第23話 重く尊ぶべきもの。

 ぬかるんだ泥道をモレットは駆ける。

 身体に打ちつける雨を気にしている余裕などなかった。前を走るリョウの速度がどんどんと増している。

 二本角を倒し、数も少なくなったとはいえ、いまだ町から鬼の咆哮は消えていない。リョウは一刻も早く、加勢に戻りたいのだろう。


 モレットたちは城下町から遠ざかるように、ヒノキの端——郊外に向かっていた。牢窟ろうくつとやらに幽閉されている、ゼンキチに会うためだ。ヨシミツが、モレットとイサネの保護をリョウに頼んだのは、予めそこへ連れて行くよう指示していたからだそうだ。

 なぜわざわざそんなことをしたのか、リョウに訊ねてもわからないと言われた。


 わからないことばかりの中、しかも家族が関係しているイサネの胸中は、不安と苦悩でごちゃごちゃだろう。

 隣を並走していた彼女の足も、一段と速くなるのは必然だ。

 サロアとの修行でだいぶ体力は向上したはずなのに、それでも追いつきたい人たちはまだまだ先にいる。

 町を抜けて、三人は森の中へと入った。モレットは悔しさを拳の中で潰しながら、必死に足を動かした。




 森の中に突然現れた、石でできた地下への入り口を下る。階段を一段下りるたびに、コツコツという硬い音が牢窟内に反響する。

 両端にわずかに灯された蝋燭の明かりを頼りに先へ進むと、点々と大きな洞穴が左右に現れる。その穴の奥にあるのは、鉄の檻。ヒノキで罪を犯した者は、陽の光が差さないこの暗い洞窟の牢の中で、罰を受けるのだろう。

 迷いなく歩いていくリョウのあとに従って、一つの洞穴の前で立ち止まる。


「処罰はまだ決まっていない。状況が状況だからな。この事態が収束してからになるはずだ」


 無機質な檻の向こうには、ゼンキチが静かに座っていた。


「ゼン爺!」


 駆け寄ったイサネが、ガシャンと檻を掴む。ゼンキチはゆっくりと顔を上げて、

「イサネか……」

 と力なく言った。


「ゼン爺、どうして二陽城に侵入なんかしたの! それに……ミツ兄もおかしいの。ローレンスの騎士と争って何かを必死に隠そうとして……私に、私にすまないなんて……」


 ゼンキチの眉間に皺が寄る。答えを迷っているのか、口を微かに開いたり閉じたりしている。


「私は、外で待っていましょう」


 沈黙が流れる中、リョウがそう言葉を残しては、再び外へと出ていった。そして彼女がいなくなって数秒後、ようやくゼンキチは口を開いた。


「この国を出るんじゃ、イサネ」

「な……またそれ?」


 イサネの声に険が含む。

 モレットは咄嗟に、二人の間に入ろうとしたが、彼女の手に強く抑えられた。


「私は二人の家族なんだから! こんな状況で一人だけ出ていけるわけないじゃん!」

「……お主は、儂の娘ではない……」

「——っ!」


 言葉を堰き止めるように歯を噛み締め、俯いて踵を返すイサネの手を、今度はモレットが強く握った。


「イサネ、待って! いつまでもこの話から逃げちゃダメだ! ゼンキチさん!」


 モレットはすかさず顔だけをゼンキチに戻す。さすがに、今回は問い詰めざるを得ない。


「イサネにとって、家族はあなたとヨシミツさんなんだ。一緒に旅をした時間は短いけれど、イサネは一度も親を探そうとはしてなかった。それは……もうすでに家族がいたから、二人がいたからだ」

「……それはわかっておる」

「ならなんで——」

「ヨシミツは、死ぬ気なんじゃ」


 重く容赦のない言葉が牢窟に響いた。


「……え?」


 掴んでいたイサネの力が弱まる。振り返った彼女の顔からは、血の気が引いていた。


「……イサネ、ひどい言い方をしてしまったことはすまぬ。お主を、兄の死から遠ざけたかった……」


 ゼンキチの声に相変わらず力はないが、この話の続きがようやく見えてきた気がした。


「ど、どういうことですか? ヨシミツさんが死ぬって、そんな……」


 口を開かないイサネの代わりに、モレットが訊ねる。


「ローレンスの騎士と争ったのなら、もう時間はないじゃろう。あやつはなんとしても、御将様を守る」

「御将様を? ローレンスの騎士が御将様を襲うんですか?」


 ラグナ・ライトニングが御将様に会おうとしていたのは、襲うつもりだったからなのか?


