第17話 青い瞳の幽霊……?

 翌日もイサネは不機嫌で、朝早くから「リュウさんの所で稽古してくる」、と告げて出ていった。モレットは追おうとしたけれど、ちょうどサロアに呼び止められてしまった。修行をしなければならないのだ。いい気なもので、サロアは昨夜のことを何も知らない。説明するのが難しいし、何より説明できたとしても、サロアなら「そんなのほっとけ」、と一蹴するだけだろう。

 結局モレットはイサネのことが気になりながらも、特訓に専念するしかなかった。




「さて、それじゃあ今日から、お前にはこいつを使ってもらう」


 いつもの境内で、サロアが渡してきたのは金棒だった。受け取ると、短刀など比ではないほどの重量に、モレットは思わず落としそうになった。


「昨日、食材の調達のついでにな、スサクの奴から借りてきたんだ。特別製で、普通の武士が使ってる奴よりも重いらしい」

「これで、何をするの?」

「決まってんだろ、俺との打ち合いだ。いろんな武器を扱えるようになれ。実戦じゃ、何が起こるかわからねぇんだからな」

「えぇ⁉」


 こんな、持ってるだけで疲れる武器で打ち合いなんて、勝てるわけがない。

 ……無理だ。


「サツキから契器グラムを奪えれば、それを扱うことだってできたんだ。お前でも充分勝てる要素があったってことだ。契器グラムはべつに、特別な力でもなんでもねぇからな」


 なるほど。契器グラムは誰でもその能力を引き出せるようだから、たしかに奪えれば利点は大きい。だけど……。


「サロアも、契器グラムが壊れたら持ち主も死んでしまうってこと、知ってたの?」

「あ? 当たり前だろ」


 平然と答えるサロアは、木剣を取りだして打ち合いの準備を始める。けれどモレットにはもう一つ、彼に訊ねてみたいことがあった。


「サツキを探す前に、ローグから契器グラムのことについて教えてもらったんだ。でも、破壊した時のことは説明されなかった……。どうしてなんだろう?」


「ローグってのは、『白火の鉄杖』か? そりゃあ決まってんだろ。それを知ったらお前も、仮にあの場にいたのがイサネだったとしても、まともに戦うことができなかっただろうからな。ローレンスの騎士は嫌いだが、それでも考えがしっかりしてる奴らはいる。ローグ・フレイムズは選んだんだろ。お前らとサツキの命、どっちを優先するかを」


 そっか。そういうことだったのか。僕かイサネか、フィノに恨まれることも考えただろう。苦しい選択だったはずなのに、ローグはやっぱり強いな。そして優しい。

 当たり前のように答えた、サロアも……。


「それより、さっさと始めるぞ。今度は尻尾も出し惜しみしねぇ。覚悟しとけよ」

「えぇぇぇ⁉」


 難易度が急激に上がった気がする。殺人級ではないか。

 やっぱり優しくない‼


 案の定、打ち合いが始まるとモレットは金棒を振り抜くことさえできなかった。だいぶサロアの動きを視認できるようになったのに、金棒の重さに身体が持っていかれて、無駄な攻撃を食らうようになった。


 結局その日は、一日ボロボロにされるだけで終わってしまった。

 無理。こんなの無理だ。金棒が重すぎて、前みたいに短刀や鉈を同時に使えない。策を立てる余裕もない。仮に何か思いついたとしても、もうサロアも簡単に引っかかりはしない。


「じゃあ俺は帰るから、お前はあとその金棒で、素振り百回やっとけよ」

「えぇぇぇ⁉ 無理だよ! それは死んじゃうって!」

「死なねぇからさっさとやれ、ボケ」


 モレットは絶望に堕ちた目で金棒を握り、素振りを始めた。ふるふると震える腕でそれでもなんとか振り続け、終えた時には弓張月が真上に浮かんでいた。

 金棒を背負い、さらに重くなった身体を引きずりながらモレットは帰路につく。これでようやく休めると思ったのに、しかし世界は残酷だった。







 瓦屋根の家屋が建ち並ぶ道中、ゼンキチの家まであと五十歩ほどという所で、後ろから悲鳴があがった。


「ひ、火の玉だ! 青い火の玉が浮かんでるぞ!」


 藍色の着物を着た若い男が尻もちをついて、家の屋根を指差している。周りにいた数人の男女もそれに気づいて、一斉に逃げだした。


 青い火の玉……?


 振り返ったモレットは、すでに金色に変わっている眼を凝らす。と、火の玉は屋根からふわりと落ちて、尻もちをついた男に近づいていった。


 なんだ? マズいかもしれない!


「やめろ! その人から離れろ!」


 言葉が通じると思ったわけではなかった。

 だから火の玉がこちらを向いた時には、ぎょっとしてしまった。

 こちらに狙いを変え、迫るその正体は――。


 こ、子ども⁉


 暗いせいでよくわからないが、外套をひらひらとさせた自分と同じぐらいの子どもだ。火の玉は、青く光るその右目だった。


 ヨ、ヨシミツさんが言ってたように幽霊か⁉ や、やば過ぎる!


「うわぁぁぁ」


 モレットは向かってくる子どもに対して、金棒を振りかぶった。

 まるで鉄に当たったみたいに鋭い音がして、手がビリビリと痺れる。疲れきっていたモレットは、予想外の痛みに金棒を落としてしまった。


 か、硬い……⁉


 すぐさま金棒を拾い、がむしゃらに振り回す。しかしすでに、子どもはどこにもいなくなっていた。


 使イ魔……じゃない。忌人か? 少なくとも、普通の人間ではないようだったけど……やっぱり幽霊?


