目の前で見たことがあった。思い出したくもない記憶だ。


「ヨシミツはもう、助からない」

「ウソ、ウソだよ……。ねぇ、放して、サロア……。お願いだから……放して……」


 放すべきではない。それをわかってはいるが、悲しみに暴れるイサネを抑えておくことが、サロアにはできなかった。そこまで非情になれなかった。


 イサネが、もう一度ヨシミツの元へと走る。


「ミツ兄ぃ、今助けるから‼」

「ぐぅぅゥァァァ……」


 イサネが手を伸ばす先で、ヨシミツの身体が黒々と変わり、膨張を始める。


「ミツ兄ぃぃぃぃぃぃ!」

「ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼」


 イサネの想いは、虚しくかき消された。


 二陽城の天守閣を破壊しながら、それは慟哭を続ける。

 ヨシミツは千本の角を生やした、巨大な鬼へと変わり果ててしまった。







  ***


「お母さん! お母さん!」


 誰だろう? 遠くで母さんを呼ぶ声が聞こえる。小っちゃい頃の僕かな。覚えていないけど、たぶんローレンスで一緒に暮らしていた頃の……。


「起きて! 起きてよ、お母さん‼」


 必死に叫んでる。僕は……いつも無力だな。ちっとも変わってない。叫ぶことしかできないなんて……。


「お母さん! 今助けるから、ちょっと待ってて」


 待っててって、僕は——いや、これは僕の声じゃない!


 モレットはハッと目を開いた。

 頭が痛い。ふいに手で触れると血で濡れた。

 少しだが出血しているようだ。

 ここは……畳? 家の中にいるのか?

 すっかり夜になり、それでも周りが明るいのは、町の至る所から火の手があがっているからだ。


「誰か、誰か助けてください! お母さんが、家に挟まれてるんです! 誰か!」


 子どもの声がまだ聞こえる。やはり、幼い頃の自分の声ではなかった。倒壊した瓦礫の下敷きになっている母親を、小さな男の子が引きずり出そうとしている。

 手伝わないと――

 頭の痛みに耐えながらも、モレットは立ち上がる。


「……モレット……無……事か……?」


 女性の息も絶え絶えな声を聞いて、モレットはハッと思い出した。


「リョウさん!」


 そうだ、僕は、イサネと一緒に二陽城に乗り込もうとして、途中で鬼に攻撃されたんだ。それでリョウさんが僕を庇って……。

 後ろを振り返ったモレットは、もたつく足を必死に動かして彼女の元へと駆けた。折れた家の柱が、ぎりぎり壁につっかえてくれているが、今にもリョウを潰さんとしている。モレットは地を這う彼女を、無我夢中で引っ張った。いつまでも金棒を放そうとしない右手は、彼女の強い意志そのものだ。

 見たところ大きな出血はないが、鉄縄が絡まっている左腕は骨折しているのか、青黒く腫れあがっている。身体の至る所には木片も刺さっていた。


「リョウさん……リョウさん、今すぐ診療所に連れていきます。歩けますか?」

「背中を……打った。背骨をやられたようでな……足が……動かん」


 ……え? 

 モレットは固まる。


 リョウさんは今なんて言った?  

 背骨が折れて、足が動かない? 

 なんで? 

 僕を庇ったから? 

 僕を庇わなければ、リョウさん一人だったら、こんなことにはならなかったんじゃないか? 

 僕は? 

 僕のせいで。僕がイサネを唆した。僕一人で行っていれば。

 イサネだって無事かどうかわからない。もしかしたらどこかで、リョウさんみたいに重傷を負ってるかもしれない。僕が――


「……ット……モレット、逃げろ……」


 リョウの消え入りそうな言葉と共に、地面が揺れる。ドシンドシンと同じ間隔で鳴る音は、それを見ずとも何が近づいてきているのかわかった。


「グゥゥ、グゥゥゥゥゥゥ」


 ……そんな……。


 頭部に生える一本の黄色い角。

 真っ白な目玉に、鋭い牙と爪。

 黒々とした筋肉質な体躯は、そこらの家屋よりも大きい。


「お母さん! お母さん! 誰か、誰か助けて!」

「は……やく……逃げろ……」



 子どもとリョウの声に挟まれ。

 絶望の足音がモレットへと近づいていた。

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