第19話 半壊のギアヒューマン
ついさっきまで晴れていたのに、今では重たい雲が空を覆っている。
汗が首筋を流れた。走り続けて乱れた息を、モレットは必死に整える。ほんの数十分前まで家屋だったであろう、木片の山頂に立つその者を見つめたまま、腰からゆっくりと短刀を抜いた。
大きな布をそのまま纏っただけのような服装。サロアのものと似たつばの広い三角帽子は、帽子の意味を成していないほど、かなり破けきっている。
モレットと同じぐらいの背丈に、その黒づくめの袖と裾からは白い手足が覗いているが、手のほうはただ挟んで掴むことしかできなさそうな、二本の指のようなものしかない。
帽子のつばでできた影のせいで、顔はよく見えず、一瞬だけわずかに目と目が合って、モレットは短刀を握る手に力を込めた。
青い瞳! もしかして昨日の……⁉
「僕に、なんの用ですか?」
警戒を緩めずに、モレットは会話を試みた。言葉が通じるなら、まずは話し合うに越したことはない。
なぜ突然、自分の前に現れたのか。おそらく、偶然ではないだろう。
「昨日お会いしてから、密かに見張らせてもらっていました。見慣れない臙脂色の外套にその赤い髪……あなたは、この国の人間ではありませんね?」
ひとまず言葉が通じて、モレットはホッとした。会話ができなかったときは、強行突破する以外に思いつかなかったからだ。急いでゼンキチとイサネを見つけなければならない。城下町に近づくにつれて、鬼の数が一気に増えた。獣程度の大きさだが、ほかの使イ魔も見受けられる。
つまり、時間がない。
「騎士でもなさそうなあなたに、お願いがあるのですが……」
「お願い?」
なんだ、この……子ども? とにかく人の声じゃない。人と喋ってる気がしない。なんていうか……声に生気を感じない。無機質だ。
「私はノジーといいます。私を、あなたの旅に同行させて頂けませんか?」
「……え?」
三角帽子を取った相手の、角々とした四角い顔を見て、モレットは硬直した。左目と口がない。正確には、顔の左側と顎部分が、ぽっかりと黒く崩れていた。
この人……ヤバい。発言もだけど、やっぱり人間じゃない。忌人や使イ魔でもない。
モレットは逃げることに決めた。追ってくるかもしれないが、どちらにしろ今の状況では、断る以外の選択肢はなかった。その場しのぎに「いいよ」と答えて、付き纏われるのは御免こうむりたい。昨日、人を襲っていた者を、到底信用できなかった。
じりじりと足先の方向を変えて、モレットは地面を蹴った。が、その直後、いきなり上空から鬼が降ってきて、二人の間に乱入してきた。
今まで見てきた鬼たちよりも、さらに大きい。頭部からは二本の黄色い角が、勇ましく生えていた。
鬼の恐ろしい白い眼に睨まれて、一瞬足が竦んでしまう。その一秒後には、鬼の鋭く大きな爪が、モレットを切り裂かんとばかりに狙いをつけていた。
咄嗟に前方へ転がり、なんとかそれを避けるが、凄まじい風圧のせいで体勢を立て直すことさえ困難だった。
すぐに次が来るぞ! 早く動け、僕!
鬼はもう二撃目を繰り出している。目はしっかりと相手を捉えているのに、身体がついてこない。
なけなしの防御に転じようとした直後、鬼の動きが停止した。
あの四角い頭の化け物だ。首根っこを掴まれて硬くなった鬼は、さながら小動物のようだった。
そして鬼の身体はふわりと宙に浮いて、後ろから地面に倒れた。尋常じゃない量の砂煙が、周囲を包む。
モレットは呆気にとられて、顔の崩壊した気味の悪い化け物を見つめた。
小さい身体でなんて力だ。僕を助けてくれたのか……?
