第10話 フィノとサツキの王宮大冒険!・その一

「もぉ、サツキ早くしてよ! 騎士たちが来ちゃうでしょ!」

「わかってるよ! 鍵が上手く閉まらないんだ!」


 サツキが古びた扉を上げたり下げたりして、ようやく錠がかみ合って鍵がかかる。

 二人は急いで、二階へと階段を駆け上がった。後ろで扉がガシャガシャと音を立て、続けて騎士の声まで聞こえてくる。

 フィノは両手で抱えている木箱を見下ろした。中に何が入っているのか、早く開けて確かめたくて仕方がなかった。

 ヒノキで祭りが始まった日、フィノとサツキは王宮の中を行ったり来たりしていた。シエラや騎士たちから逃げるためだ。

 なぜこんなことになったのか、それは少し時を遡って、今日の朝——。






「できたぁ! できたよ、ミア!」

「早いわね、フィノ。計算得意なのねぇ」


 肩辺りまで伸びた水色の髪を耳に掛けながら、ミアがフィノの帳面を覗き込むと手を合わせて褒めてくれた。

 灰色に水色の線が入った、騎士の休暇時専用の制服は、彼女のすらりとした体形を映えさえている。左胸にキラリと光る赤褐色の小さな記章も、これまた格好いい。

 先生として紹介された彼女との付き合いはまだ短かったが、いつでも優しく教えてくれるその姿勢に、フィノはすぐに心を開いた。

 二十三歳とシエラよりも若いけれど、同じぐらい憧れる女性だった。


「それじゃあ、サツキのほうは……」


 ミアが今度は後ろの机へ回る。

 頭を抱えたサツキの、「うぅー」という唸り声が聞こえてきた。


「計算、苦手そうね……」


 ミアの苦笑が気になり、フィノも席を立ってサツキの帳面を覗き込んだ。彼を悩ませているのは算数、平均の応用問題だった。


「全然できてないじゃん! 5人のうち4人の数字が出てて、平均が16ってことも書かれてるんだから、16に5をかければ5人の合計が出るでしょ。そしたらあとは——」

「わからねぇよ! なんで1人わかってねぇのに、平均が16なんて出せてるんだよ。全然わからねぇ! 平均っていうのは5人の数字を足して、その合計を5で割れば出るんだろ? なのになんで平均が先に出てんだよ! 頭が混乱するよ!」

「いや、問題を気にしすぎだよ……。そこまでわかってたら、もう答えわかるじゃん……」

「まぁまぁ。サツキは言語力は正解率良いんだからね。この調子で——」


 ミアが援護するけれど、サツキは頭をワシャワシャして、「ああっー!」と音を上げた。


「俺、頭使うの苦手だよ。部屋に籠らせて剣振らせてください、シエラ様」


 サツキがだらっとなって机に顎をつける。窓際に座り、本を読んでいたシエラはフフッと笑った。


「駄目です。剣を振るのも大事なことですが、勉強も同じぐらい大事なことです。それにあなたは……いえ、とにかく一日三時間でいいので、勉強しなさい」


 シエラが何を言わんとしたのか、フィノにはなんとなくわかった。

 サツキが王宮に来てから十日が過ぎていた。右腕の傷はすっかり良くなり、長くボサボサだった緑色の髪も綺麗に切られ——それでもまだ耳が隠れるぐらいあって、フィノはもう少し切ってもよかったのでは、と思っている——、服もローレンスの人たちが着ているのと同じ、水色のものを着るようになった。だいぶ、王宮での生活にも慣れてきたはずだけれど……。


 サツキは未だに、ほとんど誰とも話さなかった。フィノを除けばシエラとミアぐらいだ。その理由をフィノは直接聞かずとも察していた。自分の周りにいる騎士たちを、まだ信用できていないからだ。原因は言うまでもなくトレースでの出来事であり、フィノも男の騎士に挨拶されたり近づかれたりしたときは、無意識にシエラやミアの服の袖を握ることがあった。それでもやっぱり、これからはこのローレンスで暮らしていくのだから、いつまでもそれでは駄目だろうと、漠然とだが思っていた。

 けれどもそんな想いとは裏腹に、商人を襲った事件のことがあって、ほとぼりが冷めるまでは、勝手な外出は禁止となってしまった。サツキは一日でも早く、せめて自分が襲った商人たちに謝りに行きたいと言っているが、それも時期が来たらとシエラに止められている。

 王宮の中も、どこでも出歩いていいわけではない。だからせめてもと、シエラはこうやって自分以外の話し相手や退屈しない時間を作ってくれているのだろうが、それでもやっぱり……。


