第24話 一触即発の火蓋を切るのは
騎士を引き連れたラグナは、ゲゾウとヨシミツに案内され、二陽城の客間と呼ぶには広すぎる空間へと招き入れられていた。
二陽城の外壁と同じように金剛樹の一部を焼き磨いたものが、鏡のように柱や襖に装飾として施されている。
隣で黒翼の下僕が感嘆とした声を洩らしている間も、ラグナの目は静かに、前方にいる男を見据えていた。
男はその客間の中央で、堂々と一人座していた。
「そなたがローレンスの五つの凶器、その一人か」
「ええ。ラグナ・ライトニングと申します」
ラグナが答えると、テルハは静かに笑って立ち上がった。
武士たちにも負けぬ剛健な眼に、整えられた口髭と顎髭。着物こそ橙の煌びやかとしたものであるが、ザイラス・ヘブンズアースとはまた違う、王としての威厳と風格を漂わせている。
「ヒノキの十一代目御将、テルハだ。我が城へようこそ、ラグナ・ライトニング。ローレンスの王宮に比べれば、少々質素かもしれぬが」
「いえ、全くそのようなことは……素晴らしい要塞です」
お世辞ではない。外壁は
ローレンスの王宮も、台地までは敵の侵入を阻む造りになっているが、台地に入ってしまえばそこから王宮、ヘブンズアース家の居室まで辿り着くのは容易い。ラグナからしてみれば、かなり甘いと言わざるを得ない造りだった。二百年もの間、他国に攻め込まれたことがないから、であるが。
しかし今は、互いの王や国防技術を比較している場合ではない。
「不躾で申し訳ないが、単刀直入にお聞かせ願いたい。鬼という化け物を生みだしているのは、あなたか?」
「貴様っ!」
ラグナが訊ねた瞬間、周りにいた武士たちが一斉に金棒を構えた。
「ハハハ。凶器とはよく言ったものだな。この場に流れる空気も、居合わせる者も、お構いなしに斬りつけるか。しかしその剣を抜かぬのであれば、今のそなたには話をする以外選択肢はないな」
大した肝だ。どうやらただ世襲で継いだだけの王ではないらしい。
感心しつつも、相手に主導権を与えるわけにはいかない。
「『五つの凶器』には裁量権が与えられています。自国ローレンスを離れている場合に限り、事件もしくは事象の解決のため、自身の判断での拘束、傷害、殺人が認められているということです。つまり――」
「知っている。王制騎律十一ノ法とやらだな。だがその判断が間違いであったと判明した場合、そなたは……」
「死罪となります」
ラグナはなんの感情も宿さず、淡々と言った。
「全て覚悟のうえで、ここに立つか。しかし話を戻すようで悪いが、だからこそそなたは、我と話をする以外選択肢はない。その見立ては間違っているからな」
なんらかの時間を稼いでいるのは明白だ。ほかに選択肢がないわけではないが、この武士の数……話に乗るのが得策か。
「私と、どのような話を?」
テルハは客間の端、鉄製の無骨な襖が開かれた、町を見下ろせる場所まで歩きだした。
「使イ魔をこの国に連れ込んだのは、そなたか?」
ラグナの眉がピクリと動く。完全に視野外からの一矢。
テルハの真意が、まるでわからなかった。
「使イ魔を連れ込む? 私が?」
それは斬るべき敵だ。武器や道具として使うなど、ラグナの信念に反する。
「……仰っている意味がわかりかねます」
「とぼけるな!」激昂の異を唱えたのはゲゾウだ。
「あの四足獣のような使イ魔は、お前たちがこの国に来るようになってから出現しだした! お前たちが侵入させたのだろう!」
「ゲゾウ、呼吸を整えよ。少なくとも『赫雷の剣』は関係がないようだ」
「テルハ様! この男の言葉を信じるのですか⁉」
「相手を信じぬのなら、言葉を交わすことに意味などない」
テルハは大人しくなるゲゾウから、ラグナへとまた瞳を戻した。
「しかし、ふむ……それではもう一つ訊ねたい。そなたは、ヒノキの祭りがなぜ
「……いえ」
やはり時間稼ぎか。
それにしても、やけに煮え切らない。先ほどの質問といい、もったいぶるような言い方だ。
「……遥か昔、このモアリオ大陸の遥か下に存在した大陸のことは知っておろう。下層大陸と呼ばれていたらしい、焉天によって滅んだ大陸のことだ」
ラグナは剣の柄を握る。この話の行く先は、あまりよろしくない。
部下の騎士たちもラグナの挙動を見ては、いつでも剣が抜けるよう戦闘体勢へと入った。
「二百年前、ローレンス公国がこの上層——モアリオ大陸の一部を落として滅ぼした、な。仮にローレンスの国民は知らずとも、そなたが知らぬわけはない。神と呼ばれた者と忌人の王、そして竜をも巻き込んだ争い。なぜ下層大陸は滅ぶことになった? この国に伝わる説によれば、空に浮かぶ星々は神と呼ばれた者の――」
瞬間。部下の一人が動きだす。
剣を抜きテルハに迫る騎士を斬ったのは……。
「部下が失礼した。だがこれ以上話を続けるのは、得策ではない」
剣を振り、血を払いながら。
ラグナは鬼気を以って告げた。
「どの国も秘密を抱えている、か。長らく国交を閉ざしていたヒノキには、わずかに残っている文献からしか外の歴史を知ることはできなんだが……事実なのか?」
しかしラグナの忠告も意に介さず、テルハはなおも質問を続けた。
正気か、この男……。
今度は部下たち全員が動きだす。武士たちも御将様を守るため金棒を振り抜いた。
「ラグナ・ライトニング! 私は上で待つ! 真相が知りたければ、追ってくるがよい!」
瞬く間に、客間は戦場と化した。
勇む武士たちにも負けぬほどに声を張り上げ言い放ったテルハは、ゲゾウと共に襖の奥へと消えていった。
やはり最初から争うつもりだったのか?
