第26話 ゲゾウの契器
リョウの背中でまともに体勢も整えられず、それでもイサネは片足のみで跳躍した。
その刹那、下にいた二人は消える。イサネも風圧に襲われ、咄嗟に視界の端に捉えた瓦屋根を掴んで命を保った。
「モレット!! リョウさん!!」
小さな竜の頭に絡まった、千切れた鉄縄だけが虚しく
危機もまだ去っていない。鬼はすでに狙いをこちらへ定めていた。
「うぅぅぅ!」
両腕に命一杯力を入れて屋根をよじ登ると、息も絶え絶えに城内に飛び込んだ。その直後、屋根は跡形もなく鬼の爪に抉り取られていく。イサネはもはや後ろを振り向く余裕もなく、駆け抜けるしかなかった。
本当は戻りたい。モレットとリョウの安否が気になって仕方がない。火ノ木に乗っている状態で、鬼の攻撃をまともに受けたのだ。十中八九、無事ではない。
鬼だって、あのまま放っておけばさらに誰かを傷つけるだろう。
息が苦しい。つらい。
本当は戻って、鬼を倒すべきなのだろうけれど……戻ればもうヨシミツに会うのは難しくなる。さっきの雷鳴は間違いなくラグナだ。城内で赫雷の能力を使ったということは、相手は武士以外いない。
今でさえ時間がないのに、鬼を倒して、モレットとリョウを助けて、またこの城を地上から昇るなど。
どうして、どうして……。
こんな苦しい選択をしたくない。
嫌な想像ばかりが頭に浮かんでくる。
ヨシミツを助けることができても、翌日にはモレットとリョウの血に塗れた……。
二人を助けに向かっても、ラグナの剣に貫かれたヨシミツの……。
ただ助けたいだけなのに、誰も死なせたくないだけなのに、天は時間も与えてくれない。
「あぁぁぁぁぁぁっ!」
それでもヨシミツの元に走り続けるのは、そのために命を賭けると言ったから。モレットとリョウも、そう言ったから。
ヨシミツの信念を否定したかったのに、自分は今それと似たものに、身体を動かされている。
イサネはもう一度叫んだ。
せめて間に合うようにと。
涙を堪えながら、階段を一心に上がり続けていたから、最初は名前を呼ばれても気づかなかった。
行く手にその姿が現れて、ようやく彼の存在に気づいた。
「イサネ! どうしてお前がここにいんだ?」
ハァハァと吐く息の間に、イサネは彼の名前を呼ぶ。
「サロア……」
焦燥のままにその肩を掴むと、
「モレットが大変なの! ヒノキで飛んでるとこを、鬼に攻撃されて……」
「モレットが? とにかく落ち着け」
サロアはイサネを引き離すことはせず、ただ宥めた。
「あいつを信じろ。俺の弟子だ。そう簡単にやられやしねぇ。それよりなんでお前はここに来たんだ?」
「私は、ミツ兄を助けるために……ミツ兄はどこ? サロア一人なの?」
「ヨシミツは城の最上階に向かった。俺はあいつに言われて、下に向かってたとこだ。必ず二陽城の外に御将様たちを連れ出すから、助けてくれって」
***
「凶器とは、つくづく恐ろしい肩書だな。ヨシミツを退け、あの客間からこの最上部・『陽の間』までをこの速度で昇ってくるとは」
この部屋に唯一ある襖の向こう、天守を一周する