「あたしもたまには外に出たいよ、シエラぁ。モレットたちはまた冒険に出たんでしょ。楽しそう!」

「なんだって⁉ 確かそいつ、俺を助けてくれた奴だろ。ズルいよ、歳一緒なんだろ?」

「あら、モレットはちゃんと勉強していますよ。あなたより頭はいいでしょう」


 シエラは本の文字に目を落としたまま、挑発的な口調で返した。


「く、くそぉ……わかりました! やってや——やります!」


 なぜか急にやる気をだし、サツキは背筋を伸ばして机の帳面に向き直った。言葉がおかしいのは、最近ミアに敬語を教わっているからだ。フィノも、もう少ししたらね、と言われているのだけど、それを使うとシエラたちと離れてしまう感じがして、できれば一生使いたくなかった。シエラはいつも敬語だから、余計にそう思ってしまう。


「ですが、そうですね……。ずっと部屋の中というのも、精神的に良くないのは事実ですし、何か考えておきましょう」

「ホントに⁉」


 フィノは目を輝かせて、シエラの膝に抱きついた。


「ええ。だからフィノも、ミアに習って勉強の続きをしなさい」

「うん!」


 シエラに敬礼すると、フィノも机に戻って勉強を再開した。ミアの言う通り、計算は得意なほうかもしれなかった。少なくとも嫌いではない。解き方がわかってくると、数字の遊びみたいで楽しかった。サツキは、その数字を見るだけで嫌なようだけど。




「それじゃあ、今日のお勉強は終わりです! 二人ともお疲れ様!」


 ミアが手を叩いたのと同時に、サツキは机に突っ伏した。フィノはふぅーと背もたれによりかかって、足をバタバタさせた。遊びみたいとはいっても、頭を使うからどうしても疲れてしまう。

 ミアが二人に、深々とお辞儀をし、続けてシエラのほうを向いて同じことをした。部屋を出て行くときに、いつもしていることだった。

 だけど今日は部屋の扉を開けたところで、シエラに呼び止められていた。


「ミア、ごめんなさいね。騎士のあなたに、こんなことを頼んで」

「いえ、シエラ様のご命令とあれば、なんでも。それに、子どもは好きですから」

「ならよかったです。ところで、ジュリセルは元気にしていますか?」

「な、なんですか⁉ いきなり……」


 ミアは狼狽え、視線を下に向けて頬を染めた。


「あいつなら、元気にしていると思いますけど」


 シエラはまた、フフッと笑う。しかしどこかがさっきと違う。うまく説明できないが、いうなれば王女様の笑みではなく、フィノがサツキにいたずらを仕掛けた時にするような、そんな表情だった。


「それはよかったです。それではお二人に、少しお願いしたいことがあるのですが……」

「は、はい。なんでしょう」


 ミアは恐る恐るといったふうに、シエラを伺った。二人は顔を近づけて何かを話しだす。やがてミアが、「えぇ……」とヘンな声を出した。


「では頼みましたよ」


 考え込むミアに構わず、シエラはフィノたちのほうを振り向いた。


「それではフィノ、サツキ、私は公務があるので、これで失礼します。今日は外で、ミアと食事なさい。連れていってくれるそうです」

「え⁉ 行くっ!」


 フィノはすぐに席を立った。面倒くさそうに顔をしかめるサツキの腕を掴んで、立ち上がるように揺する。誰も信じられないからって閉じこもってばかりでは、いつまでも変わらないと思う。


 フィノがいつまでも揺すり続けるので、サツキはとうとう、「はぁ」と椅子から腰を上げた。

 フィノはそのままサツキと手を繋ぎ、もう片方の手をミアの手と結んだ。





 ミアに連れられてきたのは、王宮からすぐの場所だった。家と家の間を縫うようにして辿り着いたそのお店は、よくわからないけれどミアの行きつけらしい。たまに、シエラも行くそうだ。 

 お店の屋根からは、白くて太い木のようなものが生えていて、『陸の海』という看板が出入口にぶら下がっていた。

 中に入ると、四方は深い深い青色の空間となっていた。鼓笛と弦楽器が入り混じった陽気な音楽が響き、あちらこちらには水の入った水槽があって、その中では見たことのない魚たちが、行ったり来たりして泳いでいた。フィノとサツキが、水槽の一つに顔を近づけて魚を観察している間に、ミアは近くの円卓へと腰を落ち着けた。昼時なのでそれなりにお客さんが入っていて、配膳も忙しそうにしている。