「それは、鬼が生物ではないことと関係してるんですね?」

「すでにお主らも知っておったか。あれにはおそらく、御将様が関係しておる。忌人の能力じゃ」

「忌人の、能力……⁉」


 まさか、ヒノキが忌人を平然と受け入れているわけは……国の統治者がそうだから、ということでもあったのか?


「儂が多数の鬼が出没する事件を経験するのは、これで三度目じゃ。十代の頃と四十代の頃と……。儂と同じように、六十年もヒノキで生きておるような老人などは大方察しておるじゃろう。代々の御将様方が、何かを隠しておることは」


 モレットは言葉に窮する。

 本当に……本当にゼンキチの言っていることが正しいのであれば……。

 たった一人の忌人が、これほどの事件を引き起こしたのか?


 なぜ忌人が、人間から恐れられているのか、モレットはその理由を垣間見た。

 鬼を同時多発的に生み出せる、これほどの能力……ルカビエルやサロアとは比べものにならない。町を、国だって簡単に壊しうる力だ。

 ラグナ・ライトニングが御将様を襲おうとしているのも当然だろう。真実を隠していた御将様に、非があるのは明らかだ。何も知らないらしい多くのヒノキの民が傷つき、苦しんでいる。町もほとんど壊滅状態なのだ。


「でも、どうして武士たちはそれでも、御将様に仕えてるんですか?」


 武士たちは、全てを知っているのだ。知ったうえで鬼と戦い、倒し続け、今なお御将様を守ろうとしている。


「儂も、全てを知りはせぬ。一ついうなれば……忠誠心じゃろう。狂気にも似た忠誠心。だからヒノキの武士は強く……儂にはついぞ止めることができんかった。せめて鬼砕棒の力を示すことができれば、状況を変えられると思ったんじゃが」


 鬼砕棒……。この国にあるといわれている宝具ススタンシアか。

 ゼンキチはそれを盗むために二陽城に侵入したと、イサネが言っていたけど……。


「これも、武士の家族が負うべき運命さだめかの。こんな重荷を背負わせたくなかったが……イサネ、もはやあとは信念を貫く兄を尊重し、見届けねばならぬ」


 力なく落ち込んでいた老人の声音が、急に強さを持った。

 イサネに、全てを受け入れろと言っているのだ。

 ラグナ・ライトニングの、あんな雷を人間が受ければ無事では済まない。しかしそれをわかっていながら、ヨシミツも戦いを挑むのだろう。死を結末とした戦いを。


「お主も武士見習いの身。わかるはずじゃ」

「私は……」


 イサネは答えを出せないでいる。

 突然、数多の鬼が町に出現し、わけのわからないまま父親が牢獄に入れられ、その理由がわかったと思えば、兄は忠義を胸に命を賭けて、ローレンスの凶器と争おうとしている。

 僕なら、どうするだろうか……。


「話は以上じゃ」


 ゼンキチは背中を向けてしまった。もう何を言っても、聞いてくれないだろう。彼はもう覚悟を決めている。


「ゼン爺……」


 ようやく口を開いたイサネは、


「話してくれて、ありがとう」


 柔らかい笑顔を作って、そう言った。


 ゼンキチの背中が微かに動く。「うむ……」という小さいを声を、モレットはたしかに聞いた。




 どうしてこんなことになってしまったのか。

 サロアに二人を止めてほしいけれど、サロアもサロアでルカビエルの意思を優先するだろうから、ラグナ側につくはずだ。

 ヨシミツさんの信念を、その終わりを見守るほかないのか。


 僕は……。

 僕には何ができる?

 イサネのために、何が……。

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