おそらくはヒノキの当主だけが立ち入れる場所なのだろうが、随分と質素で狭い部屋だ。ただ一つ、奉られたように壁に掛けてある白い金棒だけが、異彩を放っている。見たところ通常の金棒と違って棘もついていないから、武器として作られたものではないのかもしれない。
黒翼の下僕がこの場にいないのが、唯一気がかりではあるが……。
「先ほどと同じ状況だが、時間の余裕はもうない。即刻、真実を話してもらいたい。城内に一瞬響いた、赤子の泣き声。大方見当はついている」
外から聞こえてくる複数の鬼の怒声と、町に緊急事態を知らせる太鼓の音。部下たちもその対応に追われているはずだ。
テルハに近づこうとすると、廻縁に隠れていたゲゾウが姿を現した。
これ以上近づくなと、無言の圧力を放ってくる。
「私はこの国を眺めるのが好きだ。美しいと思っている。だから客間にもあの扉を作った。月に一度、民を招いて見せてもいる。我に感謝してほしいわけではない。我を称えてほしいわけではない。自分たちが築きあげているこの美しい国を見てほしい。ただそれだけの、我の勝手な行いだ」
また話を逸らすか。
さすがにラグナも、これ以上無駄話に付き合ってはいられない。
「そなたはどう思う。この町並みを、景色を美しいと思うか」
「鬼を出現させている忌人が、存在しなければ」
剣を握る手に力を込める。
この部屋の狭さ、距離は短い。
能力を使わずとも、ラグナであれば一歩でゲゾウを斬りつけ、テルハの喉元まで剣先を届かせることができる。
「……では、もう一つ問いたい。その忌人もこの国を好きだと、美しいと言っているとしても、そなたはやはり斬るか」
「私はローレンスの騎士だ。誰であろうと命じられたまま、斬り伏せる」
「そうか。どこまでもそなたは正しいな。だが、正しい道だからといって、上手く進んでいけるとは限らぬ」
テルハが懐から取り出したのは短刀だ。
ラグナは剣に殺意を宿す。道は今、決まった。
「テルハ様はやらせん!」
ラグナとほぼ同時に、ゲゾウも動く。テルハに近づかせまいと金棒を振り抜き、間合いを詰めてきた。判断力と瞬発力は互角。
……しかし遅い。
ヨシミツもそうだったが、鉄にさらに金剛樹を纏わせた金棒は、図体の大きい鬼に対しては有効かもしれないが、剣を操る騎士とは相性が悪い。
ゲゾウが金棒を振り抜いた時には、ラグナはすでに彼を斬りつけ、テルハに迫っていた。
「お待ちください!」
短刀を構えるテルハの前に、赤子を抱えた女性が立ち塞がる。奥方のツユだ。
それでも、ラグナは構わず斬るつもりだった。最初から、この『陽の間』にほかの存在がいることは察知していた。テルハを守ろうとする者か、テルハが守ろうとする者か、どちらかであることも。
だから何が起ころうとも剣は振り抜く。
その決意を持っていたのだが……。
赤子を抱いて恐れに顔を逸らし、しかしそれでもテルハを守るために前へ出てきた女性に、自身の母が重なってしまった。
あの日、忌人の赤子を守ろうとして騎士に斬られた母と……。
速度の落ちた剣撃は、ゲゾウに反撃する間を与えてしまった。
かろうじて剣で防御したラグナだったが、金棒の重たい一撃に、壁にヒビが入るほどの勢いで激突した。
……馬鹿な。傷は深いはずだ。斬った感触もある。なぜ動ける?
