第22話 鬼の正体
「ちっ、あともうちょっと右だったか」
跳ねた泥水がラグナの鎧を汚す。転がって受け身をとり、腰をさすりながら立ち上がったモレットのそばに、サロアが華麗に着地した。
「いきなり落とすなんてひどい! 下手したら死んでたよ!」
「俺の弟子がこの程度で死ぬんじゃねぇ」
「今度はお前たちか……。ここになんの用だ?」
ラグナが淡々と訊ねる。その顔は厳しく、今にも斬りかかってきそうだ。
「なんの用って、俺の目的はお前と同じだぜ。そいつの答えが知りたいんだ。武士ども動くんじゃねぇ!」
倒れている二本角に巨大な白布を被せようとする武士たちが、突然のサロアの怒声に固まる。サロアはそれに構わず二本角を指差して言った。
「ほら、見てみろよ、モレット」
黒焦げになっている二本角に目をやると、モレットは言葉を失い目を見開いた。
身体がどんどん透けて……消えていってる⁉
「ドスカフで暴れた奴もヒコリホンも、使イ魔はお前らからしたらただの化け物だろうが、食って寝るちゃんとした生きモンだ。消えるなんてありえねぇ」
ローレンスの一部の騎士たちも、ざわざわと狼狽え始める。慌ただしい戦いの連続に、今まで気づかなかったのだろう。
驚いていない者たちは、ラグナと同じでとっくの昔に勘づいていたのか。
「これはどういうことなんだ、ヨシミツ? イサネ?」
サロアの鋭い眼光が、金棒を握り締める兄妹に向けられた。
まだ状況を理解できていないモレットは、ただただそこにいる皆を、交互に見つめるしかなかった。
「つ、使イ魔って消えるものなんじゃないの? 少なくとも、このヒノキではそういうものだって、私たちは教わってる……。個々に時間差があるだけで、ほかの使イ魔たちもいずれ消えるんでしょう?」
サロアは奥歯を噛んで、腰の短剣に手をかけた。
「ちっ……鎖国の影響か。それとも、こんな問答は無駄ってことか……」
「サロア?」
何をするつもりだ? 敵は……もうここにはいないはずだ。
惑うモレットを傍に、ラグナ・ライトニングもまた、剣を光らせて戦闘体勢にはいった。
「ヒノキは、国ぐるみで何かを隠している可能性がある。お前たちが鬼と呼び、俺たちが使イ魔だと思っていたものは、生物ではなかった。これは……誰かの能力によるものだな? 国ぐるみで隠せるほど支配力のある者を考えれば、答えは自ずと出てくる」
ほかの騎士たちも一人、また一人と、鞘から剣を抜きだした。
「問われたところでこちらも話せることはない。サロアも悪いな。これから先は、戦でしか語れん」
ヨシミツの一言を合図に、武士たちも金棒を構える。
「やめてってば!」
「待って待って!」
イサネと共に、モレットも睨み合う二つの集団を止めようとした。
武士も騎士も、すでにボロボロなのだ。まだ鬼も使イ魔も倒しきったわけではない。あちこちで彼らの仲間が戦っているというのに。
「ど、どういうことか僕にはまだ何もわかってないけど、今はいがみ合ってる場合じゃない!」
「俺は最初から、こんな所でいがみ合うつもりなどない」
ラグナ・ライトニングは赫雷の力を使う気だ。
モレットが察したのと同時に、ヨシミツも動きだした。
「御将様のもとへは行かせん!」
ほかの武士たちもそれに倣い、騎士たちも相対するため前進する。
「ちょっと! みんな!」
武士と騎士の怒号に、イサネの必死の叫びもかき消される。
金棒と剣がぶつかり合う、激しい衝突音が耳をつんざくその中で、ラグナとサロアとヨシミツだけが、空に跳び上がっている。
マズい! あの三人がここから離脱したんじゃ、もう誰も止められない。
一か八か、モレットはラグナに向かって突進した。彼を止めることができれば、サロアはともかくヨシミツはこの場に留まってくれるはずだ。
ラグナのお腹に抱きつくことに成功する。しかしすぐに掴まれて、呆気なく引き剥がされてしまった。
「邪魔だ」
放り投げられようとした時——
「待たれよっ!」
一人の武士の凄まじい声音が、大砲のように飛んできた。
その透明な爆風はたちまちに、武士も騎士もそこにいる全ての者の動きを、一斉に制止させた。
「……ゲゾウか」
ヨシミツが金棒を下げ、怒声を発した武士を見つめた。
長髪を後ろで束ね、少し頬のこけたその武士は、息を吸うと再び戦場に向かって怒声を飛ばした。
「無益な争いはするな! これは御将様の命だ!」
「そうしたければ、俺をその御将様の元へと案内してもらおう。でなければ武器は収めない」
モレットを地面に落としながら、ラグナは冷静に告げる。
「そのつもりだ。『赫雷の剣』よ。お主を含めローレンスの騎士たちを、御将様のおられる二陽城へと連れていく」
「なに⁉ 本当に御将様がそう仰られたのか⁉」
驚嘆するヨシミツに、ゲゾウはただ黙って頷く。周りの武士も沈黙する中、今度はサロアが言葉を発した。
「待て、俺も連れていけ。こいつと同じで、ローレンスから使イ魔調査の指令を受けてきてんだ」
「……お前、名は?」
「サロアだ」
ゲゾウはサロアの容姿を眺め、しばらく考えてから、「いいだろう」とだけ答えた。そしてゲゾウの目は、サロアからモレットとイサネに移る。
「そこの子どもたちはなんだ?」
「私たちは——」
「この子らはただの旅の者だ。関係ない」
イサネの言葉を遮って、そう伝えたのはヨシミツだった。当然抗議しようとするイサネの腕を掴んで、耳元で囁いた。
「……親父の元へ行ってくれ」
そうして離れていくヨシミツは、最後にもう一度だけイサネを振り向き、
「すまないな」
と……。
優しさと哀しさが宿るその瞳は、紛れもなくイサネをただの妹としか映していなかった。
「リョウ、二人を頼む」
ヨシミツはゲゾウと共に、ローレンスの騎士たちの先導となって、二陽城へ歩いていく。
「モレット!」
その集団の中で、もうすでに姿が見えないサロアの、言葉だけが飛んできた。
「町のほうは任せたぜ!」
思ってもみない師匠の言葉に、モレットは力強く返事をした。
「うん!」
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