第20話 二本角

 早く、早く!


 はやる心は足の疲労を忘れさせ、数分もせずにイサネを城下町まで戻らせた。ゼンキチが二陽城に侵入して捕まった。その事実を受け入れられなかった。


 鬼砕棒を盗もうとしたなんて……きっと何かの間違いだ。


 絶対そうだと藁にも縋りつきたい思いで、イサネは二陽城へと走った。

 そしてもう一つの気がかり……鬼砕棒がニ陽城にあるという情報。イサネとヨシミツに声をかけてきた武士は、鬼砕棒の名前を口に出した時、イサネを見て失言だったとばかりに、あっ……と口を半開きにした。

 ヨシミツは知っていたのか、一瞬呆れた顔をしていたが。


「悪いが、俺は武士としてすべきことがある。親父のことは頼んだ、イサネ」


 町民を守りに行ったヨシミツとの別れ際、彼の顔は怒りとも悲しみともつかないような、複雑な表情をしていた。

 武士の話によれば、ゼンキチは鬼砕棒を盗めはしなかったようだけれど……。

 赤子のように鬼を捻り倒せるという宝具ススタンシアらしいが、誰かが使用している気配もない。実在しているのならば、今使わないでいつ使うのかと、誰に言うわけでもなく叫びたかった。


 降り始めた雨は、早くも桶をひっくり返したみたいに、ざぁざぁとひどくなった。顔に当たる雨粒の一つ一つでさえも、煩わしくなってくる。

 前方に顔を出した二陽城は重たい空を映し、灰色に変わっていた。


 開放された壁門をくぐると、広場は大勢の人で埋め尽くされていた。先ほどまでいた仮設診療所からは、医師や看護師の指示や患者たちの呻き声が、洩れ聞こえている。

 素人目のイサネからも見ても、これ以上もたないことは明らかだった。


 大丈夫……ミツ兄が、武士たちが、鬼を倒してくれている。ローレンスの騎士たちだっている。私は、頼まれたことをしないと。


 イサネは首を振って、診療所から前方へと顔を向ける。


「ん? 悪いが城は立ち入り禁止だぞ」


 城門に立つ武士の一人が、仁王立ちでイサネを遮った。この非常事態にも関わらず、雨に打たれながらも、ぐっと唇を引き締めて立つ彼らの表情からは、絶対に城を守るのだという強い気概が伝わってきた。

 しかしだからといってイサネも、黙って従うわけにはいかなかった。


「父が、父が捕まったって聞いたんです! ゼンキチって名前で、きっと何かの間違いだと思うんだけど——」

 イサネが武士に詰め寄ったのと、城門が開いたのがほぼ同時だった。ギギ……と音が背後で鳴って、武士たちはすぐに端へと掃けた。

 やがて中から出てきたのは、五人の武士に囲まれ、手を後ろで拘束されたゼンキチだった。


「ゼン爺!」


 イサネが駆け寄ると、ゼンキチは驚きで目を大きくした。


「イサネ……どうしてここに……」


 武士たちの屈強な身体に阻まれながら、イサネは必死に叫んだ。


「鬼砕棒を盗もうとしたって、ウソだよね! 何か理由があるんでしょ!」

「お主、どうしてそれを……。いや、何も言うことはない。イサネ、今すぐこの国を出ろ。これは……親としての命令じゃ」


 ゼンキチはそう言うと、前にいる武士に向き直って、行ってくだされ、と告げた。


「待って! 待ってよ、ゼン爺!」


 イサネは必死に呼び止めるが、ゼンキチを連れた武士の一行は止まってくれなかった。肩を掴む武士の力が強く、簡単に払うこともできない。覚悟を決めて背中の金棒を掴んだところで、


「落ち着け!」

 と一喝された。


「辛いだろうが、あの男がやったことは事実だ!」


 武士の言葉が胸に深く突き刺さる。ふいに腕の力が抜けて、イサネは金棒を地面に落とした。


「あの男は、西の牢窟に幽閉される」


 ぽつりと武士が言って、同じく門番をしていたもう一人が、口を挟んだ。


「おい! 勝手にそんな情報を与えるな!」

「親子のようだ。娘なら、父親と話す権利はある」


 武士は、顔をもう一度戻して、イサネの瞳をじいっと見つめてから、


「とにかく今は、鬼が大量に出没している。金棒を持っているのなら鬼と戦え。できないのなら、広場で大人しくしていてくれ」と、頭を下げてきた。

 肩を落としたイサネは顔を伏せたまま、こくりと頷いて踵を返した。


 その刹那、広場一帯を地鳴りが襲った。遠くで家屋が宙を舞い、さらに大地が震える。


「あれは——!」

「に、二本角だ! 二本角がこっちに来るぞ!」


 広場のあちこちからどよめきが走り、顔を上げたイサネも、思わず足を止めた。降りしきる雨の中、まだかなりの距離があるのに、その姿がしっかりと視認できた。

 初めて見る二本角の大きさにイサネは戦慄する。


 あんなのが広場まで来たら、壊滅的な被害が出る。せめて武士と騎士が集うまで、一分、一秒でも食い止めないと。ミツ兄も必ず気づいて、戻ってきてくれるはず。私が頑張らないと……。


 けれどもイサネの脳裏では、連行されていったゼンキチの顔がまだ消えていない。

 イサネは奥歯を噛み、顔を歪ませた。


 ミツ兄……。私、どうしたらいいの……。





  ***


「ふぅ、これでいいかな。ごめんね、少しの間だけだから……」


 モレットは、ノジーと名乗った半壊の化け物を鉄線で縛り終えると、一息吐いて立ち上がった。

 化け物は、ラグナの攻撃を受けて以来、全く動かなくなった。胸の音を確かめてみたけれど、何も聞こえなかった。もしかしてと心配になったが、そもそも顔の左側と顎部分がないにも関わらず動いていたことから、人間ではないようだし、正体を知っているらしいラグナの、「拘束しておけ」という発言からしても、化け物はまだ生きているとみて間違いないだろう。


 とりあえずそう思うことにして、モレットは城下町のほうへと向き直った。家屋は崩れ、二陽城まで楽に見通せる。二本角が暴れている姿さえ視認できた。紅星祭の日の絢爛で平和だった景色は、もうどこにもない。

 だいぶ時間を費やしてしまった。イサネもゼンキチも、無事だといいのだが。

 モレットが走りだすと、後ろからサロアの声がして振り返った。


「お前、まだこんな所にいたのか!」

「サロア! いろいろあって……大変だったんだよ。そっちは?」

「俺のほうもだ。鬼と戦ってたら、ほかの使イ魔まで乱入してきやがった。それに……」


 サロアは顔をしかめ、モレットに問うた。


「お前、倒された鬼たちの姿を見たか?」

「倒された鬼?」


 モレットは周囲を見回して、そういえば、と思った。

 負傷している武士や騎士の姿は数人見かけた。ヒレウマ程度の大きさの使イ魔が倒れているのも見かけた。

 だけど……倒された鬼の姿は一度も見ていなかった。

 その全てが、城下町に向かったとは考えにくい。それなら、もっとその姿が、ここから見えていてもおかしくない。しかし今確認できるのは、二本角だけだ。


「武士たちに負けて、逃げただけじゃないの?」

「……そうか。いや、見てないならいい。俺の勘違いかもしれねぇからな」


 モレットは眉根を寄せる。立て続けの戦闘による疲労のせいもあるのだろうが、サロアの様子は明らかにいつもと違う。


「先を急ぐぞ。この国は何かヘンだ」


 サロアが再び足を動かし、モレットも黙ってついていった。

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