「
こちらを睨むゲゾウの身体のどこにも、斬撃が刻まれていない。
「なるほど。ディトリヒー様の能力を宿した契器か」
神人と契約を交わしている武士がいたとは、さすがに予想外だった。数年前まで国を閉ざし、自身の力を誇りに、他の力は借りず。そういう人種だと思っていた。
「お主のような者が外の国に存在する以上、我々も変化していかなければならぬということだ」
金棒を構えたゲゾウが突進してくる。
無謀すぎる。攻撃の速度でこちらが勝っているのは、先の斬り合いでわかっているはず。
にも関わらず、同じ轍を踏むような行動をとる理由は……。
ラグナの剣は的確にゲゾウの首を裂いたが――。
その両手はなおも、ラグナめがけて金棒を振り下ろしてきた。
「ぐっ!」
上半身を捻り、なんとか直撃を避ける。しかしそれでも意識が飛びそうになるほどの衝撃だった。
銀鎧が砕かれ、血の滲んだ脇腹を抑えながらも、ラグナは顔色一つ変えず立ち上がった。
光を放つ金棒。首を斬る直前に能力を発動したか。
ゲゾウの首は何事もなかったかのように繋がっている。
「赫雷の剣……恐るべき反応速度だ。肉を切り骨を断つ思いで向かっても仕留めきれんとは」
「幻術の類ではないな。斬った感触はやはりある。治癒か……攻撃の無効化か」
どちらにしろ弱点はある。契器とはそういうものだ。
今度はラグナが能力を使う。
剣から発せられた赫雷は次第に広がり、ラグナの全身を纏った。
瞬時にゲゾウの懐まで移動したラグナは、逆袈裟に剣を振るう。
斬ったところで、効きはしないだろう。重要なのは……。
凄まじい速度でゲゾウの肩を斬るつけたラグナは、すぐさま……。
二撃目、三撃目だ!
予想した通りだった。
一撃目を受けたゲゾウは、それ以上斬られまいと後退を見せた。
「続けての攻撃は避けざるを得ないようだな」
治癒にしろ無効化にしろ、能力の隙がわかったからにはもう圧されはしない。
すでに肩の傷もなくなっているようだが……勝負はついた。
「さすがに、契器の扱い方を心得ている者は対処が早いな」
姿を見せてから一度もラグナから目を逸らさなかったゲゾウが、今初めてその目を、テルハたちに移した。
「……テルハ様、次に私が金棒を構えたら、ツユ様を連れてどうか全力で階下までお逃げください。ヨシミツが忌人の少年と共に、待っているはずです」
「よせ、ゲゾウ。今ここでその命を散らすことは認めぬぞ――」
テルハの制止も聞かず、ゲゾウは再び突進してくる。
ラグナは右手で剣を構えつつ、左手で鞘を握った。
ゲゾウの契器は、おそらくは能力を発動している間――金棒が光っている間に敵から受けた最初の攻撃だけ、無効化できるというものだろう。
であれば、二撃目で確実に仕留めればいいだけの話。
依然として攻撃の速度に分があるのはこちらだ!
飛び散る血が、ラグナの頬から首筋にかけてを赤く染めていく。
肩を深く斬られながらも、ゲゾウの防ぐ金棒の力は緩まない。押し返そうとした剣を、逆に身体から離さないよう素手で刃を掴みながら叫んだ。
「お、お逃げください、テルハ様! ツユ様! ま、まだ望みはあります!」
驚くべき胆力だ。気絶してもおかしくないはずだが。
いや、それよりも……。
ゲゾウは能力を使わなかった。ラグナの初撃、剣の一振りをあえて受けたのだ。
全ては、
「お逃げ……ください……!」
自身の王を守るため。
ラグナに敵わぬと悟ると、すぐさま切り替えたのだ。己が今すべきことを。
勝負に勝つことから、命を捨てて王を逃がすことへと。
「すまぬ、ゲゾウ……」
テルハはツユを抱えて階段のほうへと向かっている。ラグナは腕に一層力を込めるが、ゲゾウは驚異的な力で剣を離そうとしない。
「その潔さ、信念。大したものだ、ゲゾウ」
しかし俺も、ローレンスの凶器としての使命がある。
赫雷による高速移動により、ラグナは瞬時にゲゾウの身体から引き抜いた。
なぜ黒翼の下僕に協力を求めたのか、ようやくわかった。
ツユとその赤子を、忌人の国へと連れて行かせる気か。
急いでテルハたちを追おうとするラグナだったが、予想外にも二人はまだ階段を下りていなかった。
ちょうど、その階段を上がってきた者があったのだ。
「あ……御将様……?」
イサネという白髪の娘と、黒翼の下僕だ。
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