第16話 紅星祭

 紅星祭こうせいさいは、夜になってからが本番だ。

 炎を吸い込んで赤くなった、大きな火ノ木の球体が二陽城の周りに浮かび、その鏡面に点々と反射している。出店の賑わう昼の光景とは、また違った様相を見せていた。  

 町全体が妖しく赤々としており、初めて目にするその景色は異様で、凄艶で、絢爛だった。

 二陽城の周壁の内側は広場になっていて、ゼンキチと再会したモレットたちは、一本の木の下に大きな敷き布を広げて座りこんだ。

 談笑しながら赤く染まった二陽城を見上げていると、スサクという忌人が酒の瓶を持ってやってきた。イサネやサロアから、どういう人なのかは事前に聞いていたけれど、灰色の肌に一つ目の大男が目の前に腰を下ろすと、さすがに身体が委縮してしまった。

 それでもゼンキチとイサネが仲良さげに喋りかけ、サロアでさえ警戒もせずに話しているのを見ると、モレットの緊張も段々と緩んでいった。

 その後しばらくして、ヨシミツも二人の武士を引き連れて現れた。言動の節々から姉御感が溢れ出ている女性はリュウと、ヨシミツ以上に真面目で厳格そうな男性は、アイジロウと名乗った。二人にしても、サロアはすでに顔見知りだったようで、モレットは一人置いていかれている気分だった。初見の人に自分から話しかけるのも苦手で、だからヨシミツが自分を話題の中心にしてくれた時は、心底助かった。


「そういえばサロアに勝ったこと、改めて祝おう。やったじゃないか。それも、俺と話した次の日だろう。やはりお前は、ちゃんと強くなっていっているよ、モレット」

「負けてねぇよ! 特訓の第一関門を突破しただけだっての!」


 豪華に並んだ料理を頬張っていたサロアが反応する。この話になると、いつもこうだ。イサネ曰く、余程悔しんでいるみたいで、それを聞くとモレットも嬉しかった。


「ほぉ。見かけによらず、だな。モレットはローレンスの出、なのか」


 アイジロウが、肴をつまみながら訊ねてきた。


「いえ、僕はローレンスよりも北にある小さな村の出身で、ただの旅人です」

「そうか。その齢で旅人とは大変だろうが……少し羨ましいな、ヨシミツ」

「珍しいね。あんたがそんな言葉を吐くなんて」


 リュウが言ってアイジロウは笑い、「酒のせいだ。気にするな」、と返した。


「武士となった以上、御将様おしょうさまへの忠義は貫く」

「御将様……どんな方なんですか?」


 モレットが訊ねると、アイジロウは鼻に皺を寄せた。


「それは、我々武士には、簡単に答えられんな。一言二言で御将様を語るなど、失礼に値する……」


 そして代わりに、ゼンキチが横から答えた。


「義に厚く、聡明なお方じゃ。おそらく今もあの二陽城の天守閣から、祭りを眺めているのじゃろう。本当は、毎年この日は御将様の挨拶があるんじゃがな、ちょうど奥方のツユ様がご子息をお生みになられたばかりでのぉ」


 モレットは少し残念だった。この国を治め、ヨシミツやアイジロウが、心底信を置くような人が、どんな人物なのか、遠目でもいいから見てみたかった。

 それからは各々が勝手に喋り倒して、時間は閃光のように、あっという間に過ぎていった。祭りの終わりの合図は、この国の象徴である火ノ木だ。吸い込んだ炎が弱まり、火ノ木が次第に、ゆっくりと地面に降りてくると、ヨシミツたちが動きだした。一応、火ノ木が町民に当たることのないように、気を配らなければならないらしい。

 三人が去っていくとスサクも別れを告げ、最後にモレットたちも立ち上がった。サロアはお腹を膨らませて眠りこけ、ゼンキチはお酒の飲みすぎで、フラフラだ。モレットとイサネはため息を吐いて、それぞれ肩を貸した。


「なんで一番歳下の私たちが、面倒看てるんだろうね」

「確かに」


 モレットは苦笑する。

 だけど、ホントに楽しい一日だった。思えば、遊んで食べただけの一日なんて久しぶりだ。火ノ木の淡い明かりの中にいたせいで、まさに夢のようだった。

 明日からはまたサロアとの修行が始まって、いずれ旅に戻るのだ。


「そういえば、イサネはこれからどうするの?」

「これからって?」

「ヒノキに残るの? さっきの宴会でリュウさんが言っていたけど、ゆくゆくは武士になるんでしょ?」


 それに、もうわかっていた。イサネには旅をする理由がない。オールの花や宝具ススタンシアを一緒に探してくれるのはありがたいが、この国で過ごす彼女のことを知ったら、できればあまり、危険に晒したくはなかった。


「そのつもりだけど、私はまだ……」

「親を探しに行くんじゃ、イサネ」


 酔っぱらったゼンキチが、ボソッと零した。ゼンキチはお酒を飲むと、たまにこの言葉を呟く。

 そしてイサネは、軽い調子で流すのだ……。


「べつに、そんなの私の勝手でしょ。ていうか、意識あるなら自分の足で歩いてほしいんだけど」

「この国を出るんじゃ。お主の、家族を探しに——」

「なんでそんなこと、ゼン爺に言われなきゃいけないの」


 イサネの声が尖る。嫌な空気になりそうで、


「イ、イサネ――」


モレットは宥めようとしたのだが……。


「私に、家にいてほしくないなら、お酒なんかに頼らないで言ってよ」


 ゼンキチの腕を乱暴に肩から離して、イサネはそそくさと帰っていった。モレットは慌てて、ゼンキチの身体を支えた。


 え? ど、どうしよう……。これ、僕が二人を家まで連れてくの?