「ご無事でよかった。それで、先ほどのお願いに対しての返事を頂いてもよろしいでしょうか?」
「いや……今はそれどころじゃないよ! まだ動いてる!」
鬼が平然と立ち上がった。白い化け物の攻撃は、まるで効いていないようだ。
「この使イ魔……私では倒せませんね。一度退いたほうが良さそうです」
四角い頭がモレットのほうに走ってくる。助けようとしてくれているのだろうが、なにせその見た目のせいで、反射的に短刀を構えてしまう。
束の間、今度はモレットの横を赫い雷が奔った。
次から次に、今度はなんなんだ⁉
雷は四角頭の化け物を貫き、さらに鬼へと直撃した。鼓膜が破れるのではないかと思うほどの雷鳴が轟いた。
「お前は……こんな所で何をしている」
聞き覚えのある声に、モレットは振り返る。束ねられた金の髪。銀鎧の上からは水色の片掛外套。
『赫雷の剣』……。たしか名前は、ラグナ・ライトニング。
「さっさとこの国を出ろ。ここは、お前のようなガキがいる場所じゃない」
吐き捨てられた言葉は冷たく、モレットはむっとなった。
「そんなこと、あなたに言われる筋合いはない」
「なんの力もないのに、か? 故郷に帰れ。邪魔だ」
ラグナ・ライトニングはモレットを一瞥すると、鬼のほうに近づいていった。
一層腹が立って言い返そうとすると、四角頭の化け物が「が、ガガ……が……」と声を発した。
プシュプシュとヘンな音を出して、身体の節々から煙を昇らせていた。
被っていた三角帽子は黒炭と化し、風に乗って化け物の周りを舞って、消えた。
「……ギアヒューマン……。青い火の玉の噂は、やはりお前だったか。だが、なぜこんな所に——」
「グ、グラム……敵……テキだ!」
突然、化け物がラグナに襲いかかった。
「ハイジョ、排除シナケレバ!」
攻撃を躱し素早く後方に飛んだラグナを、化け物は追撃する。
「……うざったいな。話を聞きたかったが、仕方がない」
ラグナの剣に電撃が走る。モレットは慌てて、化け物の前へと踊り出た。
「ま、待って!」
「貴様、どういうつもりだ」
「たぶん……この人は、混乱しているだけだ! 先に攻撃したのはあなただし、少し落ち着かせれば——」
「何も知らんガキが、いたずらに正義感を振りかざすな!」
振り下ろされた剣を咄嗟に短刀で防いで、即座に切り返した。しかしラグナはなんでもないというふうに、腕を短刀の腹に当てて払いのけた。
すぐさま化け物がラグナに掴みかかるが、難なくそれも躱して剣で斬りつける。それをモレットが短刀で受け止め反撃に出るが、ラグナは身体を回転させて、またも簡単にあしらった。
そのまま二対一の攻防を繰り返していると——
グォォォ!
身体の奥底まで威圧してくるような咆哮が、耳をつんざいた。鬼のほうもまた、動きだしたのだ。しかもラグナの攻撃で、怒らせてしまったらしい。黒々としていた肌が、赤くなっている。
「まだ動けたか……。どいつもこいつも、随分と頑丈だな」
ラグナの身体を電撃が迸って、赫く発光する。瞬間、彼はモレットたちの前から消えた。
「さっきよりも強力なやつをくらわせてやろう」
声は鬼の頭上。ラグナは空に飛んでいた。
「ハイドランジア……」
その剣に眩いぐらいの電撃が纏う。
神社の境内で戦った時と同じだ。モレットは終わりを確信した。が——
鬼はその巨体に似合わず、とてつもなく俊敏な反応を見せた。
家屋の瓦礫を掴んで跳躍すると、ラグナめがけて投擲した。
剣から放たれた赫雷が瓦礫を粉々にした頃には、もう鬼はその場から離れ、城下町のほうへと向かっていた。
「厄介だな。おい、臙脂色のガキ」
地面に降りてきたラグナが、モレットを呼んだ。
「そのギアヒューマンはひとまず見逃してやる。だが動かないように、身体を拘束させておけ。武士の鉄線が、そこらに落ちているはずだ」
「なんで僕が……」
あなたの言うことを聞かなきゃいけないんだ。
そう反論しようとしたけれど、モレットは口を噤んだ。あの二本角を止められるのは、ラグナしかいないだろう。彼ならもしかしたら、ここで倒せたかもしれない。モレットの行動は、結果的に四角い化け物を助けることには成功したが、ラグナを邪魔してしまったのだ。
それにラグナはモレットと剣を交えると、すぐに赫雷の力を抑えた。トレースでローグと相対したときと同じだ。明らかに手を抜かれていた。
くそぉ……。
いつの間にか膝をついて動かなくなった化け物を見つめたまま、モレットは悔しさを洩らす。
曇天の空からぽつぽつと、ついに雨粒が零れだした。
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