 安心すると膝の力が抜け、モレットはその場に座りこんだ。襲われそうになっていた男性も、無事に逃げることができたようだ。


 ぼ、僕も早くこの場を離れよう。あんなの、二度と会いたくない。






  ***


 家に帰ると、ちょうど居間の襖が開いて真正面からゼンキチが出てきた。その顔があまりに神妙で、サロアはつい横に道をあけてしまった。あけてしまったあとで、口を開いた。


「こんな時間にどこ行くんだ? イサネも帰ってきてねぇみたいだが」


 居間には明かりが灯り、用意された夕食の、香ばしい匂いが漂ってくる。しかし、家の中が静かすぎた。こんなことは初めてだ。

 玄関の戸を開き、ゼンキチはサロアを見ることなく、よそよそしい調子で答えた。


「まだリュウの所におるんじゃろう。儂は少々……スサクの家まで散歩してくる」

「こんな時間に、か?」


 サロアが追及すると、ゼンキチは一拍置いてから、「夕食はもう作っておるから、モレットくんと食べておいてくれ」とだけ残し、出ていった。


「ああ……」


 大して興味のないサロアは、すぐに居間の襖を開けて、卓に用意された料理に手をつけた。焼けたアカウシの肉の香ばしい匂いが、食欲をそそって仕方がない。

 誰もいない部屋。聞こえるのは、自分の咀嚼音だけだ。一人で食事をとることなど慣れているが、ここ数日、非日常になっていた静寂の時間は、サロアについ独り言を零させた。


「いつもより美味さが足りねぇ。ゼン爺さんの奴、やっぱり何かあるな。……そういや、イサネも朝は様子がヘンだったし」


 サロアは箸を置いて、その理由を考えてみたが、すぐにまた食事に専念した。


「モレットの奴が帰ってきたら、あいつに聞いてみればいいか」


 しかしいつまで経っても、モレットも帰ってこなかった。

 夕食を食べ終え、眠気が襲ってきても、誰も、帰ってこない。もう二時間が経っていた。


 イサネと爺さんはほかの奴んとこにいるとして……モレットはどこで何してんだ? 今日はぶっ倒れるほどの特訓はしてねぇはずだぞ。


 特訓のやり方が、いまだ手探りの状態であることは否めないが、それでもモレットの体力についてはだいぶ把握できているつもりだった。


 さてはあいつ、一度俺に勝って気が抜けたな。

 呆れてため息を吐き、サロアは畳に寝転んだ。そのうち帰ってくるだろうと、眠気に従うことにした。

 けれどその直後、べつの可能性が頭をよぎって、サロアは上半身を起こした。


 はっ! まさかあいつ、鬼に襲われたか?

 やべ……。


 立ち上がって、サロアは居間を出る。

 今のモレットの体力では、あの鬼どもには到底勝てないだろう。状況次第では、逃げることさえ難しいかもしれない。

 外へ探しに行こうと、玄関へ走る。

 するとちょうど戸が開いて、モレットが現れた。ふらふらで、今にも倒れそうだ。


「てめぇ、何やってたんだ。鬼に食われちまったかと思ったじゃねぇか」

「ゆ、幽霊が人を襲ってて……あ、青い幽霊が……」

「あぁ?」


 何言ってんだ、こいつ。


 モレットがもたれかかってきて、サロアは反射的に支えた。


 仕方のねぇ弟子だな……。


 とりあえず無事だったことに安堵している自分がいて、サロアは誰に問われているわけでもないのに、必死に心の中で言い訳を唱えた。


 これはあれだ……。ルカビエル様に任されたガキを、むざむざ死なせるわけにはいかねぇからだ。


 自分が人間に情を移すなど、あってはならない。人間は裏切る。本来敵の生き物なのだ。

『人を、一括りに定義するのはよくない。この世界には良い人間もいます。いつかサロアにも、そういう出会いがあったらいいのですが』

 いつか、ルカビエルは言っていた。

 モレット、イサネ、ゼンキチ……この国で出会った人間を見てきたサロアは、すでにそれをわかっていた。しかしそれでも、認めるわけにはいかなかった。

 でなければ、人間に殺された父と母が……浮かばれない。

 サロアは居間までモレットを抱えて、畳に寝かせた。水分を補給させると幾分か落ち着いたようで、帰路の途中で遭ったことを、静かに語り始めた——。







 青い目の子どもか。ひとまず幽霊じゃないとして……この国には鬼以外にも特殊な使イ魔がいるのかもしれねぇな。もしくは、まったくべつの何か、か……。


 眠りについたモレットのそばで、サロアは胡坐をかいて腕を組んだ。

『使イ魔の調査をしろ。それが指令だったはずだ。もっと本質を理解しろよ』


 ラグナ・ライトニングの言葉……。あれは、このことを言っていたのか?

 いや、だとしたら黙っておく必要がない。それに根拠はねぇが、違う気がする。言葉の意味がほかに……。


 モレットの特訓も大事だが、そろそろ本腰入れて、使イ魔退治のほうも始めねぇとな。




 しかし時はすでに遅かった。

 その翌日、ヒノキの町は地獄と化したように急変した。


 町中で複数体の鬼が、同時に出現したのだ。

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