しかしどういうつもりだ? これでは本格的に、ローレンスと敵対するという意志表示だぞ。
勘案しつつも武士を制圧するラグナを傍目に、サロアは空中へと跳び上がって、鋭く尖らせた尻尾を柱に刺した。
「ったく、血の気の多い奴らだな」
「サロア! 俺と共に来い!」
そこへ接近したのはヨシミツだ。
「お前に話がある! 重要な話だ!」
黒翼の下僕と話だと?
俺やほかの騎士が近くにいるにも関わらず、そんな発言を……。
「あぁ⁉……ちっ」
サロアは一瞬戸惑いを見せたが、話に乗ることにしたようだ。尻尾を巧みに使い、柱を蹴ってヨシミツのもとへと着地した。
そういうことか。
なんらかの計画が始動したのだと、ラグナはようやく察した。
客間をあとにする二人に、一刻も早く追いつかなければならない。
「ここは任せる」
そばにいる騎士にそう告げると、ラグナは赫雷の力を纏った。バチッと音がしたかと思うと、襲い来る武士たちの間を俊足で移動していった。
俺ならば、すぐに追いつける。
客間を抜け、一分もかからずに階段を上がるヨシミツたちの姿を捉える。
まさに雷の奇襲。ラグナは流れるままに剣を振るった。
ヨシミツの背に切っ先が届いた――が、なんとヨシミツはそこから身体を転換させた。驚異的な察知能力と反射神経だ。
ラグナの刃は、彼の背中を微かに斬りつけただけだった。
そして間髪入れずに襲いくる反撃。
ラグナの剣とヨシミツの金棒がぶつかり、火花が散った。
***
日没。雨雲はとっくに過ぎ去り、そこらじゅうにできた瓦礫の山から伸びる影が、薄く闇に溶け始めた頃。ようやくヒノキは落ち着きを取り戻そうとしていた。
鬼や使イ魔の咆哮は消え去り、町中に響いていた太鼓の音もやんで、そこかしこから発せられていたたくさんの悲しみと嘆きの声も、疲労に敗れてすっかりなくなっていた。
家が無事だった者たちは帰路につき、帰る場所を失った者たちは広場に仮設された養生所で、その身体を休ませていた。
いまだに忙しく走り回っているのは、武士たちだけだ。被害者の救出と、町の復興と……。
モレットは城壁内に開放された、広場の隅で座り続けたまま。
「ついててくれなくてもいいよ。私は大丈夫だから」
隣でずっと、膝を抱えて顔を埋めたまのイサネが、ようやく口を開いた。
「そういうわけにはいかないよ」
君が心配だから……とは言えない。
それに、ずっとリョウに監視されているせいで、下手に動くことができなかった。
離れた所でほかの武士たちと復旧作業を手伝っているが、時折こちらを見る眼は鋭い。
まだ動けるからとリョウに手伝いも申し出てみたが、一考もされずに拒否されてしまった。
何もしないでいると、自分の無力さに苛まれて仕方ない。
ヨシミツが命を懸けてラグナと戦うであろうことを、リョウも最初から知っていた。彼女はその上で、イサネを巻き込まないようにというヨシミツの頼みをきいているのだ。
「ミツ兄はさ、優しいんだ」
膝に顎を置いてぽつりと話しだすイサネの言葉に、モレットは耳を傾けた。
「いつも私の先を歩くんだけど、必ず後ろを気にしてくれてるの。どんなに仕事が遅くなって、疲れて帰ってきても、私やゼン爺の話をちゃんと聞いてくれるの。近所の子どもが怪我した時、必死になって診療所まで運んでいったこともあった」
モレットも知っている。ただの旅人である自分に、親身になって話を聞いてくれた、心根の優しい人。サロアの修行を突破できたのも、ヨシミツのおかげだ。
だからこそ。
「あんな顔してるけど意外と怒られたことなくて、ミツ兄はいつもそういう時、『二度とするなよ』、で終わるんだ。一回だけ、試しに同じことして怒られたことあるんだけど、『三度目はするなよ』、で終わったの。私思わず笑っちゃって、さすがにそのあとは怒られたや」
その記憶に触れているイサネは心底可笑しそうに、目を細めて笑った。
だけどまたすぐに、悲しそうに顔を歪ませてしまう。
「……イサネ、少しだけ待ってて」