 じっと魚を眺め続けていると、やがて一人の騎士がお店の中へ入ってきた。若い男で、ミアを見つけるなり彼女の隣に座りだした。


「ミア!」

「ジュリセル。早かったわね」

「シエラ様からの指示だからね。子どもたちは?」

「そこにいるわよ。フィノ、サツキ、この人はジュリセル」


 ジュルセルが振り向いた時には、すでにフィノとサツキの興味は魚から彼へと移っていて、まじまじと見つめていた。

 サツキはフィノを庇うように、少しだけ前に出た。


「大丈夫よ。この人は、そこらの騎士よりよっぽど弱いから」


 サツキの警戒心に気づいたミアが軽い調子で言った。


「ひどいな、ミア。俺の剣術試験の成績はそんなにひどくないぞ」


 ジュリセルは慌てて否定し、ミアはまた笑う。サツキはようやく警戒を解いて、二人の向かいに座った。フィノもあとに続く。


「ごめん、冗談よ。それより何か頼みましょう。あなたも、お昼はまだなんでしょう?」

「ああ」


 ジュリセルは同意して、机の上にある品書きを広げた。




「お待たせしましたぜ、ミアちゃん」


 注文してから数分後……店員の中で一人だけ、黒い頭巾をしている男の人が近づいてきて、料理を卓の上に乗せた。魚と貝のパスタと……鳥肉と山菜で彩られた乾酪かんらく盛り盛りのピッツァ、というお皿にお皿が乗っているみたいな不思議な料理。

 美味しそうな匂いがこれでもかというぐらい鼻孔をついてきて、フィノはもう我慢できなかった。すっと手を伸ばすと、サツキの手とぶつかった。


「あたしが先!」「俺が先だ!」「あたしが先だって!」「俺が先だって言ってんだろ!」

「焦る必要なんてないから……」


 ミアが呆れたように言う。すると黒い頭巾の男が彼女を見下ろして、


「驚いたなぁ。久しぶりに来たと思ったら、まさか恋人だけじゃなくて子どもまで作ってたなんて」

「て、店長さん、違います! この子たちはその、親戚の子で、今ウチで預かっているんです!」

「ハハハ、冗談だよ。わかってる、さっきシエラ様から電話があったよ。今からミアたちが行きますので、よろしくって。そっちのほうが驚きだったね。いやぁ……大変だね」


 男の人は一段と大きい声で笑った。


「それで、最近調子はどうだい? 騎士になって、やっと一年ぐらいだろ」


 二人が他愛のない話を始めて、時折ジュリセルもそこに加わる。フィノとサツキはその向かいで、我先にと料理を食べていた。貝の柔らかい弾力に塩味の出汁が染みついた麺が綺麗に合致していて美味しい。ピッツァは鶏肉と山菜が伸びる乾酪で包まれ、食べるとモチモチした。


「そういえば、王宮にはお宝が眠ってるっていうのも七不思議の一つだろ。ホントかウソか、二人は知ってるんじゃないのか?」


 ふと聞こえてきた言葉に反応して、フィノは顔を上げた。


「ナナフシギ?」

「文字通り、このローレンスにまつわる七つの不思議さ。例えば、ローレンスには伝説の神の子どもが住んでいるとか、東の森には恐ろしい魔物が住む洞窟があるとか、王宮を囲んでいる三つの塔は、一日ごとに少しずつ動いているとか」

「えぇ⁉ あの塔動いてるの⁉」


 その塔の一つに、フィノとサツキが寝起きしている部屋があるのだ。動いているだなんて恐ろしい。

 店長は笑うと、首を横に振った。


「動いてないよ。先代の、ジーノ様がまだ王様だった頃にその噂が広がり過ぎてね、王族の耳に入ったことがあったんだ。それでジーノ様自ら、否定した。わざわざそれだけのために四日間町の人たち全員の仕事を休みにさせて、集めて、十人の建築家に証明させたんだ。いやぁホントに、ジーノ様はハチャメチャな人だったよ。面白い方だった。シエラ様も、少し似ているよなぁ」


 シエラがハチャメチャ……? 


 フィノは小首を傾げる。いつも礼儀正しく気品を漂わせていて、とてもそうは見えない。

 窓の向こうに見える王宮を一瞥して、店長は思い出したように話を戻した。


「そうそう、それで最近噂されてるのが、お宝の話なのさ」

「シエラ様たち、王族でさえ知らないっていうお宝ですね」


 ミアが言葉を補足する。店長は、「やっぱり知ってるんじゃないか」と目を細めた。


「それだけですよ。騎士たちの武器庫に、そのお宝への入り口があるっていうのも聞いたことありますけど、誰も何も、見つけていません」

「そうなのか……。残念だねぇ。手掛かりでも得られれば、俺が見つけてもらっちゃおうと思ったんだが」


 お宝……一体なんなんだろう。

 フィノはピッツァを食べながら、頭はずっと二人の会話のことを考えていた。考えて考えて考えているうちに、ピッツァの味は段々と口から消えていった。

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