第25話 空からの侵入

 城門の警備にあたっていた武士が、いつにも増して慌ただしかった一日の業務を終え、あとはもう交代の迫るだけの時間を感傷に浸って持て余していた頃、彼の同僚である女は現れた。

 両肩に子どもを二人、俵担ぎをして。


「リョウか。町のほうはどうした? その子どもらはなんだ? どこかで見覚えがあるが」


 門の左側に立つ相棒が、金棒を抜いて呼び止めた。

 担がれている二人とも、紺色の着物に赤い袴。紛うことなき武士の――御将様に命を捧ぐという決意の死に装束だ。


「ヨシミツの妹とその友達だよ。まだ武士見習いの身だけど、人手不足で駆り出されてたんだ。先の二本角ので傷を負い、今は気絶してしまってる。生憎、唯一の父親は二陽城侵入の件で牢窟に幽閉され、養生所は手一杯だ。仮にもヨシミツの血縁者だからな。道端に放っておくわけにもいかず、ここに連れてきた」

「……あの時の娘か」


 矢絣柄の着物だったと思ったが、たしかに金棒を携帯していたな。非常時とはいえ、まだ成人にも満たないこんな子どもたちまで、戦場に出ていたとは。しかも、拘束された父親を見過ごすことしかできなかった少女の悔しさと悲しさは、計り知れない。

 今でもあの時、襟に縋られた感触が残っている。

 しかし、だからといって……。



「武士見習いは民と同じ扱いだ。誰であろうと、如何なる理由であろうと、御将様の許可なく城へ入れることはできん」


 相棒の制止は武士として当然だ。


「わかってる。だから一時的に、城の留置牢に閉じ込めておく。御将様への弁明は私が直接するつもりだ」

「お前の意思は関係ないという話だ。門番としてここを通すわけには――」

「いい。行かせてやれ」


 相棒の言葉を遮って、武士は扉のかんぬきを抜いた。


「正気か?」

「子どもらを放っておくこともできんだろう。御将様は、民の命を見捨てることも許しはしない。だがリョウよ……武士の身分を剥奪されるかもしれんぞ」

「承知の上だよ。恩に着る」


 二陽城へと入っていくリョウの背中を見送った武士は、静かに扉を閉めると閂を差し直した。


「俺は知らないぞ。何も見てないからな」

「ああ……。しかし今日はまだまだ、終わりそうにないな」







  ***


 モレットとイサネが担ぎ下ろされたのは、鉄格子のある部屋の前だった。

リョウが部屋の扉を閉め、三人だけの空間になってから、ようやく肩をトントンされた。

 それが気絶したフリを解いていい合図だった。

 頭に巻かれた意味のない包帯を外しながら、イサネが口を開く。


「ごめんなさい、リョウさん。私たちのせいで……」

「気にしなくていい。私が自分で選んだだけだから」

「どうして、僕たちに協力してくれるんですか?」


 ヨシミツを止めに行こうと動きだした矢先、リョウに道を塞がれた時は焦りに思考が停止した。

 まさか、リョウのほうから二陽城へ侵入する方法を提案してくるとは思わなかった。


「……何が正しいのか、自分でもわかっていないからだろうね。長い間、武士をやっていながら、情けない師でごめんね、イサネちゃん」

「そんなこと……」


 イサネは俯き、黙り込んだ。

 言葉を紡げないのは、彼女自身同じように、武士としての芯が揺らいでいるからだろう。


「それにまだ安心できる状況じゃない。城内に入れたのはいいが、この先を御将様やヨシミツがいる場所まで進むのは、無理に等しい。途中で武士に捕まる可能性が高いけど……それでも行くんだね?」


 イサネとモレットが頷くと、リョウは入ってきた扉と反対のほう、おそらく天守閣へと続く通路に目を向けては、「ついてきて」、と言った。

 モレットとイサネは、足早に彼女のあとを追う。


 少し進めば通路の先が途切れ、また外へと出た。すぐ目の間には、薄闇を反射させた二陽城がそびえ立っていた。

 周辺には、紅星祭で使用されたと思われる火ノ木たちが、ゴロゴロと転がっている。


「妙だな。外を出歩いている者が全くいないなんて……」


 周囲を見渡しては訝しむリョウに、モレットもたしかに、と思った。いるのは精々、城壁の四角よすみに設置されている高見櫓たかみやぐらにいる見張りぐらいだ。


 みんな、城の中に集まっているのか? 僕たちにとっては都合がいいけど。


 隣でイサネが、「ミツ兄……」、と声を洩らす。

 ラグナたちローレンスの騎士もいることを考えると、何かが起きたとみて間違いない。


 先を急ごうと二陽城へ足を踏み入れるリョウとイサネに、モレットはしかし、


「待ってください! あれ……使えないでしょうか?」


 モレットの指差すものを見て、リョウも瞬時に理解したようだ。

 危険極まりない、荒唐無稽な方法だが、ヨシミツの元に一刻も早く辿り着くのに、現状では一番理に適っているはずだ。


「子どもの発想というのは、時折恐ろしいね。火ノ木を使って、空から侵入しようってかい?」

「……マジ?」

「とりあえず移動しよう。ここで止まっては見つかりかねない」


 通路から外れたモレットたちは、リョウの先導で大きな火ノ木の間を縫うようにして、できるだけ身を隠しながら、城の陰へと移動した。


「……モレットは怖くないのかい?」

「全然! 怖いです!」


 モレットは胸を張って言い放った。


「怖くて仕方ないけど、でも時間もない。ヨシミツさんには僕もお世話になったから、できる限りのことはしたいんです」


「君は強いね。他人のために命を懸けられるのは、それはもう武士と変わらないよ。じゃあ……あれを使おうか」


 火ノ木の球体を見定め、リョウはその中から一つを選ぶ。ほかのものよりも大きく、頑張れば三人乗れそうだ。

 リョウは懐から燐寸を取ると、火を点けて自分の金棒を熱した。


「イサネちゃんは? 退くならまだ間に合う。侵入するには、最低でも三階の屋根までは昇らなければいけない。もし落ちてしまえば、私は助けられない。冷たい地面に真っ逆さまだ」


 金棒がみるみる赤くなり、表面を覆っていた金剛樹が溶けだすと、リョウはそれを芝の広がる地面に置いた。

 やがて芝は煙を吐き、炎となって広がっていく。

 櫓の武士たちにバレるのではないかと思ったが、火ノ木は瞬く間に、炎をその身体に吸収していく。


「モレット、短刀借りるね」


 ふわりと浮き始める火ノ木に、勢いよく飛び乗ったのは。


「あの強いミツ兄が命を賭けて信念を貫こうとしてるのなら、私は何個も命を賭けないと、止めることなんてきっとできない」


 イサネは短刀を振り上げると、力強く火ノ木に突き刺した。


「……そうだね。君たちは、決して間違ってない」


 リョウはそれ以上何も言わず、火ノ木に飛び乗った。最後にモレットが彼女の手を借りて、地面を離れる。

 足場はあるが、やはり不安定だ。 

 気を抜けば、恐怖に足が竦みそうになる。

 勢いよく燃えていた覚悟も、ほんの少しの風で揺らいでしまいそうだ。

 リョウはそれも見越した上で、ここまで付き合ってくれたのだろう。


 だけどやっぱり、止まるわけにはいかない。止まれない。イサネの大事な人が死ぬかもしれないのに何もしないなんて、自分の心がそれを許さない。


 モレットはイサネと顔を見合わせ、火ノ木に刺さった短刀を握った。







 上昇するにつれ、風が強くなっていく。炎の灯った火ノ木は多少フワフワとフラつくものの、暴れたりはしなかった。

 それよりも、眼下に広がるヒノキの町の光景に見とれそうになる自分に、モレットは戸惑っていた。

 命の危険も、ヨシミツやゼンキチのことも……忘れてしまうぐらいに。

 二陽城の鏡の壁には、上昇していく自分たちの姿が反射している。三階の屋根が見えてきたところで、リョウが鉄縄を投げた。

 屋根の角に飾られた、ひょっこり顔だけ出したような、小さな竜の像に引っ掛かると、途端に不安定さがなくなった。


 けれどそんな安堵も、リョウの「マズいね」という言葉と、こんな場所で聞こえるはずのない者の声に、束の間のものとなってしまった。


「これは……赤ちゃんの泣き声……?」


 イサネが眉をひそめて困惑する。

 吹きすさぶ風の中で、モレットも確かにそれを耳にした。微かにだが、間違いなく赤子のそれだ。


「……ぉ……ゃぁ! おぎゃあああ!」


 そしてその直後、モレットは驚くべきものを目にする。自分たちの真下、火ノ木が転がっていた場所から、うっすらと霊体のようにして、一本角の身体が浮かびあがってきた。

 やがてそれは黒々とした実態へ変わり——


「ブォォォォォォッ‼」


 咆哮が耳をつんざく。

 火ノ木に刺した短刀を強く握り、イサネとリョウはモレットの身体を掴んで耐え忍ぶ。

 しかし……距離が近すぎる。三階の屋根まではまだ届いていない。もし鬼がこちらに気づけば、攻撃も回避もできない。やられるがままだ。


「二人ともできるだけ身を屈めて、息を潜めるんだ」


 リョウが小声で告げる。

 モレットとイサネは言う通りに、火ノ木に張り付いた。


 あともう少しだ、あともう少し……。


 ようやく屋根に手が届きそうな距離まで近づいた。

 もうかなりの高さだろうが、誰も下を見る余裕はなかった。

 鬼はまだこちらに気づいていない。鉄縄を引っ張りながらリョウが立ち上がり、屋根に手を伸ばす。


 ――その瞬間、空に響き渡る雷鳴。


 城の中からだ!

 おそらくはラグナだろうと察し、モレットはハッとなって急いで下を見るが――

「イサネ! 私の背を使って跳べ!」


 すでに鬼はこちらを視認し、腕を大きく振り上げている。リョウの反応も決して劣ってはいなかったが、モレットとイサネが遅れてしまった。


「くっ……!」


 慌てて背中に飛び乗ったイサネをそのままに、リョウはモレットを守りに動く。

 自分はどうするべきか、モレットには考える間もなく、目の前にはもう鬼の掌が迫っていた。


 リョウの腕に抱き寄せられてからあとは、凄まじい衝撃に記憶も吹き飛んだ。

 視界が真っ白になり……。




 モレットとリョウは、二陽城を囲む周壁外に並ぶ民家まで、はたき飛ばされてしまった。

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