僕に何ができるかなんてわからない。だけど家族が離れ離れになる光景を見るのは、もううんざりだ。
「え?」
「僕がヨシミツさんを止めてみるよ。どれだけのことができるかわからないけど、あそこにはサロアもいるから、協力してくれるかもしれない」
「な、なに言ってんのよ。絶対無理だって。一回サロアに勝ったからって、調子乗り過ぎだよ」
「そこまで言わなくても……」
「大体、なんでモレットが行くのよ。オールの花を探さないといけないのに、こんなとこで危険を冒してる場合じゃないでしょ」
「だけど、ヨシミツさんを放っておくことはできないから」
「ま、待ってよ。ねぇ……」
イサネの手が、モレットの外套を掴む。
「もうさ、この国から出ない? オールの花の情報を集めよ? 私はもう、大丈夫だから」
イサネの痛みが伝わる。辛さが伝わる。
「……それは、ウソだろう?」
だからこそ、許せない。
「イサネはどうしたいの?」
「武士としてのミツ兄の覚悟を、踏みにじりたくない。私を守ろうとしてくれている、ゼン爺の意思も」
「僕は……」
これはきっと、良くないことだ。友達として、彼女が危険な目に晒すようなことは、言うべきじゃない。
「僕は、イサネがどうしたいかを訊いてるんだよ。ゼンキチさんの意思も、ヨシミツさんの信念も、関係ない。イサネの想いが一番大切なことだと思う。僕は……」
だけどこれは、ちゃんと言わなきゃいけないことだ。
「僕はさ、ときどき恨むことがあったんだ。父さんや母さんを。勝手に僕の前からいなくなって。勝手に眠りについて。だからそれもあって、旅に出ることを決めたんだ。どんな理由があったのだとしても、あなたたちが勝手したのなら、僕も勝手にしてやるって。守られる側の人たちだって、人間なんだ。抱いている感情や想いがある。僕は……イサネの想いを一番に尊重するよ」
イサネの潤んだ瞳が大きくなって、
「私は……」
魂から絞りだすように、その想いが口から零れた。
「私は……ミツ兄を止めたい……」
自身の膝に顔を埋めるイサネの声が震える。モレットは頷き、「うん……」と応えた。
「勝手に死のうとするなんて、許さない。武士としての信念だからって、私は受け入れたくない。ゼン爺みたいに、そんなものを尊重なんてしたくない。……いつまでも、ミツ兄には生きていてほしい!」
大雑把に涙を拭って、イサネは立ち上がった。
その顔はドスカフ村で使イ魔と相対した時の、トレース村でメイスと戦った時の、いつものイサネの顔だった。
「ごめん、ありがとう、モレット。私に、力を貸して」
「もちろん!」
差し出されたイサネの手を掴んで立ち上がり……。
走り出そうとする二人の行く手に、しかし早速ある人物が立ちはだかった。
「心を決めたのはいいが、どうやって二陽城に侵入するつもりなんだ?」
頭頂部で束ねた髪を揺らし、その背中に金棒を携えた女性。
モレットは冷や汗を垂らしつつ、その名を洩らした。
「リョウさん……」
***
血しぶきが、鏡のように美しい金剛漆の壁を汚す。
ヨシミツは膝をつき、地面に伏した。
ラグナ・ライトニングはただ無言で、一度も振り返ることなく、テルハの待つ『陽の間』へと、階段を上がっていく。
ぐっ……まだ、死ぬわけにはいかない。
ヨシミツは力の抜けていく手で、それでも金棒を握り締める。
顔を上げ、ラグナの消えていった階段の闇の中を見つめる。すると視界に、綺麗に磨き上げられた靴が入ってきた。下駄や草鞋ではない。これは外の国の……革靴とやらだ。
ヨシミツはこの男を知っている。金色の波打つような模様の帽子と装束。
何十年とこの国に居座っているただ一人の
「久しぶりにお目見えできたかと思えば、これは大変ですな〜、ヨシミツ殿。このディトリヒーが力をお貸ししてあげましょうか?」
幼い丸い瞳に、まだ成長しきっていない透き通った声音。
モレットよりも小さい少年の姿で、その男は顔を覗かせた。
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