 途方に暮れながらも、モレットは頑張ってゼンキチとサロアを両肩に担いで、歩きだした。


「イサネ、親を探しに……」


 ゼンキチはまだ言っている。

 さすがにモレットも、もう無視はできない。


「イサネにとって、家族はあなたたちなんだ……」


 旅をしてきて、彼女が親についての情報を全く探そうとしなかったのは、最初から探す気などなかったからだ。おそらく旅に出たのも、こうやってゼンキチに言われ続けるのが、嫌になったのが理由だろう。


「ここがイサネの、大事な故郷なんですよ」


 しかしモレットの声も、酔っぱらっているゼンキチの耳には届かなかった。




  ***


 モレットがなんとかゼンキチの家に辿り着いた頃、ヨシミツは二陽城の天守閣に来ていた。広大な座敷の真ん中、きさきであるツユを傍らに、御将様——テルハが座している。頭はちょんまげでちょび髭を生やしており、煌びやかな銀色の着物は、太陽の徴だ。

 ヨシミツは膝をついて、頭を下げた。


「おぉ来たか、ヨシミツ。相変わらず厳しい顔つきをしておるな。まぁとりあえず、お主も飲め。今宵は、ディトリヒー殿もおらぬ」


 テルハはそう言って酒瓶をツユに取らせ、杯に酒を注がせた。ヨシミツはツユが持ってきたその杯を受け取ると、頭を下げてから一口飲んだ。

 ディトリヒーとは、もう何十年も前からこの国、御将様のそばにいる神人だ。このモアリオ大陸で大国と呼べる国には必ず居座っているといわれる、天啓機関の一人。

 監視の意味合いが強い男の存在がないのは、ヨシミツにとってありがたいことだった。


「して、今年も良き祭りであったな」


 テルハが腰を上げ、部屋の端まで歩いた。開放された縁側からは、城下町が見下ろせる。

 夜の風が、御将様の着物をゆらゆらとはためかせた。


「はい、楽しき一日でした。武士は皆、もう思い残すことはないでしょう」

「……そこまで気負うことはない。まだローレンスの騎士と衝突するとは限らぬ。お主らに、余計な苦労をかけてしまっているのは事実だが……」

「余計などそんな。……我々武士は、この国を守るために存在しております」


 ヨシミツは片膝をあげて、顔を上げた。テルハはツユに顔を向け、彼女をそばによんだ。その胸には、すやすやと眠る赤子も。


「我もツユも、覚悟はできておる。ヨシミツ、武士全員に伝えろ。何よりも民を守れ、と。が起きれば被害は避けられぬ。が、お主らの力で最小限に抑えることもできるはずだ」

「はっ!」


 腹の底から声を出した。


 この命を捨ててでも、必ず民を守る。必ず……御将様を守る。俺は、武士なのだ。


 ヨシミツは深くお辞儀をすると、二陽城をあとにした。しなければならないことが、たくさんある。まずは町の見廻りを強化させよう。鬼もだが、青い火の玉——幽霊の噂も絶えない。日に日に目撃者が増えている。今のところ、民が襲われたという情報はきていないが、調べないわけにはいかない。

 そして、ローレンスの騎士の見張りだ。このところ、向こうもこちらを見張っているようだ。おそらく、あのラグナとかいう『赫雷の剣』の仕業だろう。奴らの動向を慎重に、細部まで知っておく必要がある。

 ヨシミツは早足になって、武士を集めて回った。




  ***


「テルハ様……」


 テルハの袖を、ツユがゆっくりと引いた。互いの心に巣食う哀しみが、瞳を通して身体を巡り、また交差して戻る。そうして互いをありありと知って、ツユはすっと、彼の胸に沈んだ。


「すまぬ、ツユ。いざとなれば、私はお前を……」


 テルハは強く、妻の華奢な肩を抱きしめた。二人の間で、赤子の生が静かに鼓動している。

 夜風が縁側から入り込んでくる。今、二人の世界を見ているのは、空に佇む上弦の月だけだ。


「わかっています」


 ツユはさらに深く、顔を沈めた。覚悟はできている。死ぬ覚悟はできている。この子に恨まれる覚悟も、できている。それでも……。

 テルハの胸から顔を離し、ツユは微笑んだ。


「ミツハを、守り抜きましょう。この子だけは、必ず」


 一縷の希望を捨ててはいけない。

 愛を託して、繋いでいかなければならないのだ。


 それがシキ様から仰せつかった、彼女の使